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磯貝友梨 第一章
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フラれたのでフってやった翌朝、いつもより遅く起きた。
寒い!
と身震いして掛け布団を身体に巻きつける。
薄桃色の下着だけを身につけて寝ていたことに気がついて、寒いわけだ、と苦笑する。
そうか、土曜だ。
遅い起床時間に、休日の朝を感じる。
アタシは重い頭を持ち上げるようにして、ベッドから這い出した。
トイレに行った帰り道、洗面所の鏡で自分の顔を見る。
化粧を落とさず寝たおかげで、アタシの顔は非常に残念な事になっていた。
しかも、目の周りが腫れぼったくむくんでいる。
泣いたんだ、アタシ……。
愛想は尽きたと思っていたのに、意外とどうして、涙を流すほどには寂しかったらしい。
帰りに寄ったラーメン屋でビールから焼酎に切り替えたあたりまではなんとなく憶えているが、その後の記憶はなんとも曖昧だ。
酔った勢いと寂しさで、誰かと寝たりしてないか? と、不安がよぎったが、どうやら身体にそのような憶えがないようで、アタシは少し安心した。
しかし、記憶がなくなるほどに酒を浴びたわりには、二日酔いはしていない。
自分の肝臓の能力には毎度の事ながら、驚きと感謝を禁じ得ない。
泣いて腫れた無様な顔に背を向けて、部屋に戻る。
ベッドの周りには脱ぎ散らかした昨晩の服が。
だらしねえなぁ、と自分に苦情を入れて、アタシは服を片付け出す。
ふと見ると、スカートを拾い上げたその床に、一枚の小さな紙切れが落ちていことに、アタシは気付いた。
名刺ほどの大きさの小さな白い紙。
昨日、どころかここ最近名刺などもらった記憶などない。
スカートを左手につまみながら、右手でその小さな紙を拾いあげる。
裏返してみると、名刺だった。
飾りっ気のない白一面の紙面に、黒い文字だけが印字されている。
『Liebestrank』
と、横書きで書かれている。
「リ……エ? ……ベストランク?」
読めない。
たしかに、アタシは英語が苦手だ。
いや、英語なのかどうかすらわからないが、そのアルファベットの一段下に
『オーナー 成瀬イゾルテ』
と、アタシが慣れ親しんだ言語、日本語が書いてある。
なんだこれ?
全く記憶に無いような、どこか頭の端に名刺を渡されたような記憶があるような……。
記憶がなくなるまで飲んだアタシには、その名刺もその名刺を差し出した主の事もいまいち思い出せそうも無い。
もう一度名刺を見る。
下段に、携帯電話の番号が手書きで記されている。
風俗か何かの経営者が酔ったアタシをスカウトでもしてきたのか? と思いながら、ベットの向かいにあるパソコンの据えられた机の上に名刺を置いた。
怪しさしか感じない名刺を他所に、アタシはシャワーを浴びて気持ちを切り替えようと、シャワールームに向かった。
そういえば、と、少し熱めのシャワーを浴びたおかげで頭がはっきりしてきたのか、名刺を受け取った時の状況が少しずつ思い出されてきた。
いつものラーメン屋でしこたま飲んだアタシは、誰か知らない男に相手をしてもらっていた。
顔などもちろん憶えていない。
どころか、声や服装も憶えてはいない。
介抱するフリをしながら、酔いつぶれたアタシを連れて店を出ようとしていたのは憶えている。
それからどうなったんだっけ?
そこからが思い出せなかった。
アタシはシャワーヘッドから降り注ぐ熱めのお湯を頭からかぶりながら、浴室の壁に手をついて考える。
しかし、なぜだろう?
ちょっと高そうな黒いダウンコート着た女性にそのラーメン屋の軒先で名刺を渡された記憶が、アタシの脳裏に浮かんだ。
そして、その横でアタシを持ち帰ろうとしていた男が、その女性に悪態を吐きながら夜の街に消えていった後ろ姿が続いてゆく。
名刺の女性がアタシをその男の魔の手から、魔の手ってとアタシは自分の古臭い表現に鼻で笑って自嘲した。
ともかく、その魔の手から救ってくれたのかもしれない。
もしそうなら、お礼を言わなきゃ……。
アタシは変な使命感を感じて、独りシャワーの滝に打たれながら、うなずいた。
シャワーを止め、浴室を出たアタシはバスタオルを手に取り、身体についた水滴を丹念に拭き取る。
柔軟剤の香りがバスタオルからたちのぼり、その甘い香りにアタシは包まれる。
一人暮らしで誰に見られるわけでもないが、アタシは裸体を隠すようにバスタオルを身体に巻きつける。
そして、うなじが見えるほどに短くカットされた髪に、真新しいバスタオルを乗せる。
丹念に髪の水分をタオルに吸い込ませながら、アタシは部屋に戻る。
部屋は暖房が効き出して暖かい。
湯上がりの火照った体には少し暑いくらいだな、とアタシは感じた。
髪を拭き終わり、そのタオルをターバンのように頭に巻きつけたアタシは、先程の名刺を再び手に取る。
あれ?
そう言えば、とアタシはある事に気づく。
あの飲み散らかしたラーメン屋の支払いは誰がしたんだろう? と。
アタシは急いで財布をバッグから取り出し、財布の中を確認した。
二万円と千円が二、三枚。
後は小銭が少し。
確か、昨日の夜に自宅を出る前には三万数千円を財布に入れていたはずである。
例のあのエノテーカで、格好をつけて一万円を差し出した訳であるから……。
ラーメン屋の支払いは誰がした?
という事になる。
アタシはため息をついて、財布を閉じた。
カードが使えるような店ではない。
頼めばツケが効くほどには常連だが、アタシのモットーは現金払い。
アタシではない誰かが、あのラーメン屋の支払いをしてくれた事になる。
眉間に人差し指を当て、アタシは顔をしかめる。
27歳にもなって、何やってんだよアタシ……。
財布をベッドに放り投げ、
人様に迷惑かけちゃいけないよ、と小さい頃から祖母がアタシにすり込むように言っていた言葉を思い出す。
三度、名刺をひろいあげてアタシはそこに書かれた名前と携帯番号に目をやる。
昨日の事を、この成瀬さんに聞いてみよう。
晒す恥ばかりだが、仕方ない。
髪を乾かしたら電話してみようと決心し、アタシは部屋の隅に置かれたドレッサーの前に座り、ドライヤーを手に取った。
寒い!
と身震いして掛け布団を身体に巻きつける。
薄桃色の下着だけを身につけて寝ていたことに気がついて、寒いわけだ、と苦笑する。
そうか、土曜だ。
遅い起床時間に、休日の朝を感じる。
アタシは重い頭を持ち上げるようにして、ベッドから這い出した。
トイレに行った帰り道、洗面所の鏡で自分の顔を見る。
化粧を落とさず寝たおかげで、アタシの顔は非常に残念な事になっていた。
しかも、目の周りが腫れぼったくむくんでいる。
泣いたんだ、アタシ……。
愛想は尽きたと思っていたのに、意外とどうして、涙を流すほどには寂しかったらしい。
帰りに寄ったラーメン屋でビールから焼酎に切り替えたあたりまではなんとなく憶えているが、その後の記憶はなんとも曖昧だ。
酔った勢いと寂しさで、誰かと寝たりしてないか? と、不安がよぎったが、どうやら身体にそのような憶えがないようで、アタシは少し安心した。
しかし、記憶がなくなるほどに酒を浴びたわりには、二日酔いはしていない。
自分の肝臓の能力には毎度の事ながら、驚きと感謝を禁じ得ない。
泣いて腫れた無様な顔に背を向けて、部屋に戻る。
ベッドの周りには脱ぎ散らかした昨晩の服が。
だらしねえなぁ、と自分に苦情を入れて、アタシは服を片付け出す。
ふと見ると、スカートを拾い上げたその床に、一枚の小さな紙切れが落ちていことに、アタシは気付いた。
名刺ほどの大きさの小さな白い紙。
昨日、どころかここ最近名刺などもらった記憶などない。
スカートを左手につまみながら、右手でその小さな紙を拾いあげる。
裏返してみると、名刺だった。
飾りっ気のない白一面の紙面に、黒い文字だけが印字されている。
『Liebestrank』
と、横書きで書かれている。
「リ……エ? ……ベストランク?」
読めない。
たしかに、アタシは英語が苦手だ。
いや、英語なのかどうかすらわからないが、そのアルファベットの一段下に
『オーナー 成瀬イゾルテ』
と、アタシが慣れ親しんだ言語、日本語が書いてある。
なんだこれ?
全く記憶に無いような、どこか頭の端に名刺を渡されたような記憶があるような……。
記憶がなくなるまで飲んだアタシには、その名刺もその名刺を差し出した主の事もいまいち思い出せそうも無い。
もう一度名刺を見る。
下段に、携帯電話の番号が手書きで記されている。
風俗か何かの経営者が酔ったアタシをスカウトでもしてきたのか? と思いながら、ベットの向かいにあるパソコンの据えられた机の上に名刺を置いた。
怪しさしか感じない名刺を他所に、アタシはシャワーを浴びて気持ちを切り替えようと、シャワールームに向かった。
そういえば、と、少し熱めのシャワーを浴びたおかげで頭がはっきりしてきたのか、名刺を受け取った時の状況が少しずつ思い出されてきた。
いつものラーメン屋でしこたま飲んだアタシは、誰か知らない男に相手をしてもらっていた。
顔などもちろん憶えていない。
どころか、声や服装も憶えてはいない。
介抱するフリをしながら、酔いつぶれたアタシを連れて店を出ようとしていたのは憶えている。
それからどうなったんだっけ?
そこからが思い出せなかった。
アタシはシャワーヘッドから降り注ぐ熱めのお湯を頭からかぶりながら、浴室の壁に手をついて考える。
しかし、なぜだろう?
ちょっと高そうな黒いダウンコート着た女性にそのラーメン屋の軒先で名刺を渡された記憶が、アタシの脳裏に浮かんだ。
そして、その横でアタシを持ち帰ろうとしていた男が、その女性に悪態を吐きながら夜の街に消えていった後ろ姿が続いてゆく。
名刺の女性がアタシをその男の魔の手から、魔の手ってとアタシは自分の古臭い表現に鼻で笑って自嘲した。
ともかく、その魔の手から救ってくれたのかもしれない。
もしそうなら、お礼を言わなきゃ……。
アタシは変な使命感を感じて、独りシャワーの滝に打たれながら、うなずいた。
シャワーを止め、浴室を出たアタシはバスタオルを手に取り、身体についた水滴を丹念に拭き取る。
柔軟剤の香りがバスタオルからたちのぼり、その甘い香りにアタシは包まれる。
一人暮らしで誰に見られるわけでもないが、アタシは裸体を隠すようにバスタオルを身体に巻きつける。
そして、うなじが見えるほどに短くカットされた髪に、真新しいバスタオルを乗せる。
丹念に髪の水分をタオルに吸い込ませながら、アタシは部屋に戻る。
部屋は暖房が効き出して暖かい。
湯上がりの火照った体には少し暑いくらいだな、とアタシは感じた。
髪を拭き終わり、そのタオルをターバンのように頭に巻きつけたアタシは、先程の名刺を再び手に取る。
あれ?
そう言えば、とアタシはある事に気づく。
あの飲み散らかしたラーメン屋の支払いは誰がしたんだろう? と。
アタシは急いで財布をバッグから取り出し、財布の中を確認した。
二万円と千円が二、三枚。
後は小銭が少し。
確か、昨日の夜に自宅を出る前には三万数千円を財布に入れていたはずである。
例のあのエノテーカで、格好をつけて一万円を差し出した訳であるから……。
ラーメン屋の支払いは誰がした?
という事になる。
アタシはため息をついて、財布を閉じた。
カードが使えるような店ではない。
頼めばツケが効くほどには常連だが、アタシのモットーは現金払い。
アタシではない誰かが、あのラーメン屋の支払いをしてくれた事になる。
眉間に人差し指を当て、アタシは顔をしかめる。
27歳にもなって、何やってんだよアタシ……。
財布をベッドに放り投げ、
人様に迷惑かけちゃいけないよ、と小さい頃から祖母がアタシにすり込むように言っていた言葉を思い出す。
三度、名刺をひろいあげてアタシはそこに書かれた名前と携帯番号に目をやる。
昨日の事を、この成瀬さんに聞いてみよう。
晒す恥ばかりだが、仕方ない。
髪を乾かしたら電話してみようと決心し、アタシは部屋の隅に置かれたドレッサーの前に座り、ドライヤーを手に取った。
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