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呪いの蔦
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山間の小さな村だった。取り立てて何もないような。暮らしは豊かではなかったから、村の男達が街まで出稼ぎに行くことが多かった。
その日も山を越えた向こうにある街から声が掛かって、彼は数日家を留守にした。
荷の運びの護衛の依頼だった。近頃この辺りには賊が出るようになって物騒だからと。以前世話になった商家の主からの頼みで、給金も良く、彼は二つ返事でその依頼を受けた。
村が襲われたのは、そんな時だった。
「じいちゃんもばあちゃんも、それにまだ抵抗できないような小さな、赤ん坊ですら無残な姿でそこらへんに転がってたよ。そして女たちは、」
そこまで言うと、男は突然口ごもった。
聞かずとも、粗方の予想はつく。
卑しく愚かな者達の所業だ。
黒い靄に包まれ、半分人の形を成していないセラフィナは、
「そう」
とだけ言って頷いた。
「あんたはすごい力を持っていて、どんなことも可能にするのだと、あの二人に聞いた」
「どんなことも? それは、どうかしらね。それで、あなたは一体何をお望みなの?」
長い金の髪が顔の前に落ちてくる。セラフィナはわずらわしそうに首を振って、睫毛を伏せる。体がじくじくと痛む。塞がれたはずの傷口から這いあがってくるような痛み。
これが、英雄の、光の力かと思う。
男は言う。
「オレの家族を生き返らせてくれ」
「………」
「娘と、嫁さんを……」
「復讐はいいのかい?」
先程までとは異なる二重にぶれて、にやついた声が言った。
だが男は気にすることなく、脱力したように上方向を仰いで零す。
「ああ、できるもんならしてぇなあ」
笑い混じりの声は、暗く狂った響きを持って発せられた。そうすることでしか正気を保てない者のそれだ。
その中に、混在する感情。
どろどろして、重く、全身を満たすような負の感情。
「だったら手伝ってやろう、コロネ、クライ」
呼び声に応じて、空間に裂け目が生じ、中から二羽の怪鳥が現れた。
「クライはこの哀れな人間様に手を貸してやれ」
「必要ねぇよ」
「そうかい。それじゃあせめて仇の元までお送りしてさしあげよう。それとコロネは、少しばかり使いを頼まれてくれ」
***
街中は人で溢れかえっていた。
それはそうだろうとティランは言った。
大きな街で、年の瀬。
地方から買い出しに訪れる者も多いのだろう。
懸念していたとおり宿は空いていなくて、それでも納屋でよければと言ってもらえて助かった。屋根があって、風を避けられるだけでも随分違う。
勿論、できるならば部屋が良かったが、贅沢を言っていられる状況でもなかった。
「大丈夫か? 山吹」
「申し訳ありません……」
集めた藁にシーツをかけて作った簡易的な寝床。そこに身を沈ませる山吹の顔には血の気がなく、声も弱々しい。
ティランが溜息混じりに言う。
「あのな具合悪いなら早めに……いや、すまん今言うことでもないな。お前さんは余計なこと考えんでいいから、とりあえずゆっくりしとけ。欲しいもんがあるなら、遠慮せんと言えよ」
山吹は無言で頷き、目を閉じる。
道中、山吹が倒れた。突然胸を押さえて、座り込んでしまったのだ。
旅の疲れだろうか。額に触れてみるが熱はなく、ただ息苦しそうな様子があった。
扉の外からルフスの声がした。
「ティラン、ティラン開けてくれ」
扉を開くと、冷気と共に両手に畳んだ毛布を三枚抱えたルフスが慌てて入ってきて、ティランは扉を閉めてから、一番上の一枚を取って山吹にかけてやった。
「食事も分けてくれるって。それとさ、宿の人が教えてくれたんだけど、具合が悪いんならいい薬師さんがいるって」
「へえ」
「街から南に行ったところに湖があって、その近くの家に住んでるらしいんだよ。おれちょっと行ってくる」
「え、それならおれが。お前さん薬のことやかどうせわからんやろ?」
「まあおれはわかんないけど、その辺は薬師さんが調合? してくれるんだろ。おれの知識必要なくない? あとティラン馬乗れる?」
「無理やな」
「じゃ、決まりだ」
ルフスはにやりと笑うと、再び外に出て行った。
山吹を一人残していくわけにはいかない。だからといって、何かしてやれるわけでもないから、この場にいてももどかしい限りなのだが。
寝込む山吹の近くに腰を下ろしかけたティランは、突然体の感覚が全て失われた。
いや、失われたというよりは奪われたの方が正しい。
そして目の前には自分の後ろ姿がある。
なんでまだおるんや!
ティランの声にならない声を聞いて、水鏡は首だけ動かし振り返った。
「あ? 体作ってもらうって約束だったろーが。自分の姿? それとこれとは別問題だ。別に真の姿を思い出したからって人間ごっこができるわけでもねーからなァ」
言ってティランの姿を奪った水鏡は山吹の横にしゃがみ込む。そしてなんの躊躇いもなく手を伸ばすと、山吹の前合わせの襟元を掴んで広げた。
ティランは反射的に視線を逸らす。
人の姿で何してくれるんやと、文句の一つでも言ってやろうかと思った時に、水鏡が言った。
「念のために言っとくが、元神のオレ様に性別もクソもねぇからな。ところで真面目な話見てみろ」
声の調子から察したティランは、白い靄のまま移動して水鏡の手元を覗き込む。
露わになった白い肌。両の胸のちょうど中心にあたる位置に黒い楕円系の痣があった。そこからぐるぐると何周も身体に巻き付くように何かが伸びるのは、やはり黒い蔦だ。
見覚えがある。忘れようもない。前に見たのはルフスの体でだ。
それは、山吹の手によって取り除かれたと聞いていた。
なのに何故。
少なくない衝撃がティランを襲う。
それは滅びの、呪いの蔦だった。
その日も山を越えた向こうにある街から声が掛かって、彼は数日家を留守にした。
荷の運びの護衛の依頼だった。近頃この辺りには賊が出るようになって物騒だからと。以前世話になった商家の主からの頼みで、給金も良く、彼は二つ返事でその依頼を受けた。
村が襲われたのは、そんな時だった。
「じいちゃんもばあちゃんも、それにまだ抵抗できないような小さな、赤ん坊ですら無残な姿でそこらへんに転がってたよ。そして女たちは、」
そこまで言うと、男は突然口ごもった。
聞かずとも、粗方の予想はつく。
卑しく愚かな者達の所業だ。
黒い靄に包まれ、半分人の形を成していないセラフィナは、
「そう」
とだけ言って頷いた。
「あんたはすごい力を持っていて、どんなことも可能にするのだと、あの二人に聞いた」
「どんなことも? それは、どうかしらね。それで、あなたは一体何をお望みなの?」
長い金の髪が顔の前に落ちてくる。セラフィナはわずらわしそうに首を振って、睫毛を伏せる。体がじくじくと痛む。塞がれたはずの傷口から這いあがってくるような痛み。
これが、英雄の、光の力かと思う。
男は言う。
「オレの家族を生き返らせてくれ」
「………」
「娘と、嫁さんを……」
「復讐はいいのかい?」
先程までとは異なる二重にぶれて、にやついた声が言った。
だが男は気にすることなく、脱力したように上方向を仰いで零す。
「ああ、できるもんならしてぇなあ」
笑い混じりの声は、暗く狂った響きを持って発せられた。そうすることでしか正気を保てない者のそれだ。
その中に、混在する感情。
どろどろして、重く、全身を満たすような負の感情。
「だったら手伝ってやろう、コロネ、クライ」
呼び声に応じて、空間に裂け目が生じ、中から二羽の怪鳥が現れた。
「クライはこの哀れな人間様に手を貸してやれ」
「必要ねぇよ」
「そうかい。それじゃあせめて仇の元までお送りしてさしあげよう。それとコロネは、少しばかり使いを頼まれてくれ」
***
街中は人で溢れかえっていた。
それはそうだろうとティランは言った。
大きな街で、年の瀬。
地方から買い出しに訪れる者も多いのだろう。
懸念していたとおり宿は空いていなくて、それでも納屋でよければと言ってもらえて助かった。屋根があって、風を避けられるだけでも随分違う。
勿論、できるならば部屋が良かったが、贅沢を言っていられる状況でもなかった。
「大丈夫か? 山吹」
「申し訳ありません……」
集めた藁にシーツをかけて作った簡易的な寝床。そこに身を沈ませる山吹の顔には血の気がなく、声も弱々しい。
ティランが溜息混じりに言う。
「あのな具合悪いなら早めに……いや、すまん今言うことでもないな。お前さんは余計なこと考えんでいいから、とりあえずゆっくりしとけ。欲しいもんがあるなら、遠慮せんと言えよ」
山吹は無言で頷き、目を閉じる。
道中、山吹が倒れた。突然胸を押さえて、座り込んでしまったのだ。
旅の疲れだろうか。額に触れてみるが熱はなく、ただ息苦しそうな様子があった。
扉の外からルフスの声がした。
「ティラン、ティラン開けてくれ」
扉を開くと、冷気と共に両手に畳んだ毛布を三枚抱えたルフスが慌てて入ってきて、ティランは扉を閉めてから、一番上の一枚を取って山吹にかけてやった。
「食事も分けてくれるって。それとさ、宿の人が教えてくれたんだけど、具合が悪いんならいい薬師さんがいるって」
「へえ」
「街から南に行ったところに湖があって、その近くの家に住んでるらしいんだよ。おれちょっと行ってくる」
「え、それならおれが。お前さん薬のことやかどうせわからんやろ?」
「まあおれはわかんないけど、その辺は薬師さんが調合? してくれるんだろ。おれの知識必要なくない? あとティラン馬乗れる?」
「無理やな」
「じゃ、決まりだ」
ルフスはにやりと笑うと、再び外に出て行った。
山吹を一人残していくわけにはいかない。だからといって、何かしてやれるわけでもないから、この場にいてももどかしい限りなのだが。
寝込む山吹の近くに腰を下ろしかけたティランは、突然体の感覚が全て失われた。
いや、失われたというよりは奪われたの方が正しい。
そして目の前には自分の後ろ姿がある。
なんでまだおるんや!
ティランの声にならない声を聞いて、水鏡は首だけ動かし振り返った。
「あ? 体作ってもらうって約束だったろーが。自分の姿? それとこれとは別問題だ。別に真の姿を思い出したからって人間ごっこができるわけでもねーからなァ」
言ってティランの姿を奪った水鏡は山吹の横にしゃがみ込む。そしてなんの躊躇いもなく手を伸ばすと、山吹の前合わせの襟元を掴んで広げた。
ティランは反射的に視線を逸らす。
人の姿で何してくれるんやと、文句の一つでも言ってやろうかと思った時に、水鏡が言った。
「念のために言っとくが、元神のオレ様に性別もクソもねぇからな。ところで真面目な話見てみろ」
声の調子から察したティランは、白い靄のまま移動して水鏡の手元を覗き込む。
露わになった白い肌。両の胸のちょうど中心にあたる位置に黒い楕円系の痣があった。そこからぐるぐると何周も身体に巻き付くように何かが伸びるのは、やはり黒い蔦だ。
見覚えがある。忘れようもない。前に見たのはルフスの体でだ。
それは、山吹の手によって取り除かれたと聞いていた。
なのに何故。
少なくない衝撃がティランを襲う。
それは滅びの、呪いの蔦だった。
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