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エドゥアール、5歳 ①
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そのときのことをなんと形容していいものかわからない。
ありきたりではあるが、時間が、止まったような錯覚。
そのひと以外の全てが、一瞬にして色褪せたように感じるほどで、エドゥアールは、数瞬、ぽかんと呆けてしまった。
儚げで、とても綺麗なひとだった。
作り物のようにさえ見えるその顔がエドゥアールの父に向いて、彼女は流れるような動作で腰を浮かせる。
姿勢はいいのだけれど、エドゥアールの母のように華やかで堂々とした感じはしない。
しなやかで、華奢な印象のひとだと思った。
そのひとの、淡い緑の目が細められて、口角が上がる。
顔立ちは綺麗なのに、笑った顔は可愛い。
アンバランスで不思議な魅力のひとだと、エドゥアールは思った。
「こんにちは、お久しぶりです、陛下」
声も可愛らしくて、容貌と比較すると話し方が少し幼い感じもするが、それが可愛い。
どこか、地方の出なのだろうか。
言葉が少し、ぎこちなく感じる部分がある。 方言、訛りとは少し違うような気もするのだが。
そんな風に考えながら、エドゥアールはひたすらにそのひとのことを見つめた。
父は、目を伏せて、困ったように笑っている。
困ったように、と思ったが、困っているというよりは、難儀している、といった表現の方が適切かもしれない。
「うーん…、私はブラッドベル夫人を招待したはずなんだけれど…、どうしてブラッドベル卿までここにいるんだろう? お前は業務中のはずだから、敢えて私はお前を呼ばなかったのだけれど」
そう言われて初めて、エドゥアールはその女性の隣に、やたらと目立つ男がいることに気づいた。
母も美しい赤髪だが、その男も実に鮮やかな赤髪をしていた。
明度や彩度の問題なのだろうか。
その男の赤髪の方が、視覚的に強烈だ。 瞳も柘榴石のような紅で、深みのあるグリーン――オリーヴというのだったか――の制服との対比で余計に目立って見える。
あの、深みのあるグリーンの制服は、確か王都騎士団のものだったか。
肩章と襟章で読み取れる、男の騎士団における階級は副長相当。 それ以外にも、胸の希少から、男が騎士位を賜っていることを、エドゥアールは知る。
ああ、だから父は、この男のことを【ブラッドベル卿】と呼んだのか、とエドゥアールは納得した。
そして、あの綺麗なひとは、【ブラッドベル夫人】。
この二人は、夫婦ということになる。
そのことに、当時は何も思わなかった。
いや、正確に言えば、美男美女でお似合いだな、とは思った。
ブラッドベル夫人に寄り添うように立つブラッドベル卿が、ブラッドベル夫人を大切に想っているのは一目瞭然だ。 ブラッドベル夫人が、ブラッドベル卿を信頼し、安心して身を預けているのも。
赤髪赤目のブラッドベル卿は、一応腰を浮かせてエドゥアールの父――このフレンティアの国王陛下に敬意を示してはいるようだが、恐らく、本心から敬ってはいないのだろう。
腕組みをしたままで、溜息交じりに言葉を紡ぐ。
「マリーが報せをくれました。 妻が王家の使いに連れ去られていった、と。 有無を言わせず選択肢もなければ、国民の人権はどこにあるのでしょうね、陛下」
ブラッドベル卿が、チクリと嫌味を言ったことは、エドゥアールでもわかった。
エドゥアールでもわかったのだから、父が気づかぬはずはない。
だから、エドゥアールは父をちらりと見上げたのだが、父は驚いた表情で衝撃を受けていた。
「ジオークが珍しく、中身と釣り合った頭の良さそうなことを言っている…」
どうやら、嫌味に気づいても、意には介さなかったようだ。
もしかすると、このブラッドベル卿は、父のお気に入りなのかもしれない、とエドゥアールは思う。
「茶化さないでいただけますか」
むしろ、ブラッドベル卿の方が声を固くしたのだが、父はやはり気にしなかったようだ。
飄々とした様子で、すいすいと滑るように絨毯の上を歩き、ブラッドベル夫妻がつい先ほどまで腰かけていた応接セットへと近づいて行く。
だから、エドゥアールも父を追いかけた。
父が、ブラッドベル夫妻の方向へ手を指し示すことで座るよう促せば、ブラッドベル夫妻は再びソファに腰を落ち着けた。
だが、ブラッドベル卿の厳しい視線はずっと父に向けられたままだ。
ブラッドベル夫人はといえば、エドゥアールのことが気になるのか、じっとエドゥアールを凝視している。
ブラッドベル夫人は、本当に綺麗だ。
見ていたいけれど、見られたくないような、不思議な感じがする。
嬉しいけれど、恥ずかしいような感じもして、エドゥアールは頬を染めてもじもじとしながら視線を下げた。
すると、耳に、ブラッドベル卿の硬質な声が届く。
「で、何のために妻をかどわかしてきたのです」
完全に、詰問口調だ。
一国の王を相手にしているとは思えない。
だが、父はそれを咎めるでもなく、快活に微笑んでいる。
作った表情ではなく、本当に嬉しそうだ、とエドゥアールは感じた。
「かどわかすとは、人聞きが悪いな。 夫人には、息子のディストニア語の教師をしてもらいたいと思ってね」
ありきたりではあるが、時間が、止まったような錯覚。
そのひと以外の全てが、一瞬にして色褪せたように感じるほどで、エドゥアールは、数瞬、ぽかんと呆けてしまった。
儚げで、とても綺麗なひとだった。
作り物のようにさえ見えるその顔がエドゥアールの父に向いて、彼女は流れるような動作で腰を浮かせる。
姿勢はいいのだけれど、エドゥアールの母のように華やかで堂々とした感じはしない。
しなやかで、華奢な印象のひとだと思った。
そのひとの、淡い緑の目が細められて、口角が上がる。
顔立ちは綺麗なのに、笑った顔は可愛い。
アンバランスで不思議な魅力のひとだと、エドゥアールは思った。
「こんにちは、お久しぶりです、陛下」
声も可愛らしくて、容貌と比較すると話し方が少し幼い感じもするが、それが可愛い。
どこか、地方の出なのだろうか。
言葉が少し、ぎこちなく感じる部分がある。 方言、訛りとは少し違うような気もするのだが。
そんな風に考えながら、エドゥアールはひたすらにそのひとのことを見つめた。
父は、目を伏せて、困ったように笑っている。
困ったように、と思ったが、困っているというよりは、難儀している、といった表現の方が適切かもしれない。
「うーん…、私はブラッドベル夫人を招待したはずなんだけれど…、どうしてブラッドベル卿までここにいるんだろう? お前は業務中のはずだから、敢えて私はお前を呼ばなかったのだけれど」
そう言われて初めて、エドゥアールはその女性の隣に、やたらと目立つ男がいることに気づいた。
母も美しい赤髪だが、その男も実に鮮やかな赤髪をしていた。
明度や彩度の問題なのだろうか。
その男の赤髪の方が、視覚的に強烈だ。 瞳も柘榴石のような紅で、深みのあるグリーン――オリーヴというのだったか――の制服との対比で余計に目立って見える。
あの、深みのあるグリーンの制服は、確か王都騎士団のものだったか。
肩章と襟章で読み取れる、男の騎士団における階級は副長相当。 それ以外にも、胸の希少から、男が騎士位を賜っていることを、エドゥアールは知る。
ああ、だから父は、この男のことを【ブラッドベル卿】と呼んだのか、とエドゥアールは納得した。
そして、あの綺麗なひとは、【ブラッドベル夫人】。
この二人は、夫婦ということになる。
そのことに、当時は何も思わなかった。
いや、正確に言えば、美男美女でお似合いだな、とは思った。
ブラッドベル夫人に寄り添うように立つブラッドベル卿が、ブラッドベル夫人を大切に想っているのは一目瞭然だ。 ブラッドベル夫人が、ブラッドベル卿を信頼し、安心して身を預けているのも。
赤髪赤目のブラッドベル卿は、一応腰を浮かせてエドゥアールの父――このフレンティアの国王陛下に敬意を示してはいるようだが、恐らく、本心から敬ってはいないのだろう。
腕組みをしたままで、溜息交じりに言葉を紡ぐ。
「マリーが報せをくれました。 妻が王家の使いに連れ去られていった、と。 有無を言わせず選択肢もなければ、国民の人権はどこにあるのでしょうね、陛下」
ブラッドベル卿が、チクリと嫌味を言ったことは、エドゥアールでもわかった。
エドゥアールでもわかったのだから、父が気づかぬはずはない。
だから、エドゥアールは父をちらりと見上げたのだが、父は驚いた表情で衝撃を受けていた。
「ジオークが珍しく、中身と釣り合った頭の良さそうなことを言っている…」
どうやら、嫌味に気づいても、意には介さなかったようだ。
もしかすると、このブラッドベル卿は、父のお気に入りなのかもしれない、とエドゥアールは思う。
「茶化さないでいただけますか」
むしろ、ブラッドベル卿の方が声を固くしたのだが、父はやはり気にしなかったようだ。
飄々とした様子で、すいすいと滑るように絨毯の上を歩き、ブラッドベル夫妻がつい先ほどまで腰かけていた応接セットへと近づいて行く。
だから、エドゥアールも父を追いかけた。
父が、ブラッドベル夫妻の方向へ手を指し示すことで座るよう促せば、ブラッドベル夫妻は再びソファに腰を落ち着けた。
だが、ブラッドベル卿の厳しい視線はずっと父に向けられたままだ。
ブラッドベル夫人はといえば、エドゥアールのことが気になるのか、じっとエドゥアールを凝視している。
ブラッドベル夫人は、本当に綺麗だ。
見ていたいけれど、見られたくないような、不思議な感じがする。
嬉しいけれど、恥ずかしいような感じもして、エドゥアールは頬を染めてもじもじとしながら視線を下げた。
すると、耳に、ブラッドベル卿の硬質な声が届く。
「で、何のために妻をかどわかしてきたのです」
完全に、詰問口調だ。
一国の王を相手にしているとは思えない。
だが、父はそれを咎めるでもなく、快活に微笑んでいる。
作った表情ではなく、本当に嬉しそうだ、とエドゥアールは感じた。
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