転生勇者のやり直し

すもも太郎

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1章 転生勇者は追放される

第一話:森の異変と、冷たい酒場

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湿った腐葉土を踏みしめるアルスのブーツの音が、やけに大きく森に響く。先ほどまでやかましいほどに鳴き交わしていた野鳥たちは一斉に息を潜め、風の音すらもピタリと止んでいた。

「……またか」

アルスは深く、重い溜息を吐き出し、背中に背負っていた安物の鉄剣をゆっくりと引き抜いた。刃こぼれだらけの剣身が、木漏れ日に鈍く光る。

彼が冒険者ギルドから請け負ったのは、Eランク依頼『角ウサギの討伐』である。駆け出しの冒険者が小遣い稼ぎと実戦経験を積むための、最も安全でポピュラーな依頼のはずだった。事実、この『さざなみの森』は初心者向けの狩り場として知られている。

だが、今のアルスの肌を粟立たせているのは、草食魔物の気配などではない。
空気が、ひどく粘り気を帯びている。呼吸をするたびに肺が重く軋み、見えない巨大な掌で心臓を鷲掴みにされているような、絶対的な『死』の予感。

——強者は、強者を惹きつける。

アルスの中に眠る、かつて世界を救った『伝説の勇者』としての巨大な魂の輝き。本人はその力を完全に引き出せていないにもかかわらず、その魂の匂いは、世界に潜む最上位の捕食者たちを甘く誘引してしまうのだ。

バキバキバキバキ、ズドーン……!

前方数十メートル。樹齢数百年を越える大樹が、まるで飴細工のようにへし折られた。
濛々と土埃が舞う中から現れたのは、小山と見紛うほどの巨躯。漆黒の剛毛に覆われた四肢は丸太よりも太く、頭部には王冠のように捻じ曲がった漆黒の双角が生えている。

『暴虐の森王(キング・ベヒーモス)』。
本来ならば、大陸の最深部にしか生息せず、出現すれば国家規模の討伐隊が編成される特A級の災害指定魔物である。

「グルルルルォォォォォォォッ……!!」

大気が震え、衝撃波となってアルスを打ち据える。
普通の人間ならば、その咆哮を聞いただけで精神を破壊され、泡を吹いて倒れるほどの威圧(プレッシャー)。しかし、アルスの瞳に絶望はなかった。彼は生まれつき相手が強ければ強いほどに闘志が燃える気質があった。

(……角ウサギの肉で、久しぶりにシチューを作ろうと思っていたんだがな)

魂の奥底、前世の記憶が彼の身体を反射的に動かす。
すり減ったブーツが地面を蹴り、強大な「王」の振り下ろす圧倒的な暴力の渦中へと、アルスはたった一人で飛び込んでいった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「——だから! 嘘じゃねえって言ってるだろ!」

数時間後。冒険者ギルド『琥珀の杯』の喧騒の中に、アルスの声が空しく響き渡った。

彼の姿は惨憺たるものだった。革の胸当ては紙切れのように引き裂かれ、全身は泥と血にまみれている。相棒だった鉄剣は半ばでへし折れ、ただの鉄くずと化していた。キング・ベヒーモスの猛攻を凌ぎきり、片目を潰してどうにか退かせた結果だった。

しかし、ギルドの反応は冷ややかだった。

「はいはい。キング・ベヒーモスが出たのよね。さざなみの森に」

受付嬢は作り笑いを浮かべたまま、冷たい目でアルスを見下ろした。

「アルスさん。ここ一ヶ月で、あなたは五回も依頼を失敗しています。その理由が『エンシェント・ドラゴンが出た』『大悪魔に襲われた』……そして今回はキング・ベヒーモスですか」

「事実だ! 俺が追い払わなかったら、今頃この街は……っ!」

「おいおい、よせやいアルス」

背後から、中堅冒険者の男がニヤニヤと笑いながら肩を叩いてきた。

「角ウサギにビビって逃げ帰ったからって、そんな見え透いた嘘をつくこたぁねえだろ。なんだ? 森で転んで泥だらけになったのか?」

ドッと、ギルドに併設された酒場全体が嘲笑の渦に包まれる。
無理もない。初心者向けの森におとぎ話に出てくるような災害級の魔物が現れるなど、常識的に考えてあり得ないのだ。彼らの目にはアルスが『自分の無能さを隠すために、荒唐無稽な嘘をつく哀れな男』にしか映っていなかった。

「もういい」

奥の部屋から現れた厳つい風貌のギルドマスターが重々しい声で告げた。その手には僅かな銀貨が入った革袋が握られている。

「これ以上はギルドの信用に関わる。依頼の失敗ならまだしも、お前のような虚言癖のある人間を置いておくわけにはいかん。……アルス、お前は今日付けでクビだ」

差し出された手切れ金をアルスは無言で見つめた。
全身の骨が軋むように痛む。命懸けで街を守った代償がこの屈辱と数枚の銀貨。

「……そうか。わかった」

反論する気力も失せ、アルスは銀貨を受け取ると、嘲笑を背に受けながらギルドの重い木の扉を押し開けた。
外は冷たい夜風が吹いていた。
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