婚約破棄された公爵令嬢ですが、戻らなかっただけです

鷹 綾

文字の大きさ
5 / 32

第五話 味方はいない

しおりを挟む
第五話 味方はいない

「最近、リュシエンヌ様はお見かけしませんね」

「ご自分から控えていらっしゃるとか」

「やはり後ろめたいことがあるのでは?」

――控えているのではない。控えさせられているのだ。

けれど、それを説明する場はもうない。

朝の食堂。

長いテーブルの端に、わたくしは静かに座っている。

向かいには父。
その隣にマルティナ。
そして、明るく微笑むセシリア。

「昨日の夜会、本当に素敵でしたの」

セシリアが弾む声で言う。

「皆さまがカイル様とわたくしを祝福してくださって」

「それは良かった」

父が満足げに頷く。

「王太子妃に相応しいと、何人もの方がおっしゃっていましたのよ」

その言葉に、食堂の空気がわずかに揺れる。

王太子妃に相応しい。

その立場は、まだわたくしのはずだ。

けれど誰も訂正しない。

「リュシエンヌ、お前も少しは妹を見習え」

父の声は穏やかだが、突き放すようでもある。

「……何をでしょう」

「人を惹きつける明るさだ」

明るさ。

華やかさ。

それが、すべて。

「わたくしは不器用ですから」

「自覚しているなら努力しろ」

努力。

わたくしがこれまでしてきたことは、努力ではなかったのだろうか。

家の収支を整え、取引先と交渉し、問題を未然に防ぐ。

それは目立たない。

拍手もない。

けれど確かに、家を支えてきた。

「お姉様はお忙しいのですもの」

セシリアが助け舟を出すように言う。

「わたくしはただ、皆さまとお話しているだけですわ」

くすくすと笑う。

わたくしを見る目は優しい。

けれどその奥は冷たい。


---

午後。

廊下を歩いていると、使用人たちの視線が止まる。

小さく頭を下げるが、どこかよそよそしい。

これまで相談を持ちかけてきた者たちも、最近はセシリアのもとへ行く。

「セシリア様は本当にお優しい」

「リュシエンヌ様は少し厳しすぎるのよ」

厳しい。

数字に誤りがあれば指摘する。

契約に不備があれば確認する。

それは厳しさだろうか。

それとも、当然のことだろうか。

執務室に入ると、書類の山が積まれている。

わたくしがいなくなれば、この山はどうなるのだろう。

ふと、そんな考えがよぎる。

「リュシエンヌ様」

侍女が小声で近づく。

「本日、王宮からのお呼び出しがございます」

「……どなたから?」

「カイル殿下より」

胸が、ひとつだけ強く打つ。

まだ、話す気があるのだろうか。

まだ、わたくしは婚約者なのだろうか。


---

王宮。

広い回廊の先で、カイルが待っていた。

「リュシエンヌ」

声は冷静だ。

「最近の噂は聞いているな」

「はい」

「君の評判が良くない」

わかっている。

「私は王太子だ。婚約者の評判はそのまま私の評判になる」

「……申し訳ございません」

「謝る前に、改めるべきだ」

その言葉は刃のようだ。

「セシリアは皆から愛されている」

「そうですね」

「なぜ君は、あのように振る舞えない?」

振る舞い。

それは演技だ。

けれど今、それを指摘する意味はない。

「わたくしはわたくしです」

小さく答える。

カイルの眉がわずかに寄る。

「君は自分を変える気がないのか」

変える。

何を。

性格を。
立ち位置を。
存在そのものを。

「殿下が望まれるのであれば、努力はいたします」

「……」

沈黙。

そして、決定的な一言。

「君と話していると、息が詰まる」

胸の奥で何かが静かに割れる。

怒りではない。

悲鳴でもない。

ただ。

ああ、そうなのだと。

「失礼いたします」

深く一礼する。

背を向けると、足が少しだけ重い。


---

帰りの馬車。

窓の外は曇り空。

味方はいない。

父も、継母も、婚約者も。

屋敷に戻ると、セシリアが待っていた。

「カイル様にお会いになったの?」

「ええ」

「お叱りを受けました?」

その言い方。

知っているのだ。

「……少し」

「ごめんなさいね。わたくしが目立ちすぎてしまって」

申し訳なさそうな声。

けれど瞳は輝いている。

「お姉様は強いから、大丈夫よね?」

強い。

違う。

ただ、黙っているだけ。

「わたくしは大丈夫よ」

いつもの言葉。

それを聞いて、セシリアは満足そうに微笑む。

「やっぱりお姉様は優しい」

優しさ。

それは今や、武器ではなく、鎖だ。

わたくしを縛るための。

部屋に戻り、椅子に腰かける。

静かな部屋。

誰もいない。

味方もいない。

それでも。

胸の奥の火は消えていない。

むしろ。

誰もいないからこそ、はっきりと見える。

もしも。

この優しさをやめたなら。

何が起こるのだろう。

わたくしは、ゆっくりと帳簿を閉じる。

嵐は、もう近い。

そしてそのとき。

味方がいなくても。

わたくしは、立っていられるだろうか。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして

東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。 破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。

捨てられた令嬢と、選ばれなかった未来

鍛高譚
恋愛
「君とは釣り合わない。だから、僕は王女殿下を選ぶ」 婚約者アルバート・ロンズデールに冷たく告げられた瞬間、エミリア・ウィンスレットの人生は暗転した。 王都一の名門公爵令嬢として慎ましくも誠実に彼を支えてきたというのに、待っていたのは無慈悲な婚約破棄――しかも相手は王女クラリッサ。 アルバートと王女の華やかな婚約発表の裏で、エミリアは社交界から冷遇され、"捨てられた哀れな令嬢"と嘲笑される日々が始まる。 だが、彼女は決して屈しない。 「ならば、貴方たちが後悔するような未来を作るわ」 そう決意したエミリアは、ある人物から手を差し伸べられる。 ――それは、冷静沈着にして王国の正統な後継者、皇太子アレクシス・フォルベルト。 彼は告げる。「私と共に来い。……君の聡明さと誇りが、この国には必要だ」

『「君は飾りだ」と言われた公爵令嬢、契約通りに王太子を廃嫡へ導きました』

ふわふわ
恋愛
「君は優秀だが、王妃としては冷たい。正直に言えば――飾りとしては十分だった」 そう言って婚約者である王太子に公然と切り捨てられた、公爵令嬢アデルフィーナ。 さらに王太子は宣言する。 「王家は外部信用に頼らない」「王家が条文だ」と。 履行履歴も整えず、契約も軽視し、 新たな婚約者と共に“強い王家”を演出する王太子。 ――ですが。 契約は宣言では動きません。 信用は履歴の上にしか立ちません。 王命が止まり、出荷が止まり、資材が止まり、 やがて止まったのは王太子の未来でした。 自ら押した承認印が、 自らの継承権を奪うことになるとも知らずに。 公然侮辱から始まる、徹底的な強ザマァ。 救済なし。 やり直しなし。 契約通りに処理しただけですのに―― なぜか王太子が廃嫡されました。

君のためだと言われても、少しも嬉しくありません

みみぢあん
恋愛
子爵家令嬢マリオンの婚約者アルフレッド卿が王族の護衛で隣国へ行くが、任期がながびき帰国できなくなり婚約を解消することになった。 すぐにノエル卿と2度目の婚約が決まったが、結婚を目前にして家庭の事情で2人は……    暗い流れがつづきます。 ざまぁでスカッ… とされたい方には不向きのお話です。ご注意を😓

王太子に婚約破棄されたけど、私は皇女。幸せになるのは私です。

夢窓(ゆめまど)
恋愛
王太子に婚約破棄された令嬢リリベッタ。 「これで平民に落ちるのかしら?」――そんな周囲の声をよそに、本人は思い出した。 ――わたし、皇女なんですけど? 叔父は帝国の皇帝。 昔のクーデターから逃れるため、一時期王国に亡命していた彼女は、 その見返りとして“王太子との婚約”を受け入れていただけだった。 一方的に婚約破棄されたのをきっかけに、 本来の立場――“帝国の皇女”として戻ることに決めました。 さようなら、情けない王太子。 これからは、自由に、愛されて、幸せになりますわ!

【完結】恋人にしたい人と結婚したい人とは別だよね?―――激しく同意するので別れましょう

冬馬亮
恋愛
「恋人にしたい人と結婚したい人とは別だよね?」 セシリエの婚約者、イアーゴはそう言った。 少し離れた後ろの席で、婚約者にその台詞を聞かれているとも知らずに。 ※たぶん全部で15〜20話くらいの予定です。 さくさく進みます。

親切なミザリー

みるみる
恋愛
第一王子アポロの婚約者ミザリーは、「親切なミザリー」としてまわりから慕われていました。 ところが、子爵家令嬢のアリスと偶然出会ってしまったアポロはアリスを好きになってしまい、ミザリーを蔑ろにするようになりました。アポロだけでなく、アポロのまわりの友人達もアリスを慕うようになりました。 ミザリーはアリスに嫉妬し、様々な嫌がらせをアリスにする様になりました。 こうしてミザリーは、いつしか親切なミザリーから悪女ミザリーへと変貌したのでした。 ‥ですが、ミザリーの突然の死後、何故か再びミザリーの評価は上がり、「親切なミザリー」として人々に慕われるようになり、ミザリーが死後海に投げ落とされたという崖の上には沢山の花が、毎日絶やされる事なく人々により捧げられ続けるのでした。 ※不定期更新です。

砕けた愛

篠月珪霞
恋愛
新婚初夜に男に襲われた公爵令嬢エヴリーヌは、不義密通の罪を被せられた。反逆罪に問われた彼女の一族は処刑されるが、気付くと時間が巻き戻っていた。 あなたへの愛? そんなものとうに、砕け散ってしまいました。

処理中です...