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~ウイーンの古書①~
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《1848年3月10日、オーストリア帝国》
ウィーンの学生や市民達の言論の自由等を求める動きが、にわかに慌ただしさを見せ始めた頃、私ルーカス・フォーゲルは、メッテルニヒ閣下より古書の編纂事業を命じられた。
ここホーフブルク宮殿の重い扉をくぐった時、誇りよりも先に胸を満たしたのは恐れだった。あの荘厳な回廊を歩くたび、天井の高さが私の小ささを思い知らすのだ。
だが、今は未知の書を紐解くと言う使命に大きく胸が弾んでいる。
とは言っても本来の業務上、書物の思想分類と目録整理が主であり、危険思想を含むと判断した物は抹消の朱を入れ、上官に報告する。
読むことを得意としていた私の行き着いた先が、創作の破壊とは皮肉なものだが、これも秩序のためだ。
ランタンの火を灯し、帝室図書館の地下書庫へと降りてゆく。
長いこと人が訪れた気配がなく、眠っている本たちが、近付く光に照らされ顕となってゆく。古書の香りは秘め事への誘いのように、私の胸を期待で高鳴らせた。
書棚に収まる本達、木箱に無造作に詰められた物達。ランタンを道標にぐるりと見渡し、思い付くままに手に取る。
静かな地下書庫に、靴の音が歩みを進める度に響く。ふと目に付いた何かが気になり、奥まった書棚へ灯りを向けた。
「これは、随分古そうだな」
埃をかぶった木箱。掠れた文字はかろうじて「Nebelm」と読める。高鳴る胸を抑え、机のオイルランプを付けると、慎重に箱を開く。
中には、色褪せた簡素な革の表紙の本が、一冊納められていた。手に取ると、不思議と重みを感じる。隅には、かつて金の型押しが施されていたような痕跡が、わずかに残っていた。
表紙を開こうとした瞬間、綴じ糸がほつれかけ、慌てて指を止めた。
「記録本か?」
比較的しっかりとした麻布混じりの羊皮紙に書かれた文字は、古いドイツ語にもラテン語にも似ていたが、少なくとも私の知る文字ではなかった。
「フレート・ヴィーザー……著者名か。名の響きはオーストリアに似ている。こっちもだ」
──エルミア王国
聞いたことのない国名だが、どこか親しみの持てる綴りであるのは、やはり我が国の音に似ているからだろう。
私はこのフレートと言う著者が綴った文章を紐解くことに夢中になった。
それは、歴史書でもエルミアと言う王国の記録でもなく、彼が見知らぬ王宮で呼吸した私的な手記であった。
「ここに記すは記録にあらず。私が見た……」
***
私が見てきた一人の王女の話である。
その王女は女が剣を振るうことも、政治に関与することも許されないエルミアにおいて、まるで王子のように勇ましく馬を駆け、宮廷で並み居る大臣達を前に臆することなく弁を振るう。
こう書いてしまうと、まるで大女のような武張った印象になってしまうが、あのお方は…簡単には語り尽くせない。
小柄で柔らかな顔立ちが非常に愛らしく、女神のように美しい姿を持つあの方は、見た目から想像も付かない多彩な面を持っている。
「天幕はもう飽き飽きです。フレートさん、少し偵察に行きますよ」
「ルディカ様、何度も何年も言い続けておりますが、私は軍部にいるとは言え文官です。天幕が良いです」
「軍師になれば良いのに」
「またご無理を…」
「さあ、出かけますよ!」
「はぁ……」
そして、不敬ながらも私は思う。
この王女は、王族という特別な生まれではあっても、この世でたったひとりの……誰とも変わらぬ、人間だ。
ウィーンの学生や市民達の言論の自由等を求める動きが、にわかに慌ただしさを見せ始めた頃、私ルーカス・フォーゲルは、メッテルニヒ閣下より古書の編纂事業を命じられた。
ここホーフブルク宮殿の重い扉をくぐった時、誇りよりも先に胸を満たしたのは恐れだった。あの荘厳な回廊を歩くたび、天井の高さが私の小ささを思い知らすのだ。
だが、今は未知の書を紐解くと言う使命に大きく胸が弾んでいる。
とは言っても本来の業務上、書物の思想分類と目録整理が主であり、危険思想を含むと判断した物は抹消の朱を入れ、上官に報告する。
読むことを得意としていた私の行き着いた先が、創作の破壊とは皮肉なものだが、これも秩序のためだ。
ランタンの火を灯し、帝室図書館の地下書庫へと降りてゆく。
長いこと人が訪れた気配がなく、眠っている本たちが、近付く光に照らされ顕となってゆく。古書の香りは秘め事への誘いのように、私の胸を期待で高鳴らせた。
書棚に収まる本達、木箱に無造作に詰められた物達。ランタンを道標にぐるりと見渡し、思い付くままに手に取る。
静かな地下書庫に、靴の音が歩みを進める度に響く。ふと目に付いた何かが気になり、奥まった書棚へ灯りを向けた。
「これは、随分古そうだな」
埃をかぶった木箱。掠れた文字はかろうじて「Nebelm」と読める。高鳴る胸を抑え、机のオイルランプを付けると、慎重に箱を開く。
中には、色褪せた簡素な革の表紙の本が、一冊納められていた。手に取ると、不思議と重みを感じる。隅には、かつて金の型押しが施されていたような痕跡が、わずかに残っていた。
表紙を開こうとした瞬間、綴じ糸がほつれかけ、慌てて指を止めた。
「記録本か?」
比較的しっかりとした麻布混じりの羊皮紙に書かれた文字は、古いドイツ語にもラテン語にも似ていたが、少なくとも私の知る文字ではなかった。
「フレート・ヴィーザー……著者名か。名の響きはオーストリアに似ている。こっちもだ」
──エルミア王国
聞いたことのない国名だが、どこか親しみの持てる綴りであるのは、やはり我が国の音に似ているからだろう。
私はこのフレートと言う著者が綴った文章を紐解くことに夢中になった。
それは、歴史書でもエルミアと言う王国の記録でもなく、彼が見知らぬ王宮で呼吸した私的な手記であった。
「ここに記すは記録にあらず。私が見た……」
***
私が見てきた一人の王女の話である。
その王女は女が剣を振るうことも、政治に関与することも許されないエルミアにおいて、まるで王子のように勇ましく馬を駆け、宮廷で並み居る大臣達を前に臆することなく弁を振るう。
こう書いてしまうと、まるで大女のような武張った印象になってしまうが、あのお方は…簡単には語り尽くせない。
小柄で柔らかな顔立ちが非常に愛らしく、女神のように美しい姿を持つあの方は、見た目から想像も付かない多彩な面を持っている。
「天幕はもう飽き飽きです。フレートさん、少し偵察に行きますよ」
「ルディカ様、何度も何年も言い続けておりますが、私は軍部にいるとは言え文官です。天幕が良いです」
「軍師になれば良いのに」
「またご無理を…」
「さあ、出かけますよ!」
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そして、不敬ながらも私は思う。
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