【完結・番外編更新中】断罪劇をぶち壊したのは、すみっこのメモ魔です 〜気付けばとんでもないことになっていた〜

桜野なつみ

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第6話 公爵家の夕餉


夕刻、公爵家の長卓。
銀器が灯りを返し、静かな弦の音が流れる。
上座にはフォレスト公爵オズワルドと夫人マリアンヌ、その隣にエヴァリーン。
アトラスは対面に座り、仮の眼鏡を指でそっと直した。末席には弟セドリックの姿もある。


夫人がアトラスの傍らに置かれた本へ目をやり、穏やかに微笑んで声色を変えた。
「〈ビアンコ語〉先ほどは図書館をご案内したけれど、その原典に目が留まったのね?」

アトラスは自然に返す。
「〈ビアンコ語〉はい。書影から十五世紀の版かと。脚注の綴りが古式でした」

公爵のフォークが止まる。
エヴァリーンが涼しい横顔のまま、さらりと切り替えた。
「〈ロッソ語〉その脚注、少し読んでいただける?」

「〈ロッソ語〉はい、分かりました」
アトラスは本を手に取り、短く朗読する。柔らかな発音、控えめな抑揚。
「〈ロッソ語〉……以上です」

オズワルドの口角が上がる。
「ならば――〈ネロ語〉これも分かるか?」

「〈ネロ語〉辞書を片手に、ですが。日常会話程度なら」

「……なんだ今の、何語だ?」
セドリックが小声で侍従に訊ね、侍従は困って目を逸らす。

エヴァリーンはグラスを置き、アトラスを見つめた。
「あなた、本当に“耳”がいいのね」

「はい。耳と朗読で覚えるのが、僕には一番です。黒板が見えなかったので、ずっと耳頼みと家の本で……。耳だけはよかったので、時々、港に行っては色々な言葉を聞いて覚えていました」

夫人は目を細めて頷き、公爵は「ほう」と短く笑った。
「面白い子だ」

卓に再び音楽が戻る。アトラスは仮の眼鏡越しに、燭台の炎がくっきりと揺れるのを見た。
世界の輪郭が、ひと線ずつ定まっていく。



この日のオズワルドは、いつもに増して饒舌だった。
よほど機嫌が良いのか、普段は口にしない王宮会合や社交界の裏話まで披露してみせる。

「今日の会合の後にな――」
ワイングラスを傾け、ガストン王の声音を真似る。
『まさか、シスタンがここまで愚かだとは思っていなかった。信じていたのに』

オズワルドは笑いを堪えきれず、声を震わせながらその時の自分の返答まで再現する。
『ははっ! お前、今さらか! 俺なんか十の頃から“伸びぬ”と見切っていたぞ!
てっきり陛下も分かっていて、だからうちのエヴァリーンを婚約者に据えたとばかり思っておったわ!』

――そのときの王の、なんとも言えぬ苦い顔まで真似てみせ、卓に小さな笑いが広がった。


「それから、あのルーリーとかいう小娘」
オズワルドはフォークを投げ出すように言葉を継いだ。
「社交界の奥方衆には散々笑いものにされておるらしいぞ。『学園ごときで得た取り巻きの声を王宮に持ち込むとは何事か』とな」

マリアンヌ夫人は涼やかに笑う。
「その通りですわ。私も最近、そのお話をよく耳にいたします。ですから、社交界では彼女の話題は誰も真剣に取り合っていませんの」

オズワルドは肩をすくめた。
「王宮でも同じだ。よくシスタン殿下に私室へ呼ばれているそうだが……その評判は最悪だ」

エヴァリーンは小さく息をつき、セドリックは居心地悪そうに視線を逸らした。



「バルド・ネクステージの件もあったな」
オズワルドはワインをくいと煽る。
「あのガレスの倅め、殿下の腰巾着をしていたことが露見して、ガレスは顔を真っ青にしていた。父親の騎士団長がわざわざ夜会に顔を出していたのも、息子の愚行を確かめるためだったそうだ」

「まあ……ガレス様もお気の毒に」
マリアンヌ夫人がため息をつく。
「あの方は真面目なお方ですから、余計にお辛いでしょうね」

オズワルドは鼻で笑った。
「結局、自分の目で息子の愚行を見届ける羽目になった。殿下、ルーリー嬢、息子までも……。あの場にいた者の冷ややかな目を思い出すに、やりきれず男泣きしておったわ」

そしてナイフを置き、ちらりとセドリックに視線を流す。
「――まあ、ガレスの家だけではない。我が家もどうなるか分からんがな!」

わざとらしいほど豪快に笑い飛ばしたその言葉に、卓の空気が一瞬凍りつく。
セドリックは顔を引きつらせ、ナプキンを握りしめた。





アトラスは視線を落とし、仮の眼鏡越しに炎の揺らぎを見つめた。
貴族たちの言葉の一つひとつが、人の立場を揺らし、家の未来さえ左右していく。

――これは、本で読んだ歴史や政争の記述ではない。
今、目の前で語られ、笑われ、嘆かれている出来事だ。
その一言で、人の評価も家の命運も変わっていく。

「世の中は、こうして動いていくのか」

胸の奥で小さな驚きと興奮が交じり合い、彼はその場に立ち会っている自分を強く意識した。
ただの傍観者であったはずの自分が、“この国の動き”を目撃している。
その感覚は、これまでにない確かな実感となって、アトラスの心に刻みつけられていた。
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