緋の英雄王 白銀の賢者

冴木黒

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遅れて目覚めたもの

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 水鏡が掌を翳し、口中で何か短く呟くと、山吹の表情が幾分和らいだように見えた。
 だが、蔦はそのままそこにあった。
 呪いは消えていない。
 律儀に開いた襟を直してやりながら、水鏡がぼやく。

「少なくとも痛みはマシになってるはずだ。ったく魔力と妖力のハイブリッドな呪いなんて悪趣味なもん抱えやがって……一体どこでこんなもの」

 水鏡は急に黙って背後の靄を振り返る。
 表情こそ見えないが、息を呑むようなその空気からすべてを察した。

「あぁ、なるほどなァ憑りつかれて利用されたか。記憶がない時期だな。元凶はティエンラン、また貴様というわけだ」

 水鏡は大いに皮肉を含んだ笑みを浮かべながら立ち上がり、靄と化したティランに一歩近づく。ずいっと近づけられる顔。その瞳の青色は自分自身のもののはずなのに、何故だかぞっとする。
 身近にいすぎるために忘れがちだが、こいつは妖なのだと改めて思い知らされる。

「なあ、本当は持て余してるんじゃないのか? この底知れない魔力を持つ体、なんならオレがこのままもらってやってもいいんだぜ? 他の誰かに被害が及ぶ前に手放し……」

 不自然に言葉を途切れさせたかと思うと、水鏡は僅かに首を捻り足首に絡まる蔦を見て、目を細めた。
 山吹が寝転んだまま、術の構えを取っていた。

「ティラン殿を、いじめるのはおやめください」
「なんだ、もう少しへばっていればいいものを」
「痛みを取り除いてくださったことには感謝いたしましょう。ですが弱っている方の傷をえぐるような真似は感心しません。性格が良くないのか、素直でないのかどちらです?」

 胸元を整えて上半身を起こし、山吹は言う。

「フン、手っ取り早く体を手に入れるチャンスだってのに」

 水鏡は蔦の巻き付いた足で軽く空を蹴り、戒めを払い落すとティランに姿を返した。
 ふわふわと曖昧な感覚がなくなり、実体の重みがティランに戻る。その重みに任せ、ティランは地面に座り込む。

「なんで」

 動揺と怒り、それによくわからない感情でぐちゃぐちゃになりながらティランは掠れた声で言った。項垂れるティランの表情は、山吹から窺い知ることができない。
 手がぐっと握りしめられ、土に指の跡が残る。

「申し訳ございません。あまりに強力な呪いだったため私の力では祓うことができなかったのです」
「そういうことやない。なんで、黙っとった……」

 可能な限り感情を抑えた声で絞り出すように言ったティランの感情の所以が、山吹には理解できない。
 山吹はルフスにかけられた滅びの呪いを解くため、そして彼を光の剣の元へ導くために作り出された存在だ。媒体は、鈴ノ宮という神の持つ、対になった鈴の片割れだ。
 生まれて間もない。人間で言えば赤ん坊のようなものだが、知識と力を備えた状態で生まれた。
 山吹は与えられた使命を忠実に果たした。
 もちろん呪いを完全に消し去ることが最善だったのだろうが、それは不可能であると呪いを前にして瞬時に悟った。
 だから、山吹は呪いを己の身に移すことにした。
 いずれ山吹の生を屠るであろう呪いは、その目的を成就すれば確実に消え去るはずだ。
 ルフスは無事剣を手に入れた。残りの生は、彼が無事役目を全うすることができるよう見守り手助けすることに尽くすことを決めている。
 それが神々の意思。神の手により生み出された山吹の中にはその考えが根付いていて、それに従うことを当然のように受け入れていた。
 呪いのことを話していなかったのは、その必要性を感じなかったからだ。話したところで、この呪いはルフスやティランの手に負えるものでもない。
 妖力のみならいざ知らず、強力な魔力が上乗せされたこの厄介で忌まわしい呪いは、神々でさえ厭うだろう。万一にも、神々の手を汚すことがあってはならない。

「なんでおまえさんも……ルフスも」

 その傷ついた様子を前に、山吹は何も言えなくなってしまう。
 尋ねられれば、これまでは自分の中にある情報を率直に伝えていた。だから今回もその考えを説明しようとして、けれど出かかっていた言葉は喉でつっかえた。
 こんなことは初めてだった。

「山吹」

 項垂れたまま、ティランが言った。

「このことは、ルフスには」
「まだお伝えしておりません。お戻りになられましたら」
「いや、」

 てっきり情報共有しておくべきだと言われるのかと思ったが、ティランの返答は違った。

「それでええ。ルフスには言うな……」
「おいおい、そりゃあずいぶん勝手な話じゃねぇか? 自分の時は怒っておきながらよ」
「うるさい!」

 頭上からの声に、ティランは顔を跳ね上げ感情的になって怒鳴った。

「おれが、どうにかする。だからあいつには絶対に言うな。わかったな、お前もやぞ水鏡」
「無理だ。神の手に負えないものを、たかが人間がどうこうできるはずがないだろう」

 常とは違って、水鏡の声には茶化すような調子は一切なかった。
 ティランはぎりっと奥歯を噛みしめる。握り込んだ両手の指の力が強くなり、骨と血管が浮き上がるのを山吹は黙って見ていた。

「してみせる」
「…………」
「やってやる、絶対に。だから」
「……聞き分けのねぇガキだな、ま、せいぜい無駄な努力でもしてろ」

 呆れかえったように水鏡は言い、それ以上口を閉ざした。
 ティランもそれきり何も言わないので、山吹は何故かいたたまれなくて、何か言うべきなのだろうと思ったが考えてもかけるべき言葉が見つからず、結局気まずい沈黙がしばらく続いた。
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