私の大切な人

ゆい

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新緑の映える木の下であなたは

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  彼はいつも通り、毎日を過ごす。時間も今まで通り過ぎていく。なのになんだろう。胸のどこかにつかえた違和感がある。

 初めて受けるはずの授業も、なぜか知っている気がして。聞いたことのない数学の公式も、読んだことのない本の内容も。どこかで見ただけなのかもしれないけど、不思議な既視感があって。
 ずっと前から好きだった気がするのに、まだ図書室で会ってから一週間しか経っていないなんて信じられない。
 見かけるたびに思う。あぁなんて美しいのだろう。

 そんな幸せを感じていた五月の終わり。放課後たまたま通りかかったグラウンド横で、先輩に背中を小突かれながら歩く彼を見た。彼はうつむいているのに、後ろで小突く先輩二人組はなんだかニヤニヤしているように見えた。私はそのまま駐輪場に向かった。気にはなるが行ったところでなんになるのだ。かごに荷物を乗せる。

「行かなくていいの?」

 私は驚いて周りを見渡す。しかし下校ラッシュを過ぎた駐輪所には私しかいない。
 なんだ、今の心の中に直接語り掛けてくる声は。
 なんとなく気になり、私は荷物を置いて今来た道を戻った。

 グラウンドと体育館の間はフェンス一枚で仕切られていて、運動部が練習に励む声が聞こえる。体育館の入り口を越えると、段々聞こえていた声が小さくなっていく。私も段々心細くなってくる。こんなところに来るもの変なのだ。運動場の倉庫はこの反対側にあるし、体育館の裏はただ木と草が生え伸びているだけだ。引きかえそうと思い足向きを変えた時、誰かの罵倒するような声が聞こえた。私はびっくりして足を止める。男の人が一方的にまくし立てているようだ。喧嘩?誰か先生を呼んだ方がいいんじゃないか。そう思い気付かれないよう忍び足で道を戻ろうとしたとき、
「あ゙っ」
痛々しい声に続いて誰かが倒れこむ音がする。
「なぁ舐めてんの?」
ここまで聞こえる大きな声でののしる声。
「なにか言えよ!それとも弱っちいやつとは口もききたくないってか?」
あ?と言いながらもう一発殴ったようだ。痛々しい声がする。私は耐えられず走りだそうとしたとき、
「すみません!」
と、大きな声で謝る声がした。でもその声に聞き覚えがあった。私はぎょっとする。心拍数があがる。手も足も動けずただ立ち尽くす。
「何謝ってんだよ。やっぱ口ききたくねぇんだな」
「すみません、すみません」
「おいよせよ、顔とか目立つとこはまずいって」
「は?しらけたぜ。もういいよ。お前ジュースおごりな」
「なんでだよ。意味わかんね。あっ、樹金は?なぁ、か・ね・は?」
「部室の、バッグに」
「だってよ。戻ろうぜ」
そう言って二つの足音が近づいてくる。私は急に我に返って慌てて体育館に逃げ込む。二人の歩く音が背中越しに聞こえる。去って行ったことに安心して前を見ると、急に入ってきた私をなんだと見つめるバドミントン部員と目が合う。私ははずかしくて一礼をしてから体育館を出た。彼らはもういない。はっと気づいて、校舎裏に走った。

 そこは伸び放題の草と大きな木に囲まれた穏やかな場所だった。木々の間から光が射し込んで揺れている。一本の木の下に座り込む男の子。三角座りをして両手を地面に垂れている。顔を両足にうずめていて表情は見えないが、肩が少し震えているから泣いているのだろう。私はなんて声を掛けたらいいのか分からず一旦立ち止まった。私はポケットからティッシュを取り出し、彼の前に行って差し出した。
「大丈夫?」
大丈夫なわけないだろ。自分の中の自分がお前は馬鹿かと罵る。彼は私が来たことに初めて気づいたようで驚いたように顔を上げた。泣きはらした赤い瞳がまっすぐ私を貫く。私はその目から離せなくなる。あっと言って、ティッシュをもう一度突き出す。
「えっと……何枚使ってくれてもいいから」
私は新品のティッシュの袋を両手で開いた。
彼は細く長い指で二枚ほど掴むと、まず鼻水をかんだ。
「ありがとう」
と、鼻声で言う。彼はもう二枚取って再び鼻水をかんだ。

 「よくあるの?初めて?」
私は彼の呼吸が少し落ち着いてくると尋ねた。訊いていいのか分からないがこのまま放っておきたくもない。
彼は少しの間、話すかどうか悩んでいたが、少し頷くと細々と語りだした。
「初めてではない。去年の冬くらいから。俺が大会で先輩を抜いた時期から」
「先生には?」
「言ってない。言ったらまた俺がやられるかもしれない」
「私が言おうか?」
彼は私の目を驚いたように見て、首を横に振った。
「ダメだよ。次は横山さんがやられるかもしれない」
私の心配をしてくれてる。それに感動したのも一瞬。私は驚いた。
「私の名前。覚えてくれてたんだ」
「え?」
「だって初めて名前呼ばれた」
「そうかな」
「そうだよ」
「同じクラスだし、さすがに分かるよ」
「私のこと知ってる人がいるなんて、思ってなかった」
「横山さんて実は透明人間なの?」
私はびっくりしてえ?と大きな声が出る。
「だって知ってる人がいるのに驚いてるから、俺にしか見えてないのかなとか」
「そんなわけないじゃん」
彼が笑う。顔は傷つけられなかったから綺麗なままだ。
多分私が心配そうなのを全部顔に出してたから気を遣ってくれたんだ。こんな状況でも私の心臓はドキドキして止まない。
「よっと……」
彼がよろよろと立ち上がる。私は慌てて立ち上がって手を貸す。
「危な!大丈夫?戻るの?」
彼の細い手が私と重なる。私は緊張して彼の顔を見えない。
「戻るよ。コーチも待ってるし。早くしないと先輩もうるさい」
私は引き止めたいが止める手段が思いつかない。彼の手が離れていく。
「ありがとう。でもこのことは忘れて、誰にも言わないで」
彼は悲しそうな笑顔で笑った。


    
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