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復讐の花嫁
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半年ほど前。女が十九の年を迎えたばかりのこと。
夫となるのは五つ下の、まだあどけなさが残る少年だった。誓いを交わし、宴を終え、二人が夫婦となってから初めて迎える夜、軍勢が押し寄せてきた。
炎が村を焼き、故郷の人々は無残にも殺された。
夫もまた、女を庇って命を落とした。
全てを失った女は、あの日から復讐するためだけに生きてきた。
毎夜のように夢を見る。
「これからは僕が、きっとあなたを守ります」
そう言って微笑む夫。
真っ直ぐな黒い目。僅かにふくらみのある頬。隣に立っても劣らぬ存在であろうとする、ひたむきな心根。
まだ小さな両の手は、それでも頼りなさなど微塵も感じさせることなく、しっかりと女の手を包み込む。
その手が、力なく地面に落ちる。
見開かれ、光を失った瞳。赤黒く染まった婚礼の衣装。
今も瞼に焼き付く顔。
揺れる炎の赤に照らし出された男の、その笑み。
光を弾く金属製の鎧に刻まれた鷹の意匠。
血と肉の焼けるにおい。
知っている誰か悲鳴。
ユルサナイ。
絶対に。
あの男を。
村を襲った神殿兵達を。
東の神殿を。
全部、全部、
ゼンブ……
この手で壊してやる。
だから、こんなところで倒れるわけにはいかない。
女は憎しみに満ちた目でそいつを見上げた。
黒い巨体に、光る二つの目玉。避けた口からは、呻きのような声が漏れるばかり。
知性など感じられないその風体。
近年、各地に姿を現すようになった化獣《ばけもの》と呼ばれる異形の存在。
傷ついた腕を血が伝う。
女はその手に槍を構えなおすと、眼前の敵に立ち向かった。
だが渾身の一撃が届く前に、太い腕が振り払われ、女は軽く宙に飛ぶ。恐ろしく強い力だった。投げ出された体は木の幹にぶつかる。強かに背中を打ち付け、束の間呼吸ができなくなる。
痛みに意識が混濁し、景色が霞んで見えた。全身がひどく痛む。
それでもどうにか立ち上がろうと、女はもがく。
薄藍の瞳に怒りの炎を滾らせ、迫りくる化獣を睨みつける。
影が女の上に落ちる。
だが、それは化獣のものではなかった。
化獣と女の間に立ち塞がる人の、小さな影。
男の、まだ少年のように見える。短く細い片刃の剣を携えた少年は姿勢を低くし駆けると、猫を思わせる跳躍力で上空に飛び上がった。化獣はそれを目で追う。振り上げられた刃が陽光を弾き、化獣の目を眩ませる。
ほんの僅かな隙が生まれる。
おぞましい悲鳴が辺りに響き渡った。
縦一文字に切り裂かれた巨体は仰向けに倒れ、霧のようになって宙に散る。
「大丈夫?」
差し伸べられる手。
腕から肩、首となぞるように視線を動かし女は少年の顔を見上げる。
まだ十五、六といったところだろうか。
成人して間もないように見える。
白金色の柔らかそうな髪の、中性的な見た目の綺麗な顔立ちの少年だ。目の色が左右で違う。右が赤で、左が髪と同じ色。
優しげな眼差しが、心配そうに見つめてくる。
女は目の前にある少年の手を取らず、自力で身を起こそうとし、しかし言うことを聞かない体は再び地面に沈んでしまった。
「うわぁ、無理しないで!」
少年が慌てて傍に屈む。
「そいつ肋骨イッてんぞ」
放っておいてくれと女は言おうとしたが、声が割り込んできた。
粗暴な物言いは少年の他にも別の誰かがいることを示すが、どこにいるのかその姿は見えない。
「ヘビ、治せる?」
「そりゃあ可能だが、そうする理由がねぇ。こちとら慈善事業じゃねぇんだ」
「そんな」
「けどまぁ」
するりと何かが女の視界に入ってくる。
白く細長く、うねる体が草の上を、波を描くようにして這いながら女の前に来た。
「テメェの魂を差し出すってんなら考えてやらなくもない、如何する女」
小さくもたげた頭。
血のように赤い目。
かぱりと開いた口から、ちょろちょろ出し入れされる舌。
それほど大きくはない。
だが人語を解す蛇の存在に、驚いたのも一瞬のこと。女は起き上がりざまに槍を薙いだ。少年はすんでのところで飛び退き、切れた草が散る。
狙ったはずの獲物が見当たらない。
「いいねぇその怒り、その憎しみ、実に旨そうだ!」
声がする方向に視線を向けると、戸惑う少年が立っていて、その腕に白蛇が巻き付いていた。
胸の激痛にがくりと膝をつきながらも、女は射殺しそうな目で蛇を睨む。
「この化獣が……!」
「おいおい、あんな低俗な輩と一緒にすんじゃねぇよ。第一そんな雑魚に手こずってたのは、どこのどいつだ? そうだ、テメェだよ」
「殺すッ!」
無様だなと、白蛇が笑うのを少年が嗜める。
「やめなよそういうの、ヘビは仮にも神様なんだろ」
「ハッ、ニンゲンどもが勝手にそう呼んだだけだ。堕ちた神だの裏切り者だの好き勝手言いやがって」
「あ、案外気にしてる?」
「バッカお前、裏切りも何もこっちからすりゃあちらさんとの間に信頼関係なんざ、犬のクソ程もねぇんだよ。そっれをお前裏切るもなんもないだろ」
白蛇はするすると少年の体を伝って上り、首に巻き付く。
少年が目線を動かしながら言う。
「ねえ、それよりこの辺りに村とかないかな」
「さあなってオイ、てめぇから話ふっかけといて」
「だってこの人怪我してるし、放っておけないよ」
「テメェでテメェの面倒も見れないお子ちゃまが、他人の心配してる場合か?」
「だからさ、ヘビがぱぱっと治してくれたら済む話じゃん」
「してください」
「何?」
「礼儀知らずのガキが、テメェは頼み方がなってねぇんだよ」
首に巻き付きながら、ぐっと長い体を伸ばして少年のこめかみのあたりに顔を近づける。
少年はそれを横目で見ながら言う。
「この人を治してあげてください。これでいい?」
「よろしくお願いします、だ」
「よろしくお願いします」
フンと息を吐いて、白蛇はもう一度地面に降りた。
「近、寄るな……このッ」
「おい女」
女は掠れた声で言い、地面でもがく。
それを見つめる赤い目も、声も笑ってはいなかった。
「覚悟しろよ」
夫となるのは五つ下の、まだあどけなさが残る少年だった。誓いを交わし、宴を終え、二人が夫婦となってから初めて迎える夜、軍勢が押し寄せてきた。
炎が村を焼き、故郷の人々は無残にも殺された。
夫もまた、女を庇って命を落とした。
全てを失った女は、あの日から復讐するためだけに生きてきた。
毎夜のように夢を見る。
「これからは僕が、きっとあなたを守ります」
そう言って微笑む夫。
真っ直ぐな黒い目。僅かにふくらみのある頬。隣に立っても劣らぬ存在であろうとする、ひたむきな心根。
まだ小さな両の手は、それでも頼りなさなど微塵も感じさせることなく、しっかりと女の手を包み込む。
その手が、力なく地面に落ちる。
見開かれ、光を失った瞳。赤黒く染まった婚礼の衣装。
今も瞼に焼き付く顔。
揺れる炎の赤に照らし出された男の、その笑み。
光を弾く金属製の鎧に刻まれた鷹の意匠。
血と肉の焼けるにおい。
知っている誰か悲鳴。
ユルサナイ。
絶対に。
あの男を。
村を襲った神殿兵達を。
東の神殿を。
全部、全部、
ゼンブ……
この手で壊してやる。
だから、こんなところで倒れるわけにはいかない。
女は憎しみに満ちた目でそいつを見上げた。
黒い巨体に、光る二つの目玉。避けた口からは、呻きのような声が漏れるばかり。
知性など感じられないその風体。
近年、各地に姿を現すようになった化獣《ばけもの》と呼ばれる異形の存在。
傷ついた腕を血が伝う。
女はその手に槍を構えなおすと、眼前の敵に立ち向かった。
だが渾身の一撃が届く前に、太い腕が振り払われ、女は軽く宙に飛ぶ。恐ろしく強い力だった。投げ出された体は木の幹にぶつかる。強かに背中を打ち付け、束の間呼吸ができなくなる。
痛みに意識が混濁し、景色が霞んで見えた。全身がひどく痛む。
それでもどうにか立ち上がろうと、女はもがく。
薄藍の瞳に怒りの炎を滾らせ、迫りくる化獣を睨みつける。
影が女の上に落ちる。
だが、それは化獣のものではなかった。
化獣と女の間に立ち塞がる人の、小さな影。
男の、まだ少年のように見える。短く細い片刃の剣を携えた少年は姿勢を低くし駆けると、猫を思わせる跳躍力で上空に飛び上がった。化獣はそれを目で追う。振り上げられた刃が陽光を弾き、化獣の目を眩ませる。
ほんの僅かな隙が生まれる。
おぞましい悲鳴が辺りに響き渡った。
縦一文字に切り裂かれた巨体は仰向けに倒れ、霧のようになって宙に散る。
「大丈夫?」
差し伸べられる手。
腕から肩、首となぞるように視線を動かし女は少年の顔を見上げる。
まだ十五、六といったところだろうか。
成人して間もないように見える。
白金色の柔らかそうな髪の、中性的な見た目の綺麗な顔立ちの少年だ。目の色が左右で違う。右が赤で、左が髪と同じ色。
優しげな眼差しが、心配そうに見つめてくる。
女は目の前にある少年の手を取らず、自力で身を起こそうとし、しかし言うことを聞かない体は再び地面に沈んでしまった。
「うわぁ、無理しないで!」
少年が慌てて傍に屈む。
「そいつ肋骨イッてんぞ」
放っておいてくれと女は言おうとしたが、声が割り込んできた。
粗暴な物言いは少年の他にも別の誰かがいることを示すが、どこにいるのかその姿は見えない。
「ヘビ、治せる?」
「そりゃあ可能だが、そうする理由がねぇ。こちとら慈善事業じゃねぇんだ」
「そんな」
「けどまぁ」
するりと何かが女の視界に入ってくる。
白く細長く、うねる体が草の上を、波を描くようにして這いながら女の前に来た。
「テメェの魂を差し出すってんなら考えてやらなくもない、如何する女」
小さくもたげた頭。
血のように赤い目。
かぱりと開いた口から、ちょろちょろ出し入れされる舌。
それほど大きくはない。
だが人語を解す蛇の存在に、驚いたのも一瞬のこと。女は起き上がりざまに槍を薙いだ。少年はすんでのところで飛び退き、切れた草が散る。
狙ったはずの獲物が見当たらない。
「いいねぇその怒り、その憎しみ、実に旨そうだ!」
声がする方向に視線を向けると、戸惑う少年が立っていて、その腕に白蛇が巻き付いていた。
胸の激痛にがくりと膝をつきながらも、女は射殺しそうな目で蛇を睨む。
「この化獣が……!」
「おいおい、あんな低俗な輩と一緒にすんじゃねぇよ。第一そんな雑魚に手こずってたのは、どこのどいつだ? そうだ、テメェだよ」
「殺すッ!」
無様だなと、白蛇が笑うのを少年が嗜める。
「やめなよそういうの、ヘビは仮にも神様なんだろ」
「ハッ、ニンゲンどもが勝手にそう呼んだだけだ。堕ちた神だの裏切り者だの好き勝手言いやがって」
「あ、案外気にしてる?」
「バッカお前、裏切りも何もこっちからすりゃあちらさんとの間に信頼関係なんざ、犬のクソ程もねぇんだよ。そっれをお前裏切るもなんもないだろ」
白蛇はするすると少年の体を伝って上り、首に巻き付く。
少年が目線を動かしながら言う。
「ねえ、それよりこの辺りに村とかないかな」
「さあなってオイ、てめぇから話ふっかけといて」
「だってこの人怪我してるし、放っておけないよ」
「テメェでテメェの面倒も見れないお子ちゃまが、他人の心配してる場合か?」
「だからさ、ヘビがぱぱっと治してくれたら済む話じゃん」
「してください」
「何?」
「礼儀知らずのガキが、テメェは頼み方がなってねぇんだよ」
首に巻き付きながら、ぐっと長い体を伸ばして少年のこめかみのあたりに顔を近づける。
少年はそれを横目で見ながら言う。
「この人を治してあげてください。これでいい?」
「よろしくお願いします、だ」
「よろしくお願いします」
フンと息を吐いて、白蛇はもう一度地面に降りた。
「近、寄るな……このッ」
「おい女」
女は掠れた声で言い、地面でもがく。
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「覚悟しろよ」
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