2 / 20
1章 転生勇者は追放される
第一話:森の異変と、冷たい酒場
しおりを挟む
湿った腐葉土を踏みしめるアルスのブーツの音が、やけに大きく森に響く。先ほどまでやかましいほどに鳴き交わしていた野鳥たちは一斉に息を潜め、風の音すらもピタリと止んでいた。
「……またか」
アルスは深く、重い溜息を吐き出し、背中に背負っていた安物の鉄剣をゆっくりと引き抜いた。刃こぼれだらけの剣身が、木漏れ日に鈍く光る。
彼が冒険者ギルドから請け負ったのは、Eランク依頼『角ウサギの討伐』である。駆け出しの冒険者が小遣い稼ぎと実戦経験を積むための、最も安全でポピュラーな依頼のはずだった。事実、この『さざなみの森』は初心者向けの狩り場として知られている。
だが、今のアルスの肌を粟立たせているのは、草食魔物の気配などではない。
空気が、ひどく粘り気を帯びている。呼吸をするたびに肺が重く軋み、見えない巨大な掌で心臓を鷲掴みにされているような、絶対的な『死』の予感。
——強者は、強者を惹きつける。
アルスの中に眠る、かつて世界を救った『伝説の勇者』としての巨大な魂の輝き。本人はその力を完全に引き出せていないにもかかわらず、その魂の匂いは、世界に潜む最上位の捕食者たちを甘く誘引してしまうのだ。
バキバキバキバキ、ズドーン……!
前方数十メートル。樹齢数百年を越える大樹が、まるで飴細工のようにへし折られた。
濛々と土埃が舞う中から現れたのは、小山と見紛うほどの巨躯。漆黒の剛毛に覆われた四肢は丸太よりも太く、頭部には王冠のように捻じ曲がった漆黒の双角が生えている。
『暴虐の森王(キング・ベヒーモス)』。
本来ならば、大陸の最深部にしか生息せず、出現すれば国家規模の討伐隊が編成される特A級の災害指定魔物である。
「グルルルルォォォォォォォッ……!!」
大気が震え、衝撃波となってアルスを打ち据える。
普通の人間ならば、その咆哮を聞いただけで精神を破壊され、泡を吹いて倒れるほどの威圧(プレッシャー)。しかし、アルスの瞳に絶望はなかった。彼は生まれつき相手が強ければ強いほどに闘志が燃える気質があった。
(……角ウサギの肉で、久しぶりにシチューを作ろうと思っていたんだがな)
魂の奥底、前世の記憶が彼の身体を反射的に動かす。
すり減ったブーツが地面を蹴り、強大な「王」の振り下ろす圧倒的な暴力の渦中へと、アルスはたった一人で飛び込んでいった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「——だから! 嘘じゃねえって言ってるだろ!」
数時間後。冒険者ギルド『琥珀の杯』の喧騒の中に、アルスの声が空しく響き渡った。
彼の姿は惨憺たるものだった。革の胸当ては紙切れのように引き裂かれ、全身は泥と血にまみれている。相棒だった鉄剣は半ばでへし折れ、ただの鉄くずと化していた。キング・ベヒーモスの猛攻を凌ぎきり、片目を潰してどうにか退かせた結果だった。
しかし、ギルドの反応は冷ややかだった。
「はいはい。キング・ベヒーモスが出たのよね。さざなみの森に」
受付嬢は作り笑いを浮かべたまま、冷たい目でアルスを見下ろした。
「アルスさん。ここ一ヶ月で、あなたは五回も依頼を失敗しています。その理由が『エンシェント・ドラゴンが出た』『大悪魔に襲われた』……そして今回はキング・ベヒーモスですか」
「事実だ! 俺が追い払わなかったら、今頃この街は……っ!」
「おいおい、よせやいアルス」
背後から、中堅冒険者の男がニヤニヤと笑いながら肩を叩いてきた。
「角ウサギにビビって逃げ帰ったからって、そんな見え透いた嘘をつくこたぁねえだろ。なんだ? 森で転んで泥だらけになったのか?」
ドッと、ギルドに併設された酒場全体が嘲笑の渦に包まれる。
無理もない。初心者向けの森におとぎ話に出てくるような災害級の魔物が現れるなど、常識的に考えてあり得ないのだ。彼らの目にはアルスが『自分の無能さを隠すために、荒唐無稽な嘘をつく哀れな男』にしか映っていなかった。
「もういい」
奥の部屋から現れた厳つい風貌のギルドマスターが重々しい声で告げた。その手には僅かな銀貨が入った革袋が握られている。
「これ以上はギルドの信用に関わる。依頼の失敗ならまだしも、お前のような虚言癖のある人間を置いておくわけにはいかん。……アルス、お前は今日付けでクビだ」
差し出された手切れ金をアルスは無言で見つめた。
全身の骨が軋むように痛む。命懸けで街を守った代償がこの屈辱と数枚の銀貨。
「……そうか。わかった」
反論する気力も失せ、アルスは銀貨を受け取ると、嘲笑を背に受けながらギルドの重い木の扉を押し開けた。
外は冷たい夜風が吹いていた。
「……またか」
アルスは深く、重い溜息を吐き出し、背中に背負っていた安物の鉄剣をゆっくりと引き抜いた。刃こぼれだらけの剣身が、木漏れ日に鈍く光る。
彼が冒険者ギルドから請け負ったのは、Eランク依頼『角ウサギの討伐』である。駆け出しの冒険者が小遣い稼ぎと実戦経験を積むための、最も安全でポピュラーな依頼のはずだった。事実、この『さざなみの森』は初心者向けの狩り場として知られている。
だが、今のアルスの肌を粟立たせているのは、草食魔物の気配などではない。
空気が、ひどく粘り気を帯びている。呼吸をするたびに肺が重く軋み、見えない巨大な掌で心臓を鷲掴みにされているような、絶対的な『死』の予感。
——強者は、強者を惹きつける。
アルスの中に眠る、かつて世界を救った『伝説の勇者』としての巨大な魂の輝き。本人はその力を完全に引き出せていないにもかかわらず、その魂の匂いは、世界に潜む最上位の捕食者たちを甘く誘引してしまうのだ。
バキバキバキバキ、ズドーン……!
前方数十メートル。樹齢数百年を越える大樹が、まるで飴細工のようにへし折られた。
濛々と土埃が舞う中から現れたのは、小山と見紛うほどの巨躯。漆黒の剛毛に覆われた四肢は丸太よりも太く、頭部には王冠のように捻じ曲がった漆黒の双角が生えている。
『暴虐の森王(キング・ベヒーモス)』。
本来ならば、大陸の最深部にしか生息せず、出現すれば国家規模の討伐隊が編成される特A級の災害指定魔物である。
「グルルルルォォォォォォォッ……!!」
大気が震え、衝撃波となってアルスを打ち据える。
普通の人間ならば、その咆哮を聞いただけで精神を破壊され、泡を吹いて倒れるほどの威圧(プレッシャー)。しかし、アルスの瞳に絶望はなかった。彼は生まれつき相手が強ければ強いほどに闘志が燃える気質があった。
(……角ウサギの肉で、久しぶりにシチューを作ろうと思っていたんだがな)
魂の奥底、前世の記憶が彼の身体を反射的に動かす。
すり減ったブーツが地面を蹴り、強大な「王」の振り下ろす圧倒的な暴力の渦中へと、アルスはたった一人で飛び込んでいった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「——だから! 嘘じゃねえって言ってるだろ!」
数時間後。冒険者ギルド『琥珀の杯』の喧騒の中に、アルスの声が空しく響き渡った。
彼の姿は惨憺たるものだった。革の胸当ては紙切れのように引き裂かれ、全身は泥と血にまみれている。相棒だった鉄剣は半ばでへし折れ、ただの鉄くずと化していた。キング・ベヒーモスの猛攻を凌ぎきり、片目を潰してどうにか退かせた結果だった。
しかし、ギルドの反応は冷ややかだった。
「はいはい。キング・ベヒーモスが出たのよね。さざなみの森に」
受付嬢は作り笑いを浮かべたまま、冷たい目でアルスを見下ろした。
「アルスさん。ここ一ヶ月で、あなたは五回も依頼を失敗しています。その理由が『エンシェント・ドラゴンが出た』『大悪魔に襲われた』……そして今回はキング・ベヒーモスですか」
「事実だ! 俺が追い払わなかったら、今頃この街は……っ!」
「おいおい、よせやいアルス」
背後から、中堅冒険者の男がニヤニヤと笑いながら肩を叩いてきた。
「角ウサギにビビって逃げ帰ったからって、そんな見え透いた嘘をつくこたぁねえだろ。なんだ? 森で転んで泥だらけになったのか?」
ドッと、ギルドに併設された酒場全体が嘲笑の渦に包まれる。
無理もない。初心者向けの森におとぎ話に出てくるような災害級の魔物が現れるなど、常識的に考えてあり得ないのだ。彼らの目にはアルスが『自分の無能さを隠すために、荒唐無稽な嘘をつく哀れな男』にしか映っていなかった。
「もういい」
奥の部屋から現れた厳つい風貌のギルドマスターが重々しい声で告げた。その手には僅かな銀貨が入った革袋が握られている。
「これ以上はギルドの信用に関わる。依頼の失敗ならまだしも、お前のような虚言癖のある人間を置いておくわけにはいかん。……アルス、お前は今日付けでクビだ」
差し出された手切れ金をアルスは無言で見つめた。
全身の骨が軋むように痛む。命懸けで街を守った代償がこの屈辱と数枚の銀貨。
「……そうか。わかった」
反論する気力も失せ、アルスは銀貨を受け取ると、嘲笑を背に受けながらギルドの重い木の扉を押し開けた。
外は冷たい夜風が吹いていた。
0
あなたにおすすめの小説
魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。
カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。
だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、
ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。
国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。
そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。
この聖水、泥の味がする ~まずいと追放された俺の作るポーションが、実は神々も欲しがる奇跡の霊薬だった件~
夏見ナイ
ファンタジー
「泥水神官」と蔑まれる下級神官ルーク。彼が作る聖水はなぜか茶色く濁り、ひどい泥の味がした。そのせいで無能扱いされ、ある日、無実の罪で神殿から追放されてしまう。
全てを失い流れ着いた辺境の村で、彼は自らの聖水が持つ真の力に気づく。それは浄化ではなく、あらゆる傷や病、呪いすら癒す奇跡の【創生】の力だった!
ルークは小さなポーション屋を開き、まずいけどすごい聖水で村人たちを救っていく。その噂は広まり、呪われた女騎士やエルフの薬師など、訳ありな仲間たちが次々と集結。辺境の村はいつしか「癒しの郷」へと発展していく。
一方、ルークを追放した王都では聖女が謎の病に倒れ……。
落ちこぼれ神官の、痛快な逆転スローライフ、ここに開幕!
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
【完結】スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
解呪の魔法しか使えないからとSランクパーティーから追放された俺は、呪いをかけられていた美少女ドラゴンを拾って最強へと至る
早見羽流@3/19書籍発売!
ファンタジー
「ロイ・クノール。お前はもう用無しだ」
解呪の魔法しか使えない初心者冒険者の俺は、呪いの宝箱を解呪した途端にSランクパーティーから追放され、ダンジョンの最深部へと蹴り落とされてしまう。
そこで出会ったのは封印された邪龍。解呪の能力を使って邪龍の封印を解くと、なんとそいつは美少女の姿になり、契約を結んで欲しいと頼んできた。
彼女は元は世界を守護する守護龍で、英雄や女神の陰謀によって邪龍に堕とされ封印されていたという。契約を結んだ俺は彼女を救うため、守護龍を封印し世界を牛耳っている女神や英雄の血を引く王家に立ち向かうことを誓ったのだった。
(1話2500字程度、1章まで完結保証です)
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ
Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。
理由は決まって『従妹ライラ様との用事』
誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。
「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、お好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」
二人の想いは、重なり合えるのだろうか ……
※他のサイトにも公開しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる