婚約破棄された公爵令嬢ですが、戻らなかっただけです

鷹 綾

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第六話 舞踏会前夜

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第六話 舞踏会前夜

「いよいよ明日ですわね」

鏡の前で、セシリアがくるりと回る。

薄紅色のドレスの裾が、ふわりと広がった。

「今回の舞踏会は、特別なのですって。王家主催ですもの」

「ええ」

わたくしは淡く答える。

王家主催の大舞踏会。
王太子の婚約者として、わたくしは隣に立つはずの夜。

――はず、だった。

「カイル様、最近はわたくしと踊る練習ばかりしてくださるの」

セシリアは頬を染める。

「お姉様も練習なさったの?」

「いいえ」

練習など、必要ない。

わたくしは幼い頃から王太子妃教育を受けてきた。

けれど。

「まあ、余裕なのね」

その一言は、やけに軽い。

「緊張なさらないの?」

「少しは」

正直に言う。

胸の奥が、ひどく静かだ。

嵐の前の海のように。


---

夕刻。

執務室に父が入ってくる。

「明日の舞踏会、失敗は許されん」

「承知しております」

「最近の噂もある。挽回せよ」

挽回。

わたくしが何を失ったというのだろう。

信頼?
立場?
それとも、すでに。

「セシリアも参加する。うまく立ち回れ」

「はい」

短い会話。

父の目は、もうわたくしを見ていない。


---

夜。

自室に戻ると、ドレスが運び込まれていた。

深い蒼のドレス。

落ち着いた色合い。

「地味、でしょうか」

思わず呟く。

派手ではない。

きらびやかでもない。

けれど、品はある。

それが、わたくし。

コンコン、と扉が叩かれる。

「リュシエンヌ様」

静かな低い声。

振り向くと、エドガー・レイヴンフォール公爵が立っていた。

「こんな時間に、どうなさいましたか」

「明日の舞踏会の件で」

彼は部屋に入り、わたくしを見る。

その視線は、いつも真っ直ぐだ。

「噂は耳に入っている」

「ご心配なく」

「心配しているわけではない」

淡々とした声。

「君は、自分の価値を知らなさすぎる」

思わず、笑みがこぼれる。

「価値、ですか」

「この家が回っている理由を、私は知っている」

胸が、わずかに熱くなる。

初めて。

誰かが、見ていると言った。

「明日、何があっても動揺するな」

「何か、起こると?」

エドガーは一瞬だけ沈黙する。

「……用心するに越したことはない」

それだけ言って、彼は去っていった。

残された静寂。

何が起こるのか。

わかっている。

最近の流れ。

噂。

カイルの態度。

セシリアの余裕。

点と点が、つながり始めている。


---

深夜。

窓の外で風が鳴る。

わたくしは机に向かい、書類を整理する。

王家との契約書。

共同事業の記録。

殿下の署名。

整然と並ぶ数字。

もしも。

もしも明日、何かが起きたとして。

わたくしは、どうするのだろう。

泣くだろうか。

怒るだろうか。

それとも。

ただ、微笑むだろうか。

胸の奥の火は、もう小さくない。

静かに、しかし確実に燃えている。

優しい姉でいること。

それがわたくしの役目だと思っていた。

けれど。

もしその優しさが、明日踏みにじられるなら。

わたくしは。

どうなるのだろう。

鏡の前に立つ。

蒼のドレスを胸に当てる。

「……大丈夫」

明日がどんな夜になろうとも。

わたくしは崩れない。

そう決める。

風が強くなる。

舞踏会前夜。

空は重く、低い。

そして。

何かが、確実に終わろうとしていた。
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