宵の太陽 白昼の月

冴木黒

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めんどくさくて、しんどいこと

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「この場所からずっと遠くへ。飢えのない、渇きのない土地へ。お前の母はそう願った。あの魔族は命を力の根源とするが、同時に母性を司る者でもあった。そして契約が結ばれた」

 頭の後ろで声がする。
 クレピスキュルの声。
 瞼の上から掌が外される。
 そのままもう一度強く抱きしめられる。

「だって、そんなの。お、おかあさんは、わたしの本当のおかあさんじゃなかったんでしょ? だったらなんでそんなこと」

 ディアの目から大粒の涙がこぼれ頬を伝い落ちたが、宙で弾けて消えた。
 クレピスキュルとディアがいるのは奇妙な空間で、天井も床もなければ壁もなく、目の前で色んな光景が浮かびあがり、流れては消えていった。

「彼女はお前の母親だよ。そうなりたいと願い、そうなろうとしたからだ。彼女はお前のことを本当の娘だと思い育てた。これを母と呼ばずになんと呼ぶ?」
「でも、いやだよそんな、自分の命を犠牲にとかそんなの」
「そうしなければ、お前が死んでいた。あの時衰弱していたお前を救うにはああするしかなかった」
「それでも……!」
「まあなあー」

 クレピスキュルはディアの頭に顎を乗せて、んーと唸る。

「もうこういうのってな、よくあることで勝手にそんなことしてもらっても嬉しくないーだの、残されたこっちがつらいんだーだの、儂も長年生きてきた中で色々あったわけで」

 感情のこもった声でクレピスキュルは言う。

「でもいつも、今更どうしようもなくて、何もできない今を受け止めるしか、結局なくてだな。それはそれでめちゃくちゃ難しいのよなあ。だからまあわかるんだお前の気持ちも。母親に感謝しろだの、その分もしっかり生きろだの言うつもりはないさ」

 今更どうしようもない。
 そうなんだろうか。そうなんだろうな。
 だって魔王が言うんだもの。
 すごい力を持ってる人がそう言うんだもの。過去は変えられないって。死んだ人を生き返らせることはできないって。

「ただな、自身の行いによってお前が苦しみ続けたり、お前がお前を責めるようなことは恐らく母親は望んでなかったことだろうと思うよ。お前を悲しませるために、自らの命を差し出したわけじゃない。それくらいのことは他人である儂でも想像できるよ」

 声はどこまでも優しかった。
 クレピスキュルは顎をどけて、身体を離した。
 一度軽く頭を撫でる。

「そして、彼女の望みは彼女の権利でもあるんだ。彼女が自分自身で考え、揺るぎのない意思と想いを以て果たされた。だからディア。本当は、お前が彼女の死を悲しみ、その苦しみを一生抱え続けていくというなら、それも一つの選択なんだ。誰からであっても侵害されるべきではない、その人の生き方だ。ただ儂や、お前の親しい友人たちはお前のそんな姿を見れば辛いと、きっとそう思うだろうよ」

 クレピスキュルの話はディアにとって少しだけ難しかったが、自分のために大事な話をしてくれていて、自分のことを想っていてくれているのは伝わってきた。
 ディアは何だかまた泣きたくなったが、今回は悲しさからこみ上げてくるものではなかった。
 クレピスキュルが自分の耳たぶを引っ張りながら、唇をゆがめる。

「さあそろそろ戻るとしようか。ラティアータのやつがうるさくてかなわんよ」
「クレピスキュル」
「うん?」
「さっき見せてくれた中で、お母さんはわたしが一人で生きていけるようにって言ってたでしょ。いろんなことを教えてくれたの。狩りの仕方、毛皮の取り方、魚や肉の捌き方、刺繍の仕方、食べられる草や木の実の見分け方、他にもたくさん。わたし、きっとどこでだって生きていけると思う。身の回りのことなら自分で、一人でもほとんどのことができると思う。でも」

 できることは自分の力でどうにかして、できないことはできることで稼いだお金で、大抵のことならどうにかなるわ。
 思い出す。母の言葉。
 東大陸の森の奥。長年住んだ家。食べるのに困ることはない。森を出て少し行ったところには小さな集落があって、足りないものはそこで補うことができた。
 ずっとあの場所で暮らしていくのも、悪くはなかっただろう。
 自然に囲まれて、その中で自分の力で生きていけるというのは、豊かで恵まれたことだと思う。
 それは決して不幸なことではないと思う。

「でももうわたしには無理だろうなって思うの。だってそれはなんだか、少し寂しい気がして」

 それまで知らなかった人と出会って、友達になったりして。一緒にご飯を食べて旅をして。
 そんなことを、ディアはもう知ってしまった。

「寂しいのはもう嫌」

 ディアは振り返って言う。
 クレピスキュルは曖昧に笑って、肩を竦めた。

「誰かと一緒にいるというのは、少なくとも気が楽なことではないぞ? 時々、いや結構めんどくさかったりしんどかったりすることもあるしな」
「それでもわたしは、その楽じゃなかったり、めんどくさかったり、しんどかったりすることを選びたいよ」

 なんだか誇らしい気持ちで、ディアは言った。
 クレピスキュルが微笑む。

「ディア、お前はきっとどこであっても……もし全く違った環境で、想像もつかないような、これまで積み重ねてきた経験や培った知識が通用しない場所に放り出されても、きっと自らの力で切り開いて生きていくことができるだろう。今回お前が、何もわからないまま旅に出て、ここまで辿り着いたように」
「後先考えなさすぎとか無謀だとか言われたけど」
「うん儂もそう思う」
「後先考えてたら何もできなくない?」
「まあなー。それでも無事で、元気でいてくれるのなら儂は別に構わんよ」

 クレピスキュルがディアの手を取る。
 魔王の感覚を通じて、遠く、微かに聞こえてくる。淀みのない声。
 ラータのものだ。
 クレピスキュルの髪が光を纏い、声が近づいてくる。
 景色が一瞬で変わった。草の上に降り立つ。正面にはラータと、やや離れた場所にシオンとソロもいた。
 ディアとクレピスキュルの姿を見て大人二人が近づいてきた。

「よかったディア。どこへ行ってしまったのかと」
「村の外にも姿ないんだもんな。そいつも見当たらないし、まあ一緒じゃないかとは思ってたけど」
「ちょっと女同士の話をしておったのよなー?」

 クレピスキュルにぎゅうぎゅう抱きしめられて、ディアはくすぐったそうに笑う。
 シオンが首を捻った。

「魔王って性別とかないんじゃなかったでしたっけ?」
「そうそう、でもまあ今はとりあえず女だからー」
「そうなんです?」
「何? この豊満な乳が見えんのか?」
「やらかいよ本物っぽい」
「本物だよ」
「ラータ」

 ソロが一人立ち尽くしていたラータに気づいて呼んだ。
 ラータは息を詰めて、それから言った。

「ディア。あの、おじいちゃんがひどいことを……」
「うん、わたしもくたばりぞこないとか言っちゃった。そもそもひどいのはおじいさんだし、ラータが謝ることじゃないでしょ」
「でもあの時何も言えなかったからさ」
「えーでもそれは」

 ラータは落ち込んでいて、ディアは困り返答に悩んだ末に言う。

「別に期待とかしてたわけじゃないしそんな……」

 言われて、ラータは固まった。
 シオンとソロは何となく見ていられなくて、そっと目を逸らせた。

「そ、え、その、僕、そんな? 頼りに、ならないかな!?」
「そうじゃないけど嫌じゃない? なんで庇ってくれなかったのとか助けてよとか言われるの」
「そそそれはそうだけど……」
「要するにあれだろ。甘えられすぎるのも嫌だけど、まったく期待されないのはされないのでちょっとって複雑なやつ」

 クレピスキュルが薄く笑みを浮かべて言い、ディアは思い切り眉をひそめた。

「いやめんどくさい。そんなん自分の中で消化して」
「うぅわ、かっこつかんなー」
「やめてやれよ……」

 笑いながらクレピスキュルが言い、ソロが嗜める。
 シオンも言った。

「いや、まあほら情けない話ですけど、俺もあの時呆気にとられて何も言えませんでしたしね。なんでクレピスキュルさんがいてくれて助かりましたが」
「年の功年の功、年重ねると諦め早かったり、図太くなったり、ある程度のことなら動じなくなるもんよ。お前たちまだ若いんだしまだまだこれからだろ。とりあえずラティアータお前は名誉挽回がんばっ」

 親指を立てて腕を突き出し、クレピスキュルが言った。ラータは凍り付いたまま動かず、ソロがその肩を軽く叩いてやった。
 ふと、ふわりと風が吹いた。
 その中に混じった僅かな空気の変化を感じ取り、クレピスキュルは顔から笑みを消した。
 ラータもまた、びりびりと肌を伝うような異質な気配に緊張する。

「クレピスキュル」
「参ったな。奴らトルトゥガには寄らず、直接遺跡へ向かったらしい」
「え!」

 見ると、草の上を流れるクレピスキュルの髪が明滅していた。
 ラータがぶるりと体を震わせた。

「誰かが魔法を使ってる。ぶつかり合ってる」

 ソロとシオンが不安げにあたりを見回している。
 恐らく二人も感じているのだ。
 クレピスキュルやラータのように、はっきりとしたその力の流動と正体を知ることはできないが、それでも空気がざわついているのがわかる。
 何かが起ころうとしていて、それに気が付き騒ぎ立てているものがいる。
 ディアは体の脇で拳を握りしめ、言った。

「行かなくちゃ」
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