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第七話 処理
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第七話 処理
王宮の南門近く、石畳の上に乾いた車輪の跡が残っている。
財務官の事故から三日。
公式発表は既に掲示され、弔意も形式通りに済まされた。新任の若い文官が机に座り、前任者の帳簿を引き継いでいる。数字は淡々と並ぶが、筆先はわずかに震えていた。
円卓の間では、軍需支払いの再計算が進んでいる。
「通常契約に戻したことで、支出は二割増。緊急融資を検討すべきかと」
若い文官の声は慎重だ。
アルベルトは腕を組む。
「融資? 王家が借りるのか?」
「一時的な措置です。港湾税の再調整までの――」
「不要だ。歳出を削れ」
「軍への支払いは優先順位が高く……」
言葉が続かない。周囲の視線が重い。
誰も強く言わない。
言えば、責任が伴う。
沈黙が落ちる。
そのとき、扉が静かに開いた。
白衣の少女が、柔らかな足取りで入室する。
「殿下、お疲れ様でございます」
リュシエラは円卓を一瞥し、ゆっくりと微笑む。
「皆様が少し騒ぎすぎなのですわ。殿下は正しいご判断をなさったのですから」
若い文官が目を伏せる。
正しいかどうかではなく、帳簿が合うかどうかが問題だ。
老侯爵が淡々と告げる。
「殿下、王家優遇の終了により、商会が隣国へ流れ始めております」
「再交渉すればよい」
「順序がございます」
「順序?」
「事前協議、補償提示、合意形成。それが我々のルールです」
アルベルトは苛立つ。
「私は王太子だ。順序は私が決める」
空気が冷える。
リュシエラが柔らかく言葉を重ねる。
「古い順序に縛られていては、光は届きませんわ」
その言葉に、数名が視線を交わす。
光という言葉が、近ごろ頻繁に使われる。
だが光は、帳簿を埋めない。
会議は解散した。
結論は出ない。
ただ、距離だけが残る。
廊下で若い文官が足を止める。
同僚が小声で言う。
「発言は控えろ」
「だが数字が合わない」
「数字より身の安全だ」
その一言に、喉が鳴る。
事故は事故。
証拠はない。
だが、タイミングが良すぎる。
その夜、王宮の北棟で小さな騒ぎが起きた。
反対派として知られていた伯爵が、急な体調不良で倒れたという。医師は「持病の悪化」と診断した。
翌朝には回復した。
命に別状はない。
それでも、噂は走る。
“殿下に逆らうと不運が続く”。
誰も言わない。
だが皆、聞いている。
アルベルトは報告を受け、眉をひそめる。
「大げさだ。持病だろう」
「その通りでございます」
報告官は頷く。
事実はそうだ。
それ以上はない。
リュシエラが静かに寄り添う。
「殿下に従わぬ者は、不運に見舞われやすいものですわ」
柔らかな声。
冗談めいている。
アルベルトは苦笑する。
「お前は物騒だな」
「いいえ。ただ、殿下をお守りしたいだけです」
その瞳は真っ直ぐだ。
夜。
アルベルトは机に向かう。
帳簿の数字が、やけに目に刺さる。
軍需支払いの期限が近い。
港湾税の再交渉は停滞。
商会の流出。
だが最も気になるのは、沈黙だ。
誰も強く反対しない。
誰も賛成もしない。
ただ、従う。
それは安心のはずだった。
だが、なぜか心が落ち着かない。
燭台の火が揺れる。
一瞬、影が赤く見えた気がして、瞬きをする。
何もない。
ただの炎。
自嘲気味に笑う。
「馬鹿らしい」
事故は事故。
体調不良は体調不良。
偶然は重なることもある。
そうだ。
重なることもある。
隣国の城では、エリシアが第三回会談を終えていた。
「軍需の再配分、我が国が半数を引き受けましょう」
ディルクは資料を閉じる。
「王家の混乱が長引けば、交易はさらに動く」
「長引かせるつもりはございません」
エリシアは微笑む。
「私は混乱を望みません。ただ、契約を守るだけです」
彼女の言葉は一貫している。
感情ではなく、秩序。
王宮では、再び円卓が開かれた。
老侯爵が低く告げる。
「殿下、進言がございます」
珍しい。
アルベルトは顔を上げる。
「申せ」
「今後、重要な決定は事前協議を」
言い終える前に、リュシエラが穏やかに笑う。
「殿下は常に皆様の幸福をお考えですわ。ご心配には及びません」
侯爵は口を閉じる。
言葉は消える。
アルベルトは満足げに頷く。
「問題はない」
会議は終わる。
その背後で、老侯爵は小さく息を吐いた。
「……処理されたな」
誰にも聞こえない声。
処理とは何か。
命ではない。
意見だ。
発言の機会だ。
関与の意思だ。
それらが、少しずつ消えていく。
王宮は静かになる。
整然と。
誰も叫ばない。
だが距離は広がる。
アルベルトは寝台に横たわる。
目を閉じる。
暗闇の中で、白い影が微笑む。
血はない。
ただ白い。
それなのに、なぜか胸が重い。
リュシエラの声が耳元に落ちる。
「どこまでも私がお供します」
優しい。
揺るぎない。
そして王宮は、さらに静かになった。
王宮の南門近く、石畳の上に乾いた車輪の跡が残っている。
財務官の事故から三日。
公式発表は既に掲示され、弔意も形式通りに済まされた。新任の若い文官が机に座り、前任者の帳簿を引き継いでいる。数字は淡々と並ぶが、筆先はわずかに震えていた。
円卓の間では、軍需支払いの再計算が進んでいる。
「通常契約に戻したことで、支出は二割増。緊急融資を検討すべきかと」
若い文官の声は慎重だ。
アルベルトは腕を組む。
「融資? 王家が借りるのか?」
「一時的な措置です。港湾税の再調整までの――」
「不要だ。歳出を削れ」
「軍への支払いは優先順位が高く……」
言葉が続かない。周囲の視線が重い。
誰も強く言わない。
言えば、責任が伴う。
沈黙が落ちる。
そのとき、扉が静かに開いた。
白衣の少女が、柔らかな足取りで入室する。
「殿下、お疲れ様でございます」
リュシエラは円卓を一瞥し、ゆっくりと微笑む。
「皆様が少し騒ぎすぎなのですわ。殿下は正しいご判断をなさったのですから」
若い文官が目を伏せる。
正しいかどうかではなく、帳簿が合うかどうかが問題だ。
老侯爵が淡々と告げる。
「殿下、王家優遇の終了により、商会が隣国へ流れ始めております」
「再交渉すればよい」
「順序がございます」
「順序?」
「事前協議、補償提示、合意形成。それが我々のルールです」
アルベルトは苛立つ。
「私は王太子だ。順序は私が決める」
空気が冷える。
リュシエラが柔らかく言葉を重ねる。
「古い順序に縛られていては、光は届きませんわ」
その言葉に、数名が視線を交わす。
光という言葉が、近ごろ頻繁に使われる。
だが光は、帳簿を埋めない。
会議は解散した。
結論は出ない。
ただ、距離だけが残る。
廊下で若い文官が足を止める。
同僚が小声で言う。
「発言は控えろ」
「だが数字が合わない」
「数字より身の安全だ」
その一言に、喉が鳴る。
事故は事故。
証拠はない。
だが、タイミングが良すぎる。
その夜、王宮の北棟で小さな騒ぎが起きた。
反対派として知られていた伯爵が、急な体調不良で倒れたという。医師は「持病の悪化」と診断した。
翌朝には回復した。
命に別状はない。
それでも、噂は走る。
“殿下に逆らうと不運が続く”。
誰も言わない。
だが皆、聞いている。
アルベルトは報告を受け、眉をひそめる。
「大げさだ。持病だろう」
「その通りでございます」
報告官は頷く。
事実はそうだ。
それ以上はない。
リュシエラが静かに寄り添う。
「殿下に従わぬ者は、不運に見舞われやすいものですわ」
柔らかな声。
冗談めいている。
アルベルトは苦笑する。
「お前は物騒だな」
「いいえ。ただ、殿下をお守りしたいだけです」
その瞳は真っ直ぐだ。
夜。
アルベルトは机に向かう。
帳簿の数字が、やけに目に刺さる。
軍需支払いの期限が近い。
港湾税の再交渉は停滞。
商会の流出。
だが最も気になるのは、沈黙だ。
誰も強く反対しない。
誰も賛成もしない。
ただ、従う。
それは安心のはずだった。
だが、なぜか心が落ち着かない。
燭台の火が揺れる。
一瞬、影が赤く見えた気がして、瞬きをする。
何もない。
ただの炎。
自嘲気味に笑う。
「馬鹿らしい」
事故は事故。
体調不良は体調不良。
偶然は重なることもある。
そうだ。
重なることもある。
隣国の城では、エリシアが第三回会談を終えていた。
「軍需の再配分、我が国が半数を引き受けましょう」
ディルクは資料を閉じる。
「王家の混乱が長引けば、交易はさらに動く」
「長引かせるつもりはございません」
エリシアは微笑む。
「私は混乱を望みません。ただ、契約を守るだけです」
彼女の言葉は一貫している。
感情ではなく、秩序。
王宮では、再び円卓が開かれた。
老侯爵が低く告げる。
「殿下、進言がございます」
珍しい。
アルベルトは顔を上げる。
「申せ」
「今後、重要な決定は事前協議を」
言い終える前に、リュシエラが穏やかに笑う。
「殿下は常に皆様の幸福をお考えですわ。ご心配には及びません」
侯爵は口を閉じる。
言葉は消える。
アルベルトは満足げに頷く。
「問題はない」
会議は終わる。
その背後で、老侯爵は小さく息を吐いた。
「……処理されたな」
誰にも聞こえない声。
処理とは何か。
命ではない。
意見だ。
発言の機会だ。
関与の意思だ。
それらが、少しずつ消えていく。
王宮は静かになる。
整然と。
誰も叫ばない。
だが距離は広がる。
アルベルトは寝台に横たわる。
目を閉じる。
暗闇の中で、白い影が微笑む。
血はない。
ただ白い。
それなのに、なぜか胸が重い。
リュシエラの声が耳元に落ちる。
「どこまでも私がお供します」
優しい。
揺るぎない。
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