不審者が俺の姉を自称してきたと思ったら絶賛売れ出し中のアイドルらしい

春野 安芸

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第5章

118.道半ばの告白

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「頬……と腰、大丈夫?」

 日も落ちてすっかり暗くなった夜。
 日中はセミでうるさかった外も今はすっかり鳴りを潜め、鈴虫の音がシンシンとした住宅街に彩りを加えている。

 過ごしやすくなった気温の中、隣を歩くエレナが俺の背中辺りをさすりながら聞いてきた。
 さすられ続ける俺は、痛みを堪えながら少し曲がった腰を伸ばすよう努力する。

「うんん……多分、何とか…………」
「そう……。腰は大変なんだから気をつけなさいよね。何かあったら連絡すること」
「了解……」

 あれから、アイさんとリオが飛び込んで来るのを一身に受け止めた俺は見事腰をやらかしてしまった。
 飛び込んでギュッと首元に手を回しながら抱きしめてる二人、受け止めた瞬間"くの字型"に曲がる身体。自体が落ち着く頃には俺の腰は悲鳴を上げていた。

 最初は全く問題なかった。
 飛び込んできた当初は俺も全く問題がなかったが、こうして外に出てしばらくすると一気に痛みだした。
 もしかしたら昨日行ったボウリングの筋肉痛が今来たのかもしれない。それとも水泳の影響か……考え出すとキリがない。原因が何であれ、エレナの送りを受けながらともに夜の道を歩んでいく。

「本当にいいの?タクシー使わなくて」
「いいよいいよ。歩ける程度だし明日には治ってるだろうから。むしろこうして駅まで送ってくれるほうがありがたいかな」
「…………もうっ」

 本来ならエレナがマンションのエントランスで見送ってそこでおしまいになるはずだった。
 けれどエントランスを出た瞬間襲われる腰の痛み。そんな俺を心配してくれた彼女がせめてものと、駅まで送ることを提案してくれたのだ。

 タクシーなんてとんでもない。
 ただでさえ俺の家からここまで距離があるんだ。庶民の俺にとっては長距離で何度もタクシーを使うことは一番の恐怖。
 今までいつもの運転手さん……奏代香さんだっけ。あの人が担当してるから、いくら掛かってるか知らないんだよな。どれだけかかってるか気になるけど知りたくない。夜間の割増料金なんて聞いたら卒倒する自信がある。



「……ありがと、エレナ」
「…………何がよ」
「ほら、さっき俺が拒否しようとした時、頬叩いてくれて」

 駅まで道半ばの距離で俺は小さくお礼を言う。

「それは……本当に私もごめんなさい。叩いたのはやりすぎたと今でも思ってるわ」
「いや、そんなことないよ。俺はそうしてくれて良かったと思ってるから」
「そう……?」
「うん」

 不安そうに見上げてくる彼女に笑顔で応える。

 あの時怒ってくれて本当に嬉しかった。
 間違った道に進みそうになったら発破かけて正してくれる。
 そのうえで何があっても受け入れてくれると。俺の言葉を尊重してくれると。そう確信させたのだ。

 それに、嘘を見抜いてくれて嬉しかった。
 ちゃんとエレナは見てくれていたのだ。助けてくれるんだ。
 その、彼女の真っ直ぐな優しさに触れ、リオとアイさんの器の大きさも知って、俺はえも言えぬ満ち足りた気持ちに浸っていた。
 俺は一人じゃないんだ、家族がいなくても支えてくれる人がいるんだ、と――――

「ふんっ!慎也がみっともないこと言ってたからムカついただけよ」
「……ごめん」

 そっちの件はぐうの音も出ない。
 結局の所、俺が彼女たちのことを信じきれていなかっただけなのだ。
 俺の答えが彼女たちが受け入れてくれるかは別として、失望されるとかはなかっただろうに。

「……それに、もしも最初の言葉が慎也の本心だとしても結局は変わらなかったわよ」
「へ?」

 ぶっきらぼうに外を向きながら呟く彼女に思わず声が出てしまう。

 変わらない?何が?
 その表情を見ても彼女はただ道行く先を真っ直ぐ見つめており、その考えを読むことはできない。

「たとえ拒絶されたとしても、拒絶されなくなるまで攻めればいいのよ。もっと女を磨いたりとかね」
「それは……。……つまり、あの答えが俺の本心だったとしても気にせず攻めて来ると?」
「そういうことになるわね」

 補足してくれる彼女にようやく得心がいった。
 結末は決まっていたということか。しかし女を磨くと言っても、アイドルである彼女たちに上がる余地なんてあるのだろうか。

「……あぁ、ちょっと違ったわ」
「?」
「まず三人で大泣きするかしら。その後今まで以上に慎也にアピールしまくるわね」
「…………」

 それは、ヤだなぁ。
 みんなの泣き顔なんて見たくない。そうさせかけた俺に言う資格など無いのだが。
 でも――――

「―――でも、どうして俺なの?」
「……どういう意味?」
「不快にさせたらごめん。そもそもなんで俺のことを好きになったのかなって。リオは妹繋がりだけど、エレナやアイさんは……」

 顔も、スキルも、財力も。
 全てにおいて彼女らの同業者に劣るだろう。なのに彼女たちは俺の何処に惹かれたのか。

「はぁ……全然わかってないわね」
「えっ!?」

 呈した疑問に大きくため息をつくエレナ。
 当然の疑問だろう。何がわかってないというのか。

「だってほら、お金も顔も何もかも。有名な人に勝ってるとこなんて無いから……」
「逆に聞くけど慎也、あなたの好きな気持ちはお金や実力で決まるの?」
「…………」

 それを聞かれたら……ノーだ。
 でも、好きになる理由もない。ドラマティックな出会いもしていないし命を救ったなんてこともない。
 なのに彼女たちが好きになってくれることなんてあるのだろうか。

 少しだけ無言の時が続き、彼女は小さく息を吐いてからその口を開いていく。

「私も、最初会った時はいい人くらいにしか思ってなかったわよ。でも数度会って、気づいたの。キミのことを独占したい気持ちや、一緒に居ると安心することに。
 こんな気持ちなんて初めてだったから随分と悩んだわ。アイとのツーショットを見た時の嫌な気持ちを必死に抑えて気づいたら朝になってたとかね。
 ……ちょっとそれで閉じこもっちゃったけど、水族館デートして気づいたの。あぁ、この気持ちが恋なんだなって」

 少しづつ、彼女がこれまでのことを伝えてくる。
 あの時エレナが閉じこもったのは、写真を見たから…………

「だからねっ!!」

 彼女は人気の無い道の中、突然一人走り出し俺の数歩先をいく。
 そして少し先で振り返り、満面の笑みを見せつけて――――

「人を好きなるのに理由なんて無いのよ!! 好きだから好き!それでいいじゃない!!」

 月も雲に隠れ、街頭さえも遠くにある道の間。
 彼女の笑みはなによりも明るいものだった。
 まるで小さい頃からの願い事が叶ったかのように。まるでもう何も悔いはないかのように。

「エレナ……俺は…………」

 アイさんもリオも好きなのだ――――そう伝えようとしたら指を一本立てて俺の唇に添えられる。

「いいのよ。それで。今は私のことも好き、それで十分よ。 今はね」
「……うん」
「さ、帰りましょ。駅はもう目の前だわ」

 そう言って彼女が曲がった先を追いかけると駅はもう目の前にあった。電車の時間まで遠いのか人気は全然ない。
 彼女は小さな手で俺の腕を取って歩き出す。

「エレナ」
「なぁに?」
「帰りは大丈夫?一人で帰れる?」
「それ言い始めたら送った意味ないじゃない……。でも、言うと思ってたからちゃんと対策してるわよ。ほら、見てアレ」

 アレ、とはなんだろう。
 頭に疑問符を浮かべながら指差す先に視線を移すと一台のタクシーの姿が。これは見覚えがある……まさか……

「慎也が使わないって言うから私が使わせてもらうわ。 悪いわね」
「……なるほどね」

 車から降りてきたいつもの運転手の奏代香さんが一礼する。
 なるほどこれなら安心して俺も帰れると一安心。

「それじゃ、腰気をつけなさいよ」
「うん、ありがとう」
「ちゃんと一人でもマトモなの食べなさいよ」
「エレナもね」
「私はアイが居るからいいのよ。それから……えぇっと……」

 エレナも紗也みたいなことを言うようになったな。
 そう小さく苦笑して彼女の頭をそっと撫でる。

「大丈夫。またいつでも会えるし話せるよ」
「……ズルいわね、それ。何も言えなくなっちゃうじゃない」
「今生の別れじゃあるまいし。言い残したことがあれば電話でも次の時でもね」

 そう、またいつでも会えるのだ。
 仕事が忙しいかもしれないがそれもきっと三人ならどうにかするだろう。
 撫でていた手をそっと下ろすと、彼女の名残惜しむようなつぶやきが聞こえてくる。

「じゃあ、おやすみ」
「…………待ちなさい」
「えっ――――」

 もうこれで終わりだと駅に向かおうとしたが、その呼びかけについ振り返ってしまう。
 瞬間、彼女は俺との間にある身長差を埋めようとジャンプしたその顔が一気に迫ってくる。
 彼女の狙いはただ一点だったのだろう。狙い通りにキスを果たした彼女は、してやったかのようにニヤリと不敵な笑みをこぼす。

「私達以外にはその隙だらけなのどうにかしなさいよ! それじゃ、おやすみ!!」

 言うだけ言って満足したエレナはダッシュでタクシーに走って後部座席に乗り込んでしまう。
 隣には困った笑みを浮かべながらこちらに向かって手を振る奏代香さん。
 俺はしてやられたというのに満ち足りた気持ちを感じながら、エレナの見送りを受けて駅へと一人歩いていった――――。
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