9 / 39
第9話 王太子が初めて覚えた焦り
しおりを挟む
第9話 王太子が初めて覚えた焦り
王都の空気は、日に日に重くなっていた。
以前は、多少の問題が起きても、どこかで自然と収まっていた。
誰かが調整し、誰かが裏で動き、表に出る頃には「解決済み」になっている。
だが今は違う。
問題は問題のまま積み重なり、誰もがそれを抱えきれずにいた。
王太子レオナルトは、自室の執務机に向かいながら、何度目か分からない舌打ちをした。
「……なぜ、こんなことになる」
机の上には、財務局からの報告書、外交部からの抗議文、神殿からの説明要請。
どれもが「早急な判断」を求めている。
だが、どれを取っても、簡単には答えが出せない。
「殿下、次の会議の時間が……」
補佐官の声に、レオナルトは苛立ちを隠さずに顔を上げた。
「分かっている。
だが、何を話せというんだ」
補佐官は口を閉ざす。
以前なら、会議の前に要点が整理され、選択肢が用意されていた。
殿下はそれを見て決断するだけでよかった。
今は、それがない。
「……エリシアは」
思わず漏れた名前に、補佐官の肩がわずかに揺れた。
「……既に、国を出ております」
その言葉を聞いて、レオナルトは眉をひそめる。
「分かっている。
だが……」
言葉が続かない。
彼の胸に、これまで感じたことのない感覚が広がっていた。
焦り。
それは、王太子として育てられてきた彼が、ほとんど経験したことのないものだった。
決断すれば、周囲が動く。
命じれば、誰かが整える。
そうやって生きてきた。
だからこそ、今の状況は理解しがたい。
会議室では、重臣たちが既に集まっていた。
「財政の赤字は、これ以上先送りできません」
「外交交渉が凍結されたままでは、交易にも影響が出ます」
「聖女への疑念が広がっています。
神殿としても説明が必要です」
次々と投げかけられる言葉に、レオナルトは口を閉ざした。
どれも重要だ。
だが、同時に解決する方法が見えない。
「……順番に対処する」
ようやく出た言葉は、あまりにも抽象的だった。
「具体的には、殿下」
重臣の問いに、彼は答えられない。
沈黙が落ちる。
その沈黙の中で、誰もが気づいていた。
王太子が、迷っているという事実に。
会議は、結論の出ないまま散会した。
廊下を歩きながら、レオナルトは無意識のうちに、かつてよく通った回廊へ足を向けていた。
エリシアが使っていた執務室の前。
扉は閉ざされ、中には誰もいない。
以前は、灯りが点き、夜遅くまで書類を確認する姿があった。
今は、ただ静まり返っている。
「……なぜだ」
彼は低く呟く。
彼女は、確かに地味だった。
目立つこともなく、前に出ることもない。
だが――。
(なぜ、いなくなった途端に、すべてが回らなくなる)
その答えが、薄く、しかし確実に浮かび始めていた。
自室に戻ったレオナルトは、机に積まれた書類を一つずつ見直した。
財務報告。
外交文書。
聖女関連の準備記録。
そこには、共通点があった。
最終確認の欄。
小さな文字で記されていた名前。
「……エリシア」
喉が、ひくりと鳴る。
彼は初めて理解し始めていた。
彼女は、何もしなかったのではない。
すべてを、裏でやっていたのだと。
その事実が、胸に重くのしかかる。
同じ頃、私は隣国の迎賓館へ向かう準備をしていた。
カイル・ノルディックとの会談を、明日に控えている。
机の上には、私が整理した簡潔な資料。
自分の実績と、王国で行ってきた改革案。
今度は、誰かの名前の下に隠れる必要はない。
私は、私として評価される。
窓の外を見ながら、私は静かに思う。
王太子は、今頃ようやく気づき始めているだろう。
自分が、何を失ったのかを。
だが、それはもう、私の責任ではない。
焦りを覚えたとしても、
後悔を抱いたとしても、
失った時間は戻らない。
王太子が初めて覚えた焦りは、
やがて後悔へと変わっていく。
そしてその頃には――
私はもう、別の場所で、自分の人生を歩き始めている。
王都の空気は、日に日に重くなっていた。
以前は、多少の問題が起きても、どこかで自然と収まっていた。
誰かが調整し、誰かが裏で動き、表に出る頃には「解決済み」になっている。
だが今は違う。
問題は問題のまま積み重なり、誰もがそれを抱えきれずにいた。
王太子レオナルトは、自室の執務机に向かいながら、何度目か分からない舌打ちをした。
「……なぜ、こんなことになる」
机の上には、財務局からの報告書、外交部からの抗議文、神殿からの説明要請。
どれもが「早急な判断」を求めている。
だが、どれを取っても、簡単には答えが出せない。
「殿下、次の会議の時間が……」
補佐官の声に、レオナルトは苛立ちを隠さずに顔を上げた。
「分かっている。
だが、何を話せというんだ」
補佐官は口を閉ざす。
以前なら、会議の前に要点が整理され、選択肢が用意されていた。
殿下はそれを見て決断するだけでよかった。
今は、それがない。
「……エリシアは」
思わず漏れた名前に、補佐官の肩がわずかに揺れた。
「……既に、国を出ております」
その言葉を聞いて、レオナルトは眉をひそめる。
「分かっている。
だが……」
言葉が続かない。
彼の胸に、これまで感じたことのない感覚が広がっていた。
焦り。
それは、王太子として育てられてきた彼が、ほとんど経験したことのないものだった。
決断すれば、周囲が動く。
命じれば、誰かが整える。
そうやって生きてきた。
だからこそ、今の状況は理解しがたい。
会議室では、重臣たちが既に集まっていた。
「財政の赤字は、これ以上先送りできません」
「外交交渉が凍結されたままでは、交易にも影響が出ます」
「聖女への疑念が広がっています。
神殿としても説明が必要です」
次々と投げかけられる言葉に、レオナルトは口を閉ざした。
どれも重要だ。
だが、同時に解決する方法が見えない。
「……順番に対処する」
ようやく出た言葉は、あまりにも抽象的だった。
「具体的には、殿下」
重臣の問いに、彼は答えられない。
沈黙が落ちる。
その沈黙の中で、誰もが気づいていた。
王太子が、迷っているという事実に。
会議は、結論の出ないまま散会した。
廊下を歩きながら、レオナルトは無意識のうちに、かつてよく通った回廊へ足を向けていた。
エリシアが使っていた執務室の前。
扉は閉ざされ、中には誰もいない。
以前は、灯りが点き、夜遅くまで書類を確認する姿があった。
今は、ただ静まり返っている。
「……なぜだ」
彼は低く呟く。
彼女は、確かに地味だった。
目立つこともなく、前に出ることもない。
だが――。
(なぜ、いなくなった途端に、すべてが回らなくなる)
その答えが、薄く、しかし確実に浮かび始めていた。
自室に戻ったレオナルトは、机に積まれた書類を一つずつ見直した。
財務報告。
外交文書。
聖女関連の準備記録。
そこには、共通点があった。
最終確認の欄。
小さな文字で記されていた名前。
「……エリシア」
喉が、ひくりと鳴る。
彼は初めて理解し始めていた。
彼女は、何もしなかったのではない。
すべてを、裏でやっていたのだと。
その事実が、胸に重くのしかかる。
同じ頃、私は隣国の迎賓館へ向かう準備をしていた。
カイル・ノルディックとの会談を、明日に控えている。
机の上には、私が整理した簡潔な資料。
自分の実績と、王国で行ってきた改革案。
今度は、誰かの名前の下に隠れる必要はない。
私は、私として評価される。
窓の外を見ながら、私は静かに思う。
王太子は、今頃ようやく気づき始めているだろう。
自分が、何を失ったのかを。
だが、それはもう、私の責任ではない。
焦りを覚えたとしても、
後悔を抱いたとしても、
失った時間は戻らない。
王太子が初めて覚えた焦りは、
やがて後悔へと変わっていく。
そしてその頃には――
私はもう、別の場所で、自分の人生を歩き始めている。
181
あなたにおすすめの小説
私の婚約者を奪った義妹は、幸せになるはずでした
しおしお
恋愛
侯爵令嬢フィオレッタ・ランベールは、公爵令息ギルベルトとの婚約が決まっていた。
けれど、他国へ嫁ぐのが嫌だと訴える義妹カトリーヌは、可憐でか弱い姿を武器に、少しずつ周囲の心を動かしていく。
そしてついに起こる、婚約者交換。
婚約を奪われたフィオレッタは、義妹が拒んだ相手――他国アルディシア公国の公爵フェリクスのもとへ向かうことになる。
突然変えられ「他国へ嫁ぐなんて嫌ですわ」
そう泣いた義妹は、姉の婚約者を奪った。
侯爵令嬢フィオレッタ・ランベールは、公爵令息との婚約を義妹カトリーヌに奪われ、代わりに義妹が拒んだ他国の公爵へ嫁ぐことになる。
傷つきながらも静かに運命を受け入れるフィオレッタと、愛される幸せを手に入れたと信じるカトリーヌ。
だが、婚約交換から始まった二人の人生は、やがて思いもよらぬ形で分かれていく。
奪われた姉が辿り着く未来と、奪った妹が手にする結末とは――。
婚約交換から始まる、姉妹の明暗を描いた恋愛ざまぁ物語。
白い結婚で結構ですわ。殿下より、私の自由のほうが大事ですので
鍛高譚
恋愛
「第二王子との婚約? でも殿下には平民の恋人がいるらしいんですけど?
――なら、私たち“白い結婚”で結構ですわ。お好きになさってくださいな、殿下」
自由気ままに読書とお茶を楽しむのがモットーの侯爵令嬢・ルージュ。
ある日、突然“第二王子リオネルとの政略結婚”を押しつけられてしまう。
ところが当の殿下は平民の恋人に夢中で、
「形式上の夫婦だから干渉しないでほしい」などと言い出す始末。
むしろ好都合とばかりに、ルージュは優雅な“独身気分”を満喫するはずが……
いつしか、リナという愛人と妙に仲良くなり、
彼女を巡る宮廷スキャンダルに巻き込まれ、
しまいには婚約が白紙になってしまって――!?
けれどこれは、ルージュが本当の幸せを掴む始まりにすぎなかった。
自分を心から大切にしてくれる“新しい旦那様”候補が現れて、
さあ、思い切り自由に愛されましょう!
……そして、かの王子様の結末は“ざまぁ”なのか“自業自得”なのか?
自由気ままな侯爵令嬢が切り開く、
“白い結婚破談”からの痛快ざまぁ&本当の恋愛譚、はじまります。
婚約破棄されたので、もう私が支えるのはやめます
ふわふわ
恋愛
王太子アルヴィスの婚約者として、誰よりも完璧であることを求められてきた侯爵令嬢エレノア。
けれど卒業舞踏会の夜、彼女は突然、王太子から婚約破棄を告げられる。
隣に立っていたのは、可憐で愛らしい義妹ミレイユ。
「真実の愛」を掲げる二人に悪女として断じられたエレノアは、すべてを失った――はずだった。
しかし、王宮はなぜか急に回らなくなり、王太子と義妹は少しずつ綻びを見せ始める。
そんな中、エレノアの手腕にいち早く気づいていた冷徹公爵レオンハルトが、彼女へ手を差し伸べる。
「もう、あちらを支える必要はない」
王太子のためでも、侯爵家のためでもなく。
今度こそ自分の意思で立つために、エレノアは公爵家で新たな一歩を踏み出す。
一方、彼女を失って初めて、その価値の大きさを思い知る王太子と、奪ったはずの場所で何も支えられない義妹。
静かに、けれど確実に始まる立場逆転――。
これは、ずっと「選ばれる側」だった令嬢が、もう誰かのために自分を削るのをやめて、幸せも未来も自分で選び取る物語。
「愛があれば十分だ」と私を捨てた婚約者へ――では、その婚約破棄の条件から確認いたしましょう
師走
恋愛
伯爵令嬢リディア・エーヴェルは、貴族たちの婚約や離縁、持参金や相続に関わる条件調整を陰でまとめてきた実務家だった。
だがある夜会で、婚約者である王太子側近ユリウス・グランツから「君は条件ばかりで冷たい。愛があれば契約などいらない」と一方的に婚約破棄されてしまう。
静かに婚約破棄を受理したリディアは、その場で持参金返還、贈与品、名誉回復の文言など必要事項の確認を始めるが、誰もその意味を理解しない。
けれど彼女が婚約から外れた直後から、王都では縁談、婚約、離縁の調整が次々と滞り始める。今まで多くの案件を陰でまとめていたのは、ほかでもないリディアだったのだ。
そんな中、法務局の裁定官補佐セオドア・ヴァレントから、王女ヘレナの婚姻条件を見直してほしいと依頼が舞い込む。
北方大公家との政略結婚。けれど提示された条件は、婚姻ではなく人質の引き渡しに等しいものだった。
「条件は愛の代わりではありません。ですが、愛が壊れたときに人を守ることはできます」
傷つきながらも再び交渉の場に立つリディアは、王女の未来を守るため、そして自分自身の人生を取り戻すため、契約と誠意を武器に王都最大の婚姻交渉へ挑む。
一方、自分を支えていたものの大きさに気づいた元婚約者は、今更になって復縁を望み始めるが――。
小説家になろう様でも掲載中
捨てられた令嬢と、選ばれなかった未来
鍛高譚
恋愛
「君とは釣り合わない。だから、僕は王女殿下を選ぶ」
婚約者アルバート・ロンズデールに冷たく告げられた瞬間、エミリア・ウィンスレットの人生は暗転した。
王都一の名門公爵令嬢として慎ましくも誠実に彼を支えてきたというのに、待っていたのは無慈悲な婚約破棄――しかも相手は王女クラリッサ。
アルバートと王女の華やかな婚約発表の裏で、エミリアは社交界から冷遇され、"捨てられた哀れな令嬢"と嘲笑される日々が始まる。
だが、彼女は決して屈しない。
「ならば、貴方たちが後悔するような未来を作るわ」
そう決意したエミリアは、ある人物から手を差し伸べられる。
――それは、冷静沈着にして王国の正統な後継者、皇太子アレクシス・フォルベルト。
彼は告げる。「私と共に来い。……君の聡明さと誇りが、この国には必要だ」
言いたいことはそれだけですか。では始めましょう
井藤 美樹
恋愛
常々、社交を苦手としていましたが、今回ばかりは仕方なく出席しておりましたの。婚約者と一緒にね。
その席で、突然始まった婚約破棄という名の茶番劇。
頭がお花畑の方々の発言が続きます。
すると、なぜが、私の名前が……
もちろん、火の粉はその場で消しましたよ。
ついでに、独立宣言もしちゃいました。
主人公、めちゃくちゃ口悪いです。
成り立てホヤホヤのミネリア王女殿下の溺愛&奮闘記。ちょっとだけ、冒険譚もあります。
【完結】断罪された悪役令嬢は、二度目は復讐に生きる
くろねこ
恋愛
公爵令嬢リリアーネ・アルフェルトは、
聖女と王国第一王子に嵌められ、
悪女として公開断罪され、処刑された。
弁明は許されず、真実を知る者は沈黙し、
彼女は石を投げられ、罵られ、
罪人として命を奪われた――はずだった。
しかし、彼女は教会の地下で目を覚ます。
死を代償に得たのは.........
赦しは選ばない。
和解もしない。
名乗るつもりもない。
彼女が選んだのは、
自分を裁いた者たちを、
同じ法と断罪で裁き返すこと。
最初に落ちるのは、
彼女を裏切った小さな歯車。
次に崩れるのは、
聖女の“奇跡”と信仰。
やがて王子は、
自ら築いた裁判台へと引きずり出される。
かつて正義を振りかざした者たちは、
自分が断罪される未来を想像すらしていなかった。
悪女は表舞台に立たない。
だがその裏側で、
嘘は暴かれ、
罪は積み上がり、
裁きは逃げ場なく迫っていく。
これは、
一度死んだ悪女が、
“ざまぁ”のために暴れる物語ではない。
――逃げ場のない断罪を、
一人ずつ成立させていく物語だ。
処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!
秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。
民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。
「おまえたちは許さない」
二度目の人生。
エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。
彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。
1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。
「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」
憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。
二人の偽りの婚約の行く末は……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる