【改稿版】光を忘れたあなたに、永遠の後悔を

桜野なつみ

文字の大きさ
17 / 26

第16話 この手が壊したもの

しおりを挟む

薄曇りの朝。
空気はどこか錆びつき、肌にまとわりつくような重たさがあった。

リュシアンは、打ち捨てられたような離宮の前で、しばし立ち尽くしていた。
この扉の向こうに、彼女の“最後”がある──そう思うだけで、胸の奥がぎゅう、と締めつけられる。
息が浅くなり、喉の奥がひりつき、心臓の鼓動が荒く跳ねた。

逃げ出したいほどに、苦しかった。
けれど──それでも彼は、手を伸ばした。

軋む音を立てて、扉がわずかに開く。
空気が変わる。
時が凍ったような静寂が、彼の全身を包み込んだ。

その奥にあるのは、フィアナが最期を迎えた部屋。

一歩、足を踏み入れる。
かすれた声で、祈るように愛しい名を呼んだ。

「……フィアナ……」

その瞬間、窓の隙間から淡い光が差し込み、静かに精霊が現れた。

──そして、記憶が、始まった。




最初に映ったのは、かつての祝宴の席。
笑うフィアナの隣で、冷たく視線を外す自分。

「エルノアの方が似合っている。君は……場にふさわしくない」

その一言で、フィアナの笑顔が崩れた。

「申し訳……ございません……」

小さく、震える声。
背を向けて立ち去るその背中を、自分は見送ることすらしなかった。




場面が変わる。
木漏れ日の下、エルノアと双子とリュシアンが、まるで“本当の家族”のように笑い合っていた。

その隅に、静かに立ち尽くすフィアナの姿。

「泣いた顔で来るな。子供達に悪影響だ。……去れ」

打ちつけるような言葉に、フィアナの肩が小さく震える。

「……はい……申し訳、ありません……」

それは、誰にも届かないほどに小さく、けれど胸を刺すような声だった。

「ああ……フィアナ……」

過去の自分が吐いたその言葉を、今すぐにでも取り消したいと思った。




また別の場面。
剣帯を手にした自分が、それを無造作に放り捨てる。

「こんな古臭いもの、誰が使うか」

足で踏みつけ、踵を返す。
それは、かつてフィアナが丹精込めて織ってくれたものだった。

拾おうとした彼女の手から、それはエルノアによって奪われる。

「リュシアンがいらないって言ってたでしょ~」

暖炉へと放り込まれたそれを追い、フィアナが叫ぶ。

「やめてくださいっ!」

だがエルノアは彼女を突き飛ばし、高笑いした。

「王妃様、お美しいですわね」

煤にまみれた姿で、フィアナは焼け残った剣帯の一部を拾い上げた。

「私は……まだ、あなたの妻でいられるのでしょうか……」

震える手。涙をこぼしながら、それを抱きしめる姿。
それが、どれほどの痛みだったか──

「……すまない……フィアナ……」

リュシアンは膝をつき、胸を押さえた。
笑顔も、信頼も、愛も。壊したのは自分だった。




エメラルドの首飾り。
それはかつて、自分が贈ったはずのもの。

だが今、それはエルノアの胸元で揺れていた。

「聖女にふさわしいだろう? 君より似合っていると思う」

その何気ない一言に、フィアナは言葉を失っていた。

「……はい、陛下のご判断のままに……」

贈り物も、衣装も、調度品も。
いつしかすべて、エルノアのもとへ運ばれていた。

フィアナがいた証が、少しずつ消えていった。




ある日、エルノアがフィアナの部屋に見せびらかしに来た絵。
双子が描いた「おかあさま」は、“エルノア“だった。

「……素敵な絵ですね……」

微笑んだフィアナの目には、涙がにじんでいた。
それをこらえながら、彼女はただ、立ち尽くしていた。

 


そして──

記憶の奥から、あの“声”が響く。

「ふふ……今日も餌がたっぷり」

城下を進むセラフィムの民の列を、エルノアが楽しげに見下ろしていた。

「黒霧の魔力が強化されれば、私の“魅了”も増すの。
光の魔力は邪魔だけど、黒霧の魔にとってはご馳走なのよ。
食らえば食らうほど、私の魅了はどんどん強化される。
いらないものを始末して、欲しいものが返ってくる……
なんて、素晴らしい循環かしら!」

まるで宝石の話でもするかのように、楽しげな口調だった。

──視点が変わる。
精霊の目線で、双子を見下ろすエルノアが映る。

「ほんっとに、可愛い子たち。
“お母様大好き”って、何でも言うこと聞くのよ?
“お母様、昨日のお召し物も素敵でした”って、ふふ……
本気で、私を“本物の母”だと信じてるの。
私に懐いた姿、見せてやったのよ、王妃様に。
あの顔……絶望してた。ふふふ……ざまぁみろ」

──双子まで、見せつける道具だったのか。
なのに──自分は……彼女から目を逸らした。




再び場面が切り替わる。

「ねえ、リュシアン」

しなだれかかるようにエルノアが囁く。

「私ね、ルシエル国内で光魔法が使われると、具合が悪くなるの。
だから、禁止して欲しいの。
もう大臣たちの了承は取ってあるわ。
ここにあなたがサインすれば、すべて終わるの」

──それは、フィアナの命の光だった。
あのときの自分は……それさえ、理解できていなかった。

──パチリ。

映像がフラッシュする。



夫に贈った剣帯を焼かれ、侍女たちを国外に追われ、
濁った水と飢えの中、それでも生きようとしていた彼女。


最後に残された、小さなロケット。

彼女がそれを開くと、金と茶のふたつの産毛が現れた。

「……リュミエール……アレクシス……」

その声は震えていたが、微笑んでいた。

「……ほんの少しでも、あなたたちの中に……
私が……残りますように……」

「……私は……ここに……存在することも、許されないのでしょうか……」

最期まで、祈るように。

「……もう……ここまでで……よいでしょうか……父上……母上……にいさま……」



「フィアナァーー!!」

幻に向かって叫び、駆け出す。
だが──彼女はいない。

「……なんて……僕は……無力なんだ……!」

崩れ落ちた身体で、拳を床に叩きつける。

「君が……どれほど、耐えていたのか……!」

涙が、嗚咽が、止まらない。



そこに、最後の囁きが響いた。

「ねえリュシアン──
あの女、光が強すぎてなかなか搾り切れなかったのよ。
だから、実体を殺したの。
だって私より“上の存在”なんて、許せないでしょう?」

──妬み。
それがすべての根だった。



リュシアンは、床に膝をつき、顔を覆った。

「……フィアナ……
君は……何も知らずに、ただ……搾られていたのか……
僕は……僕は……何一つ……知らなかった……!」



やがて光が静かに消え、精霊が姿を消す。
記憶の映像は、終わった。

崩れ落ちたまま、動けないリュシアン。
けれど、もう逃げることは許されない。

「君の願いを、今度こそ……僕が繋ぐ」

「君が命を削って守ろうとしたものを、僕が──守り抜く」

重たい足を引きずりながら、扉を開ける。

──王宮へ向かうために。




「……入れ」

静かな声が、扉の向こうから返ってきた。

カリスが机の前に座り、こちらをじっと見つめていた。

リュシアンは、深く一礼する。

「……戻ったか」

「……はい」

「……そうか」

短く交わされる言葉。
だが、その奥にすべてを察しているような沈黙があった。

そして、リュシアンはまっすぐ頭を下げる。

「セラフィム国王太子殿下……
ルシエル国王として、お願いしたいことがございます」






しおりを挟む
感想 15

あなたにおすすめの小説

記憶喪失の婚約者は私を侍女だと思ってる

きまま
恋愛
王家に仕える名門ラングフォード家の令嬢セレナは王太子サフィルと婚約を結んだばかりだった。 穏やかで優しい彼との未来を疑いもしなかった。 ——あの日までは。 突如として王都を揺るがした 「王太子サフィル、重傷」の報せ。 駆けつけた医務室でセレナを待っていたのは、彼女を“知らない”婚約者の姿だった。

あなたが捨てた花冠と后の愛

小鳥遊 れいら
恋愛
幼き頃から皇后になるために育てられた公爵令嬢のリリィは婚約者であるレオナルド皇太子と相思相愛であった。 順調に愛を育み合った2人は結婚したが、なかなか子宝に恵まれなかった。。。 そんなある日、隣国から王女であるルチア様が側妃として嫁いでくることを相談なしに伝えられる。 リリィは強引に話をしてくるレオナルドに嫌悪感を抱くようになる。追い打ちをかけるような出来事が起き、愛ではなく未来の皇后として国を守っていくことに自分の人生をかけることをしていく。 そのためにリリィが取った行動とは何なのか。 リリィの心が離れてしまったレオナルドはどうしていくのか。 2人の未来はいかに···

ちゃんと忠告をしましたよ?

柚木ゆず
ファンタジー
 ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。 「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」  アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。  アゼット様。まだ間に合います。  今なら、引き返せますよ? ※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。

いまさら謝罪など

あかね
ファンタジー
殿下。謝罪したところでもう遅いのです。

私は愛する人と結婚できなくなったのに、あなたが結婚できると思うの?

あんど もあ
ファンタジー
妹の画策で、第一王子との婚約を解消することになったレイア。 理由は姉への嫌がらせだとしても、妹は王子の結婚を妨害したのだ。 レイアは妹への処罰を伝える。 「あなたも婚約解消しなさい」

【完結】その約束は果たされる事はなく

かずきりり
恋愛
貴方を愛していました。 森の中で倒れていた青年を献身的に看病をした。 私は貴方を愛してしまいました。 貴方は迎えに来ると言っていたのに…叶わないだろうと思いながらも期待してしまって… 貴方を諦めることは出来そうもありません。 …さようなら… ------- ※ハッピーエンドではありません ※3話完結となります ※こちらの作品はカクヨムにも掲載しています

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

【完結】王妃を廃した、その後は……

かずきりり
恋愛
私にはもう何もない。何もかもなくなってしまった。 地位や名誉……権力でさえ。 否、最初からそんなものを欲していたわけではないのに……。 望んだものは、ただ一つ。 ――あの人からの愛。 ただ、それだけだったというのに……。 「ラウラ! お前を廃妃とする!」 国王陛下であるホセに、いきなり告げられた言葉。 隣には妹のパウラ。 お腹には子どもが居ると言う。 何一つ持たず王城から追い出された私は…… 静かな海へと身を沈める。 唯一愛したパウラを王妃の座に座らせたホセは…… そしてパウラは…… 最期に笑うのは……? それとも……救いは誰の手にもないのか *************************** こちらの作品はカクヨムにも掲載しています。

処理中です...