【完結】妹に存在を奪われた令嬢は知らない 〜彼女が刺繍に託した「たすけて」に、彼が気付いてくれていたことを〜

桜野なつみ

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赤の暁光

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会場の空気がまだざわめきに揺れているとき、ロドリックは声を荒げた。

「待て! この娘が私の娘だという証拠はどこにある! なぜこいつが“本物”だとわかるんだ!」

「それはこの方々に証明していただきましょう」

その声に応えるように、扉が静かに開いた。
藍や深い青の着物をまとった三人が入ってくる。黒髪、黒い瞳。面差しのどこかに、振袖の少女と同じ静けさが宿っていた。

レオニスが一歩進み、簡潔に紹介する。
「サクラ殿のご両親──ヒイラギ殿、アヤメ殿。そして兄君、エンジュ殿です」

三人は玉座と会場に礼をとり、まっすぐロドリックとドリスを見据えた。
「二十年ぶりですかな、婿殿」

ロドリックは思わず身を引き、ドリスは膝の上の手を強く握りしめる。

ヒイラギが静かに口を開いた。
「まず、その振袖は我ら一族で代々、嫁ぐ娘に持たせる品。娘は自らの名の花を刺し、その横に伴侶の名を“影縫い”で記す。……この桜の花弁の際に、白糸で“ロドリック”と縫われている」

ロドリックは苛立ちを隠せず、鼻で笑う。
「そんなもの、どこにも——」

レオニスはビオラに近づき、振袖の“袖”をそっと持ち上げ、光に透かして白糸を見定めた。
「……ある。ここに。“ロドリック”——と」

会場がどよめく。ドリスの喉がひくつき、アリシアは蒼白のまま固まった。

レオニスは袖を丁寧に戻し、落ち着いた声で続ける。
「これは皇国でも限られた者にしか読めない。十五年前、我が国が災害の折にヨシナ国と交わった際、一族の長老に“影縫い”を見せられ、読めることに驚かれた。以後、わずかながら教えを受けた。——だから、読める」

エンジュが一歩進み、低く告げた。
「……やはり“祖父”から聞いていた通りだな。十五年前、あなたが影縫いを読み、周囲を驚かせたと」

ヒイラギは、今度はまっすぐロドリックを射抜く。
「ヨシナ国の者は外に出られぬと思って、安堵していたか。二十年前、お前はわが家の囲炉裏端に座り、こう言ったな。
『サクラを大切にしますから』と。『できれば、ここで暮らさせてもらえませんか』と。
だから我らは祝福し、婚礼の品々を手渡した。振袖も、簪も、帯も。嫁ぐ娘に授ける、家の宝をすべて」

エンジュの声が鋭くなる。
「俺もお前を覚えている、ロドリック。俺たちのような辺境の人間など、容易く騙せると思ったか。確かに俺たちは信じた。お前の身の上話を、そして何よりサクラの気持ちを。
その簪も、その帯も、全部が我らの宝だ。サクラも……サクラも、俺たちの宝だ。昨日までそこにいた妹が、ある朝、忽然といなくなった家族の気持ちがわかるか。
お前は、いったい、サクラに何をした。——妹を返せ!」

ロドリックは顔を引きつらせ、言葉をもつらせる。
「そ、そんな昔話が何になる……!」

レオニスが指先で合図した。別の扉が開き、三人の証人が現れる。
ダン、エイミー、サナ——いずれもソーントン家の屋敷で働いていた者たちだ。

ダンが一礼し、はっきり述べる。
「その振袖は、ソーントン家の物置の奥に“ガラクタ”として放置されていました。彼女の髪に挿した簪、ヨシナ国の装飾品の数々も邸内各所から発見し、保全済みです。屋敷のそこかしこに、ヨシナから持ち込まれたと見られる宝物が散在していました」

エイミーが続けた。
「彼女の足には古いものから新しいものまで無数の鞭痕がありますが、手は不自然なほど無傷。刺繍の手を守るため“足だけ”を狙ったのだと推察されます。また、彼女は声が出ません。これについて宮廷医にも確認し、『目の前で起きた強いショックによる失声の可能性が高い』との診立てでした」

サナは唇をきゅっと結び、こらえきれない涙を拭いながら証言する。
「最初の頃の彼女は……本当にボロボロでした。誰かが近づくと身をすくめて、視線を床から上げられない。刺繍枠だけをぎゅっと抱きしめていて……。
それから、温かいものに怯えるのが酷かった。初めてスープを見せたとき、湯気だけで震えが止まらなくなって……。どれだけ怖かったんだろうって、思うと……」

「待ちなさいよ!」
ドリスが叫んだ。頬は上気し、声は裏返る。
「あなたたち、所詮“平民の使用人”でしょう? 何を偉そうに……そんな証言、誰が信じるの!」

ダンは一歩も退かずに見返した。
「——我々は、レオニス殿下の配下です。事実を述べています」

ドリスの肩がびくりと揺れ、アリシアは唇を噛みしめる。ロドリックはなおも荒い息を吐き、言い訳を探していた。

ヒイラギが振袖の袖口へ視線を落とし、静かに言葉を継ぐ。
「娘の花“桜”のそばに置かれた名——それが“ロドリック”であることは、今ここで明らかになった。
その簪は父である私からの贈り物。帯も祝いの品も、すべて“嫁ぐ娘”に授けたものだ」

会場のざわめきが、潮が引くように静まっていく。
アヤメが震える手を唇に当て、娘の名を思い出すように息を吸った。
「……サクラ……あなたの子なのね……」

アヤメは一歩、また一歩と近づき、はっきりと呼びかける。
「——ビオラ」

アヤメは視線を振袖の少女に戻したまま、穏やかに告げた。
「サクラはね、娘が生まれたら“スミレ”と名づけたいって、少女のころから言っていたの。
けれどパロスの方と結ばれるなら、この国での呼び名……“ビオラ”にしましょうって、私に話していた。
あの子は、その名で娘を呼ぶ日を、本当に楽しみにしていたのよ」

「あなたは、ビオラよね?」

それは、母以外の誰にも呼ばれたことのない“隠し名”。
胸の奥で凍っていた何かが音を立てて解け、少女の喉がふっと緩む。

「……は……い……」

たしかに、声が出た。
「……声が……出てる……!」サナが涙の中で目を見開く。

アヤメが駆け寄り、両手でそっとビオラの手を包む。
ヒイラギはその肩に大きな手を置き、支えるように寄り添った。
エンジュは二人の半歩後ろに立ち、誰も近づけさせまいとする柱のように、その傍らを守る。

その瞬間、アリシアが堰を切ったように叫んだ。
「ちょっと待って! そいつの名前、ビオラなんでしょう? “アリシア”じゃないじゃない! “アリシア・ソーントン”は私よ!」

何度も聞いた恐ろしい声。ビオラは胸の奥で身が竦みかけた。
けれど、いま自分を囲む温もりが、背をそっと押してくれる。失われていたはずのもの——家族の体温。

ビオラはゆっくりとアリシアを見た。
「“アリシア”という名前は……もう、いりません。——私は、ビオラです」

その声に、暁光が宿った。
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