魔女の剣

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最終話 一之太刀

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 天坂は楓から大きく距離をとって、八双に構えた。

 すでに彼女は死を覚悟し、剣に迷いは一片たりともなかった。構えるその動きは清流のように滑らかである。
 清澄なマナが天坂の刀身に満ちていく。このマナの揺れ動きは間違いなく魔技を発動するものだと、楓は理解した。

 楓も静かに八双へと刀を構えた。

 ――天坂は、空澄の太刀に勝負を託してきた。ならば私も我が一之太刀に全てを託す。

 天坂が遠距離斬撃を可能とする魔技空澄の太刀を遠間から使うのならば、楓は一之太刀で迎えうつほかなかった。
 なぜならば、今から接近して天坂を斬り伏せようとしても、一歩動き出した時には彼女の空澄の太刀が発動し斬撃を浴びせてくるからである。
 こうなると、天坂と同じく遠距離を攻撃できる術策を用いなければ必敗である。天坂はこの距離を取るために楓との戦いを仕切り直し、森の奥に誘い込んだのだ。

 楓には遠距離の相手をも斬り裂ける一刀が魔技一之太刀しかなかった。必然これを使うほか勝利への道はない。しかし、一之太刀を用いても勝つのは難しかった。
 朝比奈楓の魔技一之太刀は夜魔すらも一刀の元に屠った恐るべき技ではあるが、それも一刀を放てればのこと。

 いかに恐るべき剣でも、動き出す前にその先を制すれば恐るるにたらず。一之太刀は無為に帰るのだ。
 ゆえに、天坂夕月が狙うのは先の先である。楓の先である一之太刀が放たれる瞬間を察知し、その先を斬る。
 天坂の一刀ならば、それが出来るのだ。

 空澄の太刀は斬り下ろしと共にはるか先に斬撃を発生させる魔技である。斬撃は術者の視界内ならば任意の場所に発生させることができ、かつ術者の斬り下ろしとの時間差はほぼ零であった。
 対して一之太刀はマナの多寡によって殺傷圏内を広げていく必然上、遠距離の相手に斬撃が届くまでほんのわずかな時間差があった。

 無論それは瞬き一つの間。しかしそれだけの時間差は天坂の空澄の太刀の前では致命的である。
 もし同時に打ちだしたら、先に楓が斬られる。もちろん楓の一之太刀もまた同時に放たれているのだから、楓が斬られた一瞬後に天坂も斬られるだろう。
 そうなれば結果は相打ち。だが天坂はそれでもよかった。彼女はもう生に未練はないのだ。

 死を受け入れた相打ち覚悟の者を相手取るには、己もまた死を受け入れなければ心で大きく劣ることになる。しかし、楓は己の死を受け入れていなかった。

 ――私は死ぬためにここにいるのではない。斬るためにここにいる。斬るのだ。ただ、相手を斬る。

 楓は生死の境を超えた心境にいた。ただ、斬る。相手よりも、一瞬早く、斬る。それだけを胸に秘めていた。
 もとより楓が勝つには、天坂の先の先を取るほかない。天坂が動き出す瞬間を察知して、彼女よりも先に斬る。それだけだ。
 長い硬直であった。互いに一刀必殺の殺人剣を内に秘め、来るべき必殺の時を待っている。

 先に動こうとしたものが負ける勝負では、持久力が勝敗を分ける。いつまでも刀を構えていることはできない。いずれ集中力か体力の限界に達し、一方が構えを崩すだろう。
 そして、多くの者は構えを崩す前に攻勢に移る。そうなれば決着である。
 先に隙を見出して斬るか……持久力の限界に達した者が先に動きその先をとられて斬られるか。師弟対決は静かながらも、苛烈な勝負であった。

 風が吹いた。天坂と楓の魔女服がわずかに風に揺られた。土が風にさらわれる。土埃が舞い上がり楓の顔に向かう。天坂がついに動いた。

 ――……見切った。

 ついに放たれる天坂夕月の魔技空澄の太刀。その機先を制して、朝比奈楓の魔技一之太刀が先んじて放たれた。
 一之太刀の見えない刃が、天坂の体を切り裂いていく。完全に機先を制された天坂の空澄の太刀は、放たれもしなかった。

 相手に何もさせず、己の剣を押し付け勝ちを得る。朝比奈楓の殺人刀は、その本分を全うしていた。
 一之太刀の一刀に斬られ、天坂ははじかれた様に背後の木に背中をぶつけた。
 そのまま彼女の体は木に擦りつける様に下がっていく。左肩口からばっさりと斬られた様は、死が避けられないと誰の目にも明らかであった。

「いい、剣だ……」
「……師匠」

 口から血の泡を出しながら、天坂は楓を褒めた。天坂に剣を褒められたのは、これが初めてだった。
 そのまま数度血を吐いた天坂の顔は、しかし穏やかである。ようやく死に場所を手に入れたとでも言いたげな安らかさを携えていた。

「何を、泣いている」
「泣いてなど、いません……」
「そうか、私にはそう見えるが」
「きっと、あなたの返り血のせいでそう見えたのでしょう」
「……そう、か」

 天坂の目が虚ろになっていく。彼女の意識が、もう二度と這い上がれない闇の中に沈み込もうとしていた。

「……師匠、最後に一つ、聞かせてください。どうして、あの時私を助けたのですか?」

 あの時とは、天坂が呼び出した夜魔の眷属が暴走し、楓の両親を殺した時のことである。
 天坂の立場からすれば、目撃者である楓の口を封じなければいけないはずである。しかし、彼女は楓を助けたのだ。

「……さあ、どうしてだったかな。私にも、分からん……おそらく、だが…………昔の私に、似ているとでも……思ったのだろう……」
「そう、でしたか……」
「……」

 天坂は何も言わなくなった。動きもしなくなった。その体から、生の活動が消え失せていた。
 天坂夕月は……楓の師は、死んだのだ。

「おやすみなさい、師匠」

 楓は師に別れを告げた。
 天坂の魂を連れ去るかのように、一陣の突風が吹いた。風は楓の肌を撫で、頭髪を揺らし、三角帽子をさらってどこまでも流れていく。
 風に流される三角帽子を目で追って、楓は一度物言わぬ天坂の躯を見つめた。
 未練を断ち切る様に視線を切って、楓はゆっくりと帽子を追いかけていった。

 師の亡骸を背に楓は歩き続けた。帽子はどこへいってしまったのだろう。すでに目で追えないほど遠くへいってしまったようだ。
 歩けば歩くほど、楓の心は沈んでいった。時間が経つにつれ師をこの手で殺めた事実が楓の心中を満たしていく。
 その心気を振り払うように、楓は帽子が流されたであろう軌跡を追い続けていた。足を止めればせき止めている感情が溢れ出し、一歩も歩けそうになかった。

 家族を失った朝比奈楓は、自らの手で二年もの時を共に過ごした天坂夕月を殺めたのだ。楓にとって天坂はもう一つの家族にも等しかった。
 そんな存在を自らの手で斬り断った。楓の心中がひどくざわめく。これは痛みであった。悲痛が楓の心を傷つけ、破壊しようとしている。
 楓は心にはしる苦痛に必死で耐えていた。小鴉が己のことを剣鬼と言っていたことを、ふと思い出す。

 ――私が剣鬼であれば、どれほど良かったか。こんなにも辛い思いを抱かなくて済んだだろうに。

 気が付けば楓は下を向いて歩いていた。空に流された帽子を追っていたはずなのに、見えるのは荒れた土だけだった。
 足取りはどこまでも重い。もう歩くことすら止めたくなった。
 いったい自分は何をしているんだろう。いったい何をしていたのだろう。寂寥が楓の心を襲い、そんなことすら思った。
 こんな想いを抱くためだけに、楓は戦っていたのだろうか。

「楓」

 空虚が楓の心を包み込んだ時、楓は声をかけられてはっとしたように顔を上げた。
 その視線の先には、紅音がいた。美景も傍に立っていた。そのほか、命を賭して夜魔と戦った名も知らない多くの魔女たちが、楓を待っていた。
 呆然としながら歩くうちに、楓は彼女たちの所へ戻ってきていたのだ。

「はい、これ」

 紅音が差し出したのは、楓の三角帽子だった。楓の帽子をさらった風は、まるで見透かしたように紅音の元に届けていたのだ。
 何のために戦うのか。楓は伏倉との戦いの中でその疑問を自身に投げかけた。

 その答えは伏倉との戦いの後、おぼろげながら分かっていた。そして、今この瞬間、楓は今まで己が何のために戦ってきたのかをはっきりと理解した。
 全てはこの時、この瞬間のために……辛く、苦しい戦いを、楓は続けてきたのだ。
 楓は紅音が差し出した帽子を受け取った。胸の内に湧き上がる想いは、先ほどの昏く憂鬱だったものとは違かった。

 家族を失った。師を失った。だが、決して失い続けるだけの人生ではなかった。今楓の目の前には多くのものが溢れていた。それが彼女が戦いの果てに得たものだ。
 紅音と美景が、心配そうに楓を見つめていた。自らの手で天坂夕月を斬った楓の心境を思い、彼女たちは表情を暗くしているのだ。

 ――きっと、今の私はひどい顔をしているのだろう。どうすればいい? どうすれば、私の気持ちは伝わるのだろうか。

 私は大丈夫だと、言葉で伝えるのは簡単なことだった。しかしその言葉に込められた真の気持ちは、はたして簡単に伝わるだろうか。
 もともと雄弁な性質ではない楓は、言葉で二人を安心させることを諦めた。もっと素直で分かりやすい道を、彼女は選ぶことにした。

「ありがとう、紅音、美景さん……皆」

 万感の想いを込めて、楓は笑った。
 それは、まるで満開に咲き誇る花のような、愛らしい微笑みだった。
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