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理解の章
六道の道、暖かな華
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薄暗い照明と、使う意味があるのか分からない薄い毛布の感触。
彩芽は寮のベッドで目覚めると、遅れて来た頭痛に頭を抱えながら上半身を起こした。
腕時計を一瞥すると、短針は6を指していた。
もしかしたら、霊装管理室で2人と別れてからずっと眠っていたのだろうか。
壁に掛けたコートからスマホを取り出した。
画面に表示された時刻は6:17、やはり一日寝過ごしたらしい。
まだハッキリと覚醒していない意識に鞭打って、箪笥から着替え一式を持ってシャワー室へ向かった。
確か現在の府長が、衛生面はなるべく気を遣うべきとして改装を推し進めた成果らしい。シャワー室を始めとした設備の改良、老朽化した建物の改築等、改装以前よりも大分快適になった。
起伏の無い体を見下ろしながら熱湯を浴び、全身に滴で濡れたあたりでシャワーを止めた。
手早くシャツに袖を通してタオルを被り、短い髪に付着した水分を吸いださせながらスマホを操作する。
特にメールや連絡事項が無い事を確認すると、続いてニュースアプリを起動して記事の見出しを流し見た。
周辺の天気情報や最近頻発している強盗事件の続報、逮捕された連続殺人犯の関係者への取材、果ては重病から持ち直した少女の記録と、あらゆる情報で金を稼ぐ様子を見せていた。
「・・・仕事だから、か。それは免罪符じゃないぞ」
マスコミを嫌う彼女は、薄っぺらい同情とそれに隠れた欲望に呆れながらスマホの電源を落とした。
ベッドにスマホとタオルを投げ捨てると、妖術で熱を発生させて一気に髪を乾かした。
電子機器がほとんどない地獄や冥府では、それと同じ様な性質を持つ妖術や専用の霊装まで開発されている。
着替えも終えてカートンから1箱出すと、スムーズに開封して早速1本吸った。
そして吐き出した煙を眺めながら、朝食を食べるかどうか考えている時、
コンコン
「おーい、起きてる?」
扉の向こうから、水崎が明るい声で呼びかけた。
「鍵開いてる」
短く言うと、扉を開けて水崎と夜空が入ってきた。
「何かあった?」
大抵の連絡事項はメールで済ませる為、こうして直接会いに来る時は重要事項の伝達である事が多いが、雰囲気からしてそうではないようだ。
「いやぁ、これから習練場に行くんだけどさ? せっかくなら彩芽も来ないかなって」
習練場とは、その名の通り手合わせや霊装の慣らし、トレーニング等に用いられる施設の事で、獄卒の部隊ごとに習練場が1棟与えられる。
確かに、彩芽達は夜空の実力を詳しくは知らない。任務での連携や作戦の立案に深く関わるその情報は、早い内に知っておいて損は無いだろう。
「まぁ、いいよ」
「オッケー、それじゃあ先行ってるから」
「ん」
軽く手を振って見送り、名残惜しそうに手に持っていた煙草を灰皿に捨てて彩芽も部屋を出た。
・・・1・・・
習練場は外観内観共に体育館と酷似しており、館内には個人で持ち込んだトレーニング機器を置く部隊もある。
しかし彩芽達第六道隊は、妖術と霊装による中遠距離からの戦いに重きを置いており、ある物と言えば組手用のマットと人型の的がいくつかあるだけだった。
「そう言えば、巫女酒さんの霊装はどうだった?」
「あぁあれ? 1から作るから3カ月かかるって」
「そっか」
それまではあのデカいの使うしかないねー、水崎はそう言いながらストレッチを始めた。
彩芽と夜空もそれに倣ってストレッチをしてから、彩芽はマットを踏んで2人の対面に立った。
「それじゃあ、まず巫女酒さんとやろう」
「は、はい!」
夜空はまだ彩芽とは心を通わせられないのか、緊張を残しつつも構えを取った。
「じゃあ審判は私ね」
水崎は少し離れた位置に立つと、双方の準備が整ったのを確認して手を掲げた。
「それでは模擬戦第一試合――」
その一言に、互いに息を長く吸い、そして、
「始め!」
水崎が振り下ろした手が号令となり、
「っ!?」
秒針も動かぬ間に、夜空はマットに叩きつけられていた。
そして目の前には、無表情で自分を見下ろす彩芽の顔があった。
だが一瞬よりも短いその時間に何が起きたのか、夜空の脳は正しく認識していた。
まず目にも止まらぬ速さで夜空の眼前まで接近し、前に出していた腕を掴んで引いた。その影響で姿勢を崩した隙を見逃さず、足を掛けて転ばせたのだ。
言うのは簡単だが、この動きを神速の如き速度でそれを行うというのは、人間の能力を超えている。
「凄い・・・」
その洗練された動きに見惚れて、夜空は倒れ伏したまま動けていなかった。
女優を目指す少女が演劇に魅入られるように、合理的で美しい動きをする彩芽に、夜空は魅了されていた。
「大丈夫?」
水崎に声を変えられるまで、夜空は動けていなかった。
じんわりと心臓が熱を持ち、全身の骨と筋肉に高揚感が溢れてくる。
「彩芽も、少しは手加減しなって」
「実戦形式じゃなきゃ訓練の意味は無い」
ようやく起き上がると、水崎に譲って自分は観戦者の位置に移動した。
水崎は口角を上げながら、獲物を見る目で彩芽と対峙していた。
「それじゃあ、第二試合? 用意――」
震える手が上がり、両者はより深く構える。
「始め!」
先制したのは水崎だった。これまた瞬きする間に距離を詰め、鳩尾を狙って拳を引いた。
だが彩芽も、最低限の動作で攻撃を避けて見せた。
しかし水崎もそれを予想していたのか、伸ばした腕を畳んで肘打ちを叩きこんだ。
これは避けられなかったのか、腕で庇って急所への直撃は防いだ。
「まずは一撃」
いつもの明るく温かい表情ではない、水崎は獄卒としての冷酷な表情をしていた。
彩芽も防戦一方にならず、体を捻って蹴りをお見舞いした。妖力で強化までしたそれは、水崎をマットの外ギリギリまで吹き飛ばした。
「痛っ」
「どうする? ここまでにする?」
夜空は初めて、彩芽の表情を見た気がした。悪戯っぽく、子供のような笑みを浮かべていた。
「冗談」
「そう? じゃ、来なよ」
手招きで挑発する彩芽に、水崎もはにかんで再度攻撃した。
今度は姿勢をより低くして、腹部に掌底打ちを狙って平手を前に出した。正確には違うのだが、我流を混ぜた水崎の技は、プロボクサーでも一撃でK.O出来ると自負する程には実用的かつ強力なものだった。
彩芽もその威力を知っているからか、隙が生まれるのを承知で後ろに跳んで回避した。
やはりその瞬間を狙っていたのか、跳躍よりも早く地面を蹴って連撃を繰り出した。
威力こそ低いが、急所に当たれば数秒は相手の行動を封じるのも容易い。
とは言っても妖力で防御すれば、妖力を帯びていない攻撃はほとんど完封出来る。
「惜しい」
「かも・・・ね!」
この一撃で決めようと、妖力を込めた正拳突きを繰り出す。
妖しい光を帯びた拳が、彩芽の眼前に迫った瞬間、
ダンッ
オーラを発する彩芽の手が、水崎の拳を受け止めていた。
目には目を、妖力を込めた攻撃を防御するには、同じく妖力を込めた物で防御するのが基本だ。
「駄目だぁ! これも防がれるなんて・・・」
悔し気にへたり込む水崎を見てから、呆然としている夜空と目が合った。
「大丈夫?」
「・・・あ、はい。その、圧倒されたというか・・・」
言葉に詰まっているようで、言葉に覇気が籠っていなかった。
「凄いですね。訓練でもこんなに・・・私にはとても出来ないです」
自信を無くしたのか、落ち込み気味でそう言う彼女に、彩芽は額を弾いて言った。
「そんな考えしてたら、確かに出来ないよ」
「・・・」
「出来ないって思ったら何も出来ない。思い込みで病気になるみたいに、まずは出来るって希望を持たなきゃいけない」
「出来ると、思う・・・」
「才能も努力も関係ない。まずはスタートラインに立って、前に進む事を考える。それが一番大事だよ」
「・・・はい」
不思議と彼女の言葉には、説得力と勇気を与えてくれる。夜空は彩芽に、密かに敬愛の念を抱いていた。
・・・2・・・
夜空が部隊に来て3日が経ったある日。
「失礼」
事務室に情報部の職員が訪れ、留美子に大判の封筒を配達しに来た。
赤い紋章が刻印されたそれの意味を知る2人は表情を険しくし、知らない夜空は首を傾げて様子をうかがった。
「ありがとう」
仕事を終えた職員が部屋を出ると、封筒を開けて中の資料を確認した。
彩芽達は呼ばれるまでもなく留美子のデスクに行き、夜空も慌ててその隣に並んだ。
「この体制になって初めての任務ね」
留美子はそう言いながら資料をデスクに置いた。
数は少ないが、現状分かっている討伐対象についての情報が細かに記載されていた。
「怨霊、ですか?」
資料を軽く読んだ彩芽が言う。
怨霊とは、地獄から這い出た亡者とは反対に、死者の魂が怨念によって現世に縛り付けられた存在を指す。
本来あってはならない魂をこの世に遺す程の力を持っている為、危険度も亡者の比ではない。
「私達はともかく、夜空は初任務ですよ? それが怨霊って・・・」
どうやら水崎は、この任務に対して少し否定的らしい。
「けど、他は既に任務に出ているのよ。人手不足も年々悪化しているわね」
愚痴をこぼしながら、留美子はにっむの拒否はあまり考えていないように見える。
「とりあえず、昼までに考えておいてくれる?」
「了解」
このままではあまり意見が纏まらないと考えたのか、一度解散して話し合う流れになった。
留美子はデスクで書類と睨み合い、彩芽は煙草を吸いたいのか事務室を出た。
「夜空ちゃんは、どう思う?」
この問題の中心にあるのは、夜空にとっての危険と任務の重要性である。
夜空がこの任務に肯定的であれば受領するし、乗り気でなければ他の部隊に任せる事になる。
「私は・・・正直、怖いです」
「じゃあ」
「でも、被害に遭っている人は、もっと怖い思いをしている筈だから」
血と怨念に塗れたこの仕事に相応しくない程に、彼女の心は澄んだ輝きを放っていた。
「すごいね。夜空ちゃんは」
「いえ。実力は先輩方に及びませんから」
「・・・もしかしたら、怖がってるのは私かもね」
「え?」
「君の安全って理由で、無意識に逃げようとしてるのかも」
水崎は獄卒としての経験こそ多いが、年齢は夜空と大して変わらない。異形の怪物と対峙するのは覚悟がいるし、恐怖を押し殺す技術も持っていない。
だから周囲の環境を利用して、上手く逃げようとしている。
「怖いのは、私もですから。それになんだか、ちょっと嬉しいです」
「え?」
突然思ってもみない事を言われ、水崎は不思議そうに夜空を見た。
「正直、先輩達の事がよく分からなくて、不安だったんです。でもさっきの話聞いて、私と同じなんだって知れたので」
その言葉に、水崎も自分の過去を思い出して共感していた。
4年前、天才と崇められて鼻の下を伸ばしていた自分を、彩芽は他と同じ様に圧倒した。
実力も精神力も、ただ周囲の反応を事実と捕らえていた自分とは違う、本当の天才に出会った。
「夜空ちゃんってさ、彩芽の事好きなんでしょ?」
「・・・え? へぁ!? あ、いや・・・」
あからさまに動揺する夜空を見て、水崎は静かに笑った。
「分かるよ。私もだもん」
「え?」
夜空の反応が面白いのか、水崎は笑みをそのままに話を続けた。
「もう3年以上前からね。彩芽を事見てると、全身がふわふわするって言うか」
どこか遠くを見ているような水崎に表情に、夜空も心当たりがあるのか聞くに徹していた。
「夜空ちゃんの反応で、昔の自分を思い出してさ」
「・・・そう、なんですかね」
「だから君の事は友達だと思ってるけど、ライバルだとも思ってるから!」
立ち上がった水崎の宣言に、夜空は面食らった表情をしていた。
だがすぐに笑い、目線を合わせて言った。
「こっちも。恋愛だけは負けませんから」
その言葉に、水崎も不敵に微笑んだ。
・・・3・・・
彩芽は3本目の煙草を吸い尽くし、すかさず4本目の先端に火を付けた。
そしてつい先程の話し合いを思い出し、自分なりの意見を見直した。
正直、夜空の実力では生存率よりも死亡率の方が高い。水崎の言っている事も充分に理解出来るし、生存率を高い選択をするのは当然であると考えていた。
だが任務の拒否というのも、彼女にとっては肯定しがたい事だった。
獄卒の職務を放棄するとはつまり、彼女の存在意義を捨てるに等しい。これまでどんな危険任務を与えられても、拒否だけはした事が無かった。
しかしそれは、結局は個人的な感情に過ぎない。そんな理由で、夜空達の命を危険にさらしていいのだろうかと悩むも、その答えは中々出てこなかった。
命と使命、この2つは彩芽にとって、同じ重さを持っていた。命が無ければ何も出来ず、使命も無しに生きるなど彩芽には出来ない。
するべき事がはっきりとしており安定した将来を見る事も出来るが、反対に1つの物に依存した彼女の人生は不安定もであった。
物心つく前には既に、数人の親代わりと同じ境遇の子供達が周りにいた。そして他人でしかない周囲の人間に心を開けていなかった彼女は、幼くして何もかもを自分だけで処理する合理的個人主義な性格になっていった。
必要であれば他の人間を頼る事もあるが、何年が経とうが根本から人間を信用する事は無かった。いや、その必要性を感じなかった。
親密な関係になったとしても、いつ命を落とすかも分からないこの世界で友好関係を築くのは、彼女にとって職務の邪魔になると考えていたのだ。
そしてそれと同時に、自分以外の命について過剰に反応するようになった。
罪の無い家族を亡者によって失った出生からか、それとも死すらも無意味で非効率的だと考えていたのかは分からない。
だがその考えも、彼女の個人主義を増長させた。
正式に獄卒としてなった頃、彼女は第二道隊に所属する事になった。
第二道隊は言わばエリートの集団で、訓練や試験で高い結果を残した彩芽も、隊長直々の指名でこの部隊に入隊した。
しかし致命的な協調性の欠如とスタンドプレーの頻発により、部隊が半壊するという目も当てられない結果になった。
個人行動をすれば自分以外は安全であるという固定観念に囚われた結果の惨事に、彩芽はその原因を理解出来なかった。
実際その原因は、ある意味で彩芽が原因であるともいえるが、それ以上に他の要因が大きく関係していた。
彼女の卓越した戦闘能力と状況把握能力は、その他第二道隊の獄卒全員のそれよりも上回っていた。
つまり彩芽がスタンドプレーで亡者や怨霊を討伐するのを、他は見ているだけでいいという状況が出来てしまっていた。
だからこそ、彩芽が討伐しきれなかった亡者の集団に襲われ、間抜けにも戦闘態勢を取っていなかった彼等は3人が死亡、もう1人も前線を離れざるを得ない重症を負った。
そして冥府上層部は、なんとこの件を彩芽1人の責任にしようとしていた。
実は第二道隊というのは、上層部の実子や息が掛かった者で構成されており、その実績も情報操作によって作り上げられた虚像に過ぎなかった。
彩芽をこの隊に入れたのも、それが問題視され始め対応策を考えていた上層部が、言わばかさ増しの為に引き入れられたのだ。
コミュニケーションを取らず個人行動が多いという事もあって、この問題を解決するのに適任であると考えたのだろう。
そして万が一何か問題が起こった時にも、どうでもいい孤児1人を捨てれば何とでもなると考えていたのだ。
だが上層部の腐敗を告発しようとした一部の人間や、当時情報部部長補佐だった浅葱留美子の協力により、彼女を新設の第六道隊に編入させ、かつ組織の改革へと繋がる事になった。
第二道隊についての証言も、上層部には想定外であろう彩芽が証人となってくれた事で証拠が揃っていったのだ。
彼女は個人主義であると同時に合理主義でもある為、怠慢により組織の運営資金を貪る彼等を邪魔に思っていた。
しかし彼等は曲がりなりにも組織の頂点と深い繋がりがあり、安易な行動は自分の首を絞めてしまうと考えて機会を狙っていただけ。実際はどちらかと言えば改革派の人間だったのだ。
こうして彩芽は獄卒しての存続が叶い、留美子を隊長とした多目的部隊に籍を置く獄卒として活動を続けられた。
この時学んだ事は、仲間全員の行動を鑑みた上で行動するのが最も合理的であるという事だった。
部隊の誰かにとって危険な任務だと判断すれば、拒否はしないまでもその隊員の安全を最優先した作戦を組むようになった。
しかしどれだけ時間が経とうと、与えられた任務は受領するのが当たり前という考えは離れなかった。
これは彩芽が、冥府全体を『家』として考えているからなのだろう。
冥府に見捨てられれば自分は生きていけない。そしてそのためには、任務をこなして存在意義を証明しなければならない。任務を拒否すれば存在意義がなくなり見捨てられるという妄想に縛られていた。
第二道隊の事件の際に証言したのも、あの状況で最も価値を証明出来ると判断しての行動であり、自分の責任として隊を追われるという話が出た時、数日間絶望し放心状態になっていたらしい。
そのどうしても拭い切れない不安と固定観念により、最も簡単な『拒否』という行動を脳内から消去してしまっていた。
4本目も吸い尽くした所で喫煙所を出て、今回もどうするのが最適解なのかと考えていた時だった。
「あ、あの、神楽、先輩」
意外にも夜空に声を掛けられ、もしや任務についての事だろうかと向き直って彼女の言葉を待った。
しかしその口から告げられたのは、あまりにも予想からかけ離れたものだった。
「私を、弟子にしてください!」
「・・・?」
彩芽は寮のベッドで目覚めると、遅れて来た頭痛に頭を抱えながら上半身を起こした。
腕時計を一瞥すると、短針は6を指していた。
もしかしたら、霊装管理室で2人と別れてからずっと眠っていたのだろうか。
壁に掛けたコートからスマホを取り出した。
画面に表示された時刻は6:17、やはり一日寝過ごしたらしい。
まだハッキリと覚醒していない意識に鞭打って、箪笥から着替え一式を持ってシャワー室へ向かった。
確か現在の府長が、衛生面はなるべく気を遣うべきとして改装を推し進めた成果らしい。シャワー室を始めとした設備の改良、老朽化した建物の改築等、改装以前よりも大分快適になった。
起伏の無い体を見下ろしながら熱湯を浴び、全身に滴で濡れたあたりでシャワーを止めた。
手早くシャツに袖を通してタオルを被り、短い髪に付着した水分を吸いださせながらスマホを操作する。
特にメールや連絡事項が無い事を確認すると、続いてニュースアプリを起動して記事の見出しを流し見た。
周辺の天気情報や最近頻発している強盗事件の続報、逮捕された連続殺人犯の関係者への取材、果ては重病から持ち直した少女の記録と、あらゆる情報で金を稼ぐ様子を見せていた。
「・・・仕事だから、か。それは免罪符じゃないぞ」
マスコミを嫌う彼女は、薄っぺらい同情とそれに隠れた欲望に呆れながらスマホの電源を落とした。
ベッドにスマホとタオルを投げ捨てると、妖術で熱を発生させて一気に髪を乾かした。
電子機器がほとんどない地獄や冥府では、それと同じ様な性質を持つ妖術や専用の霊装まで開発されている。
着替えも終えてカートンから1箱出すと、スムーズに開封して早速1本吸った。
そして吐き出した煙を眺めながら、朝食を食べるかどうか考えている時、
コンコン
「おーい、起きてる?」
扉の向こうから、水崎が明るい声で呼びかけた。
「鍵開いてる」
短く言うと、扉を開けて水崎と夜空が入ってきた。
「何かあった?」
大抵の連絡事項はメールで済ませる為、こうして直接会いに来る時は重要事項の伝達である事が多いが、雰囲気からしてそうではないようだ。
「いやぁ、これから習練場に行くんだけどさ? せっかくなら彩芽も来ないかなって」
習練場とは、その名の通り手合わせや霊装の慣らし、トレーニング等に用いられる施設の事で、獄卒の部隊ごとに習練場が1棟与えられる。
確かに、彩芽達は夜空の実力を詳しくは知らない。任務での連携や作戦の立案に深く関わるその情報は、早い内に知っておいて損は無いだろう。
「まぁ、いいよ」
「オッケー、それじゃあ先行ってるから」
「ん」
軽く手を振って見送り、名残惜しそうに手に持っていた煙草を灰皿に捨てて彩芽も部屋を出た。
・・・1・・・
習練場は外観内観共に体育館と酷似しており、館内には個人で持ち込んだトレーニング機器を置く部隊もある。
しかし彩芽達第六道隊は、妖術と霊装による中遠距離からの戦いに重きを置いており、ある物と言えば組手用のマットと人型の的がいくつかあるだけだった。
「そう言えば、巫女酒さんの霊装はどうだった?」
「あぁあれ? 1から作るから3カ月かかるって」
「そっか」
それまではあのデカいの使うしかないねー、水崎はそう言いながらストレッチを始めた。
彩芽と夜空もそれに倣ってストレッチをしてから、彩芽はマットを踏んで2人の対面に立った。
「それじゃあ、まず巫女酒さんとやろう」
「は、はい!」
夜空はまだ彩芽とは心を通わせられないのか、緊張を残しつつも構えを取った。
「じゃあ審判は私ね」
水崎は少し離れた位置に立つと、双方の準備が整ったのを確認して手を掲げた。
「それでは模擬戦第一試合――」
その一言に、互いに息を長く吸い、そして、
「始め!」
水崎が振り下ろした手が号令となり、
「っ!?」
秒針も動かぬ間に、夜空はマットに叩きつけられていた。
そして目の前には、無表情で自分を見下ろす彩芽の顔があった。
だが一瞬よりも短いその時間に何が起きたのか、夜空の脳は正しく認識していた。
まず目にも止まらぬ速さで夜空の眼前まで接近し、前に出していた腕を掴んで引いた。その影響で姿勢を崩した隙を見逃さず、足を掛けて転ばせたのだ。
言うのは簡単だが、この動きを神速の如き速度でそれを行うというのは、人間の能力を超えている。
「凄い・・・」
その洗練された動きに見惚れて、夜空は倒れ伏したまま動けていなかった。
女優を目指す少女が演劇に魅入られるように、合理的で美しい動きをする彩芽に、夜空は魅了されていた。
「大丈夫?」
水崎に声を変えられるまで、夜空は動けていなかった。
じんわりと心臓が熱を持ち、全身の骨と筋肉に高揚感が溢れてくる。
「彩芽も、少しは手加減しなって」
「実戦形式じゃなきゃ訓練の意味は無い」
ようやく起き上がると、水崎に譲って自分は観戦者の位置に移動した。
水崎は口角を上げながら、獲物を見る目で彩芽と対峙していた。
「それじゃあ、第二試合? 用意――」
震える手が上がり、両者はより深く構える。
「始め!」
先制したのは水崎だった。これまた瞬きする間に距離を詰め、鳩尾を狙って拳を引いた。
だが彩芽も、最低限の動作で攻撃を避けて見せた。
しかし水崎もそれを予想していたのか、伸ばした腕を畳んで肘打ちを叩きこんだ。
これは避けられなかったのか、腕で庇って急所への直撃は防いだ。
「まずは一撃」
いつもの明るく温かい表情ではない、水崎は獄卒としての冷酷な表情をしていた。
彩芽も防戦一方にならず、体を捻って蹴りをお見舞いした。妖力で強化までしたそれは、水崎をマットの外ギリギリまで吹き飛ばした。
「痛っ」
「どうする? ここまでにする?」
夜空は初めて、彩芽の表情を見た気がした。悪戯っぽく、子供のような笑みを浮かべていた。
「冗談」
「そう? じゃ、来なよ」
手招きで挑発する彩芽に、水崎もはにかんで再度攻撃した。
今度は姿勢をより低くして、腹部に掌底打ちを狙って平手を前に出した。正確には違うのだが、我流を混ぜた水崎の技は、プロボクサーでも一撃でK.O出来ると自負する程には実用的かつ強力なものだった。
彩芽もその威力を知っているからか、隙が生まれるのを承知で後ろに跳んで回避した。
やはりその瞬間を狙っていたのか、跳躍よりも早く地面を蹴って連撃を繰り出した。
威力こそ低いが、急所に当たれば数秒は相手の行動を封じるのも容易い。
とは言っても妖力で防御すれば、妖力を帯びていない攻撃はほとんど完封出来る。
「惜しい」
「かも・・・ね!」
この一撃で決めようと、妖力を込めた正拳突きを繰り出す。
妖しい光を帯びた拳が、彩芽の眼前に迫った瞬間、
ダンッ
オーラを発する彩芽の手が、水崎の拳を受け止めていた。
目には目を、妖力を込めた攻撃を防御するには、同じく妖力を込めた物で防御するのが基本だ。
「駄目だぁ! これも防がれるなんて・・・」
悔し気にへたり込む水崎を見てから、呆然としている夜空と目が合った。
「大丈夫?」
「・・・あ、はい。その、圧倒されたというか・・・」
言葉に詰まっているようで、言葉に覇気が籠っていなかった。
「凄いですね。訓練でもこんなに・・・私にはとても出来ないです」
自信を無くしたのか、落ち込み気味でそう言う彼女に、彩芽は額を弾いて言った。
「そんな考えしてたら、確かに出来ないよ」
「・・・」
「出来ないって思ったら何も出来ない。思い込みで病気になるみたいに、まずは出来るって希望を持たなきゃいけない」
「出来ると、思う・・・」
「才能も努力も関係ない。まずはスタートラインに立って、前に進む事を考える。それが一番大事だよ」
「・・・はい」
不思議と彼女の言葉には、説得力と勇気を与えてくれる。夜空は彩芽に、密かに敬愛の念を抱いていた。
・・・2・・・
夜空が部隊に来て3日が経ったある日。
「失礼」
事務室に情報部の職員が訪れ、留美子に大判の封筒を配達しに来た。
赤い紋章が刻印されたそれの意味を知る2人は表情を険しくし、知らない夜空は首を傾げて様子をうかがった。
「ありがとう」
仕事を終えた職員が部屋を出ると、封筒を開けて中の資料を確認した。
彩芽達は呼ばれるまでもなく留美子のデスクに行き、夜空も慌ててその隣に並んだ。
「この体制になって初めての任務ね」
留美子はそう言いながら資料をデスクに置いた。
数は少ないが、現状分かっている討伐対象についての情報が細かに記載されていた。
「怨霊、ですか?」
資料を軽く読んだ彩芽が言う。
怨霊とは、地獄から這い出た亡者とは反対に、死者の魂が怨念によって現世に縛り付けられた存在を指す。
本来あってはならない魂をこの世に遺す程の力を持っている為、危険度も亡者の比ではない。
「私達はともかく、夜空は初任務ですよ? それが怨霊って・・・」
どうやら水崎は、この任務に対して少し否定的らしい。
「けど、他は既に任務に出ているのよ。人手不足も年々悪化しているわね」
愚痴をこぼしながら、留美子はにっむの拒否はあまり考えていないように見える。
「とりあえず、昼までに考えておいてくれる?」
「了解」
このままではあまり意見が纏まらないと考えたのか、一度解散して話し合う流れになった。
留美子はデスクで書類と睨み合い、彩芽は煙草を吸いたいのか事務室を出た。
「夜空ちゃんは、どう思う?」
この問題の中心にあるのは、夜空にとっての危険と任務の重要性である。
夜空がこの任務に肯定的であれば受領するし、乗り気でなければ他の部隊に任せる事になる。
「私は・・・正直、怖いです」
「じゃあ」
「でも、被害に遭っている人は、もっと怖い思いをしている筈だから」
血と怨念に塗れたこの仕事に相応しくない程に、彼女の心は澄んだ輝きを放っていた。
「すごいね。夜空ちゃんは」
「いえ。実力は先輩方に及びませんから」
「・・・もしかしたら、怖がってるのは私かもね」
「え?」
「君の安全って理由で、無意識に逃げようとしてるのかも」
水崎は獄卒としての経験こそ多いが、年齢は夜空と大して変わらない。異形の怪物と対峙するのは覚悟がいるし、恐怖を押し殺す技術も持っていない。
だから周囲の環境を利用して、上手く逃げようとしている。
「怖いのは、私もですから。それになんだか、ちょっと嬉しいです」
「え?」
突然思ってもみない事を言われ、水崎は不思議そうに夜空を見た。
「正直、先輩達の事がよく分からなくて、不安だったんです。でもさっきの話聞いて、私と同じなんだって知れたので」
その言葉に、水崎も自分の過去を思い出して共感していた。
4年前、天才と崇められて鼻の下を伸ばしていた自分を、彩芽は他と同じ様に圧倒した。
実力も精神力も、ただ周囲の反応を事実と捕らえていた自分とは違う、本当の天才に出会った。
「夜空ちゃんってさ、彩芽の事好きなんでしょ?」
「・・・え? へぁ!? あ、いや・・・」
あからさまに動揺する夜空を見て、水崎は静かに笑った。
「分かるよ。私もだもん」
「え?」
夜空の反応が面白いのか、水崎は笑みをそのままに話を続けた。
「もう3年以上前からね。彩芽を事見てると、全身がふわふわするって言うか」
どこか遠くを見ているような水崎に表情に、夜空も心当たりがあるのか聞くに徹していた。
「夜空ちゃんの反応で、昔の自分を思い出してさ」
「・・・そう、なんですかね」
「だから君の事は友達だと思ってるけど、ライバルだとも思ってるから!」
立ち上がった水崎の宣言に、夜空は面食らった表情をしていた。
だがすぐに笑い、目線を合わせて言った。
「こっちも。恋愛だけは負けませんから」
その言葉に、水崎も不敵に微笑んだ。
・・・3・・・
彩芽は3本目の煙草を吸い尽くし、すかさず4本目の先端に火を付けた。
そしてつい先程の話し合いを思い出し、自分なりの意見を見直した。
正直、夜空の実力では生存率よりも死亡率の方が高い。水崎の言っている事も充分に理解出来るし、生存率を高い選択をするのは当然であると考えていた。
だが任務の拒否というのも、彼女にとっては肯定しがたい事だった。
獄卒の職務を放棄するとはつまり、彼女の存在意義を捨てるに等しい。これまでどんな危険任務を与えられても、拒否だけはした事が無かった。
しかしそれは、結局は個人的な感情に過ぎない。そんな理由で、夜空達の命を危険にさらしていいのだろうかと悩むも、その答えは中々出てこなかった。
命と使命、この2つは彩芽にとって、同じ重さを持っていた。命が無ければ何も出来ず、使命も無しに生きるなど彩芽には出来ない。
するべき事がはっきりとしており安定した将来を見る事も出来るが、反対に1つの物に依存した彼女の人生は不安定もであった。
物心つく前には既に、数人の親代わりと同じ境遇の子供達が周りにいた。そして他人でしかない周囲の人間に心を開けていなかった彼女は、幼くして何もかもを自分だけで処理する合理的個人主義な性格になっていった。
必要であれば他の人間を頼る事もあるが、何年が経とうが根本から人間を信用する事は無かった。いや、その必要性を感じなかった。
親密な関係になったとしても、いつ命を落とすかも分からないこの世界で友好関係を築くのは、彼女にとって職務の邪魔になると考えていたのだ。
そしてそれと同時に、自分以外の命について過剰に反応するようになった。
罪の無い家族を亡者によって失った出生からか、それとも死すらも無意味で非効率的だと考えていたのかは分からない。
だがその考えも、彼女の個人主義を増長させた。
正式に獄卒としてなった頃、彼女は第二道隊に所属する事になった。
第二道隊は言わばエリートの集団で、訓練や試験で高い結果を残した彩芽も、隊長直々の指名でこの部隊に入隊した。
しかし致命的な協調性の欠如とスタンドプレーの頻発により、部隊が半壊するという目も当てられない結果になった。
個人行動をすれば自分以外は安全であるという固定観念に囚われた結果の惨事に、彩芽はその原因を理解出来なかった。
実際その原因は、ある意味で彩芽が原因であるともいえるが、それ以上に他の要因が大きく関係していた。
彼女の卓越した戦闘能力と状況把握能力は、その他第二道隊の獄卒全員のそれよりも上回っていた。
つまり彩芽がスタンドプレーで亡者や怨霊を討伐するのを、他は見ているだけでいいという状況が出来てしまっていた。
だからこそ、彩芽が討伐しきれなかった亡者の集団に襲われ、間抜けにも戦闘態勢を取っていなかった彼等は3人が死亡、もう1人も前線を離れざるを得ない重症を負った。
そして冥府上層部は、なんとこの件を彩芽1人の責任にしようとしていた。
実は第二道隊というのは、上層部の実子や息が掛かった者で構成されており、その実績も情報操作によって作り上げられた虚像に過ぎなかった。
彩芽をこの隊に入れたのも、それが問題視され始め対応策を考えていた上層部が、言わばかさ増しの為に引き入れられたのだ。
コミュニケーションを取らず個人行動が多いという事もあって、この問題を解決するのに適任であると考えたのだろう。
そして万が一何か問題が起こった時にも、どうでもいい孤児1人を捨てれば何とでもなると考えていたのだ。
だが上層部の腐敗を告発しようとした一部の人間や、当時情報部部長補佐だった浅葱留美子の協力により、彼女を新設の第六道隊に編入させ、かつ組織の改革へと繋がる事になった。
第二道隊についての証言も、上層部には想定外であろう彩芽が証人となってくれた事で証拠が揃っていったのだ。
彼女は個人主義であると同時に合理主義でもある為、怠慢により組織の運営資金を貪る彼等を邪魔に思っていた。
しかし彼等は曲がりなりにも組織の頂点と深い繋がりがあり、安易な行動は自分の首を絞めてしまうと考えて機会を狙っていただけ。実際はどちらかと言えば改革派の人間だったのだ。
こうして彩芽は獄卒しての存続が叶い、留美子を隊長とした多目的部隊に籍を置く獄卒として活動を続けられた。
この時学んだ事は、仲間全員の行動を鑑みた上で行動するのが最も合理的であるという事だった。
部隊の誰かにとって危険な任務だと判断すれば、拒否はしないまでもその隊員の安全を最優先した作戦を組むようになった。
しかしどれだけ時間が経とうと、与えられた任務は受領するのが当たり前という考えは離れなかった。
これは彩芽が、冥府全体を『家』として考えているからなのだろう。
冥府に見捨てられれば自分は生きていけない。そしてそのためには、任務をこなして存在意義を証明しなければならない。任務を拒否すれば存在意義がなくなり見捨てられるという妄想に縛られていた。
第二道隊の事件の際に証言したのも、あの状況で最も価値を証明出来ると判断しての行動であり、自分の責任として隊を追われるという話が出た時、数日間絶望し放心状態になっていたらしい。
そのどうしても拭い切れない不安と固定観念により、最も簡単な『拒否』という行動を脳内から消去してしまっていた。
4本目も吸い尽くした所で喫煙所を出て、今回もどうするのが最適解なのかと考えていた時だった。
「あ、あの、神楽、先輩」
意外にも夜空に声を掛けられ、もしや任務についての事だろうかと向き直って彼女の言葉を待った。
しかしその口から告げられたのは、あまりにも予想からかけ離れたものだった。
「私を、弟子にしてください!」
「・・・?」
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