5 / 67
祭りの夜の怪
しおりを挟む
夕暮れに、太陽が赤く輝き、地平を染める。藍色の空には、大部分が欠けて細くなった月と、無数の星。地上には影が落ち、広場に人が集まり始める。
ルフスとティランも宿を出て、広場へ向かう。
広場の中心には火が焚かれていた。火の粉がはじけて宙を舞う。
楽器の音に合わせ、着飾った人々が踊っている。その周囲では手拍子を送ったり、盃を手におしゃべりに興じたり、料理を食べるのに夢中になっていたりと様々だ。
広場の隅には木のテーブルと長椅子があり、ティランはそこに腰かけ、宿から持ち出したカンテラを置いて本を広げる。
ルフスは一人どこかへ行ったかと思うと、料理を乗せた皿を二つ持って戻ってきた。ひとつをティランの前に置いて言う。
「熱心だなー、それ何冊目だっけ」
「三冊」
「読むの早くない?」
「そうでもねぇやろ」
「飲み物取ってくるな。酒と水どっちにする?」
「酒」
わかったと言って、ルフスはまたテーブルを離れる。そして今度は飲み物の注がれたコップを持って戻ってきた。正面に座ってぽつりと呟く。
「おれも字、覚えた方がいいのかな」
「覚えたいって思う時でいいんやない? こうした方がええとか、こうしなおえんとかって気持ちで勉強やこうしても身に着かんし」
「ごめん、おえんって何?」
「いけない、だめって意味や。前後から察しろ」
「喋れるんなら普通に喋ってくれよ」
「あほ、なんで喋り方までおまえさんに合わせたらないかんのや」
「それもそうか」
ルフスは感心したように頷き、料理を食べ始めた。
肉は柔らかく、脂がのっていて美味い。それでいてレモンのソースがいい具合に口の中をさっぱりさせてくれる。
「ちょっと休んで食いなよ、うまいよ。食わないならおれがもらうけど」
「おい、意地汚い真似すんな」
言いながら伸ばしてきたルフスの手を払って、ティランは皿を自分の方へ引き寄せる。
「だって早く食わねぇと冷めるだろ。もったいない」
「おれは猫舌なの。繊細なの。わざとこうして冷ましとるんや」
「はいはい。それじゃあ、おれはおかわりをもらってくるとするよ」
空になった皿を持って立ち上がり、いそいそと屋台に向かうルフスの背中を見やって、ティランは気の抜けた顔をした。
「おまえは食うのが早すぎやろ……」
焼いた肉と野菜、それから蒸して潰し、味付けをした芋を食べて、酒を呑み、もう一度本を読み始めたティランは、ふとルフスが戻らないことを不思議に思って顔を上げた。
遠くに視線を向けて見つける。
街の住人だろうか、誰か年配の男と歓談しているようだった。
男はルフスの背中を叩いて笑い、ルフスは後ろ頭を掻いて、困ったような笑みを浮かべ、掌を横に振っている。その様子から何かの誘いを断っているかのような感じだった。
だが男は強引にルフスの背中を押してどこかへ連れて行く。
「ま、ええか……」
ルフスなら多分どうとでもするだろうし。
そう思って、ティランは本に視線を戻した。
目で文字を追うティランの耳に、音が混じりあって届く。
楽器の奏でられる音。それから、リズムに乗せて地面を踏む音。
人々の話し声。
弾ける火の音。
微かな、風の音。
祭り特有の、浮きたった空気が含まれている。
本に落ちる橙の光。実りの、秋の色。熟した果実。地面を彩る落ち葉。夕暮れの空。温かな、安らぎの色だ。
光が揺らぐ。
全ての音がほんの一瞬、不自然に途切れた。
わずかな静寂。
音が戻る。
違和感に、ティランは再び顔を上げた。
視界が真っ暗になり、息を呑む。
突然、光がなくなった。
テーブルの上のカンテラも、広場の中心の大篝火も、空に浮かぶ星月さえも消えて、辺りを闇が満たす。重苦しいような闇だ。それでいて肌にまとわりつくような不快感がある。
視界が利かないその中で、何かが蠢く気配を敏感に感じ取り、身の毛がよだつ。
どこかで悲鳴があがり、陶器かガラスの割れる音がした。笛の音に似た、高音域の音が耳を刺す。
渦巻く動揺と混乱。逃げ出す人々の気配。
遅れて逃げようとして、ティランは身体が動かないことに気が付く。
まるで意識と切り離されでもしたかのように、意思に従わない身体。声も出ない。瞬きすら許されない。
けれど、不思議と感覚だけが残っていた。
何か。風のように或いは波のように襲い掛かってきた何かが、身体の内側に入ってくる感じがあり、たとえようのない恐怖がティランを支配した。
何がどうなっているのか何もわからないのに、ただただ恐ろしい。
それ以外に物事が考えられず、意識が曖昧になる。
視界も、頭の中も、黒一色に塗りつぶされ、自分が自分でなくなる。
世界からすべてが消え去る。
「ィ……ラン…………!」
声がした。
途切れがちで音に乱れがあった。それでも音すら存在しなかった世界に誰かの声が響き、今度は真っ黒な視界の中の一点に光が灯った。
針の先のような、小さな小さな光は暗闇を破るようにして広がり、そして――――――
ルフスとティランも宿を出て、広場へ向かう。
広場の中心には火が焚かれていた。火の粉がはじけて宙を舞う。
楽器の音に合わせ、着飾った人々が踊っている。その周囲では手拍子を送ったり、盃を手におしゃべりに興じたり、料理を食べるのに夢中になっていたりと様々だ。
広場の隅には木のテーブルと長椅子があり、ティランはそこに腰かけ、宿から持ち出したカンテラを置いて本を広げる。
ルフスは一人どこかへ行ったかと思うと、料理を乗せた皿を二つ持って戻ってきた。ひとつをティランの前に置いて言う。
「熱心だなー、それ何冊目だっけ」
「三冊」
「読むの早くない?」
「そうでもねぇやろ」
「飲み物取ってくるな。酒と水どっちにする?」
「酒」
わかったと言って、ルフスはまたテーブルを離れる。そして今度は飲み物の注がれたコップを持って戻ってきた。正面に座ってぽつりと呟く。
「おれも字、覚えた方がいいのかな」
「覚えたいって思う時でいいんやない? こうした方がええとか、こうしなおえんとかって気持ちで勉強やこうしても身に着かんし」
「ごめん、おえんって何?」
「いけない、だめって意味や。前後から察しろ」
「喋れるんなら普通に喋ってくれよ」
「あほ、なんで喋り方までおまえさんに合わせたらないかんのや」
「それもそうか」
ルフスは感心したように頷き、料理を食べ始めた。
肉は柔らかく、脂がのっていて美味い。それでいてレモンのソースがいい具合に口の中をさっぱりさせてくれる。
「ちょっと休んで食いなよ、うまいよ。食わないならおれがもらうけど」
「おい、意地汚い真似すんな」
言いながら伸ばしてきたルフスの手を払って、ティランは皿を自分の方へ引き寄せる。
「だって早く食わねぇと冷めるだろ。もったいない」
「おれは猫舌なの。繊細なの。わざとこうして冷ましとるんや」
「はいはい。それじゃあ、おれはおかわりをもらってくるとするよ」
空になった皿を持って立ち上がり、いそいそと屋台に向かうルフスの背中を見やって、ティランは気の抜けた顔をした。
「おまえは食うのが早すぎやろ……」
焼いた肉と野菜、それから蒸して潰し、味付けをした芋を食べて、酒を呑み、もう一度本を読み始めたティランは、ふとルフスが戻らないことを不思議に思って顔を上げた。
遠くに視線を向けて見つける。
街の住人だろうか、誰か年配の男と歓談しているようだった。
男はルフスの背中を叩いて笑い、ルフスは後ろ頭を掻いて、困ったような笑みを浮かべ、掌を横に振っている。その様子から何かの誘いを断っているかのような感じだった。
だが男は強引にルフスの背中を押してどこかへ連れて行く。
「ま、ええか……」
ルフスなら多分どうとでもするだろうし。
そう思って、ティランは本に視線を戻した。
目で文字を追うティランの耳に、音が混じりあって届く。
楽器の奏でられる音。それから、リズムに乗せて地面を踏む音。
人々の話し声。
弾ける火の音。
微かな、風の音。
祭り特有の、浮きたった空気が含まれている。
本に落ちる橙の光。実りの、秋の色。熟した果実。地面を彩る落ち葉。夕暮れの空。温かな、安らぎの色だ。
光が揺らぐ。
全ての音がほんの一瞬、不自然に途切れた。
わずかな静寂。
音が戻る。
違和感に、ティランは再び顔を上げた。
視界が真っ暗になり、息を呑む。
突然、光がなくなった。
テーブルの上のカンテラも、広場の中心の大篝火も、空に浮かぶ星月さえも消えて、辺りを闇が満たす。重苦しいような闇だ。それでいて肌にまとわりつくような不快感がある。
視界が利かないその中で、何かが蠢く気配を敏感に感じ取り、身の毛がよだつ。
どこかで悲鳴があがり、陶器かガラスの割れる音がした。笛の音に似た、高音域の音が耳を刺す。
渦巻く動揺と混乱。逃げ出す人々の気配。
遅れて逃げようとして、ティランは身体が動かないことに気が付く。
まるで意識と切り離されでもしたかのように、意思に従わない身体。声も出ない。瞬きすら許されない。
けれど、不思議と感覚だけが残っていた。
何か。風のように或いは波のように襲い掛かってきた何かが、身体の内側に入ってくる感じがあり、たとえようのない恐怖がティランを支配した。
何がどうなっているのか何もわからないのに、ただただ恐ろしい。
それ以外に物事が考えられず、意識が曖昧になる。
視界も、頭の中も、黒一色に塗りつぶされ、自分が自分でなくなる。
世界からすべてが消え去る。
「ィ……ラン…………!」
声がした。
途切れがちで音に乱れがあった。それでも音すら存在しなかった世界に誰かの声が響き、今度は真っ黒な視界の中の一点に光が灯った。
針の先のような、小さな小さな光は暗闇を破るようにして広がり、そして――――――
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる