【完結・番外編更新中】断罪劇をぶち壊したのは、すみっこのメモ魔です 〜気付けばとんでもないことになっていた〜

桜野なつみ

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第66話 上書きできないもの

石の天井は、低かった。

実際に低いわけではない。
だが、視線を上げても、逃げ道になるものは何もないと分かっている場所では、天井はいつも低く感じられる。

アトラスは、与えられた部屋の壁際に座っていた。
寝台と水差し。
それだけが置かれた簡素な部屋だ。

拘束はない。
だが、自由でもない。

扉の外に、人の気配がある。
数は分からないが、一定の距離を保って立っているのが、音で分かる。

(……音が、一定だ)

歩哨の交代。
金属の擦れる音。
靴底が床に触れる位置。

無意識に、情報を拾ってしまう。
それがもう、自分の性分なのだと、分かっている。

今日の尋問は、終わった。
だが、終わったという感覚はなかった。

問いは、尽きていない。
むしろ――

(方法を、変えると言っていた)

ヴァルギス・シグラスの声を思い出す。
冷たく、しかし感情のない声。

「尋問の方法を、改めねばならぬ」

それは、諦めではない。
方向転換だ。

アトラスは、膝の上で手を組んだ。

(……奇妙だ)

自分がしたこと。
書いたこと。
聞いたこと。

それらは、すべて事実だ。
誇張も、歪曲もない。

それなのに。

(“正しい”というだけで、ここまで不都合になるとは)

最初は、自分の記録が疑われているのだと思っていた。
不正があったのではないか。
書き換えたのではないか。

だが、違う。

(疑われているのは、内容じゃない)

思考が、静かに組み上がっていく。

紙片は、本物だった。
自分の字だった。
切り取られた頁も、確かに自分が書いたものだ。

そして、それを使った者たちは――
自分が「嘘をつかない」ことを、知っている。

(……だから、消すしかない)

この結論に辿り着いた瞬間、
背筋に、遅れて冷えが走った。

嘘を書かない。
覚えてしまう。
聞いたことを、そのまま残す。

それは、守るべき美徳ではない。
この場所では、排除すべき性質だ。

(僕がいる限り、“上書き”ができない)

記録を否定することはできても、
記録者が生きていれば、いつか照合される。

だから――

(これは、僕個人の罪じゃない)

誰かを陥れたわけでも、
企みに加担したわけでもない。

ただ、そこに居て、聞いて、書いた。

それだけで、消す理由になる。

アトラスは、ゆっくりと息を吐いた。

不思議と、恐怖はなかった。
代わりにあったのは、理解だった。

(……父上なら、きっと分かる)

(兄上たちも)

(マクシム殿下、エヴァリーン様も……)

自分が、どんな立場に置かれているのか。
何が起きようとしているのか。

直接、伝えることはできない。
だが、残っているものはある。

(残った記録が、僕の代わりに語る)

そして、はっきりと思う。

(僕が消えても、記録は残る)

(きっとそれは――真実を、もたらす)

それなら、自分がすべきことは一つだ。

(……余計なことを、言わない)

混乱させない。
相手に材料を渡さない。

ただ、聞かれたことにだけ、答える。

その時、廊下の奥で足音がした。

近づいてくる。

それは、これまで聞いてきた衛士の足音とは、
わずかに違っていた。

歩幅。
床を踏む位置。
金属の触れ合う間合い。

(……ああ)

アトラスは目を閉じて、呼吸を整える。

何を運んでくるのか。
誰が来るのか。

――それを考える必要は、もうなかった。

足音は、扉の前で止まった。

アトラスは、静かに待っていた。
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