不審者が俺の姉を自称してきたと思ったら絶賛売れ出し中のアイドルらしい

春野 安芸

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第2章

042.オシオキ

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 ベッドというのは高いものから安いものまで様々な種類があり、人間が疲れをとるには欠かせないものだ。
 当たり前だが俺も毎日使用していて、全国に展開している格安チェーン店の安物を使っている。
 それもフレームからマットレス、さらにシーツまで。それだけで十分快眠を得られたし、これ以上の贅沢を言うつもりも無い。

 一方、ここの家具はそこさえも格が違った。
 まず一歩、ベッドに足を踏み入れたときからその違いが明らかになる。ウチでは乗ると同時にその揺れが四方に伝わるのに対して、これはマットレスが違うのか振動がすぐそこで潰えてしまう。
 更に深くまで沈み込むようなこの感触。柔らかすぎて一瞬嫌な汗が出たものの、身体を委ねると思ったよりフィットしてこれ以上無い快眠を得られると確信できた。

「何してるの……?」
「あ、ごめん」

 気づけばその格差に感動と絶望してフリーズしてしまったようだ。
 その呼びかけに我を取り戻した俺は慌てて彼女の隣へと移動していく。

「お、お邪魔します……」
「はい、いらっしゃい」

 ようやくベッドに乗り込んだ俺は、身体を翻して彼女と同じようにベッドボードに背中を預け足を伸ばす。
 エレナは今までそこに置いてあった枕をクッション代わりにと背中とボードの間に預け、澄ました顔で正面を見ていた。
 このベッドはいかにも高級品とはいえシングルサイズ。となると必然的に両者の間は狭まることになり、ほんのりお互いの腕が触れたり離れたりを繰り返す。

「今日は……ありがとね」

 隣あって座る俺とエレナ。
 ポツリとこちらに顔を向けることなく彼女はつぶやいた。
 チラリと見たその表情は未だ紅いまま。それは俺が近くにいることなのか、風邪のことなのか判断ができない。

「ううん、暇してたから全然。 風邪、引きやすいの?」
「いいえ、ここまで酷いのはアイドルなって初めてだわ」

 夏風邪というのは引きにくいものの、一度引かかりさえすれば重くなりやすいと聞いたことがある。
 今回はその典型だろう。まさか俺に託されるとは思わなかったが。

「昨日遅くまで起きてたのが原因かしら……みんなに……迷惑掛けちゃったわね……」
「江嶋さんからは問題ないって言われてるし、きっと大丈夫だよ」

 何の根拠もないが合流した二人は「仕事は気にしないで」と言っていた。きっとどうにかなるだろう。
 けれど今の問題は別のところにある。

 それは、今鼻腔をくすぐっている香りのことだ。
さっきから、エレナの汗やら様々なものが合わさった匂いがこちらに漂ってきているのだ。
 風邪も引いていて相当汗をかいているだろうし、もしかしたらお風呂も入っていないのかもしれない。それが原因か、肩を合わせたことによってその匂いがダイレクトに伝わってきている。

 しかしそれは一切不快なものではなく、フェロモンなのかデオトラントかは知らない爽やかな物も混じった匂いが鼻の奥を刺激した。

「ねぇ、俺外に―――――」
「お粥、美味しかったわ。 袋見たけどあの高いスーパーで買ってきたの?」
「…………」

 外に出たいと言おうとしたら遮られてしまった。
 もしかして俺の考えを読んで敢えて出さないようにしているのか?エレナならやりかねないと思ったが今この状況でそんな頭はないだろうと思考を振り払う。
 ならばただの偶然だろう。せめて自分がそんなことに気を取られていると察せられまいと表情を引き締め次の言葉を考える。

「あ……あぁ。 駅からここまでそれしか見当たらなくって」
「そう……苦労を駆けたわね。 後でお金は返すから」
「いいよ。このくらい」

 通常の1.5倍から2倍くらいしたが元値が元値だし誤差だ。このくらい請求するのも煩わしい。

「……そっか。 キミには助けられてばっかりね」
「そう?俺のほうが助けられてばかりのような気がするけど」

 助ける……というよりかけがえのない経験のほうが多い気もするが、それでもつまらない学校生活に彩りが加えられたことは大きく助けられたといっていいだろう。
 今まで無為に過ごしてきた日々が遠い過去のように思える。

「いいえ、私のほうが助けられてるわ。 いい弟を持って幸せ者ね」
「…………」

 その言葉に弟じゃないとか茶化す気は一切起きなかった。
 けれどそれ以上気の利いた言葉をかけることも出来ず、お互い何も言葉が出てこなくなって静寂が生まれてしまう。


 1分、いや2分ほど経った頃だろう。無言にはなったがそんなに時間も経っていない、その上嫌な気にならない心地よい静寂に身を任せていると突然ポスンッ……と、俺の二の腕に彼女の肩が乗っていた。

「え、エレナ……?」
「…………」

 もしかして寝てしまった……そうも思ったが、彼女が転けないよう慎重にその顔を見ると無表情のまま正面を黙って向いていた。
 エレナは俺の呼びかけにも応えることなく今度はその小さな手で服の腹部ギュッと握られる。

「ねぇ、慎也」
「な、なに……?」
「こういう時は黙って手を肩に回すものじゃないかしら?」

 何をバカな……。そう思ったが、眼は至って真剣だった。
 そのくらいならまぁなんとか。漂ってくる香りも既に諦めてしまった。段々とハードルが下がっていくことを実感しながら俺は小さな肩にそっと手を触れさせる。

「んっ……い、いいじゃない。そういう素直なとこ、私は好きよ?」

 触れる瞬間、一瞬だけ身体が震えた彼女は、なんてことのないように好きと言葉を向けてくる。
 それはライクの方だと頭で理解していても、普段言われない言葉を耳にして恥ずかしくなってしまう。

「あ……ありがと……」
「それでね……」

 完全に身体を預けられたことに緊張しながら次の言葉を待つ。
 気づいた時には俺の横腹に加えて、もう片方の手で腹の部分にある服をキュッと握る彼女。



「それで……なんでキミはアイの連絡先を知って、あまつさえ私の合鍵を託されるほど仲良くなったのかしら?」
「――――――――――」

 ―――――絶句。

 その言葉に俺は何も言えなくなってしまった。
 えっ、アイさんはエレナに何も言ってなかったの!?ていうか連絡先の時点から知らなかったの!?

 動揺と恐怖で彼女の方向を向くことは出来ないがきっと恐ろしいものへとなっているのだろう。
 なんとか距離を取ろうと画策するも全く動くことが出来ない。 そういえば俺の服を掴んでいたのってこれが目的で……?

「な……なんのこと?」
「あら、とぼけるつもり?別にいいわよ。お互い下の名前で読んでる件を含めてその身体に聞いてあげる…………そうそう、アレもあったわね。この部屋に初めて来た時思い切り見てたわよね。気づいてたわよ……どうだった?私の胸元」
「っ――――!!!」

 ヤバい――――!!
 そんな考えが頭に浮かぶ頃には、既に身体が行動を開始していた。
 急いでベッドから飛び降りて逃げようとする俺。そして首根っこを掴まれて見事初動を阻止される俺。

「あら、逃げようったってそうはいかないわよ。 キミにはこれから恐ろし~い罰が待ってるんだから……」
「罰って…………」

 逃げるのを諦め、恐る恐る後方を向くとその表情は笑みだった。しかし俺には全く安心ができない。むしろ背筋の汗が止まらない。


「そうね……姉に黙って姉の友人と仲良くなってた罪と私の裸を見た大罪、かしら。 大丈夫よ……悪いようにはしないから」
「裸のほうが大罪って、別に無い谷間が見えたくらいでそれ以上は何も…………」
「ぜっ………たいに許せないわ!!」
「ちょっ――――まっ――――あははははは!!」

 形勢一変。
 先ほどとは様子が打って変わって笑顔が溢れるエレナは俺の横腹に手を突っ込みそのままくすぐり攻撃へと移行する。
 当然俺はそんな彼女の攻撃になすすべなく、ただひたすら笑い声を上げて手が止まるのを耐えるしかない。

「ほらっ!お姉ちゃんの裸を見た挙げ句、黙ってアイと仲良くなる弟はこうよっ!」
「あはは!!だから裸なんて見てっ……!ごめっ!エレナっ! 勘弁!!」

 もはや風邪などどこいったのだろうか。彼女はそのまま馬乗りになり俺の首元や脇、耳を的確に攻めていく。
 それに抗うことなどできやしない俺は、ただただ枕を握りしめながら彼女の猛攻を耐えていった。






「はぁ……はぁ……これくらいで勘弁してあげるわ……」
「はっ……はっ……ありがとう、ございます……」

 どれくらいくすぐりに耐えていただろう。
 ようやく終わったとスッと手を引っ込めた彼女は馬乗りのまま俺の臍に手を当てこちらを見下ろしてくる。

「あっ……そうだった。 もう一個罰があるの忘れてたわ」
「な……何でしょう……」

 まだあるの……?
 その一方的な刑に恐怖しながら息を整え、次の言葉を待つと、大きく深呼吸した彼女がこちらに乗り出し、言葉を発した。

「えぇ。これから30秒間、手も口も……全てを動かさないこと」
「へっ?」
「いいわね?」
「は、はい……」

 何のことだろうか。けれど次は30秒程度で終わるのなら良かった。それくらいなら何されようが耐えられる。

「いいわね? じゃあ、スタートよ!」

 スタート――――
 彼女はそう宣言すると同時に腕の力を一斉に抜きこちらに倒れ込んできた。
 ベッドへ横になる俺にかかる心地の良い重み。
 もちろん腕を動かすことさえ許されなかった俺は支えることも出来ず、彼女は胸元へトスンと優しい衝撃とともに襲ってくる。

「エレ――――」
「喋らない!」

 思わず呼びかけようとして怒られてしまった。
 気づけは彼女はそのまま腕を背中に回し、心臓の鼓動を確かめるかのように顔を横に向け、左の胸元へと耳を押し付ける。

「…………」
「…………ふぅ。時間ね」

 と、30秒経ったのか彼女は起き上がりそのままベッドから立ち上がる。
 30秒……おそらく一生の中で最も長かった30秒だった。10分、下手すれば1時間くらいにも感じられる――――それほどまでに緊張し、彼女の儚さを感じられる30秒だった。

「た、立って大丈夫? どこへ……」
「平気、お花摘みよ。一人で行けるわ」

 エレナは一瞬だけ立ち止まってから扉を閉める。
 それにしても……このタイミングでお手洗いに行ってくれて助かった。
 この顔の火照りは暫くは収まることは無い。そう確信できるほどこの顔は火を吹いていた――――
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