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なりたい自分
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「ええか、ルフス。他の誰かのためにおまえが犠牲になる必要はない。期待なんてのはする側の勝手な都合であって、それに応えなかったからといって批判する権利など誰にもない。おまえはおまえがなりたいと思う自分になればいい」
声はルフスの耳に甘く優しく響く。
ルフスはああと息を吐き、目を閉じる。瞼の裏で光が踊る。膝を抱えこんで、顔をうずめる。
なりたいと思う自分。
確かにあった。
今よりもっとずっと前。
「おれ英雄になりたい! だから強くなって悪いやつやっつけるんだ!」
まだ子どもだった頃の話だ。
人形劇に触発されて、強くてかっこいい英雄像に憧れた。
特訓だなんて、毎日木の棒を振り回していた。
けれど長閑な村はいつだって平和で、期待するような事件などそうそうなく、そんな日常がつまらないと感じていた。
そんなルフスの頭を撫でて、その人は言った。
大きくて分厚くて頼もしい手だった。
「いいか、ルフス。悪いやつをやっつけるだけが英雄じゃないんだ」
普段は遠くの街へ出稼ぎに行っていて、滅多に帰ってこない叔父。
粗雑で、豪快で、背が高くて、髪の癖がひどくて、お節介焼きで情に厚い。力が強くて、足が速くて、かっこよくて、面白くて、歌がへたくそで、ちょっとドジなところがある人だった。
さあおいでと、彼は幼いルフスを抱き上げ、肩に乗せて歩きながら言った。
「英雄ってのはな、こいつがいてくれるからおれ達は安心して毎日過ごせてる、そう思ってもらえるようなやつのことを言うんだよ。そしてお前はもうそれができてる。昨日近所のばあちゃんの代わりに重いもの持ってやったよな。道端の落とし物拾って届けてやったこともあったな。それでいいんだよ。お前はすでに誰かにとって英雄なんだ。これからもお前はそのままのお前でいろ」
ああ、そうだ。
言われたその時はちょっと、そんなのはつまらないなと思ったんだった。やっぱり英雄っていうのは、みんなの前にかっこよく現れて悪いやつを倒してこそだと思ったから。
だけど、
そう言ったおじさんは、とてもかっこいい人だった。
覚えている。
太陽のにおいのする髪。
焼けて浅黒い肌。
鍛えられ締まった体つき。
誰かが困っているのを見掛けたら迷いもなく手を差し伸べて、気さくに笑いかけていた。
「ルフス、おまえはとても勇敢で優しい。いい子だ、ルフス」
もしも今おじさんがここにいたら、何て言うだろう。
おれが今みたいに弱音を吐いて、全てを投げ出し逃げ出したいなんて口にしたら。
叱るだろうか。
何やってるんだ選ばれたんだろって。
お前にしかできないことなんだろうって。
叱りつけて、鼓舞して、腕を引いて立たせて。
………ちがう。
違うな。あのおじさんならきっとこうだ。
「いいんだ無理すんな。おまえことはおまえが選んで決めることだ。それを非難するやつがいたら、そんな奴はオレがぶん殴ってやるよ。できるやつに頼るんじゃなくて、やろうって思うやつがやればいい。なあ、オレにできることはあるのか? どこへ行って何をすればいい?」
落ち込んでいたら、労わってくれる人だ。
頑張っていたら、賞賛をくれる人だ。
迷っていたら、答えが出るまで待ってくれる人だ。
そうして、
そうして決めたら、決断したら、
こうしたいってはっきり自分の中で決めることができたら、その時には、
「よっしゃ、いってこい」
背中を押してくれる人だ。
今ならわかる。英雄っていうのはきっと、こういう人のことをいうんだ。
おれは、どうだろう。
英雄になりたいんだ、物語に出てくるような。悪い奴をやっつけて、みんなを助けて。
それはもっと昔の、子どもの頃の夢だけど。大きくなって、もうそんな夢みたいな夢を見ることもなくなったけど。
それでもおれは、
できることがあるのなら。今はできなくても、できるようになりたい。
期待してくれるひとがいるのなら、それに応えたい。
勇敢で優しい。
その言葉に恥じないように。そう評してくれたおじさんの前で胸が張れるように。
顔を上げて、目を開く。
焚火の光がルフスの眸に映りこむ。
この炎のように。夜の暗闇に灯るひとつの光のように。胸の奥、魂に熱を帯びるのを感じる。
宥めるように背中をさする手はあたたかい。やさしい。
ティランとは成り行きで一緒に旅をすることになった。初めはリュナの街まで送り届ければ、どうにかなると思っていた。まだ一年にも満たない、秋から冬にかけての時間くらいだけど、それでも思っていたよりは長く一緒にいる。
怒りっぽくて、ちょっと口うるさくて、それでも、なんだかんだ言いながらもルフスのことを慮ってくれる。文句を言いつつも、ルフスに合わせてくれたり、したいようにさせてくれたりする。
同い年くらいに見えるけれど、記憶がないから実際どうなのかはわからない。ひょっとしたら少し年上なのかもしれない。
ルフスには年の離れた弟がいるが、年上の兄弟はいないから、兄ちゃんがいたらこんな感じなのかなと思ったことが何度かあった。
記憶がなくても、頼りなくなどなくて、頭が良くて教養があって、いつも冷静に物事見てくれて、だから。だから今回も、きっとそうなんだろう。
無茶をするなって言いながらも、おれの短絡的な思考を叱りながらも、それでも最終的には折れてくれるんだろう?
ティラン。
ティランが逃げ道を作って、他にも選択肢があるんだって示してくれた。そのおかげでおれはしっかり迷うことができた。しっかり迷うことができたから、どうしたいのかが見えてきた。
自分でも今気が付いたけど、おれは多分こうしなきゃって思うのがちょっと苦手なんだ。こうするしかないとか、できなきゃいけないとか、追い詰められるように感じるのが。
そういうのわかってくれてたのかな。
ティランは頭いいから。
だから余裕を与えてくれたのかな。
おれがおれの気持ちを整理できるように。
「ありがとう。ティラン、おれ……」
言いかけて、ルフスは目を見開く。
こちらに顔を向けるティランの背後、暗闇の中に白い靄のようなものが見えた。
声はルフスの耳に甘く優しく響く。
ルフスはああと息を吐き、目を閉じる。瞼の裏で光が踊る。膝を抱えこんで、顔をうずめる。
なりたいと思う自分。
確かにあった。
今よりもっとずっと前。
「おれ英雄になりたい! だから強くなって悪いやつやっつけるんだ!」
まだ子どもだった頃の話だ。
人形劇に触発されて、強くてかっこいい英雄像に憧れた。
特訓だなんて、毎日木の棒を振り回していた。
けれど長閑な村はいつだって平和で、期待するような事件などそうそうなく、そんな日常がつまらないと感じていた。
そんなルフスの頭を撫でて、その人は言った。
大きくて分厚くて頼もしい手だった。
「いいか、ルフス。悪いやつをやっつけるだけが英雄じゃないんだ」
普段は遠くの街へ出稼ぎに行っていて、滅多に帰ってこない叔父。
粗雑で、豪快で、背が高くて、髪の癖がひどくて、お節介焼きで情に厚い。力が強くて、足が速くて、かっこよくて、面白くて、歌がへたくそで、ちょっとドジなところがある人だった。
さあおいでと、彼は幼いルフスを抱き上げ、肩に乗せて歩きながら言った。
「英雄ってのはな、こいつがいてくれるからおれ達は安心して毎日過ごせてる、そう思ってもらえるようなやつのことを言うんだよ。そしてお前はもうそれができてる。昨日近所のばあちゃんの代わりに重いもの持ってやったよな。道端の落とし物拾って届けてやったこともあったな。それでいいんだよ。お前はすでに誰かにとって英雄なんだ。これからもお前はそのままのお前でいろ」
ああ、そうだ。
言われたその時はちょっと、そんなのはつまらないなと思ったんだった。やっぱり英雄っていうのは、みんなの前にかっこよく現れて悪いやつを倒してこそだと思ったから。
だけど、
そう言ったおじさんは、とてもかっこいい人だった。
覚えている。
太陽のにおいのする髪。
焼けて浅黒い肌。
鍛えられ締まった体つき。
誰かが困っているのを見掛けたら迷いもなく手を差し伸べて、気さくに笑いかけていた。
「ルフス、おまえはとても勇敢で優しい。いい子だ、ルフス」
もしも今おじさんがここにいたら、何て言うだろう。
おれが今みたいに弱音を吐いて、全てを投げ出し逃げ出したいなんて口にしたら。
叱るだろうか。
何やってるんだ選ばれたんだろって。
お前にしかできないことなんだろうって。
叱りつけて、鼓舞して、腕を引いて立たせて。
………ちがう。
違うな。あのおじさんならきっとこうだ。
「いいんだ無理すんな。おまえことはおまえが選んで決めることだ。それを非難するやつがいたら、そんな奴はオレがぶん殴ってやるよ。できるやつに頼るんじゃなくて、やろうって思うやつがやればいい。なあ、オレにできることはあるのか? どこへ行って何をすればいい?」
落ち込んでいたら、労わってくれる人だ。
頑張っていたら、賞賛をくれる人だ。
迷っていたら、答えが出るまで待ってくれる人だ。
そうして、
そうして決めたら、決断したら、
こうしたいってはっきり自分の中で決めることができたら、その時には、
「よっしゃ、いってこい」
背中を押してくれる人だ。
今ならわかる。英雄っていうのはきっと、こういう人のことをいうんだ。
おれは、どうだろう。
英雄になりたいんだ、物語に出てくるような。悪い奴をやっつけて、みんなを助けて。
それはもっと昔の、子どもの頃の夢だけど。大きくなって、もうそんな夢みたいな夢を見ることもなくなったけど。
それでもおれは、
できることがあるのなら。今はできなくても、できるようになりたい。
期待してくれるひとがいるのなら、それに応えたい。
勇敢で優しい。
その言葉に恥じないように。そう評してくれたおじさんの前で胸が張れるように。
顔を上げて、目を開く。
焚火の光がルフスの眸に映りこむ。
この炎のように。夜の暗闇に灯るひとつの光のように。胸の奥、魂に熱を帯びるのを感じる。
宥めるように背中をさする手はあたたかい。やさしい。
ティランとは成り行きで一緒に旅をすることになった。初めはリュナの街まで送り届ければ、どうにかなると思っていた。まだ一年にも満たない、秋から冬にかけての時間くらいだけど、それでも思っていたよりは長く一緒にいる。
怒りっぽくて、ちょっと口うるさくて、それでも、なんだかんだ言いながらもルフスのことを慮ってくれる。文句を言いつつも、ルフスに合わせてくれたり、したいようにさせてくれたりする。
同い年くらいに見えるけれど、記憶がないから実際どうなのかはわからない。ひょっとしたら少し年上なのかもしれない。
ルフスには年の離れた弟がいるが、年上の兄弟はいないから、兄ちゃんがいたらこんな感じなのかなと思ったことが何度かあった。
記憶がなくても、頼りなくなどなくて、頭が良くて教養があって、いつも冷静に物事見てくれて、だから。だから今回も、きっとそうなんだろう。
無茶をするなって言いながらも、おれの短絡的な思考を叱りながらも、それでも最終的には折れてくれるんだろう?
ティラン。
ティランが逃げ道を作って、他にも選択肢があるんだって示してくれた。そのおかげでおれはしっかり迷うことができた。しっかり迷うことができたから、どうしたいのかが見えてきた。
自分でも今気が付いたけど、おれは多分こうしなきゃって思うのがちょっと苦手なんだ。こうするしかないとか、できなきゃいけないとか、追い詰められるように感じるのが。
そういうのわかってくれてたのかな。
ティランは頭いいから。
だから余裕を与えてくれたのかな。
おれがおれの気持ちを整理できるように。
「ありがとう。ティラン、おれ……」
言いかけて、ルフスは目を見開く。
こちらに顔を向けるティランの背後、暗闇の中に白い靄のようなものが見えた。
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