【完結】妹に存在を奪われた令嬢は知らない 〜彼女が刺繍に託した「たすけて」に、彼が気付いてくれていたことを〜

桜野なつみ

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白に隠された問い

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トーラス公爵夫人からの紹介状が届いたのは、ある晴れた午後のことだった。

「……来るって。あの、ヴァルト商会のレオニスとかいう人が」

アリシアは紹介状を嫌そうにつまみ上げ、ヒラヒラとかざして母に見せる。
ソーントン夫人はそれを受け取り、一読すると顔をしかめた。

「何よ……商人風情で。あの夜会で声をかけてきたくせに、今度は正式に来訪? 本当に厚かましいわね」

「でも、公爵夫人のお気に入りみたいで……断るのも難しいわよ?」

「……はあ、しょうがないわねえ。一度は迎え入れて差し上げましょう。『渋々』ね」

そう言ってしぶしぶ立ち上がった二人だったが──迎えた当日、その態度はがらりと変わる。



訪問当日、ソーントン邸の正面玄関。

最高級品とひと目でわかるマントを纏ったレオニスが立ち、その背後には、ずらりと並んだ使用人たちが重厚な手土産を抱えていた。

「あらぁ~」
「まぁ……」

出迎えに出たアリシアとソーントン夫人が、思わず目を見張る。
きらきらと輝く宝飾品、豪奢な銀食器、洗練された装飾小物──
そのどれもが、王都では簡単に手に入らぬ逸品ばかりだった。

──レオニスは、わかっていた。

この母娘が「刺繍の美しさ」ではなく、目に見える“価値”に惹かれることを。

だから、刺繍道具は目立たぬように。
籐のかごに、そっと忍ばせていた。

「お忙しい中、こちらの厚かましいお願いをお聞きくださり、感謝申し上げます」

深々と頭を下げたレオニスは、静かに続けた。

「本日はささやかながら、お役に立てるものをいくつかお持ちいたしました。どうかお納めいただければ幸いです。もちろん……すべてでも構いません」

「まあまあまあ、なんて素敵な方かしら!」

先ほどまでの“渋々”はどこへやら。
母娘の目は宝石のように爛々と輝いていた。

銀のカトラリーを手に取り、「まあ、素晴らしい細工」と嘆息し、
きらめくブローチに目を奪われて、「これは、あの公爵令嬢も持っていなかったわ」と歓声を上げる。

「アリシア様に、ぜひこの刺繍をお願いしたいのです。材料はこちらに──」

レオニスは、微笑みを湛えながら注文書と籐のかごを差し出した。

「謝礼は相応以上にお支払いいたします。
お納めまでの期間は、どうぞご無理なく……ただ、テンタス皇族からのご依頼ゆえ、もし一部でも早くお納めいただけるものがございましたら、その都度、改めてお礼を差し上げたいとのことでして」

「……まあ。では、喜んでお受けいたしますわ」

アリシアは気品ある笑みでうなずいた。
だが、その目の奥には、欲望の色が濃く揺れている。



レオニスが帰ったあとの客間では、歓声が止まなかった。

「これ見て、お母様! このイヤリング、サフィールが散りばめられてるわ!」
「この指輪の細工! もう、公爵家のご令嬢だって目の色変えるわよ!」

「……で? あれは?」

ソーントン夫人がふと、部屋の片隅に放置された籐のかごに目をやる。

「ああ、あれね。刺繍の道具か何かよ。あいつにやらせればいいじゃない。私がやることじゃないわ」

アリシアは軽く手をひらひらと振り、声を上げた。

「これ、あいつのところに持っていって。『さっさと刺繍しろ』って、言っといてね」

──こうして、無造作に押しつけられた籐のかごは、やがて東棟へと運ばれた。



「持ってきてやったわよ、ほら」

メイドはつまらなそうに言い放ち、籐のかごをビオラの足元に放り投げた。
パタン、とふたが外れ、糸や布が床に散らばる。

ビオラは黙ってそれらを拾い集めた。
汚れぬように、ひとつひとつ、静かに──

その中に、ひときわ目を引く布の束があった。
色とりどりの糸見本。見惚れるほどの美しさに、めくる手が止まらない。

──そして、白糸だけで刺された淡い布を見つけた瞬間、心臓が跳ねた。

細く、淡く、けれど確かに存在する“影縫い”の文字。

 たすける きみのなまえは?

指先が震える。
声なき彼女の胸に、確かな熱が流れ込む。

誰かが、自分のことを見つけようとしてくれている──

白の中に隠されたその問いかけは、
まるで、闇に沈んだ少女へ向けられたひとすじの光だった。

ビオラは、震える手でそっと布を抱きしめる。
そしてまた、一針。白い糸を布に通した。

 ──今、ここにいる私を。
 誰かが、見つけてくれた。

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