命のその先で、また会いましょう

春野 安芸

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第3章

040.特異点

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「粗茶ですが……」


 隙間風と雨漏りが大きな懸念事項であるボロアパート。
 もはや現代人が住むに相応しいか甚だ疑問を抱かざるを得ないこの俺が住むアパートに、まさかの来客がやってきた。
 郵便や行政、家賃回収の大家以外の来訪者が居なかったこれまでの暮らしにおいてそれは初めてのことでもある。幸いなことに相手は知り合い。つつがなく2人を普段食事しているテーブルに案内することができた。
 それにしても冷蔵庫が生きていてよかった。どうも俺が倒れて支払いが滞っても、大家さんのご厚意で電気ガス水道は生かしてもらっていたらしい。病院から帰る途中お茶を買っておいたのも幸いした。俺はまだ冷え切っていないながらも冷蔵庫にあったお茶を2人に差し出す。
 まさに文字通りの"粗茶"。しかし二人は差し出されたものに不快感を一切示すこと無く笑顔でそれを受け取った。

「ありがとうございます。やはり煌司さんは気が利きますね」
「お忙しいところ連絡もなしにすみません。お休み中でしたか?」
「……まぁ、えぇ」

 銀髪の女性が素直に受け取って黒髪の女性から出される問いに俺は戸惑いながらもそう答える。
 きっと、突然鳴ったインターホンに対応するためそのままにしたベッドを見て彼女は判断したのだろう。……いや、そうとも限らない。なんていったって彼女は"神様"だからだ。
 比喩などではなく正真正銘の本物。俺があの世界で散々世話になった彼女だ。つまり俺が寝ていたことは当然の如く知っている。更にあの世界で散々言い当てられたように、今俺が考えていることも読まれていると見て間違いないだろう。

「…………」
「な、なんですか?」
「……いえ、なにも。ですが、予め言っておきますが私は心を読むことができませんよ」
「読めてますよねそれ!?」

 読めてる!確実に読んでるよそれ!!
 こっちをジッと見たかと思えばタイミング良すぎるその言葉!絶対読めてるよね!?

 しかし俺の思いとは裏腹に、彼女は困った顔をしてフルフルと首を横に振る。

「本当に読めないのです。先程のは煌司さんの顔に書かれていて予想しやすかっただけです。今はもうその力は失われています」
「…………詳しく聞いても?そっちの、瑠海さんも含めて」

 それはつまり以前は読めていたという裏返しにもなるが、今はそのことより現状についてだ。
 何故彼女がこの世界に来たのか、そして何より気になるのが瑠海さんの存在である。
 髪色はもとより、雰囲気は残っているが完全に容姿が変わっている。もしかしたら二人とも魂だけの存在で降りてきているだけかと思ったが、普通にコップに注がれたお茶を飲んでいる姿を確認するに、それも違うようだ。つまり二人はこの世界に生者として立っている。瑠海さんは自他ともに認める地縛霊だった以上、それは明らかにおかしいことだ。

 二人も俺の問いの真意を重々承知しているのだろう。神妙な面持ちでコトリとコップを置いた両者は頷き合ってゆっくりと口を開いていく。、

「まず瑠海さんを最初に説明したほうがわかりやすいでしょう。彼女は私が蘇らせました」
「蘇っちゃいました!あ、ゾンビじゃないですよ?新たに身体も用意してもらった立派な生者です!」
「そっかぁ。蘇っちゃったかぁ…………なんで!?」

 しかし神妙な顔でその口から語られたのは随分と軽いノリだった。
 俺もつい真面目な顔で復唱してしまったがあまりにも経緯をすっ飛ばしすぎた結論に思わずノリツッコミになってしまう。
 いくら神様といえどそんなにポンポン人を蘇らせちゃっていいの!?倫理的な問題は!?

「なんでって、私がこれからもお二人と一緒にいたいと思っていたらマヤさんにお誘いいただきまして……」
「そんなちょっとコンビニ行くような感覚で……。それで良いんですか……?」

 そこまで瑠海さんに想われるのは嬉しいが、それで良いのか神様よ。
 いや嬉しいんだけどね。でもあの時二人きりで話したこととか色々なものが台無しに……。

「煌司さん、たしかに神様は何でもできますが、さすがに色々と決まり事も厳しくて死者の復活なんて極刑ものです」
「ですよね……。じゃあなんで?」
「それはもちろん、煌司さんと祈愛さんお二人の笑顔のために。ついでに先程のような驚いた顔が見たかったので」

 ……きっと最後が本音だろう。
 しかし極刑か。やはり死者の復活は神様といえど厳しいものがあるらしい。つまり、彼女がここに居るということは……

「はい。既に予想しているとは思いますが、私は彼女を生き返らせた事により現世へと追放されました。その結果未来予知や読心など、俗に言う超能力が使えない一般人になっております」
「追放……ですか……」

 なんてことのないような顔で語られるが、その言葉は俺にとって重いものだった。
 俺たちのために尽力してくれた結果が追放だなんて。瑠海さんにまた会えたのは嬉しい……嬉しいけど犠牲が伴うものと考えると……。
 彼女への感謝と謝罪で顔を伏せたのもつかの間、すぐに頬へ手が触れられ顔をあげると聖母のような優しい微笑みが目に入る。

「あなたが気に病む事はありませんよ。追放と大げさに言いましたが80年の期限付き。千年以上生きる私にとって80年なんてちょっとした休暇のようなものです」
「でもマヤ様は……」

 マヤ様はそれでいいのか。
 そう問いかけようとしたところで、彼女の長い指が唇に触れてそれ以上言葉を紡ぐのを防がれてしまう。

「あなたはこれまでずっと頑張ってきました。それを見守ってきた私にも頑張らせてください。それに、様付けではなくいつも通りでいいと言いましたよね?」
「…………マヤ」
「はい。皆さんの母親、マヤでございます」

 そう告げるマヤは追放をなんとも思っていないような笑顔だった。
 それが強がりか本心かは知る由もない。しかしそれを気にするのすら無粋だ。そして問題ないと思わせるほどの説得力を彼女から感じ取った。
 ならばこれ以上聞くのは意味のないことだろう。そう思って笑ってみせると彼女は『それに……』と言葉を続ける。

「それに、元々誰かがこの役目を負わなければならなかったのですから渡りに船というものです」
「…………?」

 渡りに船?それはどういうことだ?
 何のことか分からず首を傾げる俺。それは誰かが追放されるのが役目だったということか?現世へ降り立つことに意味があったと?

「煌司さんのお陰であなたのお父様は大人しくなりました。きっと次出てくる頃には改心していることでしょう。しかしその事によって次の問題……あの方の作った"特異点"を見張る役目が出てきたのです」
「特異点、か。全く余計なことしやがって……」

 特異点。シンギュラーポイント。
 俺も中二病だった時に調べたことがある。決して触れることのない点、異常が生じてしまう点。

 奴の作ったということは、また何かやらかしたとでもいうのか。全く、お縄になってもならなくても迷惑ばかりかけやがって……。
 俺が仕方ないと肩を竦めるも、マヤの視線は俺から離れることはなかった。それどころかその指は真っ直ぐと俺を捉えてしまう。これはもしかして…………。

「…………俺?」
「はい。本来は20年前に亡くなる筈だった人の子である煌司さん、あなたこそこの世界の特異点なのです。春の事故まであなたの存在は虚数的でしたが、こうして戻ってきたことによりその存在は実数になりました」
「えっと、つまり……?」
「つまり、これからのあなたの人生は我々でも見通せないので変なことをしないか見張る必要がある、ということです」

 俺が特異点……。
 考えてみれば納得できる部分もある。俺の父親は20年前に死ぬ予定だった。
 それがミスによって復活し、今も何ら問題なく生きている。加えてその息子である俺は一体何なんだ。

 生まれてくるはずなかった人間。そう考えると特異点になるのも一理ある。

 それで見張りというわけか。なんだか穏やかじゃない。まるで俺が父親の後を追うみたいじゃないか。
 そう自重するように笑ってみせると、今度は瑠海さんが補足するように口を開く。

「マヤさんのいうことは紛らわしいですが、見張るといっても大層なものではありませんよ。世の中を揺るがす……例えば煌司さんが殺人犯にならないよう見張る程度のものですから。……なりませんよね?」
「なるわけ無いだろ、そんなの……」

 見張ると聞いてつい身構えてしまったが、何だそんなことかと一つ息を吐く。
 人の振り見て我が振り直せ。俺は奴を反面教師にすると決めているんだ。同じ轍を踏んでなるものか。
 しかし瑠海さんは俺の言葉を聞いて安心するどころか鼻息荒くしてギュッと胸元で手を握ってみせる。

「も、もちろん煌司さんがそうなってしまっても私は支えますから!一生!!」
「重い重い。……でもありがとう瑠海さん。俺が踏み外しそうになったら引っ叩いてでも止めてくれるか?」
「はいっ!」

 嬉しそうに手を包んで笑ってくれる彼女につられて俺も笑みが溢れる。
 暖かい人の手。あの世界ではどれだけ手を触れられようと、暖かどころか感触すらわからなかった。
 しかしここは現世。その手は確実に俺の手を包んでおり、感触はもちろん暖かさも心遣いも感じることが出来た。
 これが生きているということか。魂だけでは決して感じることのできない実感に、思わず目の端に熱いものが出てきてしまう。

「こ、煌司さん!?すみません何か気に障ることでも言いましたか!?」
「いや、大丈夫。何でも無いから。ちょっと生きてるって実感したから……」
「……そうですね。私も今実感してます。この夏の暑さに感じる風、そして煌司さんの温もりも……」

 そうだな。
 そのどれもが感じることができる。生きているということだ。
 ちょっと前までは鬱陶しいとまで思っていたのにそれが何よりもありがたい。胸の奥から湧き上がってくる暖かいものに二人して手を繋いで実感していると、ふとマヤがこちらに手招きしつつ、俺の視線が向けられると同時に扉へと指を指した。

「煌司さん、二人の世界を作っているところ申し訳ありませんが、来客が来たようですよ」
「…………アンタ本当に神様的な力を失ってるんだよな?」

 なんで俺が気づく前にわかっちゃうの?そう問いかけたはいいが、彼女は「うふふ」と口に手を当て笑いかけるのみに留めてそれ以上何も言うことはない。
 さっきの力を失った云々が真実なのか疑わしいところだ。けれど、彼女の言葉を証明するようにその後暫く待つとピンポーンと聞き慣れたインターホンの音が聞こえる。

 さて、二人には悪いけど来客対応を…………瑠海さん?
 俺が立ち上がろうとしたところで服を引っ張られる感覚を覚え、振り向けば瑠海さんが俺の袖を掴んでいた。その息は荒く、なにやら目が虚ろになっているような気がする。

「はぁ……はぁ!?!?。……煌司さん、せっかく生き返ったのですし二人の世界でしかできないこと、しちゃいませんか?」
「何突然その気になってるの!?人来てるからね!?そもそもマヤがそこにいるからね!?」

 この夏の暑さにヤラれたのか、ハァハァと不穏な雰囲気を醸し出す瑠海さん。頬は紅潮し俺を真っ直ぐに捉えている様は熱中症というよりなにやら狼の捕食直前のよう。
 段々と距離を詰めてくる彼女を抑えつつマヤを見ると、ニコニコとしてばかりで止める気配もない。クソっ、グルかよ!!

 そうこうしている間にも来客者は外で待っているようで、ピンポーンと二度目の音が聞こえてきた。瑠海さんがその音に気を取られた瞬間、今にも飛びかかりそうなその肩を掴んでマヤへと放り投げる。

「ひゃっ!」
「マヤ!蘇らせた責任取って抑えてて!」
「ほぉ、そうきましたか。仕方ないですね……貸しですよ」

 瑠海さんを受け止めたマヤは随分と渋々といった様子だ。神様の貸しって怖すぎるんだけど。
 色々とツッコミをしたいこの気持ち。しかし炎天下で人を待たせている以上そのツッコミ心を抑えつつ、瑠海さんの文句の言葉を耳に入れず玄関へと向かっていく。そして若干トラウマになりかけている扉を開け放ち、太陽の反射に目を細めつつ訪問者の姿をこの目に収めた――――
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