35 / 67
水鏡
しおりを挟む
「やめろ! 何やってんだティランも早く逃げろ!」
ルフスは必死に叫ぶが、白い靄はそこに留まったままだった。自分がそうであるように、術か何かで動けないようにされているのかもしれない。
ルフスもまた地面に這いつくばった状態から動くことができなかった。腕も、足もルフスの意思に従わない。自由なのは口と声だけだ。
何か。どうにかしなければこのままではティランが消滅させられてしまう。
そう思って、ルフスは咄嗟に言った。
「言うこと聞かないと、あそんでやらないぞ!」
偽のティランが振り向く。
何言ってんだコイツという目で見られた。
自分でもそう思う。
でもこの偽者は言っていた。
おもしろおかしく生きていこうって。
「人間の姿になりたいってことは、おまえ、人間として楽しみたいからじゃないのか? おれ美味い食べ物とか楽しい遊びとかたくさん知ってんだ。たとえばそう、ヤギ乳の一番うまい飲み方とかさ」
「ほう」
偽者がルフスの前にしゃがんで見下ろし、ルフスと視線を合わせた。
「それはどんなだ? 教えろ」
「いやだ」
「なんだと」
ルフスはできる限り顔を上げ、視線を逸らさないまま強い口調で言った。
「ティランを元に戻せ。そしたら教えてやる」
「そんなことをしたら私がヒトのかたちを保てなくなってしまう。それでは意味がない」
言って、そいつはルフスの前髪を払い、額の中心に触れようとした。
その指先が直前で固まったように動かなくなる。
いくつもの鈴の音がした。建物の影から現れたのは、山吹だった。山吹は胸の前で人差し指と中指を立てた構えをとっていて、彼女の背後には羽衣と呼ばれる、鈴の連なった布が波を描きながら浮いていた。
「名にし負はば 仙人山のシュバツカズラ 陰なる者を 繰るよしせよと」
「何しやがんだバカ野郎!」
山吹がまじないの言葉を言い終えると同時に、動きを妨げたものの正体が視認できるようになった。
蔦だ。
蔦は足元の地面から伸びていて、偽物に絡みついていた。
ルフスの体に自由が戻る。
立ち上がったルフスの隣に山吹が並んだ。
「くそっ離せ、離せよ! 神の眷属ごときがオレを誰だと思ってんだ!」
「水鏡《みかがみ》の命《みこと》」
山吹がもがく偽物を見据えて言った。
「これより東の地の村に伝わる古き神……水鏡の泉の化身」
「神様?」
「ただし、かつてそうであったものと申しましょうか。今は陰の気に囚われ、生剥《いきはぎ》と化してしまわれた妖に過ぎません」
「神様が妖に?」
ルフスは驚いて山吹を見る。
神は人間にとって絶対的な存在だ。その神が妖に変貌するというのは、かなり衝撃的なことだった。
「珍しくないことです。人々に忘れ去られた神はその力を失い、いずれ自分が何者であるのかということさえ忘れて、地上に害をなす存在となる」
「ああっテメエ誰が妖だっていででででで!!」
山吹が構えた手を横方向に動かし、蔦がぎりぎりと締めつけた。締め付けを緩めて、山吹が言う。
「本来ならば神たるあなた様にとって、私は下位の存在。その私の術に抗えないこの状況こそ、あなた様が既に妖と化している証拠に他なりません。私は妖退治を目的として地上に参ったわけではありません。ですがあなた様がルフス殿に手出しするというのであれば、話は別です」
「なんだよルフス、英雄がお守りつきかよ! 未だに力も発揮できてねえ、剣も未熟で、お前そんなでどうやって闇の者どもとやりあう気だ。頑張ったってどうしたって、できねえもんはできねえもんだ、やる気ばっかりでどうにかなるもんじゃねえ、オレの術でさえ身動きとることもできずにそこにへばってただけじゃねえか。そんなお前が」
「それでもおれの中には英雄の力が眠ってるんだろ?」
ルフスは短く、その名を呼んだ。
手の中に剣が現れる。それはまだ複製品だけれど。これから本物を手に入れる。
「おれはまだ剣を無闇に振り回すことしかできないから、誰かに教えてもらって訓練しないとな」
「そんなもん急にやって急にできるもんでもねえだろ。だからテメエは能天気な甘ったれだってんだ」
抵抗するのを止め、水鏡は瞼を落とす。
ルフスの、英雄王の力は光に属する。
妖となり果てた水鏡はそれに抗うことはできない。
たとえ剣が本物ではなくとも、この男が手にすることで、振るうことでその力は剣を通じて発揮される。
水鏡は塵となって消えるだろう。
だがどうせ世界は、遅かれ早かれ滅びる。
水鏡も、だてに長く生きているわけではない。
闇の者たちの力は嫌というほど知っている。五百年前のあの戦いも。英雄王は、ルフスと比べずっと戦い慣れた男だった。それに王という立場にあった為か、判断力に優れ、時には冷酷とも思える決断さえ厭わなかったと聞く。その男が成し得なかったことを、この平凡な青年ができるとも思えない。
頭上に剣を構えるルフスを睨み、笑いながら水鏡は吐き捨てる。
「闇に呑まれて死んじまえばーか」
ルフスは眉一つ動かさず、剣を頭上にかかげた。
ルフスは必死に叫ぶが、白い靄はそこに留まったままだった。自分がそうであるように、術か何かで動けないようにされているのかもしれない。
ルフスもまた地面に這いつくばった状態から動くことができなかった。腕も、足もルフスの意思に従わない。自由なのは口と声だけだ。
何か。どうにかしなければこのままではティランが消滅させられてしまう。
そう思って、ルフスは咄嗟に言った。
「言うこと聞かないと、あそんでやらないぞ!」
偽のティランが振り向く。
何言ってんだコイツという目で見られた。
自分でもそう思う。
でもこの偽者は言っていた。
おもしろおかしく生きていこうって。
「人間の姿になりたいってことは、おまえ、人間として楽しみたいからじゃないのか? おれ美味い食べ物とか楽しい遊びとかたくさん知ってんだ。たとえばそう、ヤギ乳の一番うまい飲み方とかさ」
「ほう」
偽者がルフスの前にしゃがんで見下ろし、ルフスと視線を合わせた。
「それはどんなだ? 教えろ」
「いやだ」
「なんだと」
ルフスはできる限り顔を上げ、視線を逸らさないまま強い口調で言った。
「ティランを元に戻せ。そしたら教えてやる」
「そんなことをしたら私がヒトのかたちを保てなくなってしまう。それでは意味がない」
言って、そいつはルフスの前髪を払い、額の中心に触れようとした。
その指先が直前で固まったように動かなくなる。
いくつもの鈴の音がした。建物の影から現れたのは、山吹だった。山吹は胸の前で人差し指と中指を立てた構えをとっていて、彼女の背後には羽衣と呼ばれる、鈴の連なった布が波を描きながら浮いていた。
「名にし負はば 仙人山のシュバツカズラ 陰なる者を 繰るよしせよと」
「何しやがんだバカ野郎!」
山吹がまじないの言葉を言い終えると同時に、動きを妨げたものの正体が視認できるようになった。
蔦だ。
蔦は足元の地面から伸びていて、偽物に絡みついていた。
ルフスの体に自由が戻る。
立ち上がったルフスの隣に山吹が並んだ。
「くそっ離せ、離せよ! 神の眷属ごときがオレを誰だと思ってんだ!」
「水鏡《みかがみ》の命《みこと》」
山吹がもがく偽物を見据えて言った。
「これより東の地の村に伝わる古き神……水鏡の泉の化身」
「神様?」
「ただし、かつてそうであったものと申しましょうか。今は陰の気に囚われ、生剥《いきはぎ》と化してしまわれた妖に過ぎません」
「神様が妖に?」
ルフスは驚いて山吹を見る。
神は人間にとって絶対的な存在だ。その神が妖に変貌するというのは、かなり衝撃的なことだった。
「珍しくないことです。人々に忘れ去られた神はその力を失い、いずれ自分が何者であるのかということさえ忘れて、地上に害をなす存在となる」
「ああっテメエ誰が妖だっていででででで!!」
山吹が構えた手を横方向に動かし、蔦がぎりぎりと締めつけた。締め付けを緩めて、山吹が言う。
「本来ならば神たるあなた様にとって、私は下位の存在。その私の術に抗えないこの状況こそ、あなた様が既に妖と化している証拠に他なりません。私は妖退治を目的として地上に参ったわけではありません。ですがあなた様がルフス殿に手出しするというのであれば、話は別です」
「なんだよルフス、英雄がお守りつきかよ! 未だに力も発揮できてねえ、剣も未熟で、お前そんなでどうやって闇の者どもとやりあう気だ。頑張ったってどうしたって、できねえもんはできねえもんだ、やる気ばっかりでどうにかなるもんじゃねえ、オレの術でさえ身動きとることもできずにそこにへばってただけじゃねえか。そんなお前が」
「それでもおれの中には英雄の力が眠ってるんだろ?」
ルフスは短く、その名を呼んだ。
手の中に剣が現れる。それはまだ複製品だけれど。これから本物を手に入れる。
「おれはまだ剣を無闇に振り回すことしかできないから、誰かに教えてもらって訓練しないとな」
「そんなもん急にやって急にできるもんでもねえだろ。だからテメエは能天気な甘ったれだってんだ」
抵抗するのを止め、水鏡は瞼を落とす。
ルフスの、英雄王の力は光に属する。
妖となり果てた水鏡はそれに抗うことはできない。
たとえ剣が本物ではなくとも、この男が手にすることで、振るうことでその力は剣を通じて発揮される。
水鏡は塵となって消えるだろう。
だがどうせ世界は、遅かれ早かれ滅びる。
水鏡も、だてに長く生きているわけではない。
闇の者たちの力は嫌というほど知っている。五百年前のあの戦いも。英雄王は、ルフスと比べずっと戦い慣れた男だった。それに王という立場にあった為か、判断力に優れ、時には冷酷とも思える決断さえ厭わなかったと聞く。その男が成し得なかったことを、この平凡な青年ができるとも思えない。
頭上に剣を構えるルフスを睨み、笑いながら水鏡は吐き捨てる。
「闇に呑まれて死んじまえばーか」
ルフスは眉一つ動かさず、剣を頭上にかかげた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう
お餅ミトコンドリア
ファンタジー
パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。
だが、全くの無名。
彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。
若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。
弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。
独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。
が、ある日。
「お久しぶりです、師匠!」
絶世の美少女が家を訪れた。
彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。
「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
(※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。
もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです!
何卒宜しくお願いいたします!)
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる