緋の英雄王 白銀の賢者

冴木黒

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tiran

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 言われたとおり白い妖は、先程よりも遅い動きで壁の上に線を引いていく。ルフスも今度は目を凝らして見つめる。妖が触れた部分になんらかの痕が残るわけでもないから、ひとつひとつの動きからどの文字を書いているのか読み解かなければならない。
 それでも今回は文字ごとに間を開けて区切りを入れてくれるから、わかりやすい。文字をひとつ書き終えるごとに、妖はルフスの方を窺うような仕草をした。

「てぃー?」

 ルフスは戸惑いながら、おそるおそるといった感じで確認する。
 自信はあまりなかったが、正解だったらしい。妖は何度も頷きながら頭の上で丸を形作った。
 それを見てルフスは、ほっと胸を撫でおろす。
 妖は続けて次の一字を動きだけで示した。
 縦に一本の線と、その上に点が一つ。

「あい」

 先程と同じように正解の意を表して、妖は次々と壁面に文字を書いていく。
 文字は合わせて五つ。

 『tiran』

 声に出して読み上げる。

「ティ、ラ、ン……? ティラン?」

 妖はまた何度も頭を縦に振った。

「ティランが何?」

 首を傾げるルフスに対し、どういう感情の所以か、妖は輪郭を大きく歪めた。しかしすぐ気を取り直したように再び人型に戻ると、今度は指先を自分の方に向ける。

「ティランとおまえ? え、ちがう? えーじゃあええと顔? いや、頭……?」
「ルフス!」

 鋭い声にびくんとなって振り返れば、建物の角のところにティランが立っていた。ティランは険しい顔で大股に近づいてくると、ルフスを押しのけ、妖の前に出た。
 ルフスが止める間もなく、白い妖がティランに襲い掛かる。
 だが掴みかからんばかり手は、ティランが軽く払い除けるだけで散逸してしまう。

「懲りん奴やな」

 ティランは冷ややかな声で言った。

「それとも塵となって消えたいか?」
「ティ、ティラン待ってくれ、こいつ何か伝えたいことがあるみたいで」
「騙されるな、こいつの狙いはおれや。おまえに取り入って、どうにかしようとしとるだけや」

 ティランの全身から力が溢れ出すのを肌で感じ取り、ルフスはぞっとする。
 青い二つの目が光る。

「二度目はない」

 低く告げられた言葉に、ルフスは反射的にティランの手首を掴んでいた。
 ティランが僅かに首を動かして振り向き、不快そうに目を細める。

「はなせ」

 言葉が力となり、腕を這いあがるようにして何かがルフスを飲み込んだ。ごぼっと口から息の塊が漏れる。一瞬視界が揺らいで、身体全体に奇妙な浮遊感があったかと思うと、ルフスを包み込んでいたものは一息に散じて消えた。
 ルフスは膝をついて激しく咳き込み、それでも震える指で服の裾を掴んだ。
 短く浅い息の中で言う。

「や、めろ……お前、ティランじゃないな?」

 ティランはルフスを見下ろし、ふふと笑う。

「何言うとる。おれはおまえもよう知ってるおれや。他の誰に見える?」
「じゃあなんで、杖を持っていない。人間は杖がなければ魔法が使えないって、言ったのはティランだ。魔法じゃないなら、今のはなんだ」

 頬に強い衝撃があり、ルフスの体が地面に転がった。蹴り飛ばされたのだと理解するのに、少しかかった。
 目の前の草を踏みティランが立つのを、ルフスは見上げる。
 ティランはしゃがみ込み、小首を傾げながら言う。

「そうだったそうだった、人間というのはまったく不便なものだな。なあルフスよ」
「おまえ何者だ、妖か?」
「さてな。なんだろうな」
「ふざけるな、本物のティランは……」

 言いかけてルフスはハッとし、ティランの姿を借りたそいつの背後に佇む白い靄に目線を移した。

「まさか」

 ルフスの呟きに答えるように、そいつは薄く笑った。

「そうだよ、そっちにいるそれがオリジナルだ。だがまあ別に構わんだろう」
「バカなこと言……」

 随分と勝手な言い草にルフスは思わず怒鳴るが、人差し指をそっと押し当てられるだけで唇は動かなくなってしまった。

「杖がなくては術も使えない。記憶もなく、本来の力を発揮することもできない。そんな男よりは私の方がよほど役につだろうよ」

 唇を塞いでいた指が離れ、ルフスは相手を睨みつける。
 手足は先程から麻痺したように動かない。

「そんなんどうでもいいよ、さっさとティラン元に戻せよ」
「威勢がいいな。だが今のお前に何ができる、こうして私の力に抗うことさえできないではないか。何もできないくせに偉そうな口を利くな」

 辛辣な言葉は容赦なくルフスの胸を突き刺した。
 事実だから、言い返すこともできない。
 さてと呟き、ティランと全く同じ顔同じ声で、そいつは白い靄の正面に立つ。

「お前さえいなくなれば、この姿も、この名も正式に私のものとなる。放っておいてもいずれ消滅するだろうが、それまで時間がかかる。こんな風に周りをうろつかれては鬱陶しくてかなわん」
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