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祭りの夜の怪
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夕暮れに、太陽が赤く輝き、地平を染める。藍色の空には、大部分が欠けて細くなった月と、無数の星。地上には影が落ち、広場に人が集まり始める。
ルフスとティランも宿を出て、広場へ向かう。
広場の中心には火が焚かれていた。火の粉がはじけて宙を舞う。
楽器の音に合わせ、着飾った人々が踊っている。その周囲では手拍子を送ったり、盃を手におしゃべりに興じたり、料理を食べるのに夢中になっていたりと様々だ。
広場の隅には木のテーブルと長椅子があり、ティランはそこに腰かけ、宿から持ち出したカンテラを置いて本を広げる。
ルフスは一人どこかへ行ったかと思うと、料理を乗せた皿を二つ持って戻ってきた。ひとつをティランの前に置いて言う。
「熱心だなー、それ何冊目だっけ」
「三冊」
「読むの早くない?」
「そうでもねぇやろ」
「飲み物取ってくるな。酒と水どっちにする?」
「酒」
わかったと言って、ルフスはまたテーブルを離れる。そして今度は飲み物の注がれたコップを持って戻ってきた。正面に座ってぽつりと呟く。
「おれも字、覚えた方がいいのかな」
「覚えたいって思う時でいいんやない? こうした方がええとか、こうしなおえんとかって気持ちで勉強やこうしても身に着かんし」
「ごめん、おえんって何?」
「いけない、だめって意味や。前後から察しろ」
「喋れるんなら普通に喋ってくれよ」
「あほ、なんで喋り方までおまえさんに合わせたらないかんのや」
「それもそうか」
ルフスは感心したように頷き、料理を食べ始めた。
肉は柔らかく、脂がのっていて美味い。それでいてレモンのソースがいい具合に口の中をさっぱりさせてくれる。
「ちょっと休んで食いなよ、うまいよ。食わないならおれがもらうけど」
「おい、意地汚い真似すんな」
言いながら伸ばしてきたルフスの手を払って、ティランは皿を自分の方へ引き寄せる。
「だって早く食わねぇと冷めるだろ。もったいない」
「おれは猫舌なの。繊細なの。わざとこうして冷ましとるんや」
「はいはい。それじゃあ、おれはおかわりをもらってくるとするよ」
空になった皿を持って立ち上がり、いそいそと屋台に向かうルフスの背中を見やって、ティランは気の抜けた顔をした。
「おまえは食うのが早すぎやろ……」
焼いた肉と野菜、それから蒸して潰し、味付けをした芋を食べて、酒を呑み、もう一度本を読み始めたティランは、ふとルフスが戻らないことを不思議に思って顔を上げた。
遠くに視線を向けて見つける。
街の住人だろうか、誰か年配の男と歓談しているようだった。
男はルフスの背中を叩いて笑い、ルフスは後ろ頭を掻いて、困ったような笑みを浮かべ、掌を横に振っている。その様子から何かの誘いを断っているかのような感じだった。
だが男は強引にルフスの背中を押してどこかへ連れて行く。
「ま、ええか……」
ルフスなら多分どうとでもするだろうし。
そう思って、ティランは本に視線を戻した。
目で文字を追うティランの耳に、音が混じりあって届く。
楽器の奏でられる音。それから、リズムに乗せて地面を踏む音。
人々の話し声。
弾ける火の音。
微かな、風の音。
祭り特有の、浮きたった空気が含まれている。
本に落ちる橙の光。実りの、秋の色。熟した果実。地面を彩る落ち葉。夕暮れの空。温かな、安らぎの色だ。
光が揺らぐ。
全ての音がほんの一瞬、不自然に途切れた。
わずかな静寂。
音が戻る。
違和感に、ティランは再び顔を上げた。
視界が真っ暗になり、息を呑む。
突然、光がなくなった。
テーブルの上のカンテラも、広場の中心の大篝火も、空に浮かぶ星月さえも消えて、辺りを闇が満たす。重苦しいような闇だ。それでいて肌にまとわりつくような不快感がある。
視界が利かないその中で、何かが蠢く気配を敏感に感じ取り、身の毛がよだつ。
どこかで悲鳴があがり、陶器かガラスの割れる音がした。笛の音に似た、高音域の音が耳を刺す。
渦巻く動揺と混乱。逃げ出す人々の気配。
遅れて逃げようとして、ティランは身体が動かないことに気が付く。
まるで意識と切り離されでもしたかのように、意思に従わない身体。声も出ない。瞬きすら許されない。
けれど、不思議と感覚だけが残っていた。
何か。風のように或いは波のように襲い掛かってきた何かが、身体の内側に入ってくる感じがあり、たとえようのない恐怖がティランを支配した。
何がどうなっているのか何もわからないのに、ただただ恐ろしい。
それ以外に物事が考えられず、意識が曖昧になる。
視界も、頭の中も、黒一色に塗りつぶされ、自分が自分でなくなる。
世界からすべてが消え去る。
「ィ……ラン…………!」
声がした。
途切れがちで音に乱れがあった。それでも音すら存在しなかった世界に誰かの声が響き、今度は真っ黒な視界の中の一点に光が灯った。
針の先のような、小さな小さな光は暗闇を破るようにして広がり、そして――――――
ルフスとティランも宿を出て、広場へ向かう。
広場の中心には火が焚かれていた。火の粉がはじけて宙を舞う。
楽器の音に合わせ、着飾った人々が踊っている。その周囲では手拍子を送ったり、盃を手におしゃべりに興じたり、料理を食べるのに夢中になっていたりと様々だ。
広場の隅には木のテーブルと長椅子があり、ティランはそこに腰かけ、宿から持ち出したカンテラを置いて本を広げる。
ルフスは一人どこかへ行ったかと思うと、料理を乗せた皿を二つ持って戻ってきた。ひとつをティランの前に置いて言う。
「熱心だなー、それ何冊目だっけ」
「三冊」
「読むの早くない?」
「そうでもねぇやろ」
「飲み物取ってくるな。酒と水どっちにする?」
「酒」
わかったと言って、ルフスはまたテーブルを離れる。そして今度は飲み物の注がれたコップを持って戻ってきた。正面に座ってぽつりと呟く。
「おれも字、覚えた方がいいのかな」
「覚えたいって思う時でいいんやない? こうした方がええとか、こうしなおえんとかって気持ちで勉強やこうしても身に着かんし」
「ごめん、おえんって何?」
「いけない、だめって意味や。前後から察しろ」
「喋れるんなら普通に喋ってくれよ」
「あほ、なんで喋り方までおまえさんに合わせたらないかんのや」
「それもそうか」
ルフスは感心したように頷き、料理を食べ始めた。
肉は柔らかく、脂がのっていて美味い。それでいてレモンのソースがいい具合に口の中をさっぱりさせてくれる。
「ちょっと休んで食いなよ、うまいよ。食わないならおれがもらうけど」
「おい、意地汚い真似すんな」
言いながら伸ばしてきたルフスの手を払って、ティランは皿を自分の方へ引き寄せる。
「だって早く食わねぇと冷めるだろ。もったいない」
「おれは猫舌なの。繊細なの。わざとこうして冷ましとるんや」
「はいはい。それじゃあ、おれはおかわりをもらってくるとするよ」
空になった皿を持って立ち上がり、いそいそと屋台に向かうルフスの背中を見やって、ティランは気の抜けた顔をした。
「おまえは食うのが早すぎやろ……」
焼いた肉と野菜、それから蒸して潰し、味付けをした芋を食べて、酒を呑み、もう一度本を読み始めたティランは、ふとルフスが戻らないことを不思議に思って顔を上げた。
遠くに視線を向けて見つける。
街の住人だろうか、誰か年配の男と歓談しているようだった。
男はルフスの背中を叩いて笑い、ルフスは後ろ頭を掻いて、困ったような笑みを浮かべ、掌を横に振っている。その様子から何かの誘いを断っているかのような感じだった。
だが男は強引にルフスの背中を押してどこかへ連れて行く。
「ま、ええか……」
ルフスなら多分どうとでもするだろうし。
そう思って、ティランは本に視線を戻した。
目で文字を追うティランの耳に、音が混じりあって届く。
楽器の奏でられる音。それから、リズムに乗せて地面を踏む音。
人々の話し声。
弾ける火の音。
微かな、風の音。
祭り特有の、浮きたった空気が含まれている。
本に落ちる橙の光。実りの、秋の色。熟した果実。地面を彩る落ち葉。夕暮れの空。温かな、安らぎの色だ。
光が揺らぐ。
全ての音がほんの一瞬、不自然に途切れた。
わずかな静寂。
音が戻る。
違和感に、ティランは再び顔を上げた。
視界が真っ暗になり、息を呑む。
突然、光がなくなった。
テーブルの上のカンテラも、広場の中心の大篝火も、空に浮かぶ星月さえも消えて、辺りを闇が満たす。重苦しいような闇だ。それでいて肌にまとわりつくような不快感がある。
視界が利かないその中で、何かが蠢く気配を敏感に感じ取り、身の毛がよだつ。
どこかで悲鳴があがり、陶器かガラスの割れる音がした。笛の音に似た、高音域の音が耳を刺す。
渦巻く動揺と混乱。逃げ出す人々の気配。
遅れて逃げようとして、ティランは身体が動かないことに気が付く。
まるで意識と切り離されでもしたかのように、意思に従わない身体。声も出ない。瞬きすら許されない。
けれど、不思議と感覚だけが残っていた。
何か。風のように或いは波のように襲い掛かってきた何かが、身体の内側に入ってくる感じがあり、たとえようのない恐怖がティランを支配した。
何がどうなっているのか何もわからないのに、ただただ恐ろしい。
それ以外に物事が考えられず、意識が曖昧になる。
視界も、頭の中も、黒一色に塗りつぶされ、自分が自分でなくなる。
世界からすべてが消え去る。
「ィ……ラン…………!」
声がした。
途切れがちで音に乱れがあった。それでも音すら存在しなかった世界に誰かの声が響き、今度は真っ黒な視界の中の一点に光が灯った。
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