『白い結婚、黒い逆転。――辺境公爵は書類で愛を囁く』

鷹 綾

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3-2 王都の牢獄

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第3章 陰謀と告白――王都からの追放命令

3-2 王都の牢獄

 王都の空は、思っていたよりも灰色だった。
 かつて「理想」と呼ばれたその街は、今や冷たい石の壁と鉄の門で覆われ、
 金と権力の臭いがあたり一面に漂っていた。

 馬車が王都門を通過すると、衛兵たちは一瞬、レティシアの顔を見て目を丸くした。
 「……オルディス侯のご息女では?」
 「違います。アルヴェン公爵夫人です。」

 その一言に、場の空気が張り詰める。
 彼女はかつてこの街の“未来の宰相令嬢”と呼ばれた女だ。
 だが今は、“辺境の女”として戻ってきた。


---

 馬車を降りると、すぐに王宮の役人たちが近づいてきた。
 「王都財務監察局より来訪命令が出ています。こちらへ。」

 連れて行かれた先は、宮殿の奥――監査局の取調室。
 窓のない灰色の部屋に、机が一つ。
 その向かいに座っていたのは、彼女の兄、アルトリウス・オルディス。

 「よく来たな、レティシア。」
 「兄上……。これは、父の命令ですか?」
 「当然だ。お前は“家の名誉”を傷つけた。」

 アルトリウスの声は冷たく、感情がなかった。
 レティシアは机の上に分厚い書類を置く。

 「こちらが、辺境領の会計記録です。
  全て正規の書式で作成されています。
  虚偽の一点もありません。」

 アルトリウスは紙束を手に取り、ぱらぱらとめくる。
 やがて、一枚を引き抜き、机に叩きつけた。

 「虚偽ではない? ならば、この収支報告をどう説明する!」
 指差されたのは、“王都への税送金額減少”の項目だった。
 「前年より三割減少している。
  これは“国家への背信”だ。」

 「減少したのは、港湾の再投資を優先したためです。
  長期的には税収を増やす効果があります。」

 「理屈などどうでもいい!」
 兄の声が鋭く響く。
 「父上は激怒している。お前の軽率な行動が、王家との関係を損ねた!」

 「軽率ではありません!」
 レティシアの声が震えた。
 「私は、民を救うためにやったのです!」

 沈黙。
 アルトリウスはゆっくりと椅子から立ち上がる。
 「……昔からそうだな。
  お前は“正しさ”を振りかざして、人を動かせると思っている。」

 「兄上……。」
 「だが世の中は、正しさでは動かない。」
 彼は机の上の書類を一枚一枚重ね、静かに言った。
 「王都の現実は、理想など踏み潰す。
  ――父上を説得できると思うな。」


---

 その日の夜、レティシアは王都の迎賓館に“軟禁”された。
 名目上は宿泊許可、実質的には監視下。
 窓の外には、王都の夜景が見える。
 かつては憧れた光。
 今は――牢獄のように見えた。

 机の上には、グレイから託された封筒。
 彼が「開けるな」と言った手紙。
 彼女はしばらく迷い、ついに封蝋を指でなぞった。

 赤い印章が割れ、静かに紙が広がる。

 > 『もしこの手紙を読んでいるということは、
 >  君が危険の中にいるということだろう。
 >  だから、これは“命令”ではなく“願い”として書く。
 >  
 >  君がどんな決断をしても、私は信じる。
 >  だが、君が一人で苦しむことだけは、許さない。
 >  
 >  君の正しさは、誰よりも強い。
 >  それを貫け。
 >  
 >  ――グレイ・アルヴェン』

 文字が滲んで見えた。
 涙が、静かに頬を伝って落ちた。

 「……閣下……。」

 彼は命令でなく“願い”と言った。
 その一文に込められた優しさが、胸を締めつけた。


---

 翌朝、扉がノックされた。
 「財務局長、アルトリウス・オルディス閣下がお呼びです。」
 護衛に囲まれ、彼女は再び監査局へと連行される。

 廊下を歩く途中、官吏たちの視線が突き刺さる。
 「宰相の娘が辺境の妻とはな……」
 「家を裏切った女だ」
 「政治に口を出すからこうなる」

 彼女は何も言い返さなかった。
 ただ、グレイの手紙の言葉を思い出していた。
 ――“貫け”。


---

 監査室の中央に、父・オルディス侯爵が座っていた。
 その威圧感は、昔と変わらない。
 「久しいな、レティシア。」
 「お久しゅうございます、父上。」

 「辺境の泥にまみれた娘が、王都を脅かすとは思わなかった。」
 「脅かすなど……ただ、民のために――」
 「民など知らん!」
 侯爵の拳が机を叩く音が響いた。
 「貴族は国を支える器だ。
  器が自らの底を汚してどうする!」

 「……その“国”を支えているのは、民です!」
 レティシアは真っすぐ父を見た。
 「数字ではなく、汗を流す人々です!
  私は、彼らの生活を守るために制度を作りました!」

 「それが背信だと言っているのだ!」
 侯爵は立ち上がり、冷酷に告げる。
 「お前は、アルヴェン公爵と共に国家反逆の容疑に問われる。」

 「……っ!」

 「ただし、情けをかけよう。
  アルヴェン家との縁を断ち、辺境改革を放棄すれば、罪は免除される。」

 レティシアの心が凍る。
 「つまり……閣下を裏切れと?」
 「そうだ。」
 「父上、それは――」

 「選べ、レティシア。」
 侯爵の声は氷の刃のようだった。
 「家族か、あの男か。」


---

 長い沈黙。
 レティシアはゆっくりと、机の上のペンを取った。
 震える指で紙を引き寄せ、さらさらと何かを書き始める。
 侯爵とアルトリウスが目を細めて見守る。

 やがて、彼女はペンを置き、紙を差し出した。
 「……これが、私の答えです。」

 父が受け取り、目を通す。
 そして、顔を真っ赤に染めた。

 > 『私はアルヴェン公爵夫人レティシア・アルヴェンとして、
 >  この国に正義が残ることを信じ、
 >  いかなる圧力にも屈しない。
 >  ――R.A.』

 「貴様……!」
 机の上のインク瓶が倒れ、黒いしぶきが飛ぶ。
 侯爵の怒号が響く中、レティシアは静かに頭を下げた。

 「父上。どうかお元気で。」

 そして、背を向けた。
 扉の外に出ると、護衛たちが慌てて追いすがる。
 だがアルトリウスが手を上げて制止した。

 「放っておけ。」

 父が振り向く。
 「何をしている、捕らえろ!」
 「いいのです、父上。」
 アルトリウスは静かに言った。
 「彼女はもう、私たちの“枠”では生きていない。」


---

 夜。
 王都の石畳を歩くレティシアの足音だけが響く。
 迎賓館には戻らず、彼女はまっすぐ王城の外郭――記録庁舎へ向かった。

 そこには、古い法令や証拠文書が保管されている。
 グレイの言葉を思い出す。
 ――「証拠で覆すまで。」

 彼女は灯りを持ち、静まり返った書庫に入る。
 無数の帳簿、埃をかぶった記録。
 その中から、一冊の分厚い書物を引き抜いた。

 『王都財務省 特別送金記録』
 ――彼女が求めていたもの。

 ページをめくると、そこには見覚えのある印章が押されていた。
 「……父上の……?」

 記載された額は、国家会計から“行方不明”になった金。
 それは――王都貴族たちへの“裏送金”だった。

 「これが、真の虚偽……。」

 震える手で、その帳簿を抱きしめた。
 涙ではなく、怒りがこみ上げる。

 「閣下……必ず、真実を取り戻します。」

 王都の夜空に鐘の音が鳴り響く。
 その音は、まるで戦いの合図のように鳴り渡った。


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