古書館に眠る手記

猫戸針子

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第1話 王女ルディカ

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私が初めて王女を見たのは、王座の間。6年ぶりに帰還した16歳の少女だったあのお方が、公に姿を表した時であった。

王女ルディカは……10歳の折に行方不明になっていた。その理由には箝口令かんこうれいが敷かれるという異常事態であり、様々な憶測を生むも、宮廷でその名を口にすることすらはばかられる存在となり、やがて忘れ去られて行った。

もっとも、私はルディカ様よりやや年上なだけで、年齢はあまり変わらない。ゆえに当時の宮中きゅうちゅうの事など知らず、「病に伏す妃とともに辺境にて静養中」と言う話を信じて疑わなかった。
だが実際は、南部の貿易都市のカフェで働いているところを陛下自ら発見し、兄上に説得され王宮へと戻ってきた。
庶民として6年間生きていたと言う事実だけが知らされ、一体その間に何があったのか、話に聞いていた辺境とは全く別の大都市になぜいたのか。なぜ誰も今まで存在に気付かなかったのか。その時の私には想像も付かなかった。

──私に王位継承権を

初めて見たあの方の凛と響く声は今でも忘れられない。

ルディカ王女の謁見えっけんはすんなりとはいかなかった。

いよいよ王女を迎えるというその時に、宮殿でひとつの事件が起きた。

国王謁見用に用意されていた王女のドレスの手入れをしていた侍女の1人が、素朴な憧れからドレスを着てしまった所、全身に発疹ができ火傷のようにただれ赤く膨れ上がってしまったのだ。
ドレスを改めたところ、内側の縫い目から劇毒の痕が発見された。
控えの館で謁見を待つ王女に事件の報せが入ったのは、出立する前日だったらしい。

誰もが悲劇の姫だと揶揄やゆした。庶民に身を落とし分を弁えずに宮廷に来るからだ、などという囁きまであった。
我が国の後宮においてルディカ王女にはまだ確たる後ろ盾もなく、母たるお方も元々小国の姫。生まれた時から最弱の姫として扱われ、その身は宮殿ではなく郊外の離宮に置かれていた。侮られてしまうのは…仕方がなかった。

しかし、ルディカ王女は強く勇ましかった。貧相なドレスで謁見に臨むか泣いて南部に帰ると言われていた彼女は、なんと女騎士の出で立ちで王座の間に現れたのだ。
宮廷人きゅうていじん衣擦きぬずれのような囁きの中、気品高く歩み、堂々と陛下の前に出る姿はあまりに美しく、下卑た噂は一瞬で消え失せた。

***


この時のことを私は後に王女本人より聞く機会があった。

「お父様がせっかく下さったドレスを台無しにされたら、怒りくらい見せてやりたくなるでしょう」

と、事も無げに言われ、私は姫様らしいと笑ったものだ。黙っていれば清楚で可憐な少女は、大胆で計算高い。その差異を私は…好ましく思っていた。

では、話を王女の初謁見に戻そう。


王女は陛下の御前ごぜんで、女性の礼であるカーテシー(膝を曲げて腰を落とす礼)ではなく、片膝を付いてひざまずいた。流れるように優美な所作しょさは凛々しさを感じさせられた。
陛下はとがめることなく待ちに待った様子で、快く迎えた。

「王女ルディカ、よくぞわれの元へ戻った。もっと近う寄り顔を見せてくれ」

玉座から立ち上がった陛下は王女の両腕を包むように掴んだ。格別の態度に、いったんは静まった周囲は一瞬だが再びざわついた。

「ご静粛に。お二人の再会を心無い者に邪魔されたとて、ルディカ様は日を改めることなく堂々とお越しになりました。その意味を方々にはお察し頂きたいものですな」

宰相さいしょうアンマント・フォン・ノイヴァールトの慇懃いんぎんな言葉でざわつきは止んだ。
静粛になったことで陛下は王女に声を掛け始めた。それは…不敬だが、皆にわざと聞かせていると私は感じた。

「美しく育ったな。母によう似ておる」
「ありがとう存じます。私は母に憧れ育ちました。何よりの褒め言葉を頂けて光栄にございます」
「ルディカよ、そなたほど苦労をしてきた王族はおるまい。我はそなたに報いるため願いを聞きたい。なんなりと申せ」

陛下と王女はその時、互いの目を見つめ何かを確認している様子だった。そして王女は陛下の手から離れ再びスっとその場に跪いた。

「私の願いはただひとつ。王位継承権を授けてください」

凛とした声が謁見の間に響き渡る。なんの迷いもない堂々たる言葉だった。
あまりの躊躇ためらいのなさに参列者達は王女が何を言っているのかすぐに理解できなかった。が、ただ一人、M妃の父たる侯爵将軍の武張った声が王女の作り出した厳かな雰囲気にひびを入れた。

「女の分際で陛下に不敬な願いを語るお方がいらっしゃるとは信じられませんな、しかも騎士服などと。そうは思いませぬか?方々」

王族に話し掛けたのではなく、参列者に語りかける事で王女の言葉を打ち砕こうとしている。
少しずつ広がる囁き。そうだそうだとの賛同、どうして良いのか戸惑う声、王女を支持する者の声は…ない。
風向きが自分に向いたと将軍は居丈高いたけだかに続ける。

「だいたい姫君は勝手にお出掛けになられたのでは?」

ここで若く冷静な声が将軍に向け発せられた。

「ルディカを王宮へと勧めたのは私だ。つい最近この場にて陛下より許可を賜ったばかりだが……将軍は耄碌もうろくされたようだな。宮廷から下がられ静養されるのをお勧めするが?」

王女の兄上で王太子候補と目されている R王子の言葉に、大国ヴァルン出身のE妃も冷えた声で続く。

「まだ陛下のお言葉も聞かない内ですのに、皆騒々しくてよ。全てお聞きになってから存分に騒ぐとよろしいのでは?最も、そんな下品な言葉をU殿下(E妃の実子)に聞かせたくはございませんけれど」

将軍や妃がまつりごとの場に出るのは稀だが、ことは帰還した王女について。いつにない顔ぶれだ。
私は戦々恐々としながら羽ペンを走らせ王女を見た。身じろぎもせずに静かにじっと聞き耳を立てている。
それはまるで……研ぎ澄まされた刃。弱点を狙い、仕留める一撃を虎視眈々と待つ刺客のようだった。

「王女ルディカに王位継承権を授ける」

宮廷合戦に割って入ったのは、陛下の威厳に満ちた厳かな一言だった。参列者達の声をかき消す。

しんと静まり返る宮廷。王女は王の意に応え、最大の敬意を持って深く頭を垂れた。

「ルディカよ、王位継承権を有すると言うことは、戦から遠ざけられ保護されていた女の王族の立場を捨てるということになる。そしてそなたは我が国の多くの騎士が極めることの困難なエルミア王国式剣術の手練れ、力と地位ある者はそれ相応の義務を持つものだ。おまえにその覚悟はあるか?」

王女ルディカはしばし沈黙した。微かに息を吸う音が響く。そして頭を下げたまま気高くハッキリと宣言した。

「はい。私は我が武を国と民の為に使わせて頂きとうございます。女の身でありながら王位を望むは浅ましいこととそしられようとも」

厳粛な沈黙が広がった。ほんの僅かな身動ぎも響くほど。王の威厳と姫の凛々しさ。正当な王族だからこそ創り出される圧倒的な何か。
私は羽根ペンを取り落としてしまいそうに胸が震えた。歴史が変わる瞬間を目の当たりにしている。

「方々、こんなことがあってよろしいのですか?伝統あるエルミア王家にこんなことが」

しかしその厳粛たる空気は、またもや将軍によって打ち砕かれかけたが、意外な人物が声を上げる。

「何がそんなに不満ですの?王位継承権を持つ王族が1人増えるのは国として喜ばしいことではございませんか。ましてやルディカ様は女の身でそれを成そうとされているのです。納得がいかないのなら…」

中立で知られるのZ妃がいさめ始めたのだ。

「あなたは名将軍なんですもの。ルディカ王女と手合わせで決めてはいかが?」

ありえない事態に謁見の間は騒然とした。将軍も言葉が出ない。Z妃は穏やかに笑う。

「何をそんなに騒いでおりますの?さきほどルディカ王女は『我が武は国と民のために使いたい』と仰っていたではありませんか。今は国の仕組みを揺るがす大事。それではその武を振って頂くのがよろしいでしょう?王国式剣術を真に使えるか皆が目にする良い機会となりましょう。お相手は先程から小うるさい将軍がちょうど対立しておりますし、望ましいと存じます。互いに禍根を残さない結果でスッキリもしましょう」

跪いたままの王女が顔を上げる。その目は嬉々とし輝いていた。

「私は構いません。将軍のようなお強い方が剣を交えて下さるだけで光栄です」

なんと好戦的な王女であろう。文官の私には将軍の姿すら恐ろしいと言うのに。Z妃の発言にも驚き、緊張が走る。
陛下はこの事態を面白そうにご覧になっていた。

「ルディカ、臣下を認めさせるのも大切なことだ。どんなに権力があろうと認められねば何も動かせぬ。将軍、そなた、Z妃の提案を受け入れて見ぬか?我は久しぶりにそなたの勇姿が見たい」

呆気に取られた様子の将軍は、立ち上がり彼に体を向けた王女の姿から何かを感じたのか、女という侮りが消えていた。

「剣で語り合う。望むところです」

小娘相手に何をムキにと囁く参列者の声など彼の耳にはもう届いていない。

「ルディカ王女殿下、あなた様が勝ったなら私はあなたの王位継承権を支持しよう。戦に望むやもしれぬお方が私のような老人に負けるようならば認めることは出来ぬ」

清々しい様子で挑発する将軍に、王女は好奇の目を輝かせた。

「それでは私が負けたなら、あなたの孫になります」

将軍の娘であるM妃がピクリと反応する。恐らく、政敵ではなくご自分の息子である王子と婚姻させる方向へ考えが切り替わったのだろう。

将軍は不敵に口角を上げる。老いたれども歴戦の雄らしい風格。小柄で細身の王女とは対照的だが、心から勝負を望んでいる様子だ。

「良いでしょう。我が娘M妃の養女となり我が将軍職を継いで頂きます」

この発言で王女の価値はさらに上がった。
一人の姫の帰還がエルミア宮廷内勢力図を大きく変えようとしていた。


その後の戦いは圧巻の一言だった。
もっとも、剣など持ったこともない私にはただただ凄いとしか思えなかったが、宰相閣下のお傍で拝見していたお陰で、R王子と側近の会話を聞くことができた。

「あの技…!」

観覧席のR王子側近が呟く。なんでも、"王国式剣術のステップによって、いなされ繰り出される防御法を攻撃に変えた技″、と言うものを王女が繰り出していたらしく、上級騎士である彼ですら使いこなせないとか。

「ルディカは一度教えればできてしまっていた。才は恐ろしいものだな」

私はR王子のこの言葉が後になって不自然に思えた。姫は王宮に現れたのは今日。それまでは行方不明、赤子の頃から10歳までは王都にはいたが王宮からは遠かった。

いつ、R王子は王女に教えたのか。側近が言うように難易度が高いのなら、陛下の言うように手練れなら、王女はいつ、どうやって将軍と対等に戦えるほどの武術を身に付けたのか。

戦いの後、将軍の言葉が密やかに伝わった。「あのお方は使命を持って帰ってこられたのだ」と。

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