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水鏡
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「やめろ! 何やってんだティランも早く逃げろ!」
ルフスは必死に叫ぶが、白い靄はそこに留まったままだった。自分がそうであるように、術か何かで動けないようにされているのかもしれない。
ルフスもまた地面に這いつくばった状態から動くことができなかった。腕も、足もルフスの意思に従わない。自由なのは口と声だけだ。
何か。どうにかしなければこのままではティランが消滅させられてしまう。
そう思って、ルフスは咄嗟に言った。
「言うこと聞かないと、あそんでやらないぞ!」
偽のティランが振り向く。
何言ってんだコイツという目で見られた。
自分でもそう思う。
でもこの偽者は言っていた。
おもしろおかしく生きていこうって。
「人間の姿になりたいってことは、おまえ、人間として楽しみたいからじゃないのか? おれ美味い食べ物とか楽しい遊びとかたくさん知ってんだ。たとえばそう、ヤギ乳の一番うまい飲み方とかさ」
「ほう」
偽者がルフスの前にしゃがんで見下ろし、ルフスと視線を合わせた。
「それはどんなだ? 教えろ」
「いやだ」
「なんだと」
ルフスはできる限り顔を上げ、視線を逸らさないまま強い口調で言った。
「ティランを元に戻せ。そしたら教えてやる」
「そんなことをしたら私がヒトのかたちを保てなくなってしまう。それでは意味がない」
言って、そいつはルフスの前髪を払い、額の中心に触れようとした。
その指先が直前で固まったように動かなくなる。
いくつもの鈴の音がした。建物の影から現れたのは、山吹だった。山吹は胸の前で人差し指と中指を立てた構えをとっていて、彼女の背後には羽衣と呼ばれる、鈴の連なった布が波を描きながら浮いていた。
「名にし負はば 仙人山のシュバツカズラ 陰なる者を 繰るよしせよと」
「何しやがんだバカ野郎!」
山吹がまじないの言葉を言い終えると同時に、動きを妨げたものの正体が視認できるようになった。
蔦だ。
蔦は足元の地面から伸びていて、偽物に絡みついていた。
ルフスの体に自由が戻る。
立ち上がったルフスの隣に山吹が並んだ。
「くそっ離せ、離せよ! 神の眷属ごときがオレを誰だと思ってんだ!」
「水鏡《みかがみ》の命《みこと》」
山吹がもがく偽物を見据えて言った。
「これより東の地の村に伝わる古き神……水鏡の泉の化身」
「神様?」
「ただし、かつてそうであったものと申しましょうか。今は陰の気に囚われ、生剥《いきはぎ》と化してしまわれた妖に過ぎません」
「神様が妖に?」
ルフスは驚いて山吹を見る。
神は人間にとって絶対的な存在だ。その神が妖に変貌するというのは、かなり衝撃的なことだった。
「珍しくないことです。人々に忘れ去られた神はその力を失い、いずれ自分が何者であるのかということさえ忘れて、地上に害をなす存在となる」
「ああっテメエ誰が妖だっていででででで!!」
山吹が構えた手を横方向に動かし、蔦がぎりぎりと締めつけた。締め付けを緩めて、山吹が言う。
「本来ならば神たるあなた様にとって、私は下位の存在。その私の術に抗えないこの状況こそ、あなた様が既に妖と化している証拠に他なりません。私は妖退治を目的として地上に参ったわけではありません。ですがあなた様がルフス殿に手出しするというのであれば、話は別です」
「なんだよルフス、英雄がお守りつきかよ! 未だに力も発揮できてねえ、剣も未熟で、お前そんなでどうやって闇の者どもとやりあう気だ。頑張ったってどうしたって、できねえもんはできねえもんだ、やる気ばっかりでどうにかなるもんじゃねえ、オレの術でさえ身動きとることもできずにそこにへばってただけじゃねえか。そんなお前が」
「それでもおれの中には英雄の力が眠ってるんだろ?」
ルフスは短く、その名を呼んだ。
手の中に剣が現れる。それはまだ複製品だけれど。これから本物を手に入れる。
「おれはまだ剣を無闇に振り回すことしかできないから、誰かに教えてもらって訓練しないとな」
「そんなもん急にやって急にできるもんでもねえだろ。だからテメエは能天気な甘ったれだってんだ」
抵抗するのを止め、水鏡は瞼を落とす。
ルフスの、英雄王の力は光に属する。
妖となり果てた水鏡はそれに抗うことはできない。
たとえ剣が本物ではなくとも、この男が手にすることで、振るうことでその力は剣を通じて発揮される。
水鏡は塵となって消えるだろう。
だがどうせ世界は、遅かれ早かれ滅びる。
水鏡も、だてに長く生きているわけではない。
闇の者たちの力は嫌というほど知っている。五百年前のあの戦いも。英雄王は、ルフスと比べずっと戦い慣れた男だった。それに王という立場にあった為か、判断力に優れ、時には冷酷とも思える決断さえ厭わなかったと聞く。その男が成し得なかったことを、この平凡な青年ができるとも思えない。
頭上に剣を構えるルフスを睨み、笑いながら水鏡は吐き捨てる。
「闇に呑まれて死んじまえばーか」
ルフスは眉一つ動かさず、剣を頭上にかかげた。
ルフスは必死に叫ぶが、白い靄はそこに留まったままだった。自分がそうであるように、術か何かで動けないようにされているのかもしれない。
ルフスもまた地面に這いつくばった状態から動くことができなかった。腕も、足もルフスの意思に従わない。自由なのは口と声だけだ。
何か。どうにかしなければこのままではティランが消滅させられてしまう。
そう思って、ルフスは咄嗟に言った。
「言うこと聞かないと、あそんでやらないぞ!」
偽のティランが振り向く。
何言ってんだコイツという目で見られた。
自分でもそう思う。
でもこの偽者は言っていた。
おもしろおかしく生きていこうって。
「人間の姿になりたいってことは、おまえ、人間として楽しみたいからじゃないのか? おれ美味い食べ物とか楽しい遊びとかたくさん知ってんだ。たとえばそう、ヤギ乳の一番うまい飲み方とかさ」
「ほう」
偽者がルフスの前にしゃがんで見下ろし、ルフスと視線を合わせた。
「それはどんなだ? 教えろ」
「いやだ」
「なんだと」
ルフスはできる限り顔を上げ、視線を逸らさないまま強い口調で言った。
「ティランを元に戻せ。そしたら教えてやる」
「そんなことをしたら私がヒトのかたちを保てなくなってしまう。それでは意味がない」
言って、そいつはルフスの前髪を払い、額の中心に触れようとした。
その指先が直前で固まったように動かなくなる。
いくつもの鈴の音がした。建物の影から現れたのは、山吹だった。山吹は胸の前で人差し指と中指を立てた構えをとっていて、彼女の背後には羽衣と呼ばれる、鈴の連なった布が波を描きながら浮いていた。
「名にし負はば 仙人山のシュバツカズラ 陰なる者を 繰るよしせよと」
「何しやがんだバカ野郎!」
山吹がまじないの言葉を言い終えると同時に、動きを妨げたものの正体が視認できるようになった。
蔦だ。
蔦は足元の地面から伸びていて、偽物に絡みついていた。
ルフスの体に自由が戻る。
立ち上がったルフスの隣に山吹が並んだ。
「くそっ離せ、離せよ! 神の眷属ごときがオレを誰だと思ってんだ!」
「水鏡《みかがみ》の命《みこと》」
山吹がもがく偽物を見据えて言った。
「これより東の地の村に伝わる古き神……水鏡の泉の化身」
「神様?」
「ただし、かつてそうであったものと申しましょうか。今は陰の気に囚われ、生剥《いきはぎ》と化してしまわれた妖に過ぎません」
「神様が妖に?」
ルフスは驚いて山吹を見る。
神は人間にとって絶対的な存在だ。その神が妖に変貌するというのは、かなり衝撃的なことだった。
「珍しくないことです。人々に忘れ去られた神はその力を失い、いずれ自分が何者であるのかということさえ忘れて、地上に害をなす存在となる」
「ああっテメエ誰が妖だっていででででで!!」
山吹が構えた手を横方向に動かし、蔦がぎりぎりと締めつけた。締め付けを緩めて、山吹が言う。
「本来ならば神たるあなた様にとって、私は下位の存在。その私の術に抗えないこの状況こそ、あなた様が既に妖と化している証拠に他なりません。私は妖退治を目的として地上に参ったわけではありません。ですがあなた様がルフス殿に手出しするというのであれば、話は別です」
「なんだよルフス、英雄がお守りつきかよ! 未だに力も発揮できてねえ、剣も未熟で、お前そんなでどうやって闇の者どもとやりあう気だ。頑張ったってどうしたって、できねえもんはできねえもんだ、やる気ばっかりでどうにかなるもんじゃねえ、オレの術でさえ身動きとることもできずにそこにへばってただけじゃねえか。そんなお前が」
「それでもおれの中には英雄の力が眠ってるんだろ?」
ルフスは短く、その名を呼んだ。
手の中に剣が現れる。それはまだ複製品だけれど。これから本物を手に入れる。
「おれはまだ剣を無闇に振り回すことしかできないから、誰かに教えてもらって訓練しないとな」
「そんなもん急にやって急にできるもんでもねえだろ。だからテメエは能天気な甘ったれだってんだ」
抵抗するのを止め、水鏡は瞼を落とす。
ルフスの、英雄王の力は光に属する。
妖となり果てた水鏡はそれに抗うことはできない。
たとえ剣が本物ではなくとも、この男が手にすることで、振るうことでその力は剣を通じて発揮される。
水鏡は塵となって消えるだろう。
だがどうせ世界は、遅かれ早かれ滅びる。
水鏡も、だてに長く生きているわけではない。
闇の者たちの力は嫌というほど知っている。五百年前のあの戦いも。英雄王は、ルフスと比べずっと戦い慣れた男だった。それに王という立場にあった為か、判断力に優れ、時には冷酷とも思える決断さえ厭わなかったと聞く。その男が成し得なかったことを、この平凡な青年ができるとも思えない。
頭上に剣を構えるルフスを睨み、笑いながら水鏡は吐き捨てる。
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