咲いても散らぬ、恋の花。

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エドゥアール、8歳

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「ただいま戻りました!」
 元気な声を響かせて、室内に入ってきた愛息子に、アンネローゼは顔を綻ばせた。
 息子――エドゥアールの後ろからは、静かにロワイエールが続いて入ってくる。
「おかえりなさい、エド、卿。 夫人と赤ちゃんはお元気でした?」
「はい! 女の子でした。 目を閉じていたので、目の色はわかりませんが、髪はリシェーナみたいな色でした。 きっと、リシェーナに似てきれいになると思います」


 頬をほんのりと染めたエドゥアールは、アンネローゼの座るソファの隣に座ると、興奮気味に言葉を紡ぐ。
 先程まで、アンネローゼの膝の上でぬいぐるみのうさぎの耳を吸っていた娘――フレンティーナは、ロワイエールの姿を認めると、ぬいぐるみを放り出して、ロワイエールに手を伸ばす。
「きょう!」
「はい、姫。 だっこですね」
 ロワイエールは笑顔でフレンティーナの要望に応じて、フレンティーナを抱き上げた。

 膝の上から、フレンティーナの重みがなくなって、何となく寂しいので、アンネローゼはフレンティーナの涎まみれのぬいぐるみを膝の上に乗せる。
 フレンティーナは本当に、ロワイエールがお気に入りだ。

 そして、息子のエドゥアールは、【紅の獅子】という二つ名を陛下から賜ったジオーク・ブラッドベルの妻である、ブラッドベル夫人をいたく気に入っている。
 アンネローゼと陛下に否定されてからは聞かなくなったが、以前エドゥアールは、「大きくなったらリシェーナとけっこんする」「リシェーナにおよめさんになってもらう」と言っていたのだ。


 その、ブラッドベル夫人に、赤ちゃんが生まれた。


 エドゥアールは、その日のうちにお祝いに行きたいと言っていたのだが、ご迷惑になるからお待ちなさいと言って、何とか一か月待たせたのだ。
 エドゥアールは、毎日毎日そわそわとしていた。
 それは、生まれてくる赤ちゃんを楽しみにしている、というよりも、ブラッドベル夫人に会えるのを楽しみにしていたのだと、思う。
 これは、母親の勘だ。


「そう。 ブラッドベル夫人の娘さんは、ブラッドベル夫人に似ているの」
「はい。 赤ちゃんへのタオルも、リシェーナへのナッツも、喜んでもらえました」
 にこにこと嬉しそうに微笑むエドゥアールは、可愛すぎて尊い。


 だが、そのエドゥアールが、十以上も年の離れた人妻に、恋らしきものをしているというのは、母親としてはやはり、喜ばしいことではないと思うのだ。


 だから、アンネローゼは、そのとき閃いた安易で浅はかで、子どもだましな考えを口にした。
「エド、ブラッドベル夫人の娘さんがブラッドベル夫人に似ているなら、儚げで綺麗になるでしょう。 その子にお嫁さんになってもらったら?」


 十以上も年の離れた人妻よりも、八つ違いの幼妻のほうが、母親としては安心できる。
 それは、あくまでもアンネローゼの考えの押し付けだと、気づいたのは後からだった。
 エドゥアールは、アンネローゼが何を言っているのかわからないような表情をした後で、ゆるく首を横に振った。

「いいえ」

 アンネローゼは、軽く目を見張った。
 思いの外、きっぱりとした響きの、確固とした答えだった。
 エドゥアールの言葉は、それでは終わらずに、真っ直ぐにアンネローゼの目を見つめて、告げる。
「僕は、リシェーナがいいんです。 リシェーナの代わりがほしいんじゃない。 それでは、あまりにもリシェーナの娘御に失礼で不誠実です」


 アンネローゼは、驚いた。


 まだ、八歳。
 まだ、子ども。


 そう思っていたというのに、そのときのエドゥアールは、とても大人びて見えたのだ。


 漠然と、だが、この子はもう、何かを覚悟して、決めているのではないか。
 そんな風にすら、思えた。
 と同時に、まるでブラッドベル夫人の代替品のように、ブラッドベル夫人の娘御をエドゥアールの婚約者に、と考えた自分を恥じる。


「…ごめんなさいね、エド。 無神経なことを、言いました」
 そっと目を伏せて、アンネローゼは自分の発言を謝罪した。
 ぬいぐるみを抱いたアンネローゼの手に、そっと別の手が触れるから視線を上げると、エドゥアールが静かに微笑んでいた。


「いいえ。 大丈夫です。 母上のように考えるのが普通ですし…、初恋は、叶わないものだと聞きましたから」


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