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陰の祝宴
しおりを挟む朝靄が白く煙るソーントン家の邸は、夜明けとともに騒めきで満たされていた。
──今日は、テンタス皇国の使者が刺繍を受け取りに来る日。
王宮では「贈呈の式典」が催される予定で、邸内はまるで祝祭前夜のような空気に包まれている。使用人たちは早朝から廊下を行き交い、貴族一家はそれぞれの部屋で身支度に余念がなかった。
「今日のアリシアは……まるで女神そのものね」
鏡越しに囁くドリスに、ロドリックは上機嫌で応じる。
「見違えるようだ……我が娘ながら、誇らしい」
「東棟から、刺繍は回収してきたか?」
「ええ、昨日のうちにメイドに取りに行かせたわ。ほら、そこの箱に納めてあるの」
ロドリックは促されるまま、蓋を開けて覗き込む。
「ふむ……よくできておるな。さすが“アリシア”だ」
「まあ、お父様ったら。当たり前でしょう?」
箱は使用人によって丁寧に閉じられ、大きな布で包まれて様々な花とリボンで華やかに飾られていく。
「そうそう、今日は“使用人慰労の謝礼会”もあるそうよ」
「使用人に、か?」
「ええ、皇国からの贈り物ですって。準備も片付けも、皇国の者が全部やってくれるそうよ」
「ほう……気が利くではないか。我らに取り入ろうというのだろう。屋敷は好きに使わせてやれ。大食堂も空いているはずだ」
「太っ腹ね、旦那様」
「祝いの日だ。これくらい当然だ!」
意気揚々と馬車へ乗り込むソーントン一家。その晴れやかな笑顔は、今宵も変わらず続くと信じて疑っていなかった。
*
邸を発った一行を見送る頃、裏では別の準備が進んでいた。
皇国の紋章を掲げた馬車が何台も乗りつけ、大量の料理と装飾品が次々と運び込まれる。
目を奪われるのは、それらを運ぶ皇国の給仕たちだ。容姿端麗な男女が整然と動き、ソーントン家の使用人たちは思わず足を止める。
大食堂は、皇国から持ち込まれた布とリボン、花々で見事に飾り立てられ、やがて色鮮やかな料理が卓を埋め尽くした。
「皆さま、ご用意が整いました」
艶やかな微笑みを浮かべた皇国の美女が、柔らかく通る声で誘う。
「どうぞ、こちらへ。本日は皇国からの謝礼の饗宴にございます」
肉料理に果物、宝石のような菓子の数々──見たこともないご馳走に、使用人たちは目を見張った。
「まずは皇国のワインで乾杯を」
金色に輝く杯が配られ、誰もが一斉に手にする。
「乾杯!」
杯が触れ合い、会場が湧いた。
夢のような時間──そう思った者も多かった。
だが程なくして、ひとり、またひとりと目を閉じていく。
「……え? いま寝るの? もったいな──」
揺り起こそうとした者も、同じように脱力し、眠りへと沈んだ。
大食堂は静まり返り、残ったのは皇国の給仕たちだけ。
*
沈黙が支配した中、ひとりの給仕が邸の奥へ向かう。
「終わりました。……さあ、行きましょう。本邸へ」
「ありがとう。では、行きましょう」
エイミーはビオラに向き直り、柔らかく微笑む。
「──美しくなりましょうね」
ビオラは小さく頷くと、静かに立ち上がった。
「うんと綺麗になりましょう!」
サナが手を差し出すと、ビオラはその手を握った。
ダンと数人の侍女は手分けして邸の奥へと散り、鍵の束を手に確認しながら、調度品や宝石、書類などを次々と箱へ詰めていく。その動きは一糸乱れず、まるで皇宮の舞台裏のようだった。
*
一方、王宮では──
ロドリックとドリス、そしてアリシアは、金糸を贅沢に用いた装束に身を包み、黄金の広間へと通されていた。
「ここが……王宮……!」
「緊張してる?」
「ううん、お母様。わたくし……夢みたい。でも夢じゃないのね!」
「ふふ、これからはあなたの時代よ」
「皇国から縁談が来たらどうしましょう?」
「それもあり得るわね」
「……そうなったら、刺繍のことは……バレたりせんだろうな」
「もう、心配性なんだから。バレそうになったら“怪我をした”って言えばいいのよ」
「そうそう、”工場”だってあるんだし!」
「ふふ、ここのところ、あんな刺繍でどれだけ儲かったかしらねぇ?」
「それに高貴な方に嫁げば、もう刺繍なんて必要ないわよ~」
朗らかな母娘の笑い声が、天井高く響く。
──そのとき。
「コン、コン」
扉が控えめに叩かれた。
「失礼いたします。お時間でございます。どうぞ、こちらへ」
王宮の侍従が一礼して告げる。
「さあ、行きましょう。我らがアリシア」
「はい!」
ソーントン家の三人は誇らしげに歩き出す。
──この先に、自らの“終焉”が待っているとも知らずに。
──この先に、自らの“陰”が色を持つと知らずに。
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