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天藍
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どこまでも暗い。黒一色の世界。
一歩先がどうなっているのかもわからない。そこにいるだけでどうしようもなく不安にさせられるような、そんな圧迫感のある闇。
だが不思議と空気は透明で、澄んでいた。
ここは地の底、星の中心であると何かが告げる。
意識を取り戻すと同時に、知識が流れ込んできて、ティランは全てを理解した。
五百年前、英雄王が闇の者を封印したとされる場所。ガドール・フォセと呼ばれる大地の裂け目の深部。
つまりルフスの探す英雄王の剣が、このどこかにあるのだろうか。
だとしても、この闇一色の世界で探すのは至難の業だろう。それにティランとしては今、扱うことのできない剣よりも杖が欲しい。ディアから預かったラータの杖。魔法を使う者ために特殊な加工がなされた、あの樫でできた杖。あれがなければ、ティランは魔法を使えない。魔法を使えるからと言って、この状況を打破する策が浮かぶのかと言われればそうでもないが、何もできないよりはできることがある方が多少なりと心強い。
特にこんな、得体の知れない者を前にしていては尚更。
途方に暮れるティランの前に、ひとりの女がいた。
光は一切ないというのに、その姿がはっきり見えるのは奇妙なことだったが、相手が人ならぬものであるならば、それも別段おかしなことではないのかもしれない。
抜けるように白い、滑らかな肌はまっさらな雪のようで、髪は輝く金色、瞳は若葉の緑だ。
美しい女だった。
可憐で、楚々としていて、どこか気品があって。
顔に浮かぶのは柔らかい笑み。それなのにひしひしと感じる殺気。
女は薄桃色の花弁のような唇を開いた。
「お久しぶりですね。わたくし、またお会いできるのをずっと心待ちにしておりましたのよ」
甘ったるい声には形容しがたい嫌な感じがあって、ティランは女を強く睨みつける。
「誰や、おれはお前やこう知らんぞ……」
低く言ったティランに、女は愛らしい仕草で小首を傾げて見せた。
細い指先を唇に当て、くすくす笑う。
「あら、つれない。でもそうですわね、確かにあなた様とお会いしたのは一度きりでしたものね。それよりもあの方はどんな顔をされたのかしら? あなた様を目の前で奪われて」
「ねえ」
「ティエンラン様?」
ティエンラン。
限りなく美しい青。
冬の、晴れ渡ったこの空のように深い青色。
ティエンラン、おまえのその眸の色がまさにそれや。
兄さま、またご本を読んでるの?
お逃げください、どうかあなただけでも!
この髪色、なんと珍しい。それにこの深い青色の眸。これは、北の一族エストレラの……?
お前、名は?
へえすごいんだな、魔法ってやつは。
ガラスが割れ、中の水が流れ出し広がる速さで、ティランの頭に様々な光景が浮かんでは消えていった。
二度にわたり唐突に奪われた平穏。
驚愕のあまり動きが遅れ、咄嗟にとった行動。
だけどそれがその時ティランにできた最善だった。
己の力を、体を、利用されないこと。
ティランは失われた記憶をすべて取り戻す。
「あ」
見開いた瞳が揺れる。
唇が戦慄く。
目の前の女を、ティランは知っている。
そう、確かにこの女と会ったことがあった。
ずっと昔に、一度だけ。その時の彼女は豪奢なドレスに身を包み、優しい笑みをたたえていた。春の陽だまりに揺れる花のようだと思った。
だからこそ信じられない。
今ここにいる女は、姿かたちこそ同じだが、まるで別人だ。
薔薇の棘。
美しい見た目の奥に潜む毒。
じわりと広がり、知らぬ間に体を蝕む。
そんなものがこの女の内にあるのを、ティランは肌で感じ取っていた。
そうあの時も。
彼女の周囲に渦巻いていたのは怒りと嫉妬。どろどろとした、ぬめる黒。
「どうして、なんでおまえさんが……」
「まあ」
大仰に驚いたふりをして、女は胸の前で両手指を絡ませた。
「思い出してくださったのね、嬉しいわ。うふふ、ねえ、とてもとても待ち遠しかった。長かった。五百年もの間、わたくしはこの何もない寂しい場所で、たった一人で、あの方が施した封印の力が弱くなる時をずっと待っていたの。そしてやっと、わたくし自身は動けなくても、わたくしの力を外界に放つことができるまでになった。コロネとクライ、あの二人はね、この暗闇から造り出しましたのよ。かわいくて優秀なわたくしのしもべ、あなた方二人をすぐに見つけ出してきてくれた」
軽くステップを踏みながら、彼女はその場でくるくると回る。
長い時を経てなお、優雅で洗練された動きだった。
ティランは一歩後ろに下がる。
逃げる場所も、隠れる場所も、この空間にはどこにもない。
杖がないから魔法も使えない。あの時のように、自身を鉄の塊と化して逃れることも叶わない。
女はまっすぐにティランに向き直ると、冷ややかに笑う。
「杖を持たない、今のあなたに何もできませんわ。ここから逃げ出すことも。わたくしを倒すことも」
一歩、前に進み出て言う。
「ねえそれよりも、あの方がいらっしゃるまで、まだ時間はありますわ。せっかくこうしてまた会えたのです、ゆっくりとお話でもして待ちしましょう。ティエンラン様」
一歩先がどうなっているのかもわからない。そこにいるだけでどうしようもなく不安にさせられるような、そんな圧迫感のある闇。
だが不思議と空気は透明で、澄んでいた。
ここは地の底、星の中心であると何かが告げる。
意識を取り戻すと同時に、知識が流れ込んできて、ティランは全てを理解した。
五百年前、英雄王が闇の者を封印したとされる場所。ガドール・フォセと呼ばれる大地の裂け目の深部。
つまりルフスの探す英雄王の剣が、このどこかにあるのだろうか。
だとしても、この闇一色の世界で探すのは至難の業だろう。それにティランとしては今、扱うことのできない剣よりも杖が欲しい。ディアから預かったラータの杖。魔法を使う者ために特殊な加工がなされた、あの樫でできた杖。あれがなければ、ティランは魔法を使えない。魔法を使えるからと言って、この状況を打破する策が浮かぶのかと言われればそうでもないが、何もできないよりはできることがある方が多少なりと心強い。
特にこんな、得体の知れない者を前にしていては尚更。
途方に暮れるティランの前に、ひとりの女がいた。
光は一切ないというのに、その姿がはっきり見えるのは奇妙なことだったが、相手が人ならぬものであるならば、それも別段おかしなことではないのかもしれない。
抜けるように白い、滑らかな肌はまっさらな雪のようで、髪は輝く金色、瞳は若葉の緑だ。
美しい女だった。
可憐で、楚々としていて、どこか気品があって。
顔に浮かぶのは柔らかい笑み。それなのにひしひしと感じる殺気。
女は薄桃色の花弁のような唇を開いた。
「お久しぶりですね。わたくし、またお会いできるのをずっと心待ちにしておりましたのよ」
甘ったるい声には形容しがたい嫌な感じがあって、ティランは女を強く睨みつける。
「誰や、おれはお前やこう知らんぞ……」
低く言ったティランに、女は愛らしい仕草で小首を傾げて見せた。
細い指先を唇に当て、くすくす笑う。
「あら、つれない。でもそうですわね、確かにあなた様とお会いしたのは一度きりでしたものね。それよりもあの方はどんな顔をされたのかしら? あなた様を目の前で奪われて」
「ねえ」
「ティエンラン様?」
ティエンラン。
限りなく美しい青。
冬の、晴れ渡ったこの空のように深い青色。
ティエンラン、おまえのその眸の色がまさにそれや。
兄さま、またご本を読んでるの?
お逃げください、どうかあなただけでも!
この髪色、なんと珍しい。それにこの深い青色の眸。これは、北の一族エストレラの……?
お前、名は?
へえすごいんだな、魔法ってやつは。
ガラスが割れ、中の水が流れ出し広がる速さで、ティランの頭に様々な光景が浮かんでは消えていった。
二度にわたり唐突に奪われた平穏。
驚愕のあまり動きが遅れ、咄嗟にとった行動。
だけどそれがその時ティランにできた最善だった。
己の力を、体を、利用されないこと。
ティランは失われた記憶をすべて取り戻す。
「あ」
見開いた瞳が揺れる。
唇が戦慄く。
目の前の女を、ティランは知っている。
そう、確かにこの女と会ったことがあった。
ずっと昔に、一度だけ。その時の彼女は豪奢なドレスに身を包み、優しい笑みをたたえていた。春の陽だまりに揺れる花のようだと思った。
だからこそ信じられない。
今ここにいる女は、姿かたちこそ同じだが、まるで別人だ。
薔薇の棘。
美しい見た目の奥に潜む毒。
じわりと広がり、知らぬ間に体を蝕む。
そんなものがこの女の内にあるのを、ティランは肌で感じ取っていた。
そうあの時も。
彼女の周囲に渦巻いていたのは怒りと嫉妬。どろどろとした、ぬめる黒。
「どうして、なんでおまえさんが……」
「まあ」
大仰に驚いたふりをして、女は胸の前で両手指を絡ませた。
「思い出してくださったのね、嬉しいわ。うふふ、ねえ、とてもとても待ち遠しかった。長かった。五百年もの間、わたくしはこの何もない寂しい場所で、たった一人で、あの方が施した封印の力が弱くなる時をずっと待っていたの。そしてやっと、わたくし自身は動けなくても、わたくしの力を外界に放つことができるまでになった。コロネとクライ、あの二人はね、この暗闇から造り出しましたのよ。かわいくて優秀なわたくしのしもべ、あなた方二人をすぐに見つけ出してきてくれた」
軽くステップを踏みながら、彼女はその場でくるくると回る。
長い時を経てなお、優雅で洗練された動きだった。
ティランは一歩後ろに下がる。
逃げる場所も、隠れる場所も、この空間にはどこにもない。
杖がないから魔法も使えない。あの時のように、自身を鉄の塊と化して逃れることも叶わない。
女はまっすぐにティランに向き直ると、冷ややかに笑う。
「杖を持たない、今のあなたに何もできませんわ。ここから逃げ出すことも。わたくしを倒すことも」
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