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第九話 追い出される姉
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第九話 追い出される姉
「リュシエンヌ」
父の声は、やけに事務的だった。
執務室の空気は重い。
窓は閉じられ、光も弱い。
「今後のことだが」
「はい」
わたくしは静かに背筋を伸ばす。
「セシリアが王太子妃候補となった以上、屋敷の空気を整えねばならん」
整える。
「お前がここにいると、余計な憶測を呼ぶ」
余計な憶測。
つまり――邪魔だということ。
「しばらく、別邸へ移れ」
言葉は淡々としている。
感情はない。
わたくしは、少しだけ父を見つめる。
そこに、迷いはなかった。
「承知いたしました」
一瞬、父の眉が動く。
反論しないことが、予想外だったのかもしれない。
「理解が早くて助かる」
助かる。
それがわたくしの役目だった。
理解し、従い、波を立てない。
「荷物は最小限にしろ」
「はい」
それだけで、話は終わる。
わたくしの居場所は、今日でなくなる。
---
自室に戻ると、すでに侍女たちが動いていた。
「お荷物はこちらに」
「こちらは処分でよろしいでしょうか」
処分。
本棚の本が箱に詰められていく。
母から譲られた茶器も。
小さな思い出も。
「それは持っていくわ」
一冊の帳簿を手に取る。
誰も気に留めない。
それはただの古い書類にしか見えない。
けれど。
そこには、この家の本当の流れが記されている。
扉が開く。
セシリアが立っていた。
「本当に出ていかれるの?」
驚いたような声。
けれど目は、冷静だ。
「父のご判断ですもの」
「お姉様が悪いわけではないのに」
言葉とは裏腹に、唇の端がわずかに上がる。
「寂しくなりますわ」
「そう」
「でも、仕方ありませんわよね。わたくしが王太子妃候補になってしまったのですもの」
誇らしげな声音。
「お姉様がいると、ややこしいの」
正直な言葉だった。
「……そうね」
「怒っていないの?」
またそれ。
怒りを期待している。
泣き叫ぶ姿を想像している。
「怒る理由がないわ」
「わたくし、奪ったのよ?」
奪った。
はっきり言った。
「殿下が選ばれたのですもの」
わたくしは微笑む。
セシリアの目が、わずかに揺れる。
「本当に……何も感じないの?」
感じている。
けれど見せない。
「お幸せに」
それだけ告げる。
セシリアは数秒黙り込み、そして笑う。
「やっぱりお姉様は優しいのね」
優しい。
その言葉が、もはや空気のようだ。
---
夕方。
馬車が屋敷の前に止まる。
別邸へ向かうためのものだ。
使用人たちが距離を置いて見ている。
同情。
好奇。
安堵。
「リュシエンヌ様……」
一人の老執事が、そっと頭を下げる。
「お身体を大切に」
その声は、わずかに震えていた。
わたくしは静かに頷く。
「あなたも」
馬車に乗り込む。
扉が閉まる。
窓越しに屋敷を見上げる。
長年、守ってきた場所。
守るつもりだった場所。
けれど。
守る必要がなくなった。
馬車が動き出す。
石畳の音が、規則正しく響く。
胸は、痛まない。
涙も出ない。
ただ。
静かな決意がある。
奪われた。
追い出された。
切り捨てられた。
けれど。
まだ終わっていない。
わたくしの中には、すべてが残っている。
契約も。
信用も。
数字も。
別邸の門が見えてくる。
小さく、質素な建物。
ここが、わたくしの新しい居場所。
馬車が止まる。
扉が開く。
夜の空気が流れ込む。
わたくしはゆっくりと降り立つ。
振り返らない。
屋敷は、もう遠い。
けれど。
追い出されたのは、わたくしだけではない。
理性も、安定も。
いずれ。
その不在に気づく日が来る。
そのとき。
誰が困るのか。
静かな夜空を見上げる。
嵐は、まだ姿を見せない。
けれど確実に、近づいている。
「リュシエンヌ」
父の声は、やけに事務的だった。
執務室の空気は重い。
窓は閉じられ、光も弱い。
「今後のことだが」
「はい」
わたくしは静かに背筋を伸ばす。
「セシリアが王太子妃候補となった以上、屋敷の空気を整えねばならん」
整える。
「お前がここにいると、余計な憶測を呼ぶ」
余計な憶測。
つまり――邪魔だということ。
「しばらく、別邸へ移れ」
言葉は淡々としている。
感情はない。
わたくしは、少しだけ父を見つめる。
そこに、迷いはなかった。
「承知いたしました」
一瞬、父の眉が動く。
反論しないことが、予想外だったのかもしれない。
「理解が早くて助かる」
助かる。
それがわたくしの役目だった。
理解し、従い、波を立てない。
「荷物は最小限にしろ」
「はい」
それだけで、話は終わる。
わたくしの居場所は、今日でなくなる。
---
自室に戻ると、すでに侍女たちが動いていた。
「お荷物はこちらに」
「こちらは処分でよろしいでしょうか」
処分。
本棚の本が箱に詰められていく。
母から譲られた茶器も。
小さな思い出も。
「それは持っていくわ」
一冊の帳簿を手に取る。
誰も気に留めない。
それはただの古い書類にしか見えない。
けれど。
そこには、この家の本当の流れが記されている。
扉が開く。
セシリアが立っていた。
「本当に出ていかれるの?」
驚いたような声。
けれど目は、冷静だ。
「父のご判断ですもの」
「お姉様が悪いわけではないのに」
言葉とは裏腹に、唇の端がわずかに上がる。
「寂しくなりますわ」
「そう」
「でも、仕方ありませんわよね。わたくしが王太子妃候補になってしまったのですもの」
誇らしげな声音。
「お姉様がいると、ややこしいの」
正直な言葉だった。
「……そうね」
「怒っていないの?」
またそれ。
怒りを期待している。
泣き叫ぶ姿を想像している。
「怒る理由がないわ」
「わたくし、奪ったのよ?」
奪った。
はっきり言った。
「殿下が選ばれたのですもの」
わたくしは微笑む。
セシリアの目が、わずかに揺れる。
「本当に……何も感じないの?」
感じている。
けれど見せない。
「お幸せに」
それだけ告げる。
セシリアは数秒黙り込み、そして笑う。
「やっぱりお姉様は優しいのね」
優しい。
その言葉が、もはや空気のようだ。
---
夕方。
馬車が屋敷の前に止まる。
別邸へ向かうためのものだ。
使用人たちが距離を置いて見ている。
同情。
好奇。
安堵。
「リュシエンヌ様……」
一人の老執事が、そっと頭を下げる。
「お身体を大切に」
その声は、わずかに震えていた。
わたくしは静かに頷く。
「あなたも」
馬車に乗り込む。
扉が閉まる。
窓越しに屋敷を見上げる。
長年、守ってきた場所。
守るつもりだった場所。
けれど。
守る必要がなくなった。
馬車が動き出す。
石畳の音が、規則正しく響く。
胸は、痛まない。
涙も出ない。
ただ。
静かな決意がある。
奪われた。
追い出された。
切り捨てられた。
けれど。
まだ終わっていない。
わたくしの中には、すべてが残っている。
契約も。
信用も。
数字も。
別邸の門が見えてくる。
小さく、質素な建物。
ここが、わたくしの新しい居場所。
馬車が止まる。
扉が開く。
夜の空気が流れ込む。
わたくしはゆっくりと降り立つ。
振り返らない。
屋敷は、もう遠い。
けれど。
追い出されたのは、わたくしだけではない。
理性も、安定も。
いずれ。
その不在に気づく日が来る。
そのとき。
誰が困るのか。
静かな夜空を見上げる。
嵐は、まだ姿を見せない。
けれど確実に、近づいている。
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