【完結・番外編更新中】異世界令嬢生活は、思ったよりもしんどいです。

桜野なつみ

文字の大きさ
12 / 24

第12話 夜明け前

しおりを挟む
俺はレオンハルト・フェルゼンヴァルト。
ここ辺境伯爵領を治めるフェルゼンヴァルト家の長男だ。

フェルゼンヴァルト家は、元々は王家の出であり、親父は現国王の弟である。
我が国の辺境伯爵というのは世襲ではなく、その時代でもっとも辺境を守るに値すると証された者が、国王により任命される。
……まあ息子の俺が言うのもなんだが、親父は強い。その下に持つ騎士団も強い。今代の辺境伯は「歴代一の武力」とまで言われている。

俺自身もこの辺境が好きだ。
王都の貴族学園にいた四年間は、正直息が詰まりそうだった。
一年目はロマイシン公爵家に滞在して通っていたからまだ良かったが、残りの三年間の寮生活は最悪だ。
王家の血を引くせいか揉め事の仲裁を何度もやらされ、「王族らしく振る舞え」と求められる。似合わない紳士を演じるしかなくて、何度「殴ってやりたい」と思ったことか。

……いや、もちろん暴力に訴えるわけにはいかないんだが。



ロマイシン家に滞在していた一年間、クラリスはまだ十歳。
それはそれは淑やかな公爵令嬢で、王都の「理想的なお嬢様」そのものに見えた。

だが実は、俺はもっと前――六歳の頃にも会っている。
親父に連れられて誕生祝いを届けに来た時、生後半年のクラリスを抱かせてもらった。
驚いたのは、ロマイシン公爵が赤ちゃん言葉でオムツを替えていたこと……ではなく。

赤子の口からはっきりと飛び出した「ボケェ!」という言葉だった。

大人たちは「空耳だ」と笑って片づけたが、俺にはそうは思えなかった。
辺境でも滅多に聞かない言葉を、喋れぬ赤子が吐いたのだ。あれは確かに「ボケェ」と言っていた。

その確信は、十歳のクラリスを見て強まった。
表向きは淑女然としているのに、屋敷の片隅で時折ぶつぶつと呟いていたからだ。

「こんなもん覚えてどないなるねん、ボケェ」
「ダンス何種類あるねん、一個でええやろ!」
「あああ、カニカンは積むんやなくて食べたいわあ」

意味は半分も分からなかったが、妙に笑えて仕方がなかった。
気づけば俺は、クラリスが行きそうな場所を先回りして、その独り言を聞くのを楽しみにしていた。

他の誰も知らない一面。
淑やかな顔の奥に、イタズラっぽい光を隠しているクラリス。
――それが俺にとってのクラリスだった。



だから、再会の時に声を張り上げてしまったのだ。
あのクラリスが俯き、目を合わせようともしない。信じられなかった。

事情を聞いて、学園の歪みと悪意に吐き気がした。
人をここまで追い込むような仕打ちをする貴族が同じ場所で笑っている――そう思うと、怒りで胃が煮えるようだった。

だからこそ、クラリスにはどうしても幸せになってもらいたい。
そのために、ステラとリクロー、二人と力を合わせることにした。

彼らは王都の「貴族然」とした同年代とは違い、とても気持ちの良い奴らだ。
そんな彼らとクラリスとの生活。

外を散歩し、一緒に食卓を囲み、ときに本を読み聞かせる。
ほんの少しずつだが、クラリスの表情に赤みが戻っていくのが分かった。

ただ、食欲はまだ戻らない。
食べてはいるが「美味しい」と感じているようには見えなかった。
あの、思い切り「美味しい!」と叫んで笑っていたクラリスの顔……あれは何を食べていた時だったか。



そんな日々を過ごしていたある日、父と公爵から「ステラとリクローは学びに戻せ」との通達が届いた。
二ヶ月以上この生活をしているのだから、学びの機会を奪ってはいけない。
「辺境伯が責任を持つ」という条件のもと預かっている以上、当然のことだった。

「――というわけで、お前たちは今日から朝から晩まで勉強だ!」

二人は分かりやすく不満な顔になった。

「ええっ、クラリス様のお散歩は?」
「俺がやる」

「クラリス様とのお話は?」
「俺がやる」

「……ずるい!」

二人同時に泣きそうな顔をしたのが可笑しくて、思わず大笑いした。
本当に良い友人を持ったものだ、クラリスは。

「これからのクラリスを支えたいのなら、学べ。経験しろ。お前たちがここで得るもの全部が、クラリスのためになる」

「「わかりました!」」

「いい返事だ。それに免じて、食事は一緒にと父に伝えておいたぞ」

「「頑張ります!」」

……まったく、可愛い奴らだ。
それから彼らは食事の時以外、必死に辺境伯の講師陣に食らいついていると聞く。



さて、今日はクラリスと市場へ行ってみよう。
不思議なことに、彼女は大声に怯えるのに、人のざわめきには平気だった。
むしろ市場の賑わいを好み、興味深そうに歩いていた。

果物、焼き菓子、色とりどりの布。
その中でクラリスが足を止め、じっと見つめたのは一つの屋台だった。
籠に盛られた濃い赤の豆。

「これは……?」と尋ねると、豆売りは「赤豆だ」と素っ気なく答えた。
どこかで見たことがある気がするが、どうしても思い出せない。

深く考えず、とりあえず買って帰ることにした。

この赤豆が――
クラリスの心を解き放つきっかけになるとは、その時の俺は知る由もなかった。



レオン文庫

『夜明け前』(島崎藤村/日本)
夜は深く、長く、時に人を凍らせる。
けれど必ず、夜は明ける。

彼女が再び笑うその時を信じ、俺たちは共に歩き始めた。
しおりを挟む
感想 20

あなたにおすすめの小説

転生後はゆっくりと

衣更月
ファンタジー
貧しい集落で生まれたリリは、生まれた瞬間から前世の記憶があった。 日本人特有の”配慮”に徹した赤ん坊を演じていたことで、両親から距離を置かれた挙句、村人からも「不気味な子」として敬遠されることに…。 そして、5才の誕生日に遠くの町に捨てられた。 でも、リリは悲観しない。 前世の知識チートは出来ないけど、大人メンタルで堅実に。 目指すは憧れのスローライフが出来るほど、ほどほどの守銭奴としてリリは異世界人として順応していく。 全25話(予定)

「婚約破棄された転生令嬢ですが、王城のメイド五百人に慕われるメイド長になりました。なお元婚約者は私のメイドに土下座中です」

まさき
恋愛
社畜OLとして過労死した私は、異世界の令嬢・アリア・ヴェルナーに転生した。 目が覚めたら、婚約破棄されていた。 理由は「地味で面白みがない」から。 泣く暇もなかった。翌朝、王城のメイド採用面接に向かった。 最初は鼻で笑われた。雑用係からのスタートだった。 でも——前世で叩き込まれた仕事術と、一人ひとりの話を聞く姿勢で、少しずつメイドたちが集まってきた。 厨房が変わった。リネンが変わった。王城全体が変わっていった。 そして就任スピーチで宣言した。 「500人全員の名前を、覚えます」 冷酷と噂される王太子は、静かに見ていた。 悪役令嬢は妨害を仕掛けてきた。 元婚約者は——後悔し始めていた。 婚約破棄された令嬢が、500人に慕われるメイド長になるまでの物語。 なお元婚約者は、私のメイドたちの前で土下座中です。

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

社畜の私は異世界でも社畜精神が残ったままだった

木嶋うめ香
恋愛
貴族学園の小さな部屋で、私は一人書類仕事に追われていた。 今日も寮には帰れそうにない、机の上には大量の未処理の書類。 せめて空腹を紛らわそうと、ビスケットを鞄から取り出し水を汲んでこようとして立ち上がった途端、視界が暗くなり倒れた。 床に倒れた反動で、頭を床にぶつける。 その衝撃で思い出した、私は前世ブラック企業に勤めていた社畜で、二十三連勤サービス残業付きの末、体調を崩し亡くなったアラサー営業職だった。 他サイトでもアップしています。

平手打ちされたので、婚約破棄宣言に拳でお答えしました

Megumi
恋愛
婚約破棄を告げられ、婚約者に平手打ちされた——その瞬間。 伯爵令嬢イヴの拳が炸裂した。 理不尽に耐える淑女の時代は、もう終わり。 これは“我慢しない令嬢”が、これまでの常識を覆す話。

最弱白竜ですが、なぜか学園最強の銀竜に番認定されました

斉藤めめめ
恋愛
竜の血を引く者だけが貴族になれるこの世界で、白竜は最も格の低い竜の証。 白竜の男爵令嬢リーゼロッテは、特待生として国内最高峰の王立竜騎学園に入学する。待っていたのは上位貴族からの蔑みと、学園を支配する四人の御曹司「四竜」。 その筆頭、銀竜公爵家の嫡男ルシアンに初日から啖呵を切ったリーゼは、いじめと嫉妬の嵐に巻き込まれていく。 それでも彼女は媚びない、逃げない、折れない。 やがてルシアンはリーゼから目が離せなくなり―― 白竜の少女が、学園と王国の運命を変える。 身分差×竜×学園ラブファンタジー、開幕。

目覚めたら大好きなアニメの悪役令嬢でしたが、嫌われないようにしただけなのに全員から溺愛されています

月影みるく
恋愛
目を覚ましたら、大好きだったアニメの世界。 しかも私は、未来で断罪される運命の悪役令嬢になっていた。 破滅を回避するために決めたことはただ一つ―― 嫌われないように生きること。 原作知識を頼りに穏やかに過ごしていたはずなのに、 なぜか王族や騎士、同年代の男女から次々と好意を向けられ、 気づけば全員から溺愛される状況に……? 世界に一人しかいない光属性を持つ悪役令嬢が、 無自覚のまま運命と恋を変えていく、 溺愛必至の異世界転生ラブファンタジー。

ブスすぎて嫁の貰い手がないから閨勤侍女になれと言われたので縁を切ります、完全に!完全縁切りの先にあったのは孤独ではなくて…

ハートリオ
恋愛
ルフスは結婚が決まった従姉の閨勤侍女になるよう父親に命令されたのをきっかけに父に無視され冷遇されて来た日々を終わらせようとブラコン父と完全に縁を切る決意する。 一方、従姉の結婚相手はアルゲンテウス辺境伯とのことだが、実は手違いがあって辺境伯が結婚したいのはルフス。 そんなこんなの異世界ファンタジーラブです。 読んでいただけると嬉しいです。 2/26 番外編を投稿しました。 読んでいただけると嬉しいです。 思っていたよりずっとたくさん読んでいただいていてとても嬉しいです。 とてもとてもありがとうございます!!   

処理中です...