36 / 67
むかしばなし
しおりを挟む
村からほど近い場所にある小さな泉。
覗きこんだ者の姿を忠実に映しとる美しいその泉を、人々は水鏡の泉と呼び、社を建てて祀った。水鏡はそうして生まれた。
水鏡は人々に水の恵みを与え、人々は水鏡に感謝した。
辺境の小さな村で、娯楽は少なかったが、酒が美味だった。
時折参拝に訪れた人間の姿を映し盗り、遊んで満足したら、姿はすぐに返してやっていた。
ちょっと退屈で、平穏な日々は割と長く続いた。
ある時、村に恐ろしい疫病が流行った。病は人を喰い漁り、村の全ての人間達の命を奪ってしまった。
水鏡を信仰する者はいなくなった。
村のあった土地は閉鎖され、長き時にわたって近づくものはおらず、やがて泉の存在を知る者さえいなくなった。
何百年か昔の話だ。
早くも記憶は薄れ始めており、細かいことは殆ど覚えていない。
それでもまだ多少の記憶も自我は残っているから、神性も完全には失われていないのだろうと思うが、下位の者の術に敵わないということは、水鏡の中で妖としての部分が大きくなっているということだろう。
今の見た目は少なくとも妖も同然だ。神であった頃は、それなりに体裁も整えていたはずだが、それももうどんなものだったか思い出せない。
「これで一振りでさくっと蔦だけを斬り落とせたらかっこいいとこなんだけど……」
気の抜けるような、笑い混じりの声がした。
続いてぶつぶつと音がして、目を開けると、ルフスが剣の先で地道に蔦を斬っていた。
山吹が短く何か呟いた。
蔦が消える。
水鏡は立っていることもできずに、へたりこむ。知らず力を奪われていたのか、手足に力が入らなかった。
「ああ」
「一言命じてくだされば、そのように致しましたのに」
「そっか。まあでもちょっとカッコつけてみたかったんだよな」
ルフスは笑って言い、水鏡に合わせてしゃがんだ。
「なあ返してくれよ、その姿はティランのものだ。人間の恰好がしたいなら、その方法を探そうぜ。誰かのものじゃない、おまえの姿をさ。他の奴のものを奪わなくてもいいように、おまえだけの形を探そう」
水鏡は顎をあげ、偉そうに言う。
「なんにも宛てねぇくせに?」
「ううううう」
「なんなら順番も間違ってんだろうが。交渉よりも先に相手を自由にして、オレが逃げるってことは考えなかったわけ? 交渉っつーのあ自分が優位な状況下でするもんだ馬鹿かおまえ」
「ンンンンン」
「蔦に力を奪われて逃げる元気も残っておられないはずなのですが……」
山吹が横から口を挟み、水鏡がうるせえ黙れバカと怒鳴る。
失礼いたしましたと、山吹は軽く一礼して半歩下がる。
「その剣突きつけて、言うこと聞かせてすりゃいいじゃねえかよってまーそんなまどろっこしいことしなくても、オレが消えればオレが奪ったものは自動的に持ち主に返るわけだけど……」
「そういうことはなるだけしたくないから、こうして頼んでる」
目の下に皺を刻み、冷たい声で水鏡は言う。
「その甘さがいつか身を滅ぼすぞ」
「これから気を付けるよ」
無造作に頭を掻きながら、大きく舌打ちすると、水鏡は元の白くもやもやとした姿に戻った。
入れ替わるように、ティランの姿が返される。
ティランは大股でルフスに歩み寄り、その胸倉を掴むと、引き上げ立たせる。ルフスは面食らい、何も言えずただ瞬きをしてティランを見つめる。
ティランの表情は明らかに怒っていて、今にも口から小言が飛び出てきそうだと思った。しかし胸倉を掴んでいた手はいきなり押し離される。
「言いたいことは山ほどあるけどその前に……」
喉まで出かかったもの全部飲み込んだみたいな感じでティランが言う。
「まずはおおきに、助かった!」
「あ、いやそんはっ」
「それはそれとしてや!」
今度は突然鼻をぎゅっと摘まれ、変な声が出た。
「お――ま――え――は―――! っとにも―――――――――!!」
溜まっていたものを腹の底から吐き出す勢いで言われる。
「アホか! 色々! 全然! ちがうやろうが! おれがあんな甘っちょろいこと言うと思うとるんか? それからな、おれかて好きで便所に現れとったわけやないわ! おまえさんがいつまで経っても気づかんから!」
「言うんじゃん! 結局言うんじゃん! なんかぜんぶ飲み込みましたよみたいな顔したくせにさあ――――!?」
「ったり前やろが!」
「ていうかいつから!?」
「野営で一人火の番しとった時」
「えええええええ!!」
「わかってなかったんかい」
「じゃあ、じゃああの時のあれってあの、水鏡の……?」
ティランと靄を何度も見比べて、ルフスは眉間に皺を寄せて唸る。
「ぜんっぜんわかんねえ!」
「で、どないするつもりや」
「うん?」
「うんやない、アレやアレ。期待持たせるようなこと言うておいて。おまえさん一体どう責任とるつもりや、具体的に」
水鏡がいる方向をティランが横目に見やり、ルフスは山吹に顔を向けた。
山吹は首を横に振る。
「お役に立てず申し訳ありません。私にもわかりかねます」
「だよなあ……」
ルフスは腕組みをし、しばらく唸ってから、うんと一つ頷いて言った。
「よし、旅しながら探そう。わからないことずっと考えてもわかんないし。なんかあいつだけの体を作る方法とか、ほら専門家とか? いるかもしれないし?」
そうしたら、ティランが短く嘆息しながら、
「……言うと思ったわ」
と呟いたので、ルフスは拗ねて唇を尖らせた。
覗きこんだ者の姿を忠実に映しとる美しいその泉を、人々は水鏡の泉と呼び、社を建てて祀った。水鏡はそうして生まれた。
水鏡は人々に水の恵みを与え、人々は水鏡に感謝した。
辺境の小さな村で、娯楽は少なかったが、酒が美味だった。
時折参拝に訪れた人間の姿を映し盗り、遊んで満足したら、姿はすぐに返してやっていた。
ちょっと退屈で、平穏な日々は割と長く続いた。
ある時、村に恐ろしい疫病が流行った。病は人を喰い漁り、村の全ての人間達の命を奪ってしまった。
水鏡を信仰する者はいなくなった。
村のあった土地は閉鎖され、長き時にわたって近づくものはおらず、やがて泉の存在を知る者さえいなくなった。
何百年か昔の話だ。
早くも記憶は薄れ始めており、細かいことは殆ど覚えていない。
それでもまだ多少の記憶も自我は残っているから、神性も完全には失われていないのだろうと思うが、下位の者の術に敵わないということは、水鏡の中で妖としての部分が大きくなっているということだろう。
今の見た目は少なくとも妖も同然だ。神であった頃は、それなりに体裁も整えていたはずだが、それももうどんなものだったか思い出せない。
「これで一振りでさくっと蔦だけを斬り落とせたらかっこいいとこなんだけど……」
気の抜けるような、笑い混じりの声がした。
続いてぶつぶつと音がして、目を開けると、ルフスが剣の先で地道に蔦を斬っていた。
山吹が短く何か呟いた。
蔦が消える。
水鏡は立っていることもできずに、へたりこむ。知らず力を奪われていたのか、手足に力が入らなかった。
「ああ」
「一言命じてくだされば、そのように致しましたのに」
「そっか。まあでもちょっとカッコつけてみたかったんだよな」
ルフスは笑って言い、水鏡に合わせてしゃがんだ。
「なあ返してくれよ、その姿はティランのものだ。人間の恰好がしたいなら、その方法を探そうぜ。誰かのものじゃない、おまえの姿をさ。他の奴のものを奪わなくてもいいように、おまえだけの形を探そう」
水鏡は顎をあげ、偉そうに言う。
「なんにも宛てねぇくせに?」
「ううううう」
「なんなら順番も間違ってんだろうが。交渉よりも先に相手を自由にして、オレが逃げるってことは考えなかったわけ? 交渉っつーのあ自分が優位な状況下でするもんだ馬鹿かおまえ」
「ンンンンン」
「蔦に力を奪われて逃げる元気も残っておられないはずなのですが……」
山吹が横から口を挟み、水鏡がうるせえ黙れバカと怒鳴る。
失礼いたしましたと、山吹は軽く一礼して半歩下がる。
「その剣突きつけて、言うこと聞かせてすりゃいいじゃねえかよってまーそんなまどろっこしいことしなくても、オレが消えればオレが奪ったものは自動的に持ち主に返るわけだけど……」
「そういうことはなるだけしたくないから、こうして頼んでる」
目の下に皺を刻み、冷たい声で水鏡は言う。
「その甘さがいつか身を滅ぼすぞ」
「これから気を付けるよ」
無造作に頭を掻きながら、大きく舌打ちすると、水鏡は元の白くもやもやとした姿に戻った。
入れ替わるように、ティランの姿が返される。
ティランは大股でルフスに歩み寄り、その胸倉を掴むと、引き上げ立たせる。ルフスは面食らい、何も言えずただ瞬きをしてティランを見つめる。
ティランの表情は明らかに怒っていて、今にも口から小言が飛び出てきそうだと思った。しかし胸倉を掴んでいた手はいきなり押し離される。
「言いたいことは山ほどあるけどその前に……」
喉まで出かかったもの全部飲み込んだみたいな感じでティランが言う。
「まずはおおきに、助かった!」
「あ、いやそんはっ」
「それはそれとしてや!」
今度は突然鼻をぎゅっと摘まれ、変な声が出た。
「お――ま――え――は―――! っとにも―――――――――!!」
溜まっていたものを腹の底から吐き出す勢いで言われる。
「アホか! 色々! 全然! ちがうやろうが! おれがあんな甘っちょろいこと言うと思うとるんか? それからな、おれかて好きで便所に現れとったわけやないわ! おまえさんがいつまで経っても気づかんから!」
「言うんじゃん! 結局言うんじゃん! なんかぜんぶ飲み込みましたよみたいな顔したくせにさあ――――!?」
「ったり前やろが!」
「ていうかいつから!?」
「野営で一人火の番しとった時」
「えええええええ!!」
「わかってなかったんかい」
「じゃあ、じゃああの時のあれってあの、水鏡の……?」
ティランと靄を何度も見比べて、ルフスは眉間に皺を寄せて唸る。
「ぜんっぜんわかんねえ!」
「で、どないするつもりや」
「うん?」
「うんやない、アレやアレ。期待持たせるようなこと言うておいて。おまえさん一体どう責任とるつもりや、具体的に」
水鏡がいる方向をティランが横目に見やり、ルフスは山吹に顔を向けた。
山吹は首を横に振る。
「お役に立てず申し訳ありません。私にもわかりかねます」
「だよなあ……」
ルフスは腕組みをし、しばらく唸ってから、うんと一つ頷いて言った。
「よし、旅しながら探そう。わからないことずっと考えてもわかんないし。なんかあいつだけの体を作る方法とか、ほら専門家とか? いるかもしれないし?」
そうしたら、ティランが短く嘆息しながら、
「……言うと思ったわ」
と呟いたので、ルフスは拗ねて唇を尖らせた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる