1 / 11
第1話「庭に実ったのはトマト……と牛乳でした」
しおりを挟む古民家の縁側に腰を下ろして、結月は一息ついた。
目の前に広がるのは、購入したばかりの畑付き一軒家。いや、厳密には「庭つき物件」だったが、庭の半分以上が畑になっている。畝の形こそ残っていたものの、長年手入れされていなかったのだろう。雑草は伸び放題で、使い込まれた道具が物置の奥に押し込まれていた。
「……やっぱり、いいなぁ。土の匂いがする」
三十代後半、結婚十二年目の主婦・結月。都会のマンション暮らしに区切りをつけ、念願の田舎暮らしを始めたばかりだった。子どもはいないが、夫の正樹とは仲が良く、趣味のガーデニングや家庭菜園を共有していた。
そんな二人が思い切って購入したのが、この空き家物件。夫は平日は都心へ通勤し、結月はリモートワークを辞めて“土に触れる生活”を始めることにした。
「明日から、畑の整備かな。草むしり、結構大変そう……」
縁側にごろんと寝転がる。吹き込む風は気持ちよく、鳥の声も遠くに響いている。うとうとしてきた結月は、いつの間にか昼寝をしてしまった。
――そして、目を覚ました時。
景色は、朝とまるで違っていた。
「……え?」
何かがおかしい。
ぐるりと畑を見渡し、思わず自分の目を疑った。
ついさっきまで雑草まみれだったはずの畑が、緑の作物でいっぱいになっていたのだ。
瑞々しいトマトの赤が、太陽の光を浴びてきらめいている。とうもろこしは立派に伸び、皮が自然に開いて中の実がのぞいていた。つややかなナスに、ずしりとしたかぼちゃ、りんご、さくらんぼ――すべてが完璧な熟れ具合で、まるで絵本の中に迷い込んだようだった。
「な、にこれ……? 夢? 寝ぼけてる?」
慌てて頬をつねってみるが、普通に痛い。
気を取り直して、近くの木に近づくと、さらなる異常があった。
「……えっ? これ……パック牛乳?」
木の枝からぶら下がっていたのは、どう見ても“市販品風”のパック牛乳。白地に青いラインが入っており、冷たい水滴がパックの表面に浮かんでいる。
「いやいや、木に牛乳が……なるわけないでしょ……!」
恐る恐る手に取ってみると、確かに紙パックは未開封。賞味期限は“採取日から7日以内”とだけ印字されていた。
――そのときだった。
頭上にひときわ高く、電子音のようなものが鳴った。
【おめでとうございます! 本物件の庭が《フィールド型食材ドロップダンジョン》として認定されました】
【ダンジョン等級:E/制圧済み】
【今後も食材が定期的に実ります】
目の前の空中に、文字がホログラムのように浮かび上がる。それは数秒間、きらめいたのちにふわりと消えていった。
「……なにこれ……ダンジョンって……あの?」
日本では数年前から、ごく稀に“ダンジョン”が発生する現象が報告されるようになっていた。通常、それは山中や洞窟、廃ビルなどに出現し、内部には鉱石や魔獣の素材などがドロップするという。危険区域として管理されているが、冒険者と呼ばれる登録者が素材を採取して生活する姿も一部では知られている。
だが、今目の前にあるのは……どう見ても、ただの家庭の庭。
しかも、収穫できるのは“食べ物”だ。
「……え、ほんとに? ここ、うちの庭だよね?」
混乱しながら、結月は牛乳の木からパックをもう一つもぎ取り、そっと持ち帰った。冷蔵庫を開けると、ちゃんと収まるサイズだった。思考が追いつかないまま、結月はその日を過ごし、夕方、夫の帰りを迎えた。
*
「ただいまー。うわっ、なんだこの匂い!」
玄関を開けてすぐ、正樹の声が響いた。
その鼻先を、冷製トマトパスタの香りがくすぐる。
「おかえりなさい。今夜は、庭で採れたものを使ってみたの」
「え、庭? あの草ボーボーの?」
「……うん。今日ね、お昼寝して起きたら……全部、育ってたの」
「……え?」
スリッパを突っかけたまま、正樹は台所に駆け込んできた。
テーブルには、トマトとバジルをふんだんに使ったパスタ、とうもろこしと牛乳のスープ、かぼちゃスコーンが並んでいる。見た目も香りも、明らかに“普通”ではなかった。
「……これ、全部、庭に?」
「そう。しかも、牛乳も“木”にぶら下がってたの」
「木に……? 牛乳が? え、何言ってんの? ちょっと待って。いや、待って? トマトはまあわかる。とうもろこしもまあ、うん。でも牛乳って……木だよね? それ、実になってたの?」
「うん。紙パックのまま」
「いやいやいやいや……ありえないでしょ!? 紙パックが木に実るってどういう……え、何? 新手の悪質なドッキリ番組? カメラどこ?」
正樹はきょろきょろと部屋を見渡し、天井の角にまで目を凝らす。
その混乱ぶりに、思わず結月は噴き出した。
「ドッキリじゃないよ。本当に、なってたの。しかも冷えてたし、賞味期限は“採取日から”って書いてある」
「……採取日!? 何それ、農作物扱いなの?」
「あとね、変な表示も出たの。“この庭はフィールド型食材ドロップダンジョンです”って。等級Eで制圧済みって」
「ダンジョン……ダンジョンって、あの? テレビでやってる?」
「うん、多分。でも、食材が採れるなんて聞いたことないよね」
正樹は頭を抱え、しばらくパスタを見つめていたが……意を決したように一口、トマトを口に入れた。
「……うまっ! なにこれ、うまっ!」
「ね?」
「いや……これ、ほんとに……庭の?」
「ほんと」
数秒間の沈黙ののち、正樹はぽつりと呟いた。
「これ……売れないかな……」
「それ、私も思った」
夫婦は顔を見合わせ、笑った。
本当に売れるかどうかは、まだわからない。
でも、確実に言えるのはひとつ。今日から、彼女たちの暮らしは“庭ダンジョン”を中心に回りはじめた、ということだった。
42
あなたにおすすめの小説
元公務員、辺境ギルドの受付になる 〜『受理』と『却下』スキルで無自覚に無双していたら、伝説の職員と勘違いされて俺の定時退勤が危うい件〜
☆ほしい
ファンタジー
市役所で働く安定志向の公務員、志摩恭平(しまきょうへい)は、ある日突然、勇者召喚に巻き込まれて異世界へ。
しかし、与えられたスキルは『受理』と『却下』という、戦闘には全く役立ちそうにない地味なものだった。
「使えない」と判断された恭平は、国から追放され、流れ着いた辺境の街で冒険者ギルドの受付職員という天職を見つける。
書類仕事と定時退勤。前世と変わらぬ平穏な日々が続くはずだった。
だが、彼のスキルはとんでもない隠れた効果を持っていた。
高難易度依頼の書類に『却下』の判を押せば依頼自体が消滅し、新米冒険者のパーティ登録を『受理』すれば一時的に能力が向上する。
本人は事務処理をしているだけのつもりが、いつしか「彼の受付を通った者は必ず成功する」「彼に睨まれたモンスターは消滅する」という噂が広まっていく。
その結果、静かだった辺境ギルドには腕利きの冒険者が集い始め、恭平の定時退勤は日々脅かされていくのだった。
神に逆らった人間が生きていける訳ないだろう?大地も空気も神の意のままだぞ?<聖女は神の愛し子>
ラララキヲ
ファンタジー
フライアルド聖国は『聖女に護られた国』だ。『神が自分の愛し子の為に作った』のがこの国がある大地(島)である為に、聖女は王族よりも大切に扱われてきた。
それに不満を持ったのが当然『王侯貴族』だった。
彼らは遂に神に盾突き「人の尊厳を守る為に!」と神の信者たちを追い出そうとした。去らねば罪人として捕まえると言って。
そしてフライアルド聖国の歴史は動く。
『神の作り出した世界』で馬鹿な人間は現実を知る……
神「プンスコ(`3´)」
!!注!! この話に出てくる“神”は実態の無い超常的な存在です。万能神、創造神の部類です。刃物で刺したら死ぬ様な“自称神”ではありません。人間が神を名乗ってる様な謎の宗教の話ではありませんし、そんな口先だけの神(笑)を容認するものでもありませんので誤解無きよう宜しくお願いします。!!注!!
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾もあるかも。
◇ちょっと【恋愛】もあるよ!
◇なろうにも上げてます。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
神様、ありがとう! 2度目の人生は破滅経験者として
たぬきち25番
ファンタジー
流されるままに生きたノルン伯爵家の領主レオナルドは貢いだ女性に捨てられ、領政に失敗、全てを失い26年の生涯を自らの手で終えたはずだった。
だが――気が付くと時間が巻き戻っていた。
一度目では騙されて振られた。
さらに自分の力不足で全てを失った。
だが過去を知っている今、もうみじめな思いはしたくない。
※他サイト様にも公開しております。
※※皆様、ありがとう! HOTランキング1位に!!読んで下さって本当にありがとうございます!!※※
※※皆様、ありがとう! 完結ランキング(ファンタジー・SF部門)1位に!!読んで下さって本当にありがとうございます!!※※
転生したら名家の次男になりましたが、俺は汚点らしいです
NEXTブレイブ
ファンタジー
ただの人間、野上良は名家であるグリモワール家の次男に転生したが、その次男には名家の人間でありながら、汚点であるが、兄、姉、母からは愛されていたが、父親からは嫌われていた
死に戻ったので憎い奴らを食べちゃいます
重田いの
ファンタジー
ジュルメーヌ・アシュクロフトは死に戻った。
目の前には、憎い父親。その愛人と異母妹。
『前』のジュルメーヌを火刑に追い込んだ奴らだ。
食べちゃいまーす。
という話。
食人描写があるので気をつけてください。
地味な薬草師だった俺が、実は村の生命線でした
有賀冬馬
ファンタジー
恋人に裏切られ、村を追い出された青年エド。彼の地味な仕事は誰にも評価されず、ただの「役立たず」として切り捨てられた。だが、それは間違いだった。旅の魔術師エリーゼと出会った彼は、自分の能力が秘めていた真の価値を知る。魔術と薬草を組み合わせた彼の秘薬は、やがて王国を救うほどの力となり、エドは英雄として名を馳せていく。そして、彼が去った村は、彼がいた頃には気づかなかった「地味な薬」の恩恵を失い、静かに破滅へと向かっていくのだった。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる