リーベストランクの処方箋

柊四十郎

文字の大きさ
1 / 4

磯貝友梨 序章

しおりを挟む
「君とは結婚できない」
 と、言われても、
 
 ーーそうだろうよ。

 としか思わないアタシたちは結局、ずいぶん前から終わっていたのだろう。
 美味しいワインを飲ませるイタリア料理屋、なんてアナタがおおよそチョイスしない小洒落た店に呼び出された時点で、アタシは何かしらの察しはついていた。
 白いクロスを広げたテーブルに、アタシは少し強めにワイングラスを置いた。
「なんで!?」 
 と、まあ、一応訊くのが礼儀かと、アタシは彼の瞳を真っ直ぐに見つめて訊いてやる。
 すぐには答えない。
 この男はいつもこうである。
 都合の悪いことを吐き出させるのに、少し時間がかかる。
 しかし、と目の前に座るいいところの坊ちゃん然とした五歳年上の彼を見つめて、アタシは思う。
 優男なのはいいのだけれど、いまいち腰が据わってないというか、頼りないというか。
 付き合って三年になるが、主導権はいつもアタシ。
 真面目だけどねぇ,面白味にかけるんだよ、アンタ。
 ハラハラ、ドキドキさせてくれない。
 まあ、結婚するにはいい相手なのかもしれない。
 彼の瞳を見つめたまま、アタシは少し首を傾げ、返答を催促する。
 目の端に、アタシの大好きなタリアテッレ・アル・ラグーがチラついた。
 白い陶磁器の皿に盛られたタリアテッレが、アタシの胃を刺激する。
 が、こんな状況。
 なかなかどうして、口をつけにくい。
 食事が終わってからにしろよ、そういう話は! と、優男を見つめる自分の瞳に、恨みの色が映えないように、アタシはグッと気持ちを抑える。
「ユリは……」
 彼はアタシの瞳から目を逸らして、呟くように喋り出す。
 珍しくアタシのことを呼び捨てている。
 いつもはゆりりんなのに。
 腹括ったかい? と、アタシは彼の勇気を微笑ましく思った。
「強すぎるんだよ。なんでも自分でこなして、全部自分で解決して。俺に少しも頼ってくれない」
 と、言うようなことを言っているようで、しかしアタシの耳には微かにしか届いてこない。
 絞り出したような蚊の鳴くような声でモゾモゾと喋るその声をかろうじて聞き留めたアタシは、イライラとするものが胸の内から湧き上がるのを覚えた。
 アンタが頼んないからアタシが引っ張ってやんなきゃなんないんだろ? と、この店のワインを選ぶのにもアタシを頼った彼をマジマジと見つめる。
 そっか、とアタシは口を開いた。
「じゃあもうアタシとはむりなんだね?」
 と、努めて優しい笑顔で彼に訊く。
 そして口調とはうらはらに、ワイングラスを再び口に運び、荒々しく一気に飲み干す。
「いや、ユリがもっと俺と話し合って二人で決めていきたいなって……」
「声が小さい」
 アタシがそう言うと、彼は少し驚いたような顔でこちらを見た。
 実際、声が小さくて聞き取れない。
 驚いた顔をされたアタシこそ驚きたい。
「まあ、とにかく」
 言い直そうとして口を開きかけた彼の機先を制するように、アタシは突き放すような声を発した。
「ムリ。あなたが事を決めるのを気長に待ってるなんて、お昼ご飯も夕食になっちゃう」
 そう言って、アタシはバッグの中から財布を取り出した。
「もういいじゃん。別れましょう」
 アタシは財布から一万円札を抜き取り、テーブルの上に置いた。
 そして席を立ち
「ありがとね、今まで」
 と言ってニッコリと、自分でも会心のニッコリを作り、彼に背を向けた。
 
 ーーどう出る?

 アタシはワクワクしながら彼の反応を待った。
 が、グズグズしていては未練がましく思われそうで,それも癪に障る。
 足早にアタシは席を離れ、店のエントランスに向かう。
 これで怒って追いかけてくるなら、少しは男をあげれるのだが。
 なかなか屈辱的な別れ方をしてやったつもりではいるのだが。
 そうこうしているうちに、アタシは店の自動ドアをすり抜け、往来の激しい表通りに足を踏み出してしまう。
 ヒヤリと、夜の冷気が頬を撫で上げる。
 ……。
 そうか、来ないか……。
 ほんの少しの期待も、彼は綺麗に裏切り、アタシは苦笑をして歩き出した。
 まあ、これでせいせいしたと思う。
 煮え切らないまま続けていても仕方がない。
 焦って結婚などとは考えはしないが、恋愛には何かしらの答えを出さなければならない時がある。
 このままあの人との関係を続けていれば、その答えの分岐点まで到達すらできそうにもない。
 たからまあ。
 アタシが答えてやったんだ、と思うことにする。
 ちょっとひどい物言いだった気もするが、ふっ切れるのにはちょうどいい。
 どちらにせよ、アタシはずいぶん前から冷めていたのだから。
 駅に向かい歩みを進めていたが、ふと食事していないことを思い出した。
 よし、ラーメンでも食って帰るか! と、アタシは意気揚々と歩き出す。
 
 ーー食って、寝て。明日起きたら考えよう。
 
 気持ちが軽くなるのを感じながら、自宅近くの駅前の、よく行くラーメン屋の看板を脳裏に描きながら、アタシは夜の街を歩いてゆく。

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

大丈夫のその先は…

水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。 新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。 バレないように、バレないように。 「大丈夫だよ」 すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

処理中です...