不審者が俺の姉を自称してきたと思ったら絶賛売れ出し中のアイドルらしい

春野 安芸

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第3章

062.夏の汗と順番

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 家というものはその者の本拠地だ。
 食事をし、疲れを癒やし、睡眠をとったりとその用途は多岐に渡る。

 一つの家庭を表す一つの形。人生そのものといっても過言ではないかもしれない。
 一生のうち大半の時間を過ごす家。そこは当然心を癒やす場でなければならない。お風呂しかり、ソファしかり、ベッドしかり。なにはともあれリラックスできるのが当然というものだ。


 しかしどうだろう。
 祭りを終え、花火を終え、無事家に帰ってきた俺はリラックスの『リ』の字すらなかった。
 母の爆弾発言から帰り着くまでの記憶がほぼ残っていない。帰ってからどうするかの堂々巡りに襲われていた気がする。
 視線は適当に付けたテレビに向いている。ただし、やっているバラエティの内容は一切頭に入ってこなかった。

「む~~~~!!」

 隣から可愛らしい唸り声が聞こえてくる。
 隣……というより、ぴったりと俺の首周りに手を回した紗也は唸り声を上げながらテーブルに居る人物を威嚇していた。
 まるで自分の敷地内に入ってきた大型犬に子犬が吠えているような。そんな可愛らしい姿が妹の威嚇する姿と重なった。

 たとえるなら……そう。アライグマが威嚇するポーズに人々はメロメロになるような、そんな感じ。
 このままずっと紗也の姿を見ていたかったが、さすがにそうは問屋がおろさず頭上から呆れまじりの声が聞こえてきた。

「何やってるの、紗也。 お客様を迎えてるんだから放ってくつろぐんじゃありません」
「ママぁ。だってぇ……」
「だってもないわよ。 ほら!慎也も!!」

 頭上から声を掛ける母さんは『はいはい!』と俺達兄妹をバッグでペシペシと追いやっていく。
 もちろん抵抗する術なんて持ち合わせていない俺達は居場所を追われて立ち上がり、件の客人である4人へ目を向けた。
 
「ごめんなさいね。ほら、そっちの椅子は硬いからこっちでゆっくりしちゃって」
「いえ、お母様。お構いなく……」

 空いたソファーへ促す母さんだがアイさんは苦笑いで応える。
 客人たちが座るテーブルの上には持って帰ってきた祭りの食べ物が広がっていて、その香りがこちらまで漂ってきていた。

「はい。私達には食べ物があるので気にしないでください先輩」
「そうは言ってもね、恵那。それらを食べてるのは貴方しかいないんだけど」
「うっ!」

 テーブルに食べ物が並んでいてもそれをつついているのは神鳥さんただ一人。三人は現地で十分食べたのか、それらをつつく素振りも見せずにただ黙って座っている。

 流れでウチに来ることとなったお客人……"ストロベリーリキッド"の3人とマネージャー。
 どうもウチの母さんとマネージャーである神鳥さんは昔からの顔見知りらしい。

 それだけでも驚きの事実だが、あろうことか母さんの提案で泊まることに。
 以前、俺は3人の内一人であるエレナをこの家に泊めた事がある。しかしあの時は"ストロベリーリキッド"なんてロクに知らず、エレナのこともどこぞの小学生みたいな感覚で見ていた。
 しかし今改めて見ると3人とも正真正銘のアイドル。しかもつい数時間前まではステージ上で歌って踊ってその実力を見せつけられたのだ。

 人々を魅了する新進気鋭のアイドル。その三人ともがウチにお泊りだなんてどう対応すればいいかわからない。紗也は相変わらず威嚇しているが、俺と彼女たちはその微妙な空気感からか変にぎこちなくなっていた。

「今の今までずっと会社で仕事だったんですよ! お腹空いても食べられなかったんですからいいじゃないですか!」
「食べ過ぎなのよ。私が戻ってくる間にどれくらい食べたか言ってみなさい」
「…………焼きそば3パックにたこ焼き2パック、あと箸巻き……です」
「…………」

 一方で俺達の変な空気を物ともせず自然体なままの神鳥さんと母さん。

 耳にした量と空になったパックを目にした母さんは何も言わずに目を覆ってしまった。
 どうも神鳥さんは大食漢らしい。そんなに食べてもまだいけるのか。一体どんな胃袋をしているんだ。

「はぁ……この子ったら……。昔の後輩は置いておいて、エレナちゃんも璃穏ちゃんも、アイちゃんも自由してね。ウチのことは実家だと思ってくれていいから」
「ありがと、ございます。まさかママさんがウチのマネージャーの先輩だったなんてビックリ。ママさんのことはよく聞いてたから……」
「あら? よく聞くって?」
「ちょっとリオ!?まっ――――ムグゥ!」

 リオの返事に聞き返す母さん。その言葉にいち早く反応し、止めようとした神鳥さんは隣に居たエレナによって捕らえられてしまった。

「『私の大好きな"あの人"を掻っ攫っていった。あの時私が早く告白してればきっと今頃……』ってお酒入ったら毎回毎回」
「あら……まぁ……」
「ひぃっ!」

 母さんの視線が動くと同時に神鳥さんが小さく悲鳴をあげる。
 "あの人"って流れ的に父さんのことだよね?こっちに戻ってなくて本当に良かった。戻ってたら修羅場どころじゃなかったよ。

「恵那さんへのオシオキはまた後で考えるわ。それよりもまず、三人にはお風呂入ってもらわないとね」
「いえ!泊めてもらう身ですし最後の残り湯で構いませんから!」

 神鳥さんへの死刑宣告が下ったところでエレナが慌てたように遠慮する。
 しかしそんなところで引き下がるのは母さんじゃない。こんなのに押される母さんだったら先程の泊まり宣言すら俺が抑えてみせただろう。

「だめよ!うら若い娘は一番風呂じゃないと!それに暑い中歌って踊って汗かいちゃってるでしょう?ウチは広いから三人ともいっぺんに入っちゃいなさい」
「いえ、それは申し訳な――――」
「エレナ、私は入りたいかな。もう随分汗で気持ち悪くって」
「ん、私も入りたい」
「アイ……リオ……」

 まだ首を横に振ろうとしたエレナだったが、その言葉は残りの二人によって遮られてしまった。
 陽が沈んだとはいえ暑い夏の中披露したんだ。その負担はかなりものだろう。

「でも…………」
「もしかしてエレナ。エレナはその汗臭い自分を慎也クンに嗅いでほしいの?」
「!? エレナ!?そうだったの!?」
「っ――――!? なっ……ないない!そんなこと絶対ないわ!……慎也!こっち見ないで!!」

 なんという理不尽!!
 リオの言葉に慌てふためいたかと思いきや何故か怒られてしまった。
 しかしその言葉は彼女にとって効果抜群だったのだろう。それでもなお断ろうとする意志をも曲げていく。

「それじゃあ……。ごめんなさい、先に頂いてもいいですか?
「よしっ!素直な子は好きよ!」

 もはや三人がかりの説得だった。
 俺が謎に怒られるという犠牲もあってか素直に頭を下げたエレナに母さんは気持ちよさそうに頷いてみせる。

「ママさん、もうお風呂ってはいっていいの?」
「えぇ、準備はできてるからいつでも入っていいわよ」
「やった。エレナ、アイ、早速行こ」
「……………わかったわ。すみません、お先お風呂いただきますね」

 まだ少し遠慮も見えたエレナだったが、流石に体臭という問題には勝てなかったようだ。
 数度の逡巡だけ見せた彼女だったがすぐに立ち上がり、3人揃って部屋から出ていこうとする。

「あっ!そうだ! ごめん、ちょっとまって!
「……?どうされましたか?」
「ごめんね呼び止めて。……ほらっ慎也!こっち来なさい!」
「えっ?俺?」

 リビングを出ようとした三人に、母さんは何かを思い出したかのように呼び止める。
 そしてそのまま俺の腕を引き、自らの正面に彼女たちの方を向くように立たせた。

「ウチのお風呂、多分無理をすれば四人入れるのよ。だからこの慎也もご希望なら連れて行ってもいいのよ?」
「「「!?!?」」」
「ちょっと!? 母さん!!」

 何をバカなことをいい出したのか慌てて振り返ると満面の笑みがそこにはあった。
 俺からすれば冗談100パーセントだとわかるが彼女たちはそのまま何も言わず、顔を赤くして黙りこくってしまう。

「これ、母さんのたちの悪い冗談だからね?真に受けないでね?」
「でもぅ…………」

 リオが小さく声を発し、三人はチラチラとこちらを見てはすぐ顔を伏せるを繰り返してしまう。
 なんて爆弾を投下してくれたんだ。そしてなんで3人は否定しないんだ……完全にセクハラ発言だぞこれ。
 
「えっと、さすがに私も冗談のつもりだったから……。軽く流してくれると嬉しいかな~……なんて……」

 さすがに母さんも見かねたのか、冷や汗を垂らしながら補足してくる。
 その言葉を受け、アイさんは何かを決意した面持ちでこちらを向き、一歩踏み出してきた。

「えっと……その……お母様が良くて、窮屈な思いをさせないのであれば……その……」

 えっ、なにその反応。
 噛み噛みになりながらも言う顔は真っ赤だし、もしかして…………

「だから……もし……もし!慎也さんが良ければ――――」
「だめぇぇぇぇ!!!!」

 彼女が全てをいい切る前に間に入り込み、その場を制したのは紗也だった。
 紗也は鼻息を荒くし、言わせるものかと俺たちの間に立って母さんと向き合う。

「それだったらあたしが四人目として入るもん!いいでしょ!? お母さん!」
「え、えぇ……」
「ほらっ!行こっ! 愛惟さん!!」

 紗也は話は終わりだと言うように、愛惟さんを連れて部屋を出ていってしまう。あれ……リオじゃないんだ。
 しばらく呆気に取られていた俺たちだったが、いち早く我を取り戻したエレナもリオを起こしてからこちらに一礼して出ていってしまった。

「…………いやぁ、モテモテどころの騒ぎじゃないわね。もうちょっとであの子達と一緒にお風呂入れたのに残念ねぇ」
「なんてことを言うんだ。母さん」

 その場で腕組したまま頬に手を当てて笑いかける母さんに、肘で小突くのであった。
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