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第2話「近所におすそ分けしたら、ちょっとした騒ぎになりました」
しおりを挟む翌朝、結月は早起きして庭に出た。
昨日の“異変”が夢じゃないか確認するためだったが、見ればすぐに確信できた。
畑には、また昨日とは違う野菜や果物が実っていた。
赤紫の大根のようなもの、真っ白なメロン、袋に入ったプリンのような“なにか”……そして、例の牛乳パックは、今日も木からぶら下がっている。
どうやら、日ごとに品目が入れ替わるようだ。
「……なるほど。冷蔵庫感覚ね」
不思議と怖さはなかった。昨日の食材も夫と一緒に食べて体調を崩すことはなかったし、むしろ市販品より味もよく鮮度も完璧。
そもそも《等級E》と表示されたこともあり、結月は“この庭は安全圏”と理解していた。
収穫かごを片手に、今朝もせっせと採り始める。
葉に触れると、収穫どきのものは自然とポン、と手に落ちてくる。無理に取ろうとすると、茎がぴくぴく震えて拒否されるから、わかりやすくて助かる。
「このメロン……“濃密ホイップメロン”って書いてある。え、ホイップ?」
皮に文字が浮かび上がっていた。
恐る恐る切ってみると、中には白くふんわりした甘い果肉が詰まっていて、本当にクリームのような口当たりだった。
「これ……近所におすそ分け、してもいいかなあ」
迷ったが、近所に挨拶がてら何かを配ろうとは思っていた。
とはいえ、牛乳の木やホイップメロンは説明がつかない。とりあえず、見た目が普通のトマトやかぼちゃスコーンを詰めて、焼き菓子のように見える形で持参することにした。
***
午前十時。
結月は近所の家を一軒一軒まわった。
このあたりの住民は年配者が多く、出てきたのは大半がご夫婦か、品のよいおばあさんだった。どこも「わざわざご丁寧に!」と喜んでくれたが――
三軒目の奥さん、杉田さんだけは反応が少し違った。
「あら……このスコーン、なにかしら、すごく……香りがいいわね」
「かぼちゃと、ナツメグをちょっと入れてみました。最近引っ越してきたばかりで、挨拶代わりにと思って」
「まぁまぁ、それはご丁寧に……でも、この香り、普通じゃないような……」
杉田さんはじっとスコーンを見つめ、ひとつだけ取り出してその場でちょん、とちぎって口に運んだ。
しばらく噛んで、そして――
「……っ、ちょっと待って。あなた、これ、どこで買ったの!?」
「え? いえ、うちで焼いたんですけど」
「このかぼちゃ、普通のじゃないわよ!? すごい甘みと、後味にハチミツのような香り……何これ?」
「え、あ、あの、その……庭で採れた……かぼちゃ、です……」
「……庭で?」
そのとき、ぴん、と糸がはじけるような音がした(気がした)。
杉田さんの目がすうっと鋭くなり、興味津々というより“真剣”な目つきになる。
「あなたの家、ダンジョン持ちね?」
「え、あっ、あの、それってバレるものなんですか!?」
「普通はわからないわよ? でも私はちょっと嗅覚が利くの。というか、以前から思ってたのよね。この辺、地脈がちょっとおかしいって」
「じ、地脈……?」
「つまり、魔素の流れ。最近じゃあんまり聞かないけど、食材系のダンジョンって、極まれに自然発生するって昔読んだことがあるの」
「そう……なんですか?」
「ええ。あとでちょっと、お庭見せてもらってもいい?」
「……はい。あ、でも、危なくはないと思います。昨日も夫と一緒に全部食べたけど平気でしたし……」
「うんうん、それなら安心。でもね、あんまり広まると……人がわんさか来ちゃうかもね?」
その言葉に、結月はぴしりと背筋が伸びた。
今はのんびり暮らしているけど、もし噂が広まれば……普通の生活は送れなくなるかもしれない。
「……じゃあ、“普通の畑”ってことで通します。庭に実った野菜を使って焼き菓子作った主婦、ということに」
「ふふ、そのくらいがちょうどいいわね。でも、一つだけ忠告しておくわ」
杉田さんは目を細め、囁くように言った。
「ダンジョンの恵みは、魅力もあるけど“変化”も呼ぶの。いろんな意味でね」
***
その日の夕方。
帰宅した夫に“ちょっとした事件”の報告を終えたあと、結月はこっそり杉田さんからもらった紙袋を開けた。
中には、魔除けの札や小さな石がいくつか入っていた。
古風な言い伝えのように思えるが、今の結月には「そういうのもあるかも」と思える程度には現実離れした生活が始まっていた。
「明日は……どんな食材が育つのかな」
そうつぶやいて、窓の外の庭――いや、“ダンジョン”を見つめる。
小さな庭先に広がる、日常と非日常の境界。
結月の暮らしは、まだ始まったばかりだった。
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