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第16話 斜陽
しおりを挟む学園の温室は、いつでも春だった。
柑橘の白い花が甘く香り、薔薇はいまを盛りと咲き誇っている。
薄い硝子越しの陽は、若さの匂いにも、腐りかけの匂いにも、同じだけの光を与えた。
「――フローラ。お前は、きっと俺の“側近”になる」
第一王子タイレルが、掌で蕾をもてあそびながら言う。
フローラはわざとらしく肩をすくめ、首を傾げて問うた。
「側近、ですって? まあ! わたし、あなたの“何”かしら?」
「生意気だな。……だが、それくらいの方が、王妃にはいいのかもしれん」
「うふふ。最初から“王妃”って、はっきり仰ってくださいな」
取り巻きたちが、順番に笑い声を重ねる。
笑いが重なるほど、彼らの纏う甘い砂糖衣は、その厚みを増していく。
「お前たちも用意はいいな?」
王子が周りへ視線を巡らせる。「卒業夜会だ。成績上位者は壇上に呼ばれる。私の内示も、そこで下りる」
「ええ。筆頭侍女の席も、空けておいてね?」
フローラが温室の果実で淹れた茶を一口ふくみ、にこりと笑う。「このクラスの“平和”を保つの、本当に大変だったのよ」
「それに協力してくれた女性も、たくさんいるんですから」
「そうだな。二年の――あれが良い見せしめになった」
タイレルが笑い、皆が同調して頷いたり、鼻を鳴らして笑ったりする。
まるで厄介な敵を打ち払った功績を讃えられたかのような顔で。
「逆らう奴らは、勝手に成績を落としていった。気がつけば、このクラスには上位は我々だけが残ったのだ」
「……ねえ、タイレル様。卒業夜会のわたしのドレスは、贈ってくださるの?」
「ふふん。もちろんだ。王妃にふさわしいものを」
「うれしい……平民のわたしなのに。そんなものいただいていいのかしら」
「もうすぐ私の“妹”になるんだ」
傍らの侯爵令息が言う。フローラはたちまち声音を変えた。
「まあ。ありがとうございます、お兄様」
「首飾りはやはりサファイアでは?」「髪飾りはプラチナでしょう」「王妃には純白がお似合いになりますよね」
取り巻きが口々に重ねる。
フローラは唇の端で笑い、ゆっくりと囁いた。
「そういえば――あいつ、どうしているのかしら」
「誰のことだ?」
「決まってるじゃない。ほら、ボロボロの公爵令嬢」
「はは。あれは良かった」
王子は指先で花びらを千切り、空気に浮かべてみせる。
「耳元でちょっと叫べば――“きゃっ”と鳴く。あの鳴き声は可愛かったな」
「え? あの公爵令嬢様を可愛いって仰るの? タイレル様?」
「いや、もちろんフローラ、お前の方が可愛いよ」
「うふふ、ありがとう……。そういえば、机の中に、ちょっとした“お守り”を入れて差し上げたこともあるわ」
フローラは、花の陰で微笑む。
「針と、糸と、紙切れ。『気をつけてね』って」
「躾というものだ。身の程を知れば、皆うまく回る。――なあ?」
周りの取り巻きが、ここぞとばかりにクラリスの悪口を言いたてる。
王子は頷き、軽い口調で締めた。
「夜会が楽しみだ。お前は私の隣に立て。……あいつの席は、最初から、ない」
明るい笑い声。
熱帯の花粉のように軽く、甘く、しつこい笑い。
やがて彼らは、温室の硝子扉を押して出ていった。
甘い気配だけが、しばらく空中に残る。
静寂。
頭上の鉄骨の影で、気配がひとつ、ふっと薄くなる。
黒い影が梁から梁へすべるように移動し、光の落ちない隅で完全に姿を消した。
△△△
監視記録(抜粋)
• 日時:王立貴族学園 第四学年・卒業夜会前週/午後
• 場所:学内温室・西棟「シトラスルーム」
• 対象:第一王子タイレル/フローラ/同調者数名(侯爵令息ほか)
• 記録方法:天井部より定点観察(無音)、記憶
会話抜粋
• 「フローラ。お前は俺の“側近”になる」
• 「側近? 王妃でしょう?」
• 「二年の“騒動”が見せしめになった」
• 「逆らう者は勝手に落ちていく」
• 「耳元で一声かければ“鳴く”。鳴き声は可愛かった」
• 「机の中に“お守り”(針、糸、紙)を入れてあげた」
• 「夜会では私の隣に。――あの子の席は最初からない」
所見(記録者メモ)
• “見せしめ”という語の反復。自覚と誇示あり。
• 具体的手口の断片(耳元での威嚇/針の混入/筆記)を示唆。
• 役職・席順を既得として語る傾向。
• 終始、相互賛同で補強。反対意見なし。
転送
• 記録№:E-4G-温室西-17
• 送付先:王家監察局・辺境連絡窓/ロマイシン公爵家監査箱
• 添付:植栽上部スケッチ/座位配置図
◇
影文庫
『斜陽』/太宰治(日本)
没落ゆく家の女たちが、誇りと甘さと虚勢のあいだでもがきながら、夕日の中を歩いていく物語。
陽はまだ暖かいのに、影だけが長くなるとき、人の笑いはなぜか大きく、軽くなる。
影の私記
温室を出る彼らの背中に、斜めの陽がよく似合っていた。
記録は誰のもとでも公平に。
次は、光の下で開示する。
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