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馬車の中でマレーに現状を説明するアイリス

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 馬車に揺られながら、ディングレーはマレーをそっ…と覗う。
マレーを挟んで反対側に座ってるローフィスは、一瞬アイリスに目配せを投げ、その後何気無く、窓の外に視線を向けていた。

隣のローフィスの温もりに、落ち着きを見せるマレーを。
向かいの席で覗ったアイリスは、ローフィスに軽く頷き返すと、身を正面のマレーへと乗り出し、説明し始める。

「君の家に入り込んだ義母は、薬草師で。
人を操れる薬をずっと、君の父親に盛っていた。
…つまりだから…君の父君は、正気をずっと無くしたも同然」

マレーの顔が揺れるのを、両側でディングレーとローフィスは見守る。

マレーは全てが止まった、あの時。
父が…自分の知っていた父では無かったのだと知って、ふいに涙ぐむ。

「それに“弟”と称してる男は、実は義母の恋人で、連れ子の幼子おさなごは二人の子供。
父親の正気を奪い、跡取りの君を追い出し、義母は恋人と二人で子供を育てるため、君の家を乗っ取ろうと企んだ。
けれど私達はそれを阻止する。
君が帰る家の、現在の状況は…そんな感じだ」

マレーがやっと…微かに震えながら顔を上げた。
「…どう…阻止するんです?」
「叔父エルベス大公の密偵が君の家に、召使いとして入り込み、君の父君に盛った薬を手に入れ、中身をすり替えた。
これが…証拠で、義母とその“弟”は逮捕出来る」

「…逮捕…」
「家と領地は…エルベスの手の者が君の父君に投資を持ちかけ…多額の負債を負わせ、取り上げた。
今は全て、君の名義になっている」

マレーの体が、ビクン!と大きく震え、アイリスにその顔を向ける。

アイリスは理知的な濃紺の瞳で真っ直ぐマレーの瞳を、見つめ返して言う。
「…君が、屋敷と領地の主だ。
つまり君は、決められる。
父がそこに住めるかどうかを。
追い出す権利も、ある。
君がされた事を、し返せる」

マレーは小刻みに震えたまま…瞳を潤ませ、何かを言おうと唇を開いたまま…けれど言葉が出ない。

ローフィスが見ていると、アイリスはその時、心から痛ましい表情を浮かべ、囁く。
「けれど君の受けた体験が…酷い経験が。
それで消え去る訳じゃない」

マレーが、震えながら頷く。

アイリスはマレーの表情を…まるで少しも見逃すまいとするように見つめながら、声を落とし、秘やかに囁く。
「エルベスの手の者が薬をすり替えたから。
父君は少しずつ…正気を取り戻し始めてる。
本人は、分かってはいるが…ぼんやりして何も行動出来なくなる薬で、かなり強い。
廃人になる一歩今手前だったから。
暫く、療養と治療が必要だ」

マレーはヘイゼルの瞳を大きく見開き、こくん。
と頷いて俯く。

アイリスは短い吐息を吐くと、言って聞かすように告げる。
「…その治療をするかどうかも、決定権は君にある」

マレーは俯いたまま…小刻みに震えて囁く。
「どう…治療すれ…ば…」

アイリスは、素早く言葉を足した。
「君が“治療を”と言えば、専門の治療師を屋敷に住まわせる。
今日、既に屋敷に来ていて、君が領主で屋敷の主だと名乗る時。
父君に付き添う手筈になっているから…治療師に、そのまま残って貰えばいい」

マレーはぎゅっ!ときつく、両手を重ね合わせた拳を握り、頷く。

「…義母と…叔父は…?」
「証拠が既に、提出されているから。
君が屋敷に到着して暫く後。
逮捕される手筈だ」

マレーは感謝に震え、再びアイリスに顔を上げる。

「…どう…感謝すればいいんです?
屋敷と領地を…貴方か大公の名義に」

アイリスはその時、ふっ…と微笑む。

「大公家は、一方的に親切にしたりはしない。
見返りを要求する」

マレーは目を見開き、横のディングレーも同様、目を見開いてアイリスの言動に呆れ、ローフィスだけが。
意味が分かってるみたいに、くつろいで腕組むと、微笑んだ。

「…どう…お返しすれば、いいんです?」
「君の領地の作物の買い付けを、させて欲しいと。
叔父エルベスは申し出ている。
君が居た頃、とても品質のいいりんごや桃が評判だったのに。
君が領地の見回りに出なくなってから、著しく品質が落ちて…作物が買い叩かれてる事を、エルベスの密偵が調べ上げた。
…つまり昔の品質に戻して欲しい」

マレーは、頷く。

「方法は、二つある。
教練キャゼ』に残ったまま、エルベスのつかわした農作業の監督官に、指示を与え週末、君が見回る方法。
もう一つは…『教練キャゼ』を辞め、領主として君が屋敷にあるじとして住み、君自身が領地を監督する方法」

マレーは顔を、がくん!と揺らした。

アイリスは、慎重に言葉を選ぶ。
「…確かに今年は。
王族グーデンと実質上のボス、平貴族のオーガスタス殿との対立があり、『教練キャゼ』は君のような…か弱い美少年にとって、とても危険だ。
けれど来年は…隣にいらっしゃるディングレー殿が統べる。
その次の年は、剣の実力もさることながら、大変思いやりのあるローランデ殿が統べ、そしてその次の年は…」
「スフォルツァ様…」

マレーの返答にアイリスは頷くと、囁く。
「ゆっくり…考えていい。
君が『教練キャゼ』で考えたいなら。
監督官を直ぐ、エルベスから遣わす。
けれど屋敷に残るのなら…」

マレーは素早く囁く。
「今日は…帰らないと」
「『教練キャゼ』へ?」
アイリスの優しい声に、マレーは頷く。
「アスランは…。
アスランは、自分が怪我してるのに。
まるで自分のことのように…僕…の心配してくれて…。
僕…のせいで、嫌な目に遭ったのに」

アイリスはそれを聞いて、顔を上げて隣のローフィスを見る。
ローフィスは屈み込んでマレーの顔を優しく覗い、囁く。
「…言ったろう?
君は勇敢だ。
ちゃんと自身をかえりみず、助けを呼んだんだから」

マレーはローフィスの言葉に、認めて貰えて心から嬉しいように、大きくコクン、と頷いた。

アイリスはそんなローフィスに、どこか他人と一線引いていたかたくななマレーが、心を許し、そして…ローフィスの存在に、心からの安堵を感じてる様子を見、思う。

「(…経験かな…。
言葉だけじゃない。
横に居るだけで安心させるなんて。
凄いテクニックだ…。
私にも、いつかあれが出来るようになるには…。
もっと人間的に成長しないと、ダメなのかな?)」

軽い嫉妬をローフィスに覚え、ローフィスに顔を上げられ、見つめられた時。
アイリスはつい敗北感を悟られたと感じ、軽い羞恥に頬を染め、顔をそむけてしまった。

ディングレーは、厚顔無恥こうがんむちで無敵だと思ってたアイリスが、ローフィスの顔が見られず恥じるように顔を背けた姿を見、ついアイリスとローフィスの顔を、首振って交互に眺めた。

そんな時、馬車はマレーの屋敷の、門を潜り抜けた。
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