水端ノ獣ノ物語

冴木黒

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風ニ融ケル

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「お父さんはね、漁師さんで、お船で海に出てたくさんお魚をとってくるの。しんせんなお魚で作ったスープ、すっごくおいしいんだよ! それでね、それでね、お母さんはお腹が大きくてね、もうすぐわたしに妹ができるんだって!」
「そうですか、それではオト殿はお姉様になるというわけですな」
「うん! いっぱい遊んであげるの!」

 オトは無邪気で明るい子供だった。
 忌み子として神殿に来る前は、海沿いの小さな村で、両親と三人で暮らしていたという。
 住んでいた村のこと、家族のことを嬉しそうに話してくれた。故郷に帰れると聞いて、喜んだ。

「砂浜にはね、綺麗なピンクの貝殻があってね。村の女の人たちは、それを集めて髪飾りや首飾りにするんだよ。今度フラウお姉ちゃんに作ってあげるね」
「ああ、楽しみにしてる」
「ガサツな暴力女にゃ似合わねェよ」
「うるさい、砂に埋めるぞ」

 フラウとオトが加わったことで、旅は一気に賑やかになった。フラウとヘビは何かといがみあっていたが、そんなやりとりでさえラムダの目には微笑ましく映った。
 長らく失われていた、穏やかな時間だった。

「ラムダのお兄ちゃんやヘビさんもいっしょに海で遊ぼうね!」

 愛らしい笑顔に妹の面影を見て、ラムダは目元を柔らかくする。
 ニシキがふむと、顎の髭を撫でて言う。

「海でございますか、良いものですな。青い海、白い砂浜に輝く膝裏……」

 声には恍惚の響きがあって、フラウが怪訝な目でニシキを見た。だが意識が既に別のところにあるニシキは、気が付いてもいなかった。

 海沿いの村を目指しての旅は、ヘビと二人で行動していた時のようにはいかなかった。特に幼い子供を伴っていては、尚更。休憩を挟む回数が増え、歩く速度も遅くなる。夕刻までに村や街にたどり着けず、野宿になることもあったが、オトは決して我儘も弱音も吐かなかった。また、この年頃の子供にしては、めっぽう我慢強く、一生懸命大人たちの後をついて来た。たとえ歩き通しで足を痛めていても、訴えようともしなかった。ただ時折、

「お父さんとお母さんに、早く会いたいな……」

 寂しげにそう零すことがあった。
 彼女のひたむきさは、家に帰りたいという思いの強さゆえだろうと思った。

「オトは、素直でいい子だよね。あの子が育った村は余程いいところなんだろうな」

 野営の準備をする中、フラウを手伝うオトを見ながらラムダが言った。
 その言に首を傾げたのはニシキだった。

「さて、それはどうでしょうか」
「え?」
「ああいえ、村のことは存じあげません。ただ、あの聞き分けの良さは、村での穏やかな暮らしの中で育まれたものなどでなく……何と申しましょうか、まるで大人の顔色を窺うような、怒らせまい嫌われまいとする怯えのような、そんなものを感じましてな。なに、忌み子としてあのような扱いを受けたことが原因でしょう」

 ラムダも身に覚えがあった。
 これ以上酷いことをされないように。相手の機嫌を損ねないように。
 精一杯、できることをして。自分の中にある本当の感情は見ないふりをして。
 全部、生きのびる為だった。

「もちろん、あの子自身が本来持つ気質も大きく関係していましょうが」

 ニシキが言って、ラムダも頷く。

「うん。優しくて一生懸命ないい子だね」
「ラムダ殿も、良い子ですぞ」
「そんなこと」

 ないよと続けようとしたが、ニシキがそれを遮った。

「妹思いの良い兄君にございます」
「違うよ……僕にはもう、テラしかいないから。それ以外に、何もないから」

 ニシキは大きな丸い目をさらに大きく開いてラムダを見つめる。

「そうですか、ではこれからもっともっと、見つけねばなりませんな」
「見つける? 何を?」
「大切だと思える存在を」
「…………もう、遅いよ」

 ぽつりとラムダが言った。憂いを帯びた眼差しが見つめるのはどこか遠く。その様子は風に攫われて消えてしまいそうに儚い。
 呟きが聞こえていたのかどうか、ニシキは焚き火用に拾った木の枝を一本持ち上げると、慣れた手つきで糸を巻き付けて垂らし、その先に鈎を取り付けた。

「さて向こうの方には川がございましたな。ワタクシは夕飯用の魚でも釣ってまいりましょう」

 即席の釣竿を肩に乗せ、ニシキはのんびり歩いて野営地を離れる。
 その道すがら突然声を掛けられた。

「案外、意地が悪イじゃねェか? ええ?」

 声は上方からで、見上げると木の枝にヘビがいた。

「おお、それは心外でございます。ワタクシは純粋に、心の底から推しの幸せを願っているのですから」
「そうイうのを余計な世話だッつーンだよ。本人が望ンでねェんだからなァ」
「望んでいないのではなく、望んではいけないとお思いなのでしょう」

 ニシキは再び川に向かって歩き始める。
 返答する声も追ってくる。

「罪ノ意識ってヤツかぁ? クソみてェに役に立たない良心なんざ捨てちまった方が身のたメだよなあ。まァアイツの場合、望めないッてーのもあンだろうが。幸福を手にすレば、同時にそれを手放さなけレばならねェ恐怖と向き合う羽目にもなる訳だかラよ」
「さてそれはどなたのせいですかな?」
「ほんとマジ性格悪ィぜお前」

 川のほとりに腰を下ろし、その辺の石を退かせて、餌になりそうな虫を指で摘まみあげる。
 針に刺してもまだ、虫はうねり、もがき続けている。
 ニシキは頭上の気配に向かって、問いを投げかける。

「苦しみを伴う幸せや、いつか失われる幸せは、本当の幸せとは呼べませんか?」
「そうイう下らねェ疑問に答えを求めンのは人間くらイのもンだ」
「……ところでシロタエ様、今日はなさらぬので?」
「ねェよ」
「それは残念」
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