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磯貝友梨 序章
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「君とは結婚できない」
と、言われても、
ーーそうだろうよ。
としか思わないアタシたちは結局、ずいぶん前から終わっていたのだろう。
美味しいワインを飲ませるイタリア料理屋、なんてアナタがおおよそチョイスしない小洒落た店に呼び出された時点で、アタシは何かしらの察しはついていた。
白いクロスを広げたテーブルに、アタシは少し強めにワイングラスを置いた。
「なんで!?」
と、まあ、一応訊くのが礼儀かと、アタシは彼の瞳を真っ直ぐに見つめて訊いてやる。
すぐには答えない。
この男はいつもこうである。
都合の悪いことを吐き出させるのに、少し時間がかかる。
しかし、と目の前に座るいいところの坊ちゃん然とした五歳年上の彼を見つめて、アタシは思う。
優男なのはいいのだけれど、いまいち腰が据わってないというか、頼りないというか。
付き合って三年になるが、主導権はいつもアタシ。
真面目だけどねぇ,面白味にかけるんだよ、アンタ。
ハラハラ、ドキドキさせてくれない。
まあ、結婚するにはいい相手なのかもしれない。
彼の瞳を見つめたまま、アタシは少し首を傾げ、返答を催促する。
目の端に、アタシの大好きなタリアテッレ・アル・ラグーがチラついた。
白い陶磁器の皿に盛られたタリアテッレが、アタシの胃を刺激する。
が、こんな状況。
なかなかどうして、口をつけにくい。
食事が終わってからにしろよ、そういう話は! と、優男を見つめる自分の瞳に、恨みの色が映えないように、アタシはグッと気持ちを抑える。
「ユリは……」
彼はアタシの瞳から目を逸らして、呟くように喋り出す。
珍しくアタシのことを呼び捨てている。
いつもはゆりりんなのに。
腹括ったかい? と、アタシは彼の勇気を微笑ましく思った。
「強すぎるんだよ。なんでも自分でこなして、全部自分で解決して。俺に少しも頼ってくれない」
と、言うようなことを言っているようで、しかしアタシの耳には微かにしか届いてこない。
絞り出したような蚊の鳴くような声でモゾモゾと喋るその声をかろうじて聞き留めたアタシは、イライラとするものが胸の内から湧き上がるのを覚えた。
アンタが頼んないからアタシが引っ張ってやんなきゃなんないんだろ? と、この店のワインを選ぶのにもアタシを頼った彼をマジマジと見つめる。
そっか、とアタシは口を開いた。
「じゃあもうアタシとはむりなんだね?」
と、努めて優しい笑顔で彼に訊く。
そして口調とはうらはらに、ワイングラスを再び口に運び、荒々しく一気に飲み干す。
「いや、ユリがもっと俺と話し合って二人で決めていきたいなって……」
「声が小さい」
アタシがそう言うと、彼は少し驚いたような顔でこちらを見た。
実際、声が小さくて聞き取れない。
驚いた顔をされたアタシこそ驚きたい。
「まあ、とにかく」
言い直そうとして口を開きかけた彼の機先を制するように、アタシは突き放すような声を発した。
「ムリ。あなたが事を決めるのを気長に待ってるなんて、お昼ご飯も夕食になっちゃう」
そう言って、アタシはバッグの中から財布を取り出した。
「もういいじゃん。別れましょう」
アタシは財布から一万円札を抜き取り、テーブルの上に置いた。
そして席を立ち
「ありがとね、今まで」
と言ってニッコリと、自分でも会心のニッコリを作り、彼に背を向けた。
ーーどう出る?
アタシはワクワクしながら彼の反応を待った。
が、グズグズしていては未練がましく思われそうで,それも癪に障る。
足早にアタシは席を離れ、店のエントランスに向かう。
これで怒って追いかけてくるなら、少しは男をあげれるのだが。
なかなか屈辱的な別れ方をしてやったつもりではいるのだが。
そうこうしているうちに、アタシは店の自動ドアをすり抜け、往来の激しい表通りに足を踏み出してしまう。
ヒヤリと、夜の冷気が頬を撫で上げる。
……。
そうか、来ないか……。
ほんの少しの期待も、彼は綺麗に裏切り、アタシは苦笑をして歩き出した。
まあ、これでせいせいしたと思う。
煮え切らないまま続けていても仕方がない。
焦って結婚などとは考えはしないが、恋愛には何かしらの答えを出さなければならない時がある。
このままあの人との関係を続けていれば、その答えの分岐点まで到達すらできそうにもない。
たからまあ。
アタシが答えてやったんだ、と思うことにする。
ちょっとひどい物言いだった気もするが、ふっ切れるのにはちょうどいい。
どちらにせよ、アタシはずいぶん前から冷めていたのだから。
駅に向かい歩みを進めていたが、ふと食事していないことを思い出した。
よし、ラーメンでも食って帰るか! と、アタシは意気揚々と歩き出す。
ーー食って、寝て。明日起きたら考えよう。
気持ちが軽くなるのを感じながら、自宅近くの駅前の、よく行くラーメン屋の看板を脳裏に描きながら、アタシは夜の街を歩いてゆく。
と、言われても、
ーーそうだろうよ。
としか思わないアタシたちは結局、ずいぶん前から終わっていたのだろう。
美味しいワインを飲ませるイタリア料理屋、なんてアナタがおおよそチョイスしない小洒落た店に呼び出された時点で、アタシは何かしらの察しはついていた。
白いクロスを広げたテーブルに、アタシは少し強めにワイングラスを置いた。
「なんで!?」
と、まあ、一応訊くのが礼儀かと、アタシは彼の瞳を真っ直ぐに見つめて訊いてやる。
すぐには答えない。
この男はいつもこうである。
都合の悪いことを吐き出させるのに、少し時間がかかる。
しかし、と目の前に座るいいところの坊ちゃん然とした五歳年上の彼を見つめて、アタシは思う。
優男なのはいいのだけれど、いまいち腰が据わってないというか、頼りないというか。
付き合って三年になるが、主導権はいつもアタシ。
真面目だけどねぇ,面白味にかけるんだよ、アンタ。
ハラハラ、ドキドキさせてくれない。
まあ、結婚するにはいい相手なのかもしれない。
彼の瞳を見つめたまま、アタシは少し首を傾げ、返答を催促する。
目の端に、アタシの大好きなタリアテッレ・アル・ラグーがチラついた。
白い陶磁器の皿に盛られたタリアテッレが、アタシの胃を刺激する。
が、こんな状況。
なかなかどうして、口をつけにくい。
食事が終わってからにしろよ、そういう話は! と、優男を見つめる自分の瞳に、恨みの色が映えないように、アタシはグッと気持ちを抑える。
「ユリは……」
彼はアタシの瞳から目を逸らして、呟くように喋り出す。
珍しくアタシのことを呼び捨てている。
いつもはゆりりんなのに。
腹括ったかい? と、アタシは彼の勇気を微笑ましく思った。
「強すぎるんだよ。なんでも自分でこなして、全部自分で解決して。俺に少しも頼ってくれない」
と、言うようなことを言っているようで、しかしアタシの耳には微かにしか届いてこない。
絞り出したような蚊の鳴くような声でモゾモゾと喋るその声をかろうじて聞き留めたアタシは、イライラとするものが胸の内から湧き上がるのを覚えた。
アンタが頼んないからアタシが引っ張ってやんなきゃなんないんだろ? と、この店のワインを選ぶのにもアタシを頼った彼をマジマジと見つめる。
そっか、とアタシは口を開いた。
「じゃあもうアタシとはむりなんだね?」
と、努めて優しい笑顔で彼に訊く。
そして口調とはうらはらに、ワイングラスを再び口に運び、荒々しく一気に飲み干す。
「いや、ユリがもっと俺と話し合って二人で決めていきたいなって……」
「声が小さい」
アタシがそう言うと、彼は少し驚いたような顔でこちらを見た。
実際、声が小さくて聞き取れない。
驚いた顔をされたアタシこそ驚きたい。
「まあ、とにかく」
言い直そうとして口を開きかけた彼の機先を制するように、アタシは突き放すような声を発した。
「ムリ。あなたが事を決めるのを気長に待ってるなんて、お昼ご飯も夕食になっちゃう」
そう言って、アタシはバッグの中から財布を取り出した。
「もういいじゃん。別れましょう」
アタシは財布から一万円札を抜き取り、テーブルの上に置いた。
そして席を立ち
「ありがとね、今まで」
と言ってニッコリと、自分でも会心のニッコリを作り、彼に背を向けた。
ーーどう出る?
アタシはワクワクしながら彼の反応を待った。
が、グズグズしていては未練がましく思われそうで,それも癪に障る。
足早にアタシは席を離れ、店のエントランスに向かう。
これで怒って追いかけてくるなら、少しは男をあげれるのだが。
なかなか屈辱的な別れ方をしてやったつもりではいるのだが。
そうこうしているうちに、アタシは店の自動ドアをすり抜け、往来の激しい表通りに足を踏み出してしまう。
ヒヤリと、夜の冷気が頬を撫で上げる。
……。
そうか、来ないか……。
ほんの少しの期待も、彼は綺麗に裏切り、アタシは苦笑をして歩き出した。
まあ、これでせいせいしたと思う。
煮え切らないまま続けていても仕方がない。
焦って結婚などとは考えはしないが、恋愛には何かしらの答えを出さなければならない時がある。
このままあの人との関係を続けていれば、その答えの分岐点まで到達すらできそうにもない。
たからまあ。
アタシが答えてやったんだ、と思うことにする。
ちょっとひどい物言いだった気もするが、ふっ切れるのにはちょうどいい。
どちらにせよ、アタシはずいぶん前から冷めていたのだから。
駅に向かい歩みを進めていたが、ふと食事していないことを思い出した。
よし、ラーメンでも食って帰るか! と、アタシは意気揚々と歩き出す。
ーー食って、寝て。明日起きたら考えよう。
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