魔女の剣

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第十話 正調、武辺2

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「私の弟子が迷惑をかけたみたいね。ごめんなさい」
「いえ、おかまいなく」

 女性の言葉に楓はうやうやしく頭を下げ、振る舞われた熱いハーブティーを口に運んだ。まだまだ子供舌である楓は、お茶類をあまり好んでいなかったが、それを加味しても美味しいと思えた。独特な後味が少し苦手ではあったものの。
 後味に少しだけ顔をしかめた楓を見て、楓の正面に座る女性、一葉美景は薄らとほほ笑んだ。

 楓は今、正調の魔女である一葉美景の家でくつろいでいた。彼女の家は一般的な洋風家屋でそれほど大きくなく、家の中は彼女の生活感をどことなく漂わせる雰囲気であったが、それがどこか楓を心地よくしていた。
 案内された居間には絨毯が敷かれ、品の良いテーブルとソファーが配置されていた。

「すみません。本当ごめんなさい。申し訳ないです」

 ソファーの角に座る楓に向かってひざまずく形で、先ほど楓を一方的に襲ってきた少女、御剣紅音は謝り続けていた。
 これは何も楓が強制したのではなく、紅音の師である美景がさせていたのだ。
 勘違いだった。紅音のその言葉を切欠に戦いを止めた楓は、紅音もここ最近起きている連続殺人がラピスを用いたものだと知り、悪用されるラピスを取り戻そうとしているのだと聞かされた。

 楓を襲ったのは、楓もまたラピスを得て凶行を繰り返す者だと勘違いしたかららしい。すでに数人手をかけている楓から血なまぐささを感じてしまったのだろう。
 楓が一人奪われたラピスを取り戻そうとしていることを知った紅音は、彼女の師である正調の魔女、美景なら力になれるかもしれないと、楓を美景の家に案内したのだ。

「後十回は心を込めて謝りなさいね」

 美景に言われた紅音は更に頭を低くして楓に謝り続ける。紅音は美景に楓のことを紹介する折に、勘違いから楓に不意打ちをしたことを漏らしてしまい、美景のひんしゅくを買ってしまったのだ。
 そこまでしなくてもいいと楓は思っていたが、師弟のやり取りに口を出すのもどうかと思い、甘んじて受け入れていた。

「それにしても、この付近で私達以外の魔女がいたのね。知らなかったわ」
「……私も、こんな近くに魔女が住んでいたなんて知りませんでした」

 楓の師、天坂の邸宅から数キロ程しか離れていない場所に、美景の邸宅があったのだ。天坂から他の魔女のことを全く聞かされていなかった楓は、この街に住む魔女は自分と天坂だけと自然思い込んでいた。

「魔女は結構偏屈な者が多いから、他の魔女との関わりを避ける魔女も珍しくないわ。近くに住みながらお互いを魔女と認識してなかった、っていうのは良くあることなのよ」
「そうなのですか」

 思えば楓は、現代の魔女がどのように暮らし、互いに関わりを持っているのか知らなかった。師である天坂は他人どころか同じ魔女との関わりも避けてたようで、楓は師以外の魔女を見たことがなかった。
 だが美景と紅音は、他者を避ける雰囲気が無い。楓に対しても親しみを持った接し方をしていた。
 同じ魔女でも、こうも違うのか。楓は不思議な感慨を抱いていた。

「それで、最近起きてる殺人事件。いくつかはあなたの師が管理していたラピスによるものだとか?」
「はい……」

 やにわに本題を切り出され、楓は思わず恐縮した。自身もまた魔女であるというのに、やすやすとラピスを奪われてしまったという事実が、楓の心を暗くしていた。そのせいで美景の問いかけが自分を責めているように聞こえてしまう。
 美景は楓のその様子に苦笑して、優しく喋りかけた。

「そんなに固くならないで、別に責めてる訳ではないのよ。……そうだ、今度は紅茶を淹れてくるわ。それを飲んで気を落ち着けてから、話しましょう」

 立ち上がって台所に向かう美景の背を見送った後、楓は息を吐いた。

 ――気をつかわせてしまった。

 委縮した楓の緊張を和らげようとして紅茶を淹れにいったところを見ると、美景は本当に楓を責めるつもりはないようだった。
 天坂は言葉少なく厳しい所が目立ち、楓は自然とそれが魔女の居振る舞いなのかと思っていたが、美景を見るにそうではないらしい。

 美景は不思議な雰囲気を纏っていた。心を読ませないような霞じみた雰囲気でありながら、関わる者を落ち着かせる静謐さを持ち合わせている。それでいて、どこか人をからかう無邪気さが時折顔を覗かせた。

 ――これが正調の魔女。

 生まれながらマナの操作技術に長けた、三魔女から続く正真の魔女。美景がその気になれば、人知を超越した魔術が発露する。攻撃的な魔術に代表されるのは、火炎の塊を飛ばしたり、大気中の水分を使って氷柱を生み出したり、天候を操作して雷撃を放ったりなどであり、それはまさに魔性の術であった。
 その術を身に修めたというのなら、このようなとらえどころのない性格になるのも頷ける。楓はそう思った。

「すみません、すみません、ごめんなさい……」

 美景への印象を改めていた楓がふと足元を見れば、今だに紅音は謝り続けていた。美景を師に持つ紅音は彼女の恐ろしさを心得ているのか、文句も言わず美景の言葉に従っていた。

 ――いや、それだけではない、か。

 紅音はおそらく、不意打ちで斬りかかったことに負い目を感じているのだろうと、楓は思った。一歩間違えれば勘違いで楓を切り殺していた。その事実が紅音の心を縛っているのだ。

「紅音……さん。もう、頭をあげて。別に私は怒ってないから」
「うう……楓ちゃん……」

 自分よりもいくつか年上の少女が、そのような負い目を引きずっている。その事実は楓の心を虚しくさせた。
 紅音の体は所々丸みを帯び、まだ子供である楓と違って女性の魅力があった。彼女の顔は凛とした風情を伴っており、美景とは違った美しさを持っていた。それは同じ女の身である楓が見ても変わらない。大雨の中でも咲き誇るアジサイのような凛々しさと美しさを持つこの少女が、いつまでも土下座するようにひざまずくのは似合っていないと、楓は思っていた。

「その、本当にごめんね。私、本気であなたを斬ろうとして」
「それはもういいから。お互い無事だったから、何も問題はない」

 楓は首をふって、精一杯気にしてないことを紅音に伝えようとした。
 家族と死に別れる前までは、楓は感情をはつらつと表す年頃の少女であった。しかし家族の死が楓の心を変えたのか、今では言葉少なく感情をあまり表に出そうとしない娘となっていた。

 それは楓自身が自覚していることであり、時折本当に自分の気持ちが伝わっているのだろうかと不安に思うことがあった。
 今もまた、そうである。どうすれば紅音に正しく自分の気持ちが伝わるのだろうか。どうすれば紅音の負い目を払しょくできるのだろうか。
 楓は少し言葉を探して、ゆっくり口を開いた。

「わ、私も……あなたと似たようなこと結構やってたから……」

 楓は恥ずかしそうに顔を俯かせ言った。
 楓のその様子を見て、紅音は微かに笑いをもらした。
 その笑顔を見て、楓はほっとした心地を得た。紅音という少女は、自分と違ってこのように笑うのが望ましい。楓はそう思った。
 紅音は立ち上がり、そのまま楓の隣に腰かけた。

「ねえ、楓ちゃん。私のことは紅音でいいわ。三つくらいしか年は違わないでしょ?」
「……うん、分かった。代わりに、私も楓でいい」
「え?」
「……ちゃん付けは、恥ずかしいから」
「そっか、分かったわ楓」

 紅音の手が楓の元に伸びてきた。意図を察した楓は、紅音の手を握り返す。

「これでもう私達、友達ね」

 握手を交わしながら、紅音は花のような明るい笑顔を浮かべた。
 楓は、この可憐な少女に好感を抱いていた。家族を失ってから二年程、師である天坂以外の者とはあまり関わってこなかった楓は、他者との繋がりに我知らず喜びを感じていた。

「あら? 紅音ったらなんで謝るのを止めているのかしら?」
「う……師匠……」

 紅茶が注がれたティーポットを手に持ち戻ってきた美景が、楓の傍に座る紅音を鋭く見据えていた。

「ちゃ、ちゃんと心を込めて謝りましたよ。言われた通りに十回も!」
「そう、それじゃあもう十回追加ね」
「ええ~……」
「あなたね、自分のしたこと分かってるの? こんな小さい子にいきなり斬りかかって……一歩間違えば、あなたも楓ちゃんも取り返しのつかないことになってたのよ?」
「……うぅ」
「だいたいね、あなたのような半人前が師である私の意見も聞かずに、勝手にラピスを持った者達と戦おうとするなんて、よくもできたものね」

 美景の厳しい言葉に、紅音は反論することもできずうなだれていた。

「あの、美景さん、もういいですから」

 少し躊躇したが、楓はおずおずと美景と紅音の会話に割って入った。

「私も紅音も無事でしたし、できれば紅音のことを許してあげてください」
「まあ、楓ちゃんは優しいのね」

 美景は楓の目を見て微笑んだ。

「そうです、楓は師匠と違って優しいんですよ」
「……ねえ楓ちゃん、最近弟子が生意気なのはどう躾ければいいと思う?」

 美景と紅音の師弟関係はどうも独特なようで、時折紅音も美景もお互いに対して軽口を叩いていた。それは無遠慮というよりは二人の親密さが現れているように楓は見えた。

「あっ、そうそう師匠、楓はちゃん付けは嫌みたいですよ」
「へえ、そうなの」
「恥ずかしいから嫌なんですって。師匠も楓にちゃん付けしたらダメですよ」
「ふーん……でも、私は別にちゃん付けでもいいわよね、楓ちゃん」

 からかうように、美景が楓を見た。
 楓は少し困ったように小首を傾げた後、言った。

「……お好きにしてください」

 紅音の師である美景は楓にとっても目上の者なので、好きにしてもらうしかなかった。

「えっ! 師匠にはちゃん付けされてもいいの!?」
「へっ……?」
「だ、だったら私も楓ちゃんって呼びたいっ。楓ちゃん小さくて可愛いし、私妹とかいないから、楓ちゃんみたいな小さい子にはちゃん付けして可愛がりたいなぁって……思います!」
「な、何言ってるの……」

 ぐいぐいと迫りくる紅音の圧迫感に恐れて、楓は身を引いた。紅音からは楓にちゃんを付けたいという執着心が溢れていて、それを隠そうともしていない。

「紅音は私にちゃん付けは絶対ダメ」

 別に自分がどう呼ばれようがそこまで気にはしない楓だったが、ここまで迫られると逆に許したくなくなるのが性分だった。それに、何度か小さいと言われたことが引っかかっていた。

「し、師匠は良いのに、私はダメなんだ……師匠は良いのに……」
「……紅音は友達だから、呼び捨てでお願い」

 なぜかショックを受けている風な紅音をなだめるため楓はそう言った。
 しかしその言葉は、美景にとっては楓をからかう好機だった。狙いすましたように、楓の言葉尻を美景がとらえた。

「あら、楓ちゃんひどい。私は友達じゃないの?」
「え……えっと、その、それは……」
「師匠は年増ですから、楓みたいな子からは友達の対象じゃないんですよ。精々おばさん扱いです」

 言いあぐねる楓を助ける形で、横から紅音が口を出した。

「……私が年増ですって? ……この弟子殺しちゃおうかしら」
「ひっ……や、やだなぁ師匠ったら、冗談ですよ冗談っ。師匠はまだ二十代ですから、お美しい魔女様ですよ」

 にこにこと笑っていた美景からわずかに殺気が漏れたのを感じ取った紅音は、すぐさま言葉を撤回した。頬には冷や汗が伝っていた。

「そ、それより師匠、紅茶、紅茶飲みませんか?」
「……そうね、冷める前に頂きましょう。先ほどの失言は聞かなかったことにしてあげるわ」

 二人のやり取りを見て、楓は少しだけ笑みを浮かべた。美景と紅音の間には、やはり互いに強い信頼関係があるのだと楓は思った。二人を見ていると、自然と楓の心の内にどこか暖かな物が生まれていた。それは安らぎというものだった。

「はい、どうぞ」

 美景が楓のカップに紅茶を注ぎ、飲むよう促した。
 紅茶を口にすると、ちょうど飲むのに適した温度にあらかじめしていたのか、程よい熱さが口の中に広がった。思っていたよりも甘い紅茶だった。楓のために、甘く仕立てたのだろう。
 豊かな香りが鼻腔を満たし、ゆっくり紅茶を嚥下するとほっと落ち着いた心地になる。

「美味しい……」

 楓の呟きを聞いて、美景は柔らかく微笑んだ。

「紅音、あなたもどうぞ」
「いただきます、師匠」

 三人はしばらく無言で紅茶を楽しんだ。ゆっくりと時間をかけて紅茶を飲み干した楓は、これまでのことを二人に説明することにした。
 楓が初めて会った師以外の魔女、美景と紅音。二人は信用できる人物だと楓は思っていた。そのため、楓は彼女たちには包み隠さず話そうと決心していた。

 話は楓が生涯忘れられないであろう、家族との死別から始まった。そこから師の天坂と出会い、武辺の魔女として修業が始まり、つい最近師が姿を消したこと、黒衣の男がラピスを奪っていったこと、奪われたラピスを取り戻すために数人斬っていること、全てを話した。
 元々饒舌な性格ではない楓は、時にたどたどしく言葉に詰まることがあった。しかし二人は、横合いを挟まずに静かに聞いていた。
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