【完結・番外編更新中】断罪劇をぶち壊したのは、すみっこのメモ魔です 〜気付けばとんでもないことになっていた〜

桜野なつみ

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閑話 領地のお仕事

ユーグラス伯爵領。
領主館の執務室で、ハイノスは今日、三度目のため息をついた。

机の上には書類。
隣にも書類。
その向こうにも、書類。

(……量がおかしい)

王宮の財務部であれば、これでも「少ない方」なのだが、
ここは、つい先日まで、帳簿が「なんとなく」で回されていた土地だ。

「まずい……」

小さく呟き、ハイノスは無意識に腹部を押さえた。

(胃が……)

ここ数日、確実に調子が悪い。
環境の変化、仕事量、そして責任。

「……胃薬……」

革鞄を開け、いつもの箱を取り出そうとして――

「失礼いたします」

静かな声とともに、執事が入ってきた。

「お疲れでしょう。よろしければ、こちらを」

差し出されたのは、湯気の立つカップだった。
淡い緑がかった色。

「……これは?」

「領内で採れる薬草を使った、ハーブティでございます」
「代々、胃の不調に効くとされておりまして」

ハイノスは一瞬、疑わしそうな顔をした。

(この領地、そんなものまであるのか……?)

だが、断る理由もない。
彼はカップを受け取り、慎重に一口含んだ。

――次の瞬間。

(……え?)

温かさが、すっと胃に落ちる。
刺すような違和感が、和らいでいく。

「…………効いている」

思わず、素で口に出た。

執事は小さく微笑む。

「そうでしょう」
「先代の頃は、あまり顧みられませんでしたが……」
「この薬草は、土地の誇りでもありました」

ハイノスは、カップを見つめたまま考え込む。

(胃薬……薬草……)

脳裏に、王宮の書庫で見た資料がよぎる。
輸入薬品の価格。
戦時の供給問題。
医療の地域格差。

(……待て)

もう一口、今度はゆっくり味わう。

「この薬草、他にも効能は?」

「はい。胃腸だけでなく、緊張緩和、軽い鎮痛にも」
「乾燥させれば保存も効きます」

ハイノスは、静かにカップを置いた。

(これは……)

ただの「民間療法」ではない。
管理、精製、流通を整えれば――

「……執事殿」

声が、官僚のそれに変わる。

「この薬草の分布、採取量、過去の使用記録を出してください」
「可能であれば、周辺領地の自生状況も」

執事は一瞬目を見開き、すぐに深く頭を下げた。

「承知いたしました」

扉が閉まる。

執務室に残されたハイノスは、再びハーブティに手を伸ばした。

(この領地……)

財務的には、問題だらけ。
インフラも遅れている。
人も、傷ついている。

だが――

(資源は、眠っている)

剣を振るわずとも、国を守る方法はある。
この土地は、穀倉地帯ではない。
軍事拠点でもない。

けれど。

(“国の薬箱”に、なれるのではないか)

胃の奥が、先ほどよりも軽い。

「……皮肉なものだな」

まさか、自分のこの体質が役に立つことになるとは。

ハイノスは、書類に新しい項目を書き加える。

《薬草資源調査計画(仮)》

その文字を見て、ふっと小さく笑った。

「……サリーナ様に、報告せねばな」

領主として、彼女が立つために。
自分は、補佐として、できることをする。

ハーブティを飲みながら、国を考える。

それが、
今のハイノス・ショウインの立ち位置だった。

そしてこの小さな発見が、
やがてこの領地を――
王国の命を支える場所へと変えていくことを、
まだ誰も知らない。
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