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むかしばなし
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村からほど近い場所にある小さな泉。
覗きこんだ者の姿を忠実に映しとる美しいその泉を、人々は水鏡の泉と呼び、社を建てて祀った。水鏡はそうして生まれた。
水鏡は人々に水の恵みを与え、人々は水鏡に感謝した。
辺境の小さな村で、娯楽は少なかったが、酒が美味だった。
時折参拝に訪れた人間の姿を映し盗り、遊んで満足したら、姿はすぐに返してやっていた。
ちょっと退屈で、平穏な日々は割と長く続いた。
ある時、村に恐ろしい疫病が流行った。病は人を喰い漁り、村の全ての人間達の命を奪ってしまった。
水鏡を信仰する者はいなくなった。
村のあった土地は閉鎖され、長き時にわたって近づくものはおらず、やがて泉の存在を知る者さえいなくなった。
何百年か昔の話だ。
早くも記憶は薄れ始めており、細かいことは殆ど覚えていない。
それでもまだ多少の記憶も自我は残っているから、神性も完全には失われていないのだろうと思うが、下位の者の術に敵わないということは、水鏡の中で妖としての部分が大きくなっているということだろう。
今の見た目は少なくとも妖も同然だ。神であった頃は、それなりに体裁も整えていたはずだが、それももうどんなものだったか思い出せない。
「これで一振りでさくっと蔦だけを斬り落とせたらかっこいいとこなんだけど……」
気の抜けるような、笑い混じりの声がした。
続いてぶつぶつと音がして、目を開けると、ルフスが剣の先で地道に蔦を斬っていた。
山吹が短く何か呟いた。
蔦が消える。
水鏡は立っていることもできずに、へたりこむ。知らず力を奪われていたのか、手足に力が入らなかった。
「ああ」
「一言命じてくだされば、そのように致しましたのに」
「そっか。まあでもちょっとカッコつけてみたかったんだよな」
ルフスは笑って言い、水鏡に合わせてしゃがんだ。
「なあ返してくれよ、その姿はティランのものだ。人間の恰好がしたいなら、その方法を探そうぜ。誰かのものじゃない、おまえの姿をさ。他の奴のものを奪わなくてもいいように、おまえだけの形を探そう」
水鏡は顎をあげ、偉そうに言う。
「なんにも宛てねぇくせに?」
「ううううう」
「なんなら順番も間違ってんだろうが。交渉よりも先に相手を自由にして、オレが逃げるってことは考えなかったわけ? 交渉っつーのあ自分が優位な状況下でするもんだ馬鹿かおまえ」
「ンンンンン」
「蔦に力を奪われて逃げる元気も残っておられないはずなのですが……」
山吹が横から口を挟み、水鏡がうるせえ黙れバカと怒鳴る。
失礼いたしましたと、山吹は軽く一礼して半歩下がる。
「その剣突きつけて、言うこと聞かせてすりゃいいじゃねえかよってまーそんなまどろっこしいことしなくても、オレが消えればオレが奪ったものは自動的に持ち主に返るわけだけど……」
「そういうことはなるだけしたくないから、こうして頼んでる」
目の下に皺を刻み、冷たい声で水鏡は言う。
「その甘さがいつか身を滅ぼすぞ」
「これから気を付けるよ」
無造作に頭を掻きながら、大きく舌打ちすると、水鏡は元の白くもやもやとした姿に戻った。
入れ替わるように、ティランの姿が返される。
ティランは大股でルフスに歩み寄り、その胸倉を掴むと、引き上げ立たせる。ルフスは面食らい、何も言えずただ瞬きをしてティランを見つめる。
ティランの表情は明らかに怒っていて、今にも口から小言が飛び出てきそうだと思った。しかし胸倉を掴んでいた手はいきなり押し離される。
「言いたいことは山ほどあるけどその前に……」
喉まで出かかったもの全部飲み込んだみたいな感じでティランが言う。
「まずはおおきに、助かった!」
「あ、いやそんはっ」
「それはそれとしてや!」
今度は突然鼻をぎゅっと摘まれ、変な声が出た。
「お――ま――え――は―――! っとにも―――――――――!!」
溜まっていたものを腹の底から吐き出す勢いで言われる。
「アホか! 色々! 全然! ちがうやろうが! おれがあんな甘っちょろいこと言うと思うとるんか? それからな、おれかて好きで便所に現れとったわけやないわ! おまえさんがいつまで経っても気づかんから!」
「言うんじゃん! 結局言うんじゃん! なんかぜんぶ飲み込みましたよみたいな顔したくせにさあ――――!?」
「ったり前やろが!」
「ていうかいつから!?」
「野営で一人火の番しとった時」
「えええええええ!!」
「わかってなかったんかい」
「じゃあ、じゃああの時のあれってあの、水鏡の……?」
ティランと靄を何度も見比べて、ルフスは眉間に皺を寄せて唸る。
「ぜんっぜんわかんねえ!」
「で、どないするつもりや」
「うん?」
「うんやない、アレやアレ。期待持たせるようなこと言うておいて。おまえさん一体どう責任とるつもりや、具体的に」
水鏡がいる方向をティランが横目に見やり、ルフスは山吹に顔を向けた。
山吹は首を横に振る。
「お役に立てず申し訳ありません。私にもわかりかねます」
「だよなあ……」
ルフスは腕組みをし、しばらく唸ってから、うんと一つ頷いて言った。
「よし、旅しながら探そう。わからないことずっと考えてもわかんないし。なんかあいつだけの体を作る方法とか、ほら専門家とか? いるかもしれないし?」
そうしたら、ティランが短く嘆息しながら、
「……言うと思ったわ」
と呟いたので、ルフスは拗ねて唇を尖らせた。
覗きこんだ者の姿を忠実に映しとる美しいその泉を、人々は水鏡の泉と呼び、社を建てて祀った。水鏡はそうして生まれた。
水鏡は人々に水の恵みを与え、人々は水鏡に感謝した。
辺境の小さな村で、娯楽は少なかったが、酒が美味だった。
時折参拝に訪れた人間の姿を映し盗り、遊んで満足したら、姿はすぐに返してやっていた。
ちょっと退屈で、平穏な日々は割と長く続いた。
ある時、村に恐ろしい疫病が流行った。病は人を喰い漁り、村の全ての人間達の命を奪ってしまった。
水鏡を信仰する者はいなくなった。
村のあった土地は閉鎖され、長き時にわたって近づくものはおらず、やがて泉の存在を知る者さえいなくなった。
何百年か昔の話だ。
早くも記憶は薄れ始めており、細かいことは殆ど覚えていない。
それでもまだ多少の記憶も自我は残っているから、神性も完全には失われていないのだろうと思うが、下位の者の術に敵わないということは、水鏡の中で妖としての部分が大きくなっているということだろう。
今の見た目は少なくとも妖も同然だ。神であった頃は、それなりに体裁も整えていたはずだが、それももうどんなものだったか思い出せない。
「これで一振りでさくっと蔦だけを斬り落とせたらかっこいいとこなんだけど……」
気の抜けるような、笑い混じりの声がした。
続いてぶつぶつと音がして、目を開けると、ルフスが剣の先で地道に蔦を斬っていた。
山吹が短く何か呟いた。
蔦が消える。
水鏡は立っていることもできずに、へたりこむ。知らず力を奪われていたのか、手足に力が入らなかった。
「ああ」
「一言命じてくだされば、そのように致しましたのに」
「そっか。まあでもちょっとカッコつけてみたかったんだよな」
ルフスは笑って言い、水鏡に合わせてしゃがんだ。
「なあ返してくれよ、その姿はティランのものだ。人間の恰好がしたいなら、その方法を探そうぜ。誰かのものじゃない、おまえの姿をさ。他の奴のものを奪わなくてもいいように、おまえだけの形を探そう」
水鏡は顎をあげ、偉そうに言う。
「なんにも宛てねぇくせに?」
「ううううう」
「なんなら順番も間違ってんだろうが。交渉よりも先に相手を自由にして、オレが逃げるってことは考えなかったわけ? 交渉っつーのあ自分が優位な状況下でするもんだ馬鹿かおまえ」
「ンンンンン」
「蔦に力を奪われて逃げる元気も残っておられないはずなのですが……」
山吹が横から口を挟み、水鏡がうるせえ黙れバカと怒鳴る。
失礼いたしましたと、山吹は軽く一礼して半歩下がる。
「その剣突きつけて、言うこと聞かせてすりゃいいじゃねえかよってまーそんなまどろっこしいことしなくても、オレが消えればオレが奪ったものは自動的に持ち主に返るわけだけど……」
「そういうことはなるだけしたくないから、こうして頼んでる」
目の下に皺を刻み、冷たい声で水鏡は言う。
「その甘さがいつか身を滅ぼすぞ」
「これから気を付けるよ」
無造作に頭を掻きながら、大きく舌打ちすると、水鏡は元の白くもやもやとした姿に戻った。
入れ替わるように、ティランの姿が返される。
ティランは大股でルフスに歩み寄り、その胸倉を掴むと、引き上げ立たせる。ルフスは面食らい、何も言えずただ瞬きをしてティランを見つめる。
ティランの表情は明らかに怒っていて、今にも口から小言が飛び出てきそうだと思った。しかし胸倉を掴んでいた手はいきなり押し離される。
「言いたいことは山ほどあるけどその前に……」
喉まで出かかったもの全部飲み込んだみたいな感じでティランが言う。
「まずはおおきに、助かった!」
「あ、いやそんはっ」
「それはそれとしてや!」
今度は突然鼻をぎゅっと摘まれ、変な声が出た。
「お――ま――え――は―――! っとにも―――――――――!!」
溜まっていたものを腹の底から吐き出す勢いで言われる。
「アホか! 色々! 全然! ちがうやろうが! おれがあんな甘っちょろいこと言うと思うとるんか? それからな、おれかて好きで便所に現れとったわけやないわ! おまえさんがいつまで経っても気づかんから!」
「言うんじゃん! 結局言うんじゃん! なんかぜんぶ飲み込みましたよみたいな顔したくせにさあ――――!?」
「ったり前やろが!」
「ていうかいつから!?」
「野営で一人火の番しとった時」
「えええええええ!!」
「わかってなかったんかい」
「じゃあ、じゃああの時のあれってあの、水鏡の……?」
ティランと靄を何度も見比べて、ルフスは眉間に皺を寄せて唸る。
「ぜんっぜんわかんねえ!」
「で、どないするつもりや」
「うん?」
「うんやない、アレやアレ。期待持たせるようなこと言うておいて。おまえさん一体どう責任とるつもりや、具体的に」
水鏡がいる方向をティランが横目に見やり、ルフスは山吹に顔を向けた。
山吹は首を横に振る。
「お役に立てず申し訳ありません。私にもわかりかねます」
「だよなあ……」
ルフスは腕組みをし、しばらく唸ってから、うんと一つ頷いて言った。
「よし、旅しながら探そう。わからないことずっと考えてもわかんないし。なんかあいつだけの体を作る方法とか、ほら専門家とか? いるかもしれないし?」
そうしたら、ティランが短く嘆息しながら、
「……言うと思ったわ」
と呟いたので、ルフスは拗ねて唇を尖らせた。
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