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2-3 共同改革
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第2章 書類改革と二人の距離
2-3 共同改革
早朝。
まだ霧が立ち込める時間帯に、アルヴェン領の庁舎にはすでに灯りがともっていた。
書類の束を抱えたレティシアが廊下を歩く。
その後ろには、同じく資料を手にしたグレイの姿。
まるで戦場に向かう二人の将軍のようだった。
今日の議題は――“労働者登録制度”の刷新。
長年放置されてきた賃金記録と雇用台帳の改正。
この制度が整えば、港湾再建事業は一気に進む。
だが、領内の古参貴族たちにとっては、長年の利権を失う“危険な改革”でもあった。
会議室の扉が開かれ、重苦しい空気が流れ込む。
中には領主家配下の商業代表、鉱山主、官吏たち――
どの顔も、穏やかさよりも警戒をにじませていた。
---
「……それでは、会議を始める。」
グレイの低い声が響く。
背筋が自然と伸びた。
最初に発言したのは、灰色の髭を蓄えた鉱山主マルセル。
「閣下、私はこの新制度に反対いたします。
賃金を帳簿に記すなど、労働者どもの賃上げ要求を助長するだけです!」
「記録を残すことは、搾取を防ぐ手段でもありますわ。」
レティシアが静かに言葉を挟む。
「正しい労働に、正しい報酬。
その原則を無視すれば、領地の信頼は地に落ちます。」
「だがな、奥方殿。現場を知らぬ者が綺麗事を言っても――」
マルセルの言葉を、グレイが遮った。
「黙れ。」
その一言で、会議室が凍りつく。
「彼女の提案は、数字と現場の双方に基づいている。
既に私が視察し、労働者の不満を確認した。
現場を知らぬのは、貴様の方だ。」
マルセルの顔が真っ赤になる。
しかし、誰も反論できなかった。
グレイの一言は、辺境で“法”と同義だったからだ。
---
レティシアは一枚の書類を机の中央に置いた。
> 『労働者登録制度改正案――概要』
その字は端正で、内容は驚くほど簡潔だった。
「これは、“全員を監視する”ための制度ではありません。
“全員を記録する”ための仕組みです。
正確な数値を把握すれば、税の無駄も減り、
労働者の生活も安定します。」
「だが、それでは我々の取り分が減る!」
「減るのではありません。正しくなるだけですわ。」
彼女の声音は柔らかく、しかし一切の揺らぎがなかった。
長い沈黙のあと、若い商人の一人が口を開く。
「……確かに、今のままでは取引記録が不明瞭すぎます。
私の倉庫でも、同じ荷を二度納品したことがあります。
損をしているのは、むしろ我々かもしれません。」
会議室に、ゆっくりと賛同の空気が流れ始めた。
グレイはその様子を見て、満足げに小さくうなずく。
レティシアの手腕は、もはや誰の目にも明らかだった。
---
会議が終わったあと。
二人は庁舎の屋上に出た。
春の風が吹き抜け、港の方角には小さな帆船が並ぶ。
「……ふう。ようやく通りましたわね。」
レティシアが小さく息をつく。
グレイは隣で腕を組んだまま、短く言った。
「君の勝利だ。」
「いえ、閣下が後押ししてくださったから。」
「いや、君の言葉に力があった。
私の命令では、人の心は動かない。」
その言葉に、レティシアは少しだけ微笑む。
「閣下も、言葉で人を動かしていらっしゃいますわ。」
「どういう意味だ。」
「“黙れ”と一言。それで全員、止まりますもの。」
グレイが一瞬ぽかんとし、次の瞬間、珍しく吹き出した。
「……確かに。」
レティシアもつられて笑う。
こうして二人が笑い合うのは、初めてだった。
---
その日の夜。
庁舎に残ったレティシアは、一人で報告書をまとめていた。
新制度の施行にあたり、各部署への指示書を作成している。
“全員が理解できるよう、難しい言葉を使わないこと”
――グレイの助言だ。
彼女はその指示を忠実に守りながら、分かりやすい文に書き直していく。
そこへ扉がノックされ、グレイが入ってきた。
「まだ残っていたのか。」
「あと少しで終わりますわ。」
「……夜更かしは禁止のはずだ。」
その言葉に、レティシアは手を止めて苦笑する。
「ですが、締切が迫っていますの。」
「なら、手伝おう。」
そう言って彼は、隣の机に腰を下ろした。
珍しいことだった。
普段、部下に任せるような文書作業を、自ら進んで手伝うとは。
「では、私は商業登録部分を。」
「わかりました。私は鉱山労働者の項目をまとめます。」
カリカリと、二本のペンが紙の上を走る。
静かな部屋に、インクの香りが漂う。
「……こうして並んで仕事をするのは、悪くないな。」
グレイの呟きに、レティシアは少し顔を上げる。
「閣下、今なんと?」
「いや、独り言だ。」
「そうですか。では、私も独り言を。」
「……?」
「閣下と一緒だと、仕事が捗りますわ。」
グレイの手が止まった。
次の瞬間、わずかにペン先が滑り、インクの点が紙に落ちた。
「……」
「まあ、失礼。私のせいですわね?」
「……ああ、そうだな。」
顔を逸らしながらも、耳の先がわずかに赤い。
その様子を見て、レティシアはくすりと笑った。
---
夜半。
二人が仕上げた指示書は十数枚。
整然と並んだ文字は、まるで詩のように美しかった。
レティシアが最後の一枚をまとめ、印章を押す。
「……これで、明日から動けますわ。」
「ご苦労だった。」
「閣下も、夜更かしをなさいましたね。」
「例外だ。」
彼女はペンを置き、ふと窓の外を見た。
月が淡く光り、港の方に灯りが点々と揺れている。
「……この光を、失いたくありません。」
「光?」
「ええ。人々が安心して灯す灯りですわ。
税も労働も、すべてはその灯りを守るためのもの。
私は、それをこの手で守りたい。」
グレイはその言葉を聞き、ゆっくりと頷く。
「私もだ。
だが、私は不器用で……言葉にできない。」
「なら、書類に書けばいいのですわ。
私がいつでも読みます。」
「……君は、本当に変わった人だな。」
「褒め言葉として受け取りますわ。」
互いに微笑む。
その瞬間、外の風がカーテンを揺らし、ランプの火が二人の影を寄せ合った。
---
翌朝。
新制度の布告が領内に掲示されると、驚くほどの反応があった。
農民たちは賃金の明確化を歓迎し、商人たちは取引記録の整理を喜んだ。
庁舎前には、感謝の手紙が山のように積まれていく。
「これほど早く成果が出るとは……。」
グレイはその報告書を手に取り、静かに呟く。
レティシアは隣で小さく微笑む。
「数字が嘘をつかないのは、努力した人がいたからですわ。」
「努力……か。」
グレイは机の引き出しから、一枚の書類を取り出す。
> 『辺境領再建計画書 補足第十二号』
末尾に新しい追記があった。
> 『本改革は、レティシア・アルヴェンの共同提案によるものと記す。
> ――グレイ・アルヴェン』
「……これを公文に残すのですか?」
「当然だ。君の功績を記さねば、未来が誤解する。」
レティシアは胸の奥が熱くなるのを感じた。
“未来が誤解する”――その言葉には、
まるで彼女の存在を永遠に残そうとするような響きがあった。
彼女は静かに答える。
「ならば、私からも一言追記を。」
ペンを取り、書類の余白に小さく記す。
> 『共に働くことで、孤独を知り、そして癒えました。
> ――R.A.』
グレイはその文を見つめ、短く呟いた。
「……癒えたのは、私の方かもしれん。」
その言葉は、書類には記されなかった。
けれど、レティシアの心には、しっかりと刻まれた。
---
2-3 共同改革
早朝。
まだ霧が立ち込める時間帯に、アルヴェン領の庁舎にはすでに灯りがともっていた。
書類の束を抱えたレティシアが廊下を歩く。
その後ろには、同じく資料を手にしたグレイの姿。
まるで戦場に向かう二人の将軍のようだった。
今日の議題は――“労働者登録制度”の刷新。
長年放置されてきた賃金記録と雇用台帳の改正。
この制度が整えば、港湾再建事業は一気に進む。
だが、領内の古参貴族たちにとっては、長年の利権を失う“危険な改革”でもあった。
会議室の扉が開かれ、重苦しい空気が流れ込む。
中には領主家配下の商業代表、鉱山主、官吏たち――
どの顔も、穏やかさよりも警戒をにじませていた。
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「……それでは、会議を始める。」
グレイの低い声が響く。
背筋が自然と伸びた。
最初に発言したのは、灰色の髭を蓄えた鉱山主マルセル。
「閣下、私はこの新制度に反対いたします。
賃金を帳簿に記すなど、労働者どもの賃上げ要求を助長するだけです!」
「記録を残すことは、搾取を防ぐ手段でもありますわ。」
レティシアが静かに言葉を挟む。
「正しい労働に、正しい報酬。
その原則を無視すれば、領地の信頼は地に落ちます。」
「だがな、奥方殿。現場を知らぬ者が綺麗事を言っても――」
マルセルの言葉を、グレイが遮った。
「黙れ。」
その一言で、会議室が凍りつく。
「彼女の提案は、数字と現場の双方に基づいている。
既に私が視察し、労働者の不満を確認した。
現場を知らぬのは、貴様の方だ。」
マルセルの顔が真っ赤になる。
しかし、誰も反論できなかった。
グレイの一言は、辺境で“法”と同義だったからだ。
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レティシアは一枚の書類を机の中央に置いた。
> 『労働者登録制度改正案――概要』
その字は端正で、内容は驚くほど簡潔だった。
「これは、“全員を監視する”ための制度ではありません。
“全員を記録する”ための仕組みです。
正確な数値を把握すれば、税の無駄も減り、
労働者の生活も安定します。」
「だが、それでは我々の取り分が減る!」
「減るのではありません。正しくなるだけですわ。」
彼女の声音は柔らかく、しかし一切の揺らぎがなかった。
長い沈黙のあと、若い商人の一人が口を開く。
「……確かに、今のままでは取引記録が不明瞭すぎます。
私の倉庫でも、同じ荷を二度納品したことがあります。
損をしているのは、むしろ我々かもしれません。」
会議室に、ゆっくりと賛同の空気が流れ始めた。
グレイはその様子を見て、満足げに小さくうなずく。
レティシアの手腕は、もはや誰の目にも明らかだった。
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会議が終わったあと。
二人は庁舎の屋上に出た。
春の風が吹き抜け、港の方角には小さな帆船が並ぶ。
「……ふう。ようやく通りましたわね。」
レティシアが小さく息をつく。
グレイは隣で腕を組んだまま、短く言った。
「君の勝利だ。」
「いえ、閣下が後押ししてくださったから。」
「いや、君の言葉に力があった。
私の命令では、人の心は動かない。」
その言葉に、レティシアは少しだけ微笑む。
「閣下も、言葉で人を動かしていらっしゃいますわ。」
「どういう意味だ。」
「“黙れ”と一言。それで全員、止まりますもの。」
グレイが一瞬ぽかんとし、次の瞬間、珍しく吹き出した。
「……確かに。」
レティシアもつられて笑う。
こうして二人が笑い合うのは、初めてだった。
---
その日の夜。
庁舎に残ったレティシアは、一人で報告書をまとめていた。
新制度の施行にあたり、各部署への指示書を作成している。
“全員が理解できるよう、難しい言葉を使わないこと”
――グレイの助言だ。
彼女はその指示を忠実に守りながら、分かりやすい文に書き直していく。
そこへ扉がノックされ、グレイが入ってきた。
「まだ残っていたのか。」
「あと少しで終わりますわ。」
「……夜更かしは禁止のはずだ。」
その言葉に、レティシアは手を止めて苦笑する。
「ですが、締切が迫っていますの。」
「なら、手伝おう。」
そう言って彼は、隣の机に腰を下ろした。
珍しいことだった。
普段、部下に任せるような文書作業を、自ら進んで手伝うとは。
「では、私は商業登録部分を。」
「わかりました。私は鉱山労働者の項目をまとめます。」
カリカリと、二本のペンが紙の上を走る。
静かな部屋に、インクの香りが漂う。
「……こうして並んで仕事をするのは、悪くないな。」
グレイの呟きに、レティシアは少し顔を上げる。
「閣下、今なんと?」
「いや、独り言だ。」
「そうですか。では、私も独り言を。」
「……?」
「閣下と一緒だと、仕事が捗りますわ。」
グレイの手が止まった。
次の瞬間、わずかにペン先が滑り、インクの点が紙に落ちた。
「……」
「まあ、失礼。私のせいですわね?」
「……ああ、そうだな。」
顔を逸らしながらも、耳の先がわずかに赤い。
その様子を見て、レティシアはくすりと笑った。
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夜半。
二人が仕上げた指示書は十数枚。
整然と並んだ文字は、まるで詩のように美しかった。
レティシアが最後の一枚をまとめ、印章を押す。
「……これで、明日から動けますわ。」
「ご苦労だった。」
「閣下も、夜更かしをなさいましたね。」
「例外だ。」
彼女はペンを置き、ふと窓の外を見た。
月が淡く光り、港の方に灯りが点々と揺れている。
「……この光を、失いたくありません。」
「光?」
「ええ。人々が安心して灯す灯りですわ。
税も労働も、すべてはその灯りを守るためのもの。
私は、それをこの手で守りたい。」
グレイはその言葉を聞き、ゆっくりと頷く。
「私もだ。
だが、私は不器用で……言葉にできない。」
「なら、書類に書けばいいのですわ。
私がいつでも読みます。」
「……君は、本当に変わった人だな。」
「褒め言葉として受け取りますわ。」
互いに微笑む。
その瞬間、外の風がカーテンを揺らし、ランプの火が二人の影を寄せ合った。
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翌朝。
新制度の布告が領内に掲示されると、驚くほどの反応があった。
農民たちは賃金の明確化を歓迎し、商人たちは取引記録の整理を喜んだ。
庁舎前には、感謝の手紙が山のように積まれていく。
「これほど早く成果が出るとは……。」
グレイはその報告書を手に取り、静かに呟く。
レティシアは隣で小さく微笑む。
「数字が嘘をつかないのは、努力した人がいたからですわ。」
「努力……か。」
グレイは机の引き出しから、一枚の書類を取り出す。
> 『辺境領再建計画書 補足第十二号』
末尾に新しい追記があった。
> 『本改革は、レティシア・アルヴェンの共同提案によるものと記す。
> ――グレイ・アルヴェン』
「……これを公文に残すのですか?」
「当然だ。君の功績を記さねば、未来が誤解する。」
レティシアは胸の奥が熱くなるのを感じた。
“未来が誤解する”――その言葉には、
まるで彼女の存在を永遠に残そうとするような響きがあった。
彼女は静かに答える。
「ならば、私からも一言追記を。」
ペンを取り、書類の余白に小さく記す。
> 『共に働くことで、孤独を知り、そして癒えました。
> ――R.A.』
グレイはその文を見つめ、短く呟いた。
「……癒えたのは、私の方かもしれん。」
その言葉は、書類には記されなかった。
けれど、レティシアの心には、しっかりと刻まれた。
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