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第14話 風立ちぬ
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風立ちぬ――いざ、生きめやも。
それでも胸の奥の風はまだ息をひそめている。私は今日も、戻り方を探している。
◇
それからの私は、一気に良くなる――とはいかなかった。
前世でいう「鬱病」の状態になっていたのだろう。
上がったり下がったりを繰り返しながらも、少しずつ、上にいられる時間が長くなっていった。
無理をすると、ふいに落ち込んで寝込んでしまうこともあった。
けれど、この辺境の開放的な空気が、心をじわりと上向きにしてくれる。
それに、ステラとリクロー、そしてレオンハルト様たちの細やかな気遣いが、落ち込んだ自己評価を少しずつ引き上げてくれた。
正直に言えば、前世の私は「鬱になるなんて、弱いから」とどこかで思っていた。
けれど自分がそうなって初めてわかった――『誰でもなってしまう』のだと。
冷えや免疫低下で風邪をひくように、心だって条件が悪ければ風邪をひく。
私の場合はかなり特殊だ。
まず、この世界にいる「自分」を信じられなかったことが、いちばんの原因。
そしてもう一つの大きな原因は、周りからのイジメ――いや、イジメという言葉では軽すぎる。
あれは完全に「傷害」であり「器物損壊」である。前世の法で見るならば。
ステラが回収してくれた物的証拠はあった。だが実際の被害は、あれだけではない。
教室の陰で、誰にも見えない位置で、私は何度も痛めつけられた。
目立たないように――針、鋏。突然、耳元で叫ばれる。そんなことがずっと続いていたのだ。
私は毎日日記をつけていたから、その記録も残っている。
あのようなことをされ続け、「公爵令嬢としてふさわしくない私は存在してはいけない」と自分で自分を追い詰め、あの場所に滑り落ちてしまった。
正直、あいつらは許せない。
どうにか仕返しをしてやりたい。
でも私にそんなこと、できるのかしら……。
仕返しをしたら、スッキリするのかしら……。
そんなふうに胸の内がもやもやしていたとき、レオンハルト様が来て、きっぱりと言った。
「クラリス、奴らに仕返しをしてやろう!」
「はぁっ?」
……あかん。なぜかレオンハルト様の前では、いつも気が抜けて変な返事をしてまう。
私は慌てて背筋を伸ばし、仕切り直す。
「なんと、仰いましたか?」
「クラリス~、さっきのでいいのにな。……ま、いいや。仕返しだよ、仕返し! 王都のお前のクラスの奴らに、きっちり“お返し”してやろう!」
「レオンハルト様。そのような大人気ない……」
「大人だからこそ、きっちり“正当なやり方”で仕返ししてやるんだよ」
ニヤリと笑うレオンハルト様。
「な、やるだろ?」
「え、ええ、それは、まあ、してやりたいこともなくはないと言えばなくは無くて」
「いいな! じゃあ、俺と婚約してくれ!」
「はぁぁぁぁ???」
――一気に訳のわからないところに来ましたー!
「な、なんで、そないなことになるんですか?」
「えー、クラリス。イヤか? 俺と婚約するの。俺はお前の小さい頃から、けっこう意識してたんだけどなぁ~」
「……なん、と、? え……?」
「面白いんだよ、お前。本当に。
“スンッ”と澄ました顔と、ふいに漏れるその変な言葉。
それに今回だ。周りを守ろうとして、自分だけが被ったお前。――とても、愛しいなと、俺は、思ってしまった」
(鼓動が、跳ねた。)
レオンハルト様は、急に吃りはじめ、みるみる顔を真っ赤にして、最後にはそっぽを向いてしまった。
そして――
「どうだ? 俺と……婚約しないか? いや、してくれ、ないか?」
横を向いたまま、耳まで赤くしておっしゃる。
その横顔が、どうにも可笑しくて、どうにも愛おしい。
「レオンハルト様。なんでそないにそっち向いてはるんですか? なんかええもん、見えはりますか?」
「クラリス、ごめん。何を言われてるのかわからない」
そっぽを向いたままの返答。――おっと、イケズの虫が出てしもた。
「レオンハルト様。どうして違うところをご覧になっているの?」
「急に、恥ずかしくなったんだよ!」
「……ふふ。ありがとうございます」
礼を言うと、レオンハルト様はぱっとこちらを向き直った。
「じゃあ、いいのか?」
「いえ、すぐにお返事はできかねます。レオンハルト様が、弱った私への同情でそのようなお気持ちになっておられる可能性もあるかと存じます。……ただ、とても嬉しいのです。
私は、まだ本調子ではありません。まだまだご迷惑をおかけするかと。私が回復するまで、結論をお待ちいただけますか?」
「もちろんだ! 本当は“絶対に同情じゃない”と言いたいところだけど、クラリスはそれじゃ納得しないだろう。だから、待つ。
でも、俺のことを少しは意識してくれ。六つ年上だし、赤子のお前の姿も知っているけど、俺は冗談抜きで本気のつもりだ」
「はい」
「お前の“初めての言葉”も知ってるしな!」
「も、もう、それは……やめてください……」
「“ボケェ!”な!」
「ほんまに、もう、やめて……」
「ははは! 俺のこんな言葉に“ボケェ!”で返せるようになったら、本調子だな!」
カーテンがふわりと鳴り、砦の旗が小さくさざめいた。
風立ちぬ――いざ、生きめやも。
◇
クラリス文庫
『風立ちぬ』(堀辰雄/日本)
喪失ののちに訪れるのは、喧噪ではなく静かな決意。
「いざ、生きめやも」の一行は、私の今日を支える合言葉。
――風は“待つ”ものじゃなく、“通す”もの。私は、通れるように窓を開けておく。
それでも胸の奥の風はまだ息をひそめている。私は今日も、戻り方を探している。
◇
それからの私は、一気に良くなる――とはいかなかった。
前世でいう「鬱病」の状態になっていたのだろう。
上がったり下がったりを繰り返しながらも、少しずつ、上にいられる時間が長くなっていった。
無理をすると、ふいに落ち込んで寝込んでしまうこともあった。
けれど、この辺境の開放的な空気が、心をじわりと上向きにしてくれる。
それに、ステラとリクロー、そしてレオンハルト様たちの細やかな気遣いが、落ち込んだ自己評価を少しずつ引き上げてくれた。
正直に言えば、前世の私は「鬱になるなんて、弱いから」とどこかで思っていた。
けれど自分がそうなって初めてわかった――『誰でもなってしまう』のだと。
冷えや免疫低下で風邪をひくように、心だって条件が悪ければ風邪をひく。
私の場合はかなり特殊だ。
まず、この世界にいる「自分」を信じられなかったことが、いちばんの原因。
そしてもう一つの大きな原因は、周りからのイジメ――いや、イジメという言葉では軽すぎる。
あれは完全に「傷害」であり「器物損壊」である。前世の法で見るならば。
ステラが回収してくれた物的証拠はあった。だが実際の被害は、あれだけではない。
教室の陰で、誰にも見えない位置で、私は何度も痛めつけられた。
目立たないように――針、鋏。突然、耳元で叫ばれる。そんなことがずっと続いていたのだ。
私は毎日日記をつけていたから、その記録も残っている。
あのようなことをされ続け、「公爵令嬢としてふさわしくない私は存在してはいけない」と自分で自分を追い詰め、あの場所に滑り落ちてしまった。
正直、あいつらは許せない。
どうにか仕返しをしてやりたい。
でも私にそんなこと、できるのかしら……。
仕返しをしたら、スッキリするのかしら……。
そんなふうに胸の内がもやもやしていたとき、レオンハルト様が来て、きっぱりと言った。
「クラリス、奴らに仕返しをしてやろう!」
「はぁっ?」
……あかん。なぜかレオンハルト様の前では、いつも気が抜けて変な返事をしてまう。
私は慌てて背筋を伸ばし、仕切り直す。
「なんと、仰いましたか?」
「クラリス~、さっきのでいいのにな。……ま、いいや。仕返しだよ、仕返し! 王都のお前のクラスの奴らに、きっちり“お返し”してやろう!」
「レオンハルト様。そのような大人気ない……」
「大人だからこそ、きっちり“正当なやり方”で仕返ししてやるんだよ」
ニヤリと笑うレオンハルト様。
「な、やるだろ?」
「え、ええ、それは、まあ、してやりたいこともなくはないと言えばなくは無くて」
「いいな! じゃあ、俺と婚約してくれ!」
「はぁぁぁぁ???」
――一気に訳のわからないところに来ましたー!
「な、なんで、そないなことになるんですか?」
「えー、クラリス。イヤか? 俺と婚約するの。俺はお前の小さい頃から、けっこう意識してたんだけどなぁ~」
「……なん、と、? え……?」
「面白いんだよ、お前。本当に。
“スンッ”と澄ました顔と、ふいに漏れるその変な言葉。
それに今回だ。周りを守ろうとして、自分だけが被ったお前。――とても、愛しいなと、俺は、思ってしまった」
(鼓動が、跳ねた。)
レオンハルト様は、急に吃りはじめ、みるみる顔を真っ赤にして、最後にはそっぽを向いてしまった。
そして――
「どうだ? 俺と……婚約しないか? いや、してくれ、ないか?」
横を向いたまま、耳まで赤くしておっしゃる。
その横顔が、どうにも可笑しくて、どうにも愛おしい。
「レオンハルト様。なんでそないにそっち向いてはるんですか? なんかええもん、見えはりますか?」
「クラリス、ごめん。何を言われてるのかわからない」
そっぽを向いたままの返答。――おっと、イケズの虫が出てしもた。
「レオンハルト様。どうして違うところをご覧になっているの?」
「急に、恥ずかしくなったんだよ!」
「……ふふ。ありがとうございます」
礼を言うと、レオンハルト様はぱっとこちらを向き直った。
「じゃあ、いいのか?」
「いえ、すぐにお返事はできかねます。レオンハルト様が、弱った私への同情でそのようなお気持ちになっておられる可能性もあるかと存じます。……ただ、とても嬉しいのです。
私は、まだ本調子ではありません。まだまだご迷惑をおかけするかと。私が回復するまで、結論をお待ちいただけますか?」
「もちろんだ! 本当は“絶対に同情じゃない”と言いたいところだけど、クラリスはそれじゃ納得しないだろう。だから、待つ。
でも、俺のことを少しは意識してくれ。六つ年上だし、赤子のお前の姿も知っているけど、俺は冗談抜きで本気のつもりだ」
「はい」
「お前の“初めての言葉”も知ってるしな!」
「も、もう、それは……やめてください……」
「“ボケェ!”な!」
「ほんまに、もう、やめて……」
「ははは! 俺のこんな言葉に“ボケェ!”で返せるようになったら、本調子だな!」
カーテンがふわりと鳴り、砦の旗が小さくさざめいた。
風立ちぬ――いざ、生きめやも。
◇
クラリス文庫
『風立ちぬ』(堀辰雄/日本)
喪失ののちに訪れるのは、喧噪ではなく静かな決意。
「いざ、生きめやも」の一行は、私の今日を支える合言葉。
――風は“待つ”ものじゃなく、“通す”もの。私は、通れるように窓を開けておく。
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