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【うどん処 ひたちすみ屋】
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土壁に漆喰を塗った、土蔵造りの店。木製の看板には【うどん処 ひたちすみ屋】と刻まれている。
紺色の暖簾をくぐり、格子戸を開けた。
室内は客席から厨房まで全てリフォームされており、古風さを保ちながらも清潔感がある。手前がテーブル席で、奥に座敷席が設けられている。
「いらっしゃいませ!」
アルバイトの少女が窓際の席に案内してくれた。白地に赤いチェック柄の和服に、エプロンを着けている。可愛い服だと、ひそかに魔女少女たちの話題だ。
窓には紅葉模様の障子が張られている。
店の造りこそ伝統的だが格式張っておらず、料理のボリュームもたっぷりで財布にやさしい値段なので、学生に人気だ。
この店のおかみは魔女ではなく、旦那と息子も魔法使いではない。家系をさかのぼっても魔法を使えた先祖はいない。
戦前からここで店をかまえている。
空襲でも焼け残り、終戦直後から店を再開した。手に入りにくい小麦粉の代わりに、雑穀で作った代用うどんを売っていた。
「なあ、これ、いらないか?」
ある日、当代に女が新聞紙に包んだ野菜を突き出した。採れたてなのか瑞々しく、緑の部分もしゃきっと立っている。
「……なんだこれ」
「ネギだよ」
「いや、ネギは見て分かるわ、どうやって手に入れたって訊いてんだ」
女はところどころ破れた、くすんだえんじ色の布で身体を包み、頭を覆っていた。目元も布で隠れており、鼻と口元だけが出ている。ネギがとんでもなく似合わない胡散臭そうな女だ。
「あたしは薬売りなんだけどね、金の代わりにこれを貰っちまったんさ」
確かに女は箱を担いでいた。みすぼらしい格好とは裏腹に、傷ひとつない雅な桐箱。薬はもちろん、箱そのものも良い値で売れるだろう。
破落戸も多いというのに、よく奪われなかったと感心した。
「そのまま食ってもいいが、せっかく割と旨いと評判のうどん屋があるんだ、薬味にすればもっと旨くなるんじゃないかと思ってな」
「上手いこと言いやがる」
当代は新聞紙に包まれた五本のネギを観察した。緑の部分と白い部分の境目がくっきりとしており、つやつやした、太くひきしまったネギだ。
「これ、本当にネギかあ?」
「毒じゃないのは保証しよう」
「……そんなら、食えるモンは貰うさ」
「じゃあ、さっそくネギうどんを一杯おくれ」
「ネギうどんて……」そのままの注文に、思わず噴き出してしまった。「まいどあり」
ネギを切ると、少し辛い、すっきりとした香りが漂った。少し目にしみた気がする。
具を入れるなんて久しぶりだ。
ネギうどんは売れた。正直、代用うどんはそれほど美味しくない。ネギがあるだけでも、いつもと同じまずいうどんでも、食べる気分が変わるのだろう。
薬売りはうどん屋の軒下で商売を始めた。
「おい、ちゃっかり居座ってんじゃえね」
「いいじゃないか、減るもんじゃないし、おっ、いらっしゃいべっぴんなお姉さん!」
「お前の呼びかけ、薬売りっぽくねえな」
薬売りは毎日、昼にうどんを買うので、あまり口うるさく言えなかった。
薬売りの腕は良いらしい。毎日客足は絶えず、粉薬、水薬、時には薬草そのままで売っていた。
しかも薬を買った客は、ついでとばかりにうどんも買ってくれるのだ。ますます文句は言えなかった。
当代が腰や膝を痛めた時、薬売りは薬をくれた。
「家賃代だよ」
「なら毎月払えや」
「イヒヒ、いやだね」
少しずつ、うどん屋以外にも店が建ちはじめた。食事処、りんご屋、服を売っている店もあった。ほうきで空を移動している人間を、当代と彼の妻は何度か目撃した。
もともとのんびりとした性格の妻が動じずに空を眺めるので、内心動揺した当代も冷静になってしまった。
「ああいう移動方法もありなんですねえ」
「飛びたいのか?」
「いぃえぇ、わたしじゃ、きっと落っこちちゃいますよぅ」
会話はそれだけだった。
妻の出産にも薬売りは一役買ってくれた。「経験あるのか?」「任せなさんな」薬売りは若そうだが、陣痛で唸る妻を前にうろたえる旦那より、よっぽど肝が据わっていた。
妻は男の子を産んだ。産後の肥立ちが良いのも、薬売りの甲斐甲斐しい世話のたまものだ。
「ねえぇ、貴方にこの子の名前をつけてほしいの」
妻が薬売りに頼んだ。
「柄じゃないよ、それに、そういう大事なことは身内や神主に頼むべきじゃないかい?」
「あらあ、わたしとこの子を引き上げてくれたのは貴方ですものぉ、いちばん大事な仕事をしてくれたわあ」
「……お前さんの旦那に嫉妬されそうだ」
薬売りはイヒヒ、と笑って嫁と赤ん坊を撫でた。
「そうだねェ……────」
× × ×
ネギうどんは店のメニューに残っているが、あまり人気はないらしい。
瑠衣と美花は鍋焼きうどんを注文した。二人のお気に入りのメニューだ。
太い手打ち麺、ほうれんそう、えのき、えびの天ぷら、しいたけ、かまぼことたっぷりの具とともに、ぐつぐつと煮込まれている。
美花はものすごく食べる。
それはもう、豪快に食べる。瑠衣もよく食べるが、美花は瑠衣以上に食欲旺盛で、おまけに好き嫌いもないのだ。
れんげに具も麺もたっぷりのせて、大きく口をあけてひとくち。麺もするすると啜る。
すがすがしい食べっぷりに、瑠衣はいつも見とれてしまう。
「こんなにいっぱい食べられるの、瑠衣ちゃんの前だけだわ」
美花は照れながら言った。
紺色の暖簾をくぐり、格子戸を開けた。
室内は客席から厨房まで全てリフォームされており、古風さを保ちながらも清潔感がある。手前がテーブル席で、奥に座敷席が設けられている。
「いらっしゃいませ!」
アルバイトの少女が窓際の席に案内してくれた。白地に赤いチェック柄の和服に、エプロンを着けている。可愛い服だと、ひそかに魔女少女たちの話題だ。
窓には紅葉模様の障子が張られている。
店の造りこそ伝統的だが格式張っておらず、料理のボリュームもたっぷりで財布にやさしい値段なので、学生に人気だ。
この店のおかみは魔女ではなく、旦那と息子も魔法使いではない。家系をさかのぼっても魔法を使えた先祖はいない。
戦前からここで店をかまえている。
空襲でも焼け残り、終戦直後から店を再開した。手に入りにくい小麦粉の代わりに、雑穀で作った代用うどんを売っていた。
「なあ、これ、いらないか?」
ある日、当代に女が新聞紙に包んだ野菜を突き出した。採れたてなのか瑞々しく、緑の部分もしゃきっと立っている。
「……なんだこれ」
「ネギだよ」
「いや、ネギは見て分かるわ、どうやって手に入れたって訊いてんだ」
女はところどころ破れた、くすんだえんじ色の布で身体を包み、頭を覆っていた。目元も布で隠れており、鼻と口元だけが出ている。ネギがとんでもなく似合わない胡散臭そうな女だ。
「あたしは薬売りなんだけどね、金の代わりにこれを貰っちまったんさ」
確かに女は箱を担いでいた。みすぼらしい格好とは裏腹に、傷ひとつない雅な桐箱。薬はもちろん、箱そのものも良い値で売れるだろう。
破落戸も多いというのに、よく奪われなかったと感心した。
「そのまま食ってもいいが、せっかく割と旨いと評判のうどん屋があるんだ、薬味にすればもっと旨くなるんじゃないかと思ってな」
「上手いこと言いやがる」
当代は新聞紙に包まれた五本のネギを観察した。緑の部分と白い部分の境目がくっきりとしており、つやつやした、太くひきしまったネギだ。
「これ、本当にネギかあ?」
「毒じゃないのは保証しよう」
「……そんなら、食えるモンは貰うさ」
「じゃあ、さっそくネギうどんを一杯おくれ」
「ネギうどんて……」そのままの注文に、思わず噴き出してしまった。「まいどあり」
ネギを切ると、少し辛い、すっきりとした香りが漂った。少し目にしみた気がする。
具を入れるなんて久しぶりだ。
ネギうどんは売れた。正直、代用うどんはそれほど美味しくない。ネギがあるだけでも、いつもと同じまずいうどんでも、食べる気分が変わるのだろう。
薬売りはうどん屋の軒下で商売を始めた。
「おい、ちゃっかり居座ってんじゃえね」
「いいじゃないか、減るもんじゃないし、おっ、いらっしゃいべっぴんなお姉さん!」
「お前の呼びかけ、薬売りっぽくねえな」
薬売りは毎日、昼にうどんを買うので、あまり口うるさく言えなかった。
薬売りの腕は良いらしい。毎日客足は絶えず、粉薬、水薬、時には薬草そのままで売っていた。
しかも薬を買った客は、ついでとばかりにうどんも買ってくれるのだ。ますます文句は言えなかった。
当代が腰や膝を痛めた時、薬売りは薬をくれた。
「家賃代だよ」
「なら毎月払えや」
「イヒヒ、いやだね」
少しずつ、うどん屋以外にも店が建ちはじめた。食事処、りんご屋、服を売っている店もあった。ほうきで空を移動している人間を、当代と彼の妻は何度か目撃した。
もともとのんびりとした性格の妻が動じずに空を眺めるので、内心動揺した当代も冷静になってしまった。
「ああいう移動方法もありなんですねえ」
「飛びたいのか?」
「いぃえぇ、わたしじゃ、きっと落っこちちゃいますよぅ」
会話はそれだけだった。
妻の出産にも薬売りは一役買ってくれた。「経験あるのか?」「任せなさんな」薬売りは若そうだが、陣痛で唸る妻を前にうろたえる旦那より、よっぽど肝が据わっていた。
妻は男の子を産んだ。産後の肥立ちが良いのも、薬売りの甲斐甲斐しい世話のたまものだ。
「ねえぇ、貴方にこの子の名前をつけてほしいの」
妻が薬売りに頼んだ。
「柄じゃないよ、それに、そういう大事なことは身内や神主に頼むべきじゃないかい?」
「あらあ、わたしとこの子を引き上げてくれたのは貴方ですものぉ、いちばん大事な仕事をしてくれたわあ」
「……お前さんの旦那に嫉妬されそうだ」
薬売りはイヒヒ、と笑って嫁と赤ん坊を撫でた。
「そうだねェ……────」
× × ×
ネギうどんは店のメニューに残っているが、あまり人気はないらしい。
瑠衣と美花は鍋焼きうどんを注文した。二人のお気に入りのメニューだ。
太い手打ち麺、ほうれんそう、えのき、えびの天ぷら、しいたけ、かまぼことたっぷりの具とともに、ぐつぐつと煮込まれている。
美花はものすごく食べる。
それはもう、豪快に食べる。瑠衣もよく食べるが、美花は瑠衣以上に食欲旺盛で、おまけに好き嫌いもないのだ。
れんげに具も麺もたっぷりのせて、大きく口をあけてひとくち。麺もするすると啜る。
すがすがしい食べっぷりに、瑠衣はいつも見とれてしまう。
「こんなにいっぱい食べられるの、瑠衣ちゃんの前だけだわ」
美花は照れながら言った。
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