夜明ノ森

冴木黒

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姫ギみノキ オク

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 歩いても、歩いても、代わり映えのない景色。
 途切れることのない木々はどこまで続いているのだろう。この森がどれだけ広いのか、彼は知らない。果ては、もしかしたらないのかもしれない。
 そんなことをぼんやり考える。
 それでも彼が足を止めることはなかった。
 自身の手掛かりとなるものを求めて、歩き続けていた。
 向かう方向は正しいのか、そんなものは考えるだけ無駄だとどうしてだか思った。
 歩く先に、何かがある。
 代わりに、そんな予感が胸にあった。

 あの奇妙な男に促され、探し始めてどのくらいの時間が経っただろう。ふと、今までになかったものを視界に見つけて、彼は足を止めた。
 鬱蒼と茂る下生え。その中にうっすらと光る何かがあった。
 近づいて見ると、それは花だった。

 小さくて素朴な、黄色い花。

 彼はその場に屈むと、自然と手を伸ばした。形のあやふやな指の先が触れる。
 その瞬間―――
 鮮烈な白い光が彼の内側を満たした。


 
 緑馨る春の庭。
 朝露に濡れる若葉。咲初めの薔薇。その花弁に優しく指で触れるひと。鼻を寄せてすぅと息を吸い込み、朗らかに笑む。
 整った顔立ちの、美しい女性。
 月の光を集めたような金の髪に、瞳は澄んだ湖の深いところの色。

「こちらのお庭はとても美しいですね。わたくしの知るものとはまた全然違ったお花ばかりで、ずっと見ていて飽きませんわ」

 慈愛と、優しさに満ちた笑顔。
 突然それが歪んで崩れる。どろりと、滑った何か黒いものが落ちてきて、視界を塗りつぶす。
 這いよるような声が聞こえる。

 ああ……
 憎い。
 憎い憎い憎い憎い憎い憎イにくいニクイニくイ ニク い。
 
 どうして、なぜ?
 あのひとは受け入れられテイルノに、アタタカク迎えいれラレているのに、
 どうして私ばかりガ?
 
 アの方ダッて、ソウ。

 イツダッテ、ワタク  シノ コ トナド、


 見てイ ナ  か  っタ。


 渦巻く憎悪の念。迫る黒。逃れようのない殺意。
 呑まれた。
 確かにそう思った。
 けれど、そこは元いた場所だった。
 夜の森。
 花は輝きを失っていた。
 唐突に強い風が吹いて、花を散らした。
 黄色の花弁が舞うその向こうに人影が浮かび上がり、軽快な声が言う。

「第一幕 悲劇の姫君、はじまりはじまりぃ~!」

 あの時の男だ。
 大きな岩の上に胡坐をかいて座り、ゆらゆらと体を揺らしていた。

「むかぁしむかしの物語。とある大国に嫁いだ美しい王女が迎えたのは悲しい結末。孤独な心の隙をつかれ、利用され、愛するものも何もかも、全てを失った姫君。ああ、気の毒だねぇ! かわいそうだねぇ!」

 男は言いながら、服の袖で目元を拭う真似をする。しかし声や、闇の中うっすら見える表情には笑う気配があって、それは言葉だけのものだと知れる。

「ひとつ目の記憶」

「そう、これはあんたのもの。あんたのなかにあったはずの思い出。あんたの一部。あんたを構成するもの」

「え? 知らない? さっきのひとは誰かって? ダぁメダメ、焦っちゃあ。だって見つけられたのはまだたった一つなんだ。もっともっと探さなきゃ。時間はまだある。いや、もうあまりないのかな? どっちだろうねぇ、焦っちゃうねぇ。さあ早く探しに行かなきゃ、夜が明けるよ。全てを見つけないと、君は君でなくなって、そしたら晴れて君も仲間入りだ。オレとおんなじ、      の   に」

 邪魔が入ったわけでもないのに、最後の方だけがどうしてだか聞き取れなかった。
 音は聞こえているのに、言葉として認識することができない。そんな感じだ。

「さてさて、次はどんな記憶を見つけられるかなぁ? 見つけたとして」

 声が途切れ男の姿が急に消えたと思うと、すぐ目の前、鼻先が触れる距離に顔があって、彼は驚き背後によろめく。足がもつれて尻もちをつく。男はずいっと顔を寄せ、これまでとは違って低く平坦な声で言った。

「あんたはそれを己のものとして受け入れられるのか」

 それまで影に隠れていた顔を、彼は初めてはっきりと見た。
 丸い眼鏡をかけた、二十歳前後の男だった。光る金の目が、少し猫のようだと思った。にたりと三日月の形に笑う口。
 男は折り曲げた上半身を起こして、顎を反らせ彼を見下ろした。

「次回 知らない誰かの知らない記憶! 壊れゆく自我!! どうするどうなるアンノウン、お楽しみにぃ~!」

 姿が消え、声だけが後に残った。
 彼は立ち上がろうとして、そこで初めて掌に触れる地面の感触に気が付いた。
 見やった手の先に落ちた、小さな花弁を見つける。指先で拾い上げると、それはさらさらと砂のように崩れ去り消えてしまった。
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