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不思議で静かな、無音の世界で過ごすマレー

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 ディングレーは、六人目の美女が部屋を出て行った後。
まるで満腹になった幸福な狼の気分だった。

が、扉が開くとローフィスが姿を見せる。
ディングレーは目を見開いてローフィスを見、問う。
「…まさかずっと…下で待ってたのか?」

ローフィスは無言で、脱ぎ捨てられて床から寝台の端に散らばる、ディングレーの衣服を拾い集めると、ばさっ!とディングレーの裸の胸元に投げ、首を横に振って促す。
「戻るぞ。
今寝ると、昼まで起きられない」

ディングレーはため息吐き、ごもっとも。
と頷く。

裏口へ降りる階段を使い、酒場を抜けずこっそり裏から出るローフィスの後に続き、ディングレーは再び問う。
「…酒場を抜けると、マズいのか?」
ローフィスは後ろに振り向くと、頷く。
「…お前、お嬢さん方に大好評で。
二度目をねだられるかも」

ディングレーは、まだイけそうなので、惜しいと思い、項垂れた。
けれどローフィスは前へと顔を戻し、ぼそりと言った。
「…多分お前に渡した“女を孕ませない薬”の効果が、もう切れる」
「………………………」
それを聞いた途端、ディングレーはゴネたい気持ちが吹っ飛び、月明かりに照らされた草茂る丘を素早く駆け上って行く、ローフィスの背に付き従った。

召使い用通用口を使い、ディングレーは私室へと向かう。
途中、召使いに出会った際
「お戻りですか?」
と声かけられ、ディングレーは素早く頼む。
「こんな時間で悪いが、風呂を用意してくれるか?」

召使いは驚きも慌てもせず
「湯加減を調整すれば、直ぐお入りになれます」
と言った。

先に寝室へと入るローフィスに
「…俺と出かけたなら“遊びに行く”もんだと、召使いも心得てるから。
風呂も夜食も用意してる」
と説明され、ディングレーは頷いた。

寝室へ戻って直ぐ、召使いにノックされ
「風呂がご用意できました」
と告げられ、ディングレーはローフィスに頷かれ、戸口へ向かう。
扉を閉め様、ローフィスの
「俺は先に休む」
の声が聞こえたが、ディングレーはそのまま扉を閉めて、浴場に向かった。

心地よい湯に浸かると、全身から幸福感が立ち上る。
頭の中は、趣の違った六人の美女との、楽しかった時間が通り過ぎて行き…。
ディングレーはつくづく、身軽なギュンターを、羨ましく思った。

風呂から出て寝室に向かうと、もうローフィスは寝台に突っ伏し、眠っていた。
横にそっと入り、布団を被ると、直ぐ。

ディングレーも、眠りに落ちた。


朝、ノックの音と共に召使いが入って来て、声高に叫ぶ。
「起きて下さい!!!」

ディングレーはその大音量に眉をしかめる。
が、隣のローフィスは、がばっ!と上半身跳ね上げ、召使いに
「助かった」
と礼を言うので、ディングレーは文句を言いそびれた。

ローフィスは服を着たまま寝てたので、ヨレた衣服を引っ張って直しながらも、召使いに尋ねてる。
「連絡は来たか?」
召使いはローフィスに頷くと、言葉を返す。
「はい。
さっきいらっしゃいました。
午後三点鐘には、マレー様のお屋敷にいらっしゃるようにと。
大公家から馬車を出しますので、マレー様と同伴者の皆様は、二点鐘に到着する馬車に、同乗下さいとのことでした」
「…馬車…って、『教練キャゼ』に来るのか?」
ローフィスの問いに、召使いは頷く。

ローフィスは何から何まで、手回し良く世話してくれる、大公家の細かな気配りに感心した。


 その朝、マレーは着替えを終え、アスランとハウリィの着替えを寝台横で待っている時、扉が開くのに気づき、振り向く。
ハウリィは衣服のリボンを結んでいて、アスランはシャツを頭から被ってる真っ最中。
窓辺から朝陽射し、その中に真っ直ぐの黒髪を背に流す、ディングレーと。
そして…柔和な笑みを浮かべる明るい栗毛のローフィスの姿が、白くぼやけて見える。

二人は真っ直ぐ、仲間の着替えを待ってる、マレーの前にやって来る。
そして、囁いた。

「今日の午後二点鐘に、お前の家に送る」
ディングレーがそう言った後、ローフィスは、目を見開き驚きに言葉も出ないマレーに、そっと屈む。
「俺も付いて行く。
心配は、何も要らない」

マレーはローフィスのその言葉が耳では無く心に響き、不思議と優しい波紋が、静かに。
そしてとてもゆっくり広がって行って…ザワつく心がすうっ…と落ち着き、その不思議さにそっと、ハウリィとアスランに振り向く。

ハウリィはまるでローフィスの言葉を確信してるように微笑む。
それはまるで…ローフィスなら、奇跡が起こせて当たり前。
そんな…笑顔で、マレーは次にアスランを見る。

アスランは目を潤ませながらも、満開の笑顔を見せて飛びつき、抱きついて来る。

マレーはアスランの体の温もりを感じながら…まだ呆然と、言葉を失ったまま。
喜びと感激に溢れてきつく抱きつく、アスランを抱き返せなかった。

その後。
マレーは無音の世界に居た。
ローフィスも交えた食卓に着き、ディングレーに連れられて三年宿舎の階段を降り…。
光り溢れる外へと出た後、一年宿舎の扉を潜り…。
階段を上がって、出迎えるスフォルツァの姿を見る。

アスランははしゃいで、スフォルツァにマレーが午後二点鐘に、ずっと帰れなかった実家に帰る手筈が整ったと報告し、マレーは凜々しい王子様風のスフォルツァに
「良かったな。
今日の補習は出られないと。
講師にそう伝えておく」
そう言われた時…なぜかスフォルツァの言葉がはっきり耳に届き、頷く。

けれどまた…音が消えて行く。
スフォルツァとアイリスに囲まれ、背後に一年大貴族らに護られながら、講義室へ向かう。
両側も、前も後ろも、講義室へ進む一年の生徒だらけ。

なのにどうして…こんなに静かなんだろう?
マレーは不思議な感覚の中、ハウリィとアスランに挟まれ、席に着く。

音が消えているのに。
けれどいつも通り自分は、講師の言葉を羊皮紙に書き留めてる。
自分以外誰も…音が消えてるなんて、気づいてない。

静かだ…とても…とても。

二限目は乗馬で、アスランは馬に乗ると言い張り、スフォルツァが背後に一緒に乗ることを条件に、講師に許可を貰った。

最初は満面の笑顔を見せてたアスランは、それでもやはり馬が駆け始め、激しく揺れ出すと怪我を負った脇腹が痛み出し、辛そうな表情を見せた。
アスランがスフォルツァに気づかれないよう、我慢の表情で俯く。
けど馬のアレスは気づいて、スフォルツァの指示を聞かず速度を落とすので、スフォルツァはその都度、アレスを急かすのでは無く、前に乗るアスランを覗き込む。

「…我慢するな」
スフォルツァの声は労るようなのに。
顔の表情は、怒ってた。

それが、心配から来る表情だと。
今ではハウリィもマレーにも、分かっていたから、笑顔を向ける。
マレーは風を感じ、笑ってる自分に気づく。

そうすると、ふと思い出す。
こんな…楽しい気分になれるなんて…家を追放同然に出された時、思ってもみなかった。
まるで心の無い人形のような空虚な気分で…馬車に揺られて『教練キャゼ』に来たのに。

…突然、涙が溢れて目が潤む。

母の出て行った、窓辺のカーテン揺れる午後。
風が、ぽっかり大きく穴の空いた心に、木枯らしのように吹き抜けて行くのを、ただ呆然と聞いていた。

そして父が…塞ぎ込み、深酒に溺れ、殻に閉じこもって自分から遠ざかり…。
ある日義母を連れて来て…。
華やかな笑顔を浮かべた義母は自分を見ず、連れて来た幼子おさなごだけを可愛がり…。

そしてまた、置いて行かれた。
義母と幼子と父の、輪の中に入れず。

ぽつん…と、取り残され…。

でもそれでもマシだった。

父に、『教練キャゼ』に行け。と告げられ、義母の“弟”が家庭教師となって…。

その後のことは…突然心が斬り裂かれたように痛み、思い出す事なんて、とても無理…。

思い出せるのは…虚ろな心と抜け殻のような体を引きずり…。
心と体が引き裂かれるような嗜虐しぎゃくを受け、寒さに震えながら井戸水で自分を清めていたこと。

父が、通りかかり…けれど目を、背けた事…。

そこで全ては止まり、自分が息をしてる事すら、忘れた。

だけどここは!
陽光が射し、緑は溢れ…そして微笑を浮かべ、馬を駆けさせるハウリィと…。
怪我が痛んでも、頑固に馬に乗り続けるアスラン。
気遣うように優しく、歩を運ぶアレス。
怒ったような表情で
「意固地すぎだ!」
と怒鳴りながら…優しくアスランの胴に回した腕で、アスランの身を支え続けてるスフォルツァ。

併走するアイリスは本当に綺麗で…けれど目が合う度、とてもチャーミングな笑顔を向けて、にっこり微笑んでくれる…。

だから…笑える。
こんな…空虚な心を抱えた、自分でも。

マレーは昼食に大食堂に入り、無音の中、普段道理過ごし続けた。

午後の一限目、歴史の講義が終わり、終了の鐘の鳴る中、ディングレーとローフィスが講義室の戸口にその姿を、見せるまで。
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