【完結・番外編更新中】断罪劇をぶち壊したのは、すみっこのメモ魔です 〜気付けばとんでもないことになっていた〜

桜野なつみ

文字の大きさ
4 / 102

第4話 公爵家からの呼び出し


翌朝。
いつも通り、寝ぼけ眼で分厚い本を開き、誰に咎められるでもなく静かに過ごす――それがショウイン侯爵家三男、アトラスの日常だった。
期待もされず、叱責もされず、ただ「勉強でもしておけ」と言われて生きてきた彼の朝は、いつも同じ。

だが、その日は違った。

「アトラーース!!」

扉を叩き割らんばかりの声とともに、次兄ハイノスが怒鳴り込んできた。
ベッドの上で本を読んでいたアトラスは、のんきにページをめくる手を止め、ぽかんと顔を上げる。

「……お久しぶりです、兄上。えっと……ハイノス兄上、ですよね?」

「当たり前だ!」
顔を真っ赤にしたハイノスは、畳みかけるように叫んだ。

「それよりお前、今フォレスト公爵家からお迎えが来ている! “アトラスを出せ”と直々におっしゃっているんだ!」

「え? 何のご用事でしょう?」

「私が知るはずがないだろう! 一体何をしでかしたんだ、お前は!」

「え……いえ、その……特に何も……していないと、思うんですけど……」

「もういい! さっさと支度をして奥の間まで来い!」

ハイノスは吐き捨てるように言い、扉を勢いよく閉めて去っていった。
廊下を去りながら、拳を握りしめる。

(ああ、こんな日に限って兄上は家にいないし……いや、いても“まあいいじゃないか”で済ませるだけだ。役には立たん!)

こみ上げる苛立ちに胃がきりきりと痛む。
(今まで兄上だけが胃痛の元だったのに……アトラスまでも……! くそっ、この調子でいけば胃の次は髪まで犠牲に……いや、髪だけは死守してみせる!)

真剣な覚悟を胸に、ハイノスは頭を抱えた。

一方その頃、アトラスはため息をつき、ボサボサの頭をかいた。

「ああ……面倒だ。休みの日に、なんだろう……」

ぶつぶつ呟きながら、ようやくノロノロと支度を始める。



奥の間に向かうと、フォレスト公爵家の紋章を胸に刻んだ老執事が静かに一礼した。

「お待ちしておりました、ショウイン侯爵家三男アトラス様。ご同行を願えますでしょうか」

「え、あ、はい……」

執事の後ろをついて屋敷を出ると、黒塗りの馬車が待っていた。
扉が開かれ、アトラスは鞄を抱え直し、段差を確かめたつもりで足を掛け――

「わっ……!」

踏み外しかけた体を、執事の手がすっと支える。
「……す、すみません。ありがとうございます」

頬を赤くして頭を下げ、馬車に腰を下ろす。
膝の上で鞄を抱えながら小さく呟いた。

「……なんで僕は、いつもこういうところで失敗しちゃうんだろうなあ」

馬車は石畳を静かに進み、やがてフォレスト公爵家の壮麗な門をくぐる。



重厚な扉が開かれると、吹き抜けの玄関ホールが広がった。
大理石の床、左右に伸びる大階段、燭台の光が壁の絵画を照らす。
その中心に――エヴァリーンがいた。

深緑のドレスに身を包み、背筋を伸ばして立つ姿。
アトラスの目には輪郭がぼやけて細部まではわからない。けれど、不思議と「光の中に立つ女神様」のように見えた。

「ようこそいらしてくださいました。……あのときのノートの持ち主、ショウイン侯爵家のアトラス様ですね」

澄んだ声に、アトラスは慌てて頭を下げる。
「は、はい。僕、アトラスと申します」



客間に通される。深いソファ、香り高い茶器。慣れない空気に、アトラスは鞄を膝に抱えたまま小さく身を縮めた。

そのとき――

「おお、こいつが例の三男坊か!」

ドカドカと大股で入ってきたのは、フォレスト公爵本人だった。
従者も侍女も慌てて頭を下げる中、公爵は構わずアトラスの前まで来る。

「よくやったな、小僧! あのボンクラ王子の茶番をぶち壊してくれたとは!
ふん、あんな阿呆と縁が切れたのは我が家にとって幸運だ。エヴァリーンもせいせいしただろう?」

アトラスは思わず鞄を抱きしめ直し、目を瞬かせる。
「え、えっと……その……」

横でエヴァリーンが小さくため息をつき、口元に微笑を浮かべた。
「お父様、けれどセドリックが“わたくしを子爵家へ移す”などと口走っておりましたわ」

「はっ!」
公爵は鼻で笑う。
「そんなもの、認めるはずがないだろう! 跡継ぎも家の行く末も、すべて私が決める。出来の悪い弟の戯言など、聞くだけ無駄だ!」

「お父様……もう少しお言葉をお選びになったほうがよろしいかと」

「何だ、事実だろうが!」
公爵はますます声を張り上げる――が、すぐにふっと立ち上がった。

「さて、私はこれから王宮の会合だ。長居はできん。だが礼だけは言わせてもらおう。アトラス、よくやった。お前のおかげで我が家は救われた」
大股に歩きかけ、振り返る。
「ああ、そうだ。今日は泊まっていけ。夕食も一緒にとろうではないか!」

「え、えっと……僕なんかが……」

「決まりだ!」
手をひらひらと振って、公爵はあっという間に去っていった。重い扉が閉まる。

エヴァリーンが小さく笑う。
「ふふ……お父様はいつもあんな感じなのです。お気になさらず」

「は、はい……」

「それと――改めて。あのときのノート、ありがとう。あなたが差し出してくれなければ、わたくしは理不尽を受け入れさせられていたかもしれません」

「い、いえ。僕はただ、書いていただけで……」

エヴァリーンは侍女に目で合図を送った。奥の扉が開き、背筋の伸びた壮年の男と、革の道具箱を抱えた従者が姿を見せる。

「紹介しますわ。王都でも評判の眼鏡矯正師です。――あなた、遠くのものがよく見えていないのでしょう?」

アトラスは目を丸くする。
「えっ……な、なぜ」

「わたくしにノートを渡そうとして、侍女に差し出したでしょう。……あの瞬間に気づきましたの」

矯正師が恭しく会釈した。
「では、少々拝見いたします」
感想 146

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています

かきんとう
恋愛
 王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。  磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。  その中心に、私は立っていた。  ――今日、この瞬間のために。 「エレノア・フォン・リーベルト嬢」  高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。

ベールを上げた新郎は『君じゃない』と叫んだ

ハートリオ
恋愛
結婚式で新郎に『君じゃない』と叫ばれたのはウィオラ。 スピーナ子爵家の次女。 どうやら新郎が結婚する積りだったのは姉のリリウム。 ウィオラはいつも『じゃない方』 認められない、 選ばれない… そんなウィオラは―― 中世ヨーロッパ風異世界でのお話です。 よろしくお願いします。

「通訳など辞書で足りる」と追放された令嬢——三国会談で、婚約者は一言も話せなくなった

歩人
ファンタジー
宮廷通訳官エレノーラは五つの言語を操り、婚約者クラウスの外交を陰で支えてきた。 だがクラウスは言った。「通訳など辞書で足りる。お前は要らない」 追放されたエレノーラは隣国で新たな道を歩み始める。 一方、クラウスは三国会談の場で辞書片手に立ち往生。 誤訳が外交問題に発展し、窮地に陥ったその場に、隣国の通訳官として現れたのは——。 「その言葉は、もう翻訳できません」

刺繍妻

拓海のり
恋愛
男爵令嬢メアリーは魔力も無くて、十五歳で寄り親の侯爵家に侍女見習いとして奉公に上がった。二十歳まで務めた後、同じ寄り子の子爵家に嫁に行ったが。九千字ぐらいのお話です。

「退屈な女だ」と婚約破棄されたので去りましたが、翌日から国政が止まったそうです。え、私はもう存じませんけど?

にたまご
恋愛
公爵令嬢クラーラは、ユリウス王太子殿下に婚約を破棄された。 「退屈な女だ」「何の取り柄もない」と。 否定はしない。 けれど殿下が知らないだけで、通商条約も予算案も外交書簡も、この国の政務の大半を六年間匿名で回していたのは──この「退屈な女」だ。 婚約破棄の翌朝、宰相補佐官のレオンが焼き菓子と四十二件の緊急報告を携えて公爵邸を訪れる。 「貴女がいなくなった王宮は、控えめに申し上げて、地獄です」 ──存じません。私はもう、ただの無職ですので。

【完結】魔女令嬢はただ静かに生きていたいだけ

⚪︎
恋愛
 公爵家の令嬢として傲慢に育った十歳の少女、エマ・ルソーネは、ちょっとした事故により前世の記憶を思い出し、今世が乙女ゲームの世界であることに気付く。しかも自分は、魔女の血を引く最低最悪の悪役令嬢だった。  待っているのはオールデスエンド。回避すべく動くも、何故だが攻略対象たちとの接点は増えるばかりで、あれよあれよという間に物語の筋書き通り、魔法研究機関に入所することになってしまう。  ひたすら静かに過ごすことに努めるエマを、研究所に集った癖のある者たちの脅威が襲う。日々の苦悩に、エマの胃痛はとどまる所を知らない……

何もしなかっただけです

希臘楽園
ファンタジー
公爵令嬢であり王太子の婚約者であった私は、「地味だ」という理由で婚約を破棄され、王宮を去った。 それまで私が担っていた役目を、誰も知らないまま。 ――ただ何もしなくなっただけで、すべては静かに崩れていく。 AIに書かせてみた第14弾は、「追放ざまぁ」系の短編。

「ちょっと待った」コールをしたのはヒロインでした

みおな
恋愛
「オフェーリア!貴様との婚約を破棄する!!」  学年の年度末のパーティーで突然告げられた婚約破棄。 「ちょっと待ってください!」  婚約者に諸々言おうとしていたら、それに待ったコールをしたのは、ヒロインでした。  あらあら。婚約者様。周囲をご覧になってくださいませ。  あなたの味方は1人もいませんわよ?  ですが、その婚約破棄。喜んでお受けしますわ。